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耳で聞き分ける批評/フリーマン・ブラウンと「ゴースト・ミュージシャン」

毎月やってるレコード・イベント「Voices Inside」のホストDJ二見潤が先日、買ったばかりの本を見せてくれた。ソウル批評の第一人者、鈴木啓志氏の新刊「ゴースト・ミュジシャン~ソウル黄金時代、アメリカ南部の真実」(DU BOOKS)だ。サザン・ソウルが作られた町、マッスル・ショールズ。総本山はリック・ホールのフェイム・スタジオ。(ちなみにマッスル・ショールズにはその他、ロジャー・ホーキンスたちのマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオと、クイン・アイヴィーのノララ・サウンド・スタジオがある。)
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その裏方ミュージシャンの知られざる裏面史とでも言おうか。パラパラとめくるとページのあちこちで鈴木啓志が怒っている。どうやら我々が知らなければならないことが書いてあるようだ。これは買わなければならない。さっそく私も取り寄せて、今日一日で一気に読み切った。

フリーマン・ブラウン。この本はほぼ全編を通して、この黒人ドラマーに捧げられている。私は恥ずかしながらこの人の名前さえ知らなかった。フェイムというとロジャー・ホーキンスという白人ドラマーが有名であるが、実は我々がホーキンスだと思っていたドラムが、実はブラウンが叩いていたというレコードが少なくない、と言うのである。それだけではない。ホーキンスが本番のレコーディングを叩いたものにも、わざわざブラウンが手本を見せるために演奏したデモ音源さえ存在するという。

66年頃まではホーキンスたち白人チームにはソウルの録音は任されず、その後徐々に力をつけ始め、「特に67年から68年にかけてのホーキンスはドラミングのタイミングばかりでなく、その音から奏法までフリーマン・ブラウンに実によく似ている。」それはブラウンたち黒人チームを手本にしていたからで、「教科書であったばかりでない、まさに虎の巻だったのである。虎の巻である以上は決して他人に知られてはならない」というのである。

近年フェイム・スタジオのアンソロジーや未発表曲集など、良い仕事をしていると思っていたイギリスのKENTレーベルの編纂者たちでさえ、そのあたりをちゃんと調べず、過去の記録を鵜呑みにしてしまっている。さらにはソウル史の大著として知られ、新井崇嗣さんによる邦訳もある「スウィート・ソウル・ミュージック」の原著者にも、鈴木さんの舌鋒は向けられている。関係者へのインタビューを重ね、事実を積み重ねていると言っても、そこに批評精神が感じられないと、一刀両断の極辛ぶった切りである。

よく聞け。聞けば分かるだろ。俺はドラムの違いが分かる。(95%の確率で聞き分けられると豪語する。)記録や定説を疑い、自分の耳を信じろ。良いか悪いか、ただそれだけだ。疑問や怒り、批評とは自分の感性から始まる。だからつまり、鈴木さんの言い分にはなにも確証がない。しかし過去に立てた自分の仮説の間違いを認めながら、自分の感性を素にして真実に迫っていく。記録や当事者の発言や回顧にだって誤りや思い違いがあるかもしれないのに、それを鵜呑みにすれば間違った歴史がまかり通ってしまうではないか。それは「批評精神の欠如以外の何物でもない」と書き付ける。

さらには、その誤謬は、どうやらソウル・ミュージックのイメージ作りの犠牲として生まれたのではないかと、鋭く追求する。つまり60年代、ソウル・ミュージックは黒人と白人の差別の橋渡しとして、黒人が歌い白人がバックを演奏し、その共同作業としてのイメージを強調しようという戦略をとったレコード会社があった。実際に裏方ミュージシャンには白人は少なくなかったのである。しかし、レコードを売るために、実際は黒人ミュージシャンが演奏しているのに白人ミュージシャンの名前をクレジットとしてレコード・ジャケットに載せるというインチキをしたのだ、とアトランティック・レコードの大物プロデューサーの一人、ジェリー・ウェクスラーを告発するのである。

その犠牲の陰に、フリーマン・ブラウンをはじめとする「インペリアル・セヴン」や「フェイム・ギャング」と呼ばれた黒人ミュージシャンたちがいる。またさらには、アトランティックの記録から抹消されたボビー・ウォマックという名ギタリスト/シンガーがいる。鈴木さんは彼らのために、そして誤った歴史を正すために怒っておられるのだ。ただ自分の耳を頼りに。その背中越し
に盲目の座頭市のような鋭い煌めきさえ感じられるではないか。この本が英訳され、英米の批評家関係者たちに議論を巻き起こすことを期待したい。

遠く極東の島国で、ラジオからたった一回流れただけの曲の印象を記憶し、エアメールでカタログを取り寄せ、ようやく手に入れたレコードを丹念に聞き込み、その音で判断するということは、英米人で近くにいて記録やエピソードに左右されることよりも、よっぽど真実に近づくだけの熱意と愛がある。我々日本人がこれだけサザンソウルが好きなのは、そのような人たちの愛があってこそなのだろう。

そして歴史とは往々にして、そのような近視眼的な思いこみによって作られ、批評精神の欠如つまりは感性に対する不信がそれを定説化していき、その陰に犠牲になる者たちが生まれ続けることになる、ということを見事に音楽批評を通して表した。あっぱれな一冊であった。

巻末の参考音源集も嬉しく、こうなると当然ひとつひとつ聞いてみたくなる。しかもできたらCDではなく、シングル盤で。しかしマイナー・ヒットを含んだ貴重な音盤たちを手に入れることなどほとんど不可能である。

だが我々には毎月第3土曜日の「Voices Inside」がある。その全てとは言わないが相当数に出会えるチャンスがあるだろう。それらを自分で持っている必要はない。鈴木さんが若かりし頃ラジオにカジりついたように、我々もスピーカーから出る、そのたった一度の音に耳を集中させればいいことである。

明後日21日にはモノラル特集があり、そしてそのうちマッスル・ショールズ特集もやりたいと思っています。めちゃくちゃ楽しみ。ビバ、サザンソウル。そして真実のマッスル・ショールズ万歳。

耳で聞き分ける批評/フリーマン・ブラウンと「ゴースト・ミュージシャン」_c0007525_21173490.jpgとは言え、さっそく入手したMighty SamのCD「Papa True Love / The Amy Sessions」(Sundazed)。66~68年録音。18曲中7曲がFreeman Brownだ。歌もドラムもパワフル。Roger Hawkinsも悪くないし、僕には違いが分からない曲もある。恐るべし鈴木啓志先生。

耳で聞き分ける批評/フリーマン・ブラウンと「ゴースト・ミュージシャン」_c0007525_21224186.jpg「George Jackson / The Fame Recordings」(Kent) Volume 1は24曲中22曲、そしてこのVolume 2にいたっては全24曲でFreeman Brownのドラムが聞かれます!このジョージ・ジャクソンのシリーズが素晴らしいのには、彼の曲や歌だけでなく、ドラムの圧倒的な迫力があったことに今さらながら気付かされます。

Commented by torajiroramo at 2018-10-27 10:23
何年も前に書かれたものだと思うんですけど、自分は今になってこの本を読みました。このブログが見れてよかったです!!
Commented by barcanes at 2018-10-29 23:48
ありがとうございます!この時の鈴木ヒロシさんの力強い語り口はとても印象的で、そのお姿は今でも目に焼き付いてます。音楽好きとしては、既存の情報に流されない耳と感性を持っていたいものですね。
by barcanes | 2013-09-19 20:56 | 日記 | Comments(2)