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7/27 ENOWA

マリンバのソロ演奏が始まり、オフホワイトの服を着た二人の絵描きが並んでちょこんと座って聞いている。その後ろ姿が可愛らしくて天使か妖精のようだった。幅90センチの2枚の障子紙のキャンパスに、無から何を組み立てていくのか。40分と50分の2ステージの演奏の合間に、何かかけろと言われて、これは責任も重大だ。演奏前を含めて、音楽の何らかが即興のライブ・ペインティングに影響するのかもしれないから、私は直感でフリー・ミュージックなCDを選んだ。circe(キルケ)のマリンバ奏者teraさんの、ループやディレイを効かせた演奏と共に、この日の2枚の絵に関係したかもしれないので、参考までに記しておくことにしよう。

Zakir Hussain & Ustad Alla Rakhan / Tabla Duet
Derek Bailey & Cyro Baptista / Cyro
Hukwe Zawose / Chibite
World Cafe / World Music Library Compilation by Makoto Kubota
Shakti with John McLaughlin / Natural Elements
Archie Shepp / The Magic Of Juju
Ornette Coleman / Dancing In Your Head
Konono N°1 / Congotronics
Saba Nova de Nouvelle Vibe / Compilation by Minoru Wakasugi

墨絵のような濃淡の黒と白を担当するayaちゃんと、色を入れていくelinaちゃんが、4回ほど交互に入れ替わって2時間ほどで2枚の絵を描いてゆく。後半にホワイトが入ってコントラストがはっきりとした方の一枚を終演後に譲っていただいた。絵のことはよく分からないけど、岡本太郎好きの私としては好きな感じ。お店の壁に飾りたいなと思う。

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歴史の流れの半ばに生きている我々は、無から何かを生み出すことなどできない。美術の世界だってそれはもちろんそうであろう。それでも白いキャンバスに何かを描き出そうとすることは、尊い作業だと思う。無垢な子供の絵がたとえ芸術的であろうと、それが芸術ではないのは自己批判や反省がないからだと、そのようなことを太郎さんが書いていた。芸術が闘いであるなら、それはそのような自己との闘いであり、それがうまくいこうとなかろうと、芸術だろうとなかろうと、葛藤していればそれでいいのかもしれない。

これはおそらく個人主義の命題のひとつで、芸術は個に限られたものではないというというのは我々にとって逃げでもあり自由でもある。民俗音楽的なフリー・ミュージックがどのように闘っていて、あるいは闘っているように聞こえて、そして我々が国民的な集合としてどのように闘うのか闘っているように見えるか、というのは個を越えたところにある葛藤である。

タッグにおける葛藤が社会の原点であると考えるなら、それを無からの創造としてアウトプットしようとすることこそ、前に進んでゆく力になる。選択肢はふたつ示される。それをみんなが見守っている。尊い作業であると思う。やはり二人は天使かもしれない。
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by barcanes | 2015-07-27 06:55 | 日記 | Comments(0)