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水を喜ぶ

子供はみんな水遊びが好きなものだが、うちのなっちゃん(もうすぐ1歳2ヶ月)も蛇口から水が出てくるのが好きで、最近は止めると泣き、また出すと泣き止み、閉めると泣き、また出てくると喜び、そういうのを見ていると、根源的な水に対する喜びみたいなものを感じざるを得ない。

山に入って遠くから沢の音が聞こえてくるとき、沢づたいの小径を遡って行くとき、源頭に水のぷくぷくと湧きだしている箇所を見つけたとき、子供のような気持ちになって思わず「わあ」なんて言ってしまったりして、そういうことの感動の原体験を蛇口から出てくる水道水に感じているのかもしれない。

いや待てよ、原体験は水道ではなくむしろ湧き出す泉水のはずじゃないかと思えてくるが、大抵の現代人にとっては、本物の象を見る前に本やテレビで象を見るように、大きくなってから本物の湧き水を追体験して、感動を塗り替えていくのかもしれない。

それなら動物園の象は本物なのか。野生が本物だとしたら、野生ではなく生きている我々は、録音された音楽は、デジタルがダメでアナログはいいとか、聞いただけの話、知ってるだけのこととは、いったい何なのだろう。何が本物で、そうじゃないものは何が違うのか、分からなくなる。

たとえば山中で沢の流れ落ちてくるところに頭を突っ込んで「シャワーのようだね」というのもおかしな話だが、それは都市生活者の実感としての普通の喩えでもあるだろう。しかし、夏の暑い日に冷たい水のシャワーに頭から突っ込んで、「ああ、あの山の沢の小滝が懐かしいぜ」となると、山の空気までもがよみがえってきて気持ちよさも倍増になり、そしてその分どこか切ない気持ちにもなる。

なっちゃんが蛇口の水を喜ぶと、純粋に水って素晴らしいって思う。水の音には永遠に同じ音のないランダムがひそんでいて、とくとくと流れ出てくる水は永遠に湧き出し続けているような感覚を覚える。そして冷たくてキレイなものに口を付けてみたくなる。いつかなっちゃんに本物の源泉を見せてあげたいけど、それまで水は冷たくてキレイなまま永遠に湧き続けているのだろうか、切なくもなる。
by barcanes | 2013-04-15 20:56 | 日記 | Comments(0)