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石上の死神祭

夕方より南口「ロケット・デリ」にて死神祭。石上のイシガミとシニガミをかけたイベントだ。(ホントはいつも賑わってる店だけど、)石上に人がいないというのは死神に呪われてるからじゃないの、ということなのである。

確かに、石上という地はもともと境川の氾濫地なので、ロケデリの辺りも昔は河川敷のような場所だったんだと思う。僕は以前、石上について書いたことがあり、今でもブログのヒットが多いのだが、石上には渡し船の石神とも言える地蔵が今でも立っているのである。

その地蔵は、今の東京ガスの裏手にある上山本橋に流れている境川がもう少し西寄りに流れていた頃(つまり江戸時代まで)、大水が多くて橋が架けられなくて渡し船があった頃に、旅の安全を願って祭られたという。洪水のたびに流され無くなったが、下流で見つかったりして何度も元に戻された地蔵で、おそらく何度も世代交代しているその地蔵は、今でも石上の入り組んだ住宅地のある宅地の駐車場の片隅に置かれているはずである。

「死神祭」のシニガミは、僕が思うにその地蔵に関係しているのだが、そんなことは普通は誰も考えもしないことだ。しかし、僕にとってこのイベントは、この地蔵が置かれたことに関する、ある種の地鎮祭のようなものなのである。

死神とはワザワイをもたらすだけではなく、ワザワイから守ってくれる神でもある。身代わりのお守りっていうのと同じ作用である。ワザワイをもたらすのも遠ざけるのも死神しだい、死神へのお祭りしだいなのだ。

思うに歌や音楽は何かに対する奉納なのだ。自己満足の音楽ではなしに何か誰かのために奉納されるようなとき、その音楽はどこかに届こうとするので、そのついでに誰かにも届くかもしれないのだ。何が届くのかは知らないけれど。

そういうときにはアマチュアもプロも関係ない。僕のような素人にも歌わせてくれるこのイベントが僕は大好きで、おそらく一番楽しんだのは僕だろう。飲みに来てくれた詩人や、遊びに来ていた女性シンガーも思わず飛び入りして何かやりたくなっちゃう、そんな雰囲気なのだ。おそらくそれは僕ら素人が焚きつけたんだろうけど。願わくばもう少し奉納の気持ちが篤ければ、もっと準備してもう少し上手になれるのかもしれない。まだまだ死神さんには感謝が足りないのだろう。
by barcanes | 2013-04-21 01:44 | 日記 | Comments(0)