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中沢さんの新刊と遊行寺骨董市

中沢さんの新刊と遊行寺骨董市_c0007525_7312847.jpg昼間営業のヒマな時間に、昨日本屋で平積みになっていた、私の大学時代の先生でもある中沢新一さんの出たばかりの新刊「アースダイバー」(講談社)を読み始めることにした。ヒマなおかげで?一気に3分の1ほど読み進んでしまったが、これは面白い!

ここ最近の網野善彦さんに関しての中世以降の「常民」のテーマや、中沢さん本来の神秘主義的な神話的な読み取り方を絡めて、縄文時代に基点を置き、縄文からの視点でこの現代を見直す、という我々に与えられた(と言ってもよいだろう)フィールドワークの一例を、縄文海進期の地勢図と照らし合わせた、縄文からの東京の地誌学として語りだす。図や写真も多い、非常に読みやすい本だが、読みやすさの中に、これまでの中沢さんのエッセンスを、しかも現代の東京という具体性の上に示した、見事な発表だと言えよう!古い話の中のノスタルジーが多くなってしまいがちの学問ではなく、ゾクゾクするような生々しい東京の感覚として、まさに土地の精霊が我々の心の中に立ち上がってくるような、実感の想像として、ドキドキしながら読んだ。

これをフィクションとして読むことも可能なのだが、この縄文海進期のマップというのが見事に現在の東京の地勢図とマッチしていて、相当に説得力があるのである。縄文期に海の底だった低地の湿地帯と、その頃にも既に陸地で高台だったところを対峙しつつ、その境目(サカイ)、高地から低地に移る坂道(サカ)、その昔は岬のようだった地形(ミサキ)、「サッ」という音の持つ、日本語の古語が持っていた、移行することに関する神秘性に注目する。このテーマは近作だった「精霊の王」や、丸石に関する中沢さんのお父さんのテーマから引き続いている。

新宿や渋谷、六本木など、山の手の、坂の多い、私にも行った覚えのある地域には、まさに自分の持っていた無意識的な印象が、ものの見事に当てはまるのだ。例えば西新宿の都庁裏の「新宿中央公園」のなんとも暗い、怪しい空気。もとはあそこには、池と湿地の低地があったのだ。それにまつわる伝説と、そこから読み取れる風俗と資本主義の原始、そしてやはり低地だった現在の歌舞伎町が埋め立てられてできたという関係性。あるいは、渋谷の宮益坂と道玄坂に挟まれた、駅前のスクランブル交差点はもとは沼の底で、新宿御苑を水源とする渋谷川と、宇田川の水路跡の上に、裏原宿やセンター街のストリートがあり、若者たちの欲望が渦巻く場所になっていたり、円山町の裏には神泉という泉湧く聖地があって、そのすぐそばにはホテル街があったりする。

四谷怪談の舞台となった四谷から東宮御所辺りの低地にあったスラム街に関する話には、歌舞伎や芸人、作家や娼婦と中世からの非農耕民、被差別民、常民との関係が現れてくる。(ここから政治団体や宗教団体との関係にまで突っ込んでほしかった気もする。)東京タワーと戦争や震災、古墳や墓地という「死」の要素。「古い秩序を壊して、くりかえし新しくものごとを開始しようとする心理のなかには、(中略)死の衝動がうごめきつづけている。」麻布十番温泉と地下鉄の車内に座る女性の足の写真(p.106を見よ)。六本木の谷地に襲いかかる「森ビル」の侵略についての、はっきりとした反論もある。

そして、この本の隠されたもうひとつのメッセージは、かつては東京の大部分は海の底であったのであり、環境破壊も地球温暖化も、地球の長期的なサイクルのひとつであるということだ。近視眼的に世紀末的悲観論をプレッシャーにして、将来に絶望して生きてはいけない。百年単位どころか、千年、万年単位で、我々の人類の歴史を考えてみるとき、我々庶民の人生は、その生活を行った低地の水位変化とまさに同様に、浮き沈みを繰り返したのである。そこに庶民のたくましさを発見し、いかに(幸せに)生きてきたかを、我々は改めて学びとる必要があると思う。これは我々の世代のテーマのひとつだろう。

古きを学ぶとは、昔の人たちの苦労ばかりではなく、いかに楽しく、いかに敏感に自然や霊気を感じてそのバランスをとり、いかに幸せに生きてきたかを知ることではないだろうか。そうでなければ何万年もの間、我々の祖先がどうやって生き続けてきたのか、ポジティブな生命力として理解できない。これこそが「天然力」としての民俗学、「天然力」の歴史である。

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夜が明けて、毎月第一日曜は遊行寺の骨董市だ。以前から気になっていたが、ようやく縁あってタイミングよく、スケジュールを知ることができた。早朝からというので飲み続けて待つにも待ちきれず、すっかり明るくなった5時頃にチャリンコを飛ばしてV君U子と共に出かけたが、まだまだ出店の準備は始まらない。6時ごろになってようやく各々集まりだし、車から売り物を並べ、遊行寺の境内はにぎわい始めた。武器好きのV君は刀のツバや十手や銃剣などに興味を示しつつ、使い方などを教えてくれた。U子は古い着物を物色、私は陶器やキセルなどが欲しかったが、なかなか買うまでのものは見つからなかった。しかし、骨董と言うよりはガラクタの類を集めてくる露天商のおじさんたちの生態を見ているのも面白く、くだらない冗談や詭弁を、どうせ買わないヒヤカシ相手に言いつつも、みなさん素晴らしい笑顔を見せてくれたのが印象的だった。

まさに彼らは、中世からの、市に集った、常民の血を受け継いだ人たちなのであろう。全ての品物は、かつて誰かに所有され、愛用の道具となり、あるいは捨てられ、絵葉書の裏には少なくとも何かの思いのあるメッセージが遺され、着物には誰かの温もりがあり、悲しい思い出があるかもしれない。それらはすべて、一度ならずとも死んだものたちだ。そんな死者の霊たちが、聖なる境内で新たな空気を受けて立ち上がり、新たな生を生まれ変わらせるチャンスをうかがっている。私にはそんな死者の霊たちを引き受ける霊力もなく、立ちすくんでしまうばかりであったが、気持ちのよい朝の空気と相まって、なぜかすがすがしさを覚えた。忘れられた古いものたちに対する親近感が、なんだか居心地がよかったのだと思う。また行こう。
by barcanes | 2005-06-04 07:28 | Comments(0)