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寂しからむに

先日亡くなったスーちゃんが主演したドラマを見た。テレビつけたらやってた。NHK、96年、山田太一の「鳥帰る」。それぞれに悩みを抱えた3人が偶然出会って旅をし、ケンカ別れした母娘の和解につながっていくストーリーだった。

鳥帰る いづこの空も さびしからむに(安住敦)

という俳句がエンドロールに映し出された。「鳥帰る」は春の季語だそうだ。寂しさとは決してポジティブな感情ではないはずだけど、だからと言ってネガティブでもない。涙とともに一瞬で裏表にひっくり返ってしまうような、そのおおもとにはあたたかさがあるようなものなのだろう。あたたかかったから寒しく感じるのだ。その寒さをとるかあたたかさをとるかで、人の感情は固くもたやすく転回する。寂しくもあたたかく、あたたかくも寂しさが心に残るドラマだった。

夜はお店をサボって、サウサリート企画の、太陽ぬ荘でリクオさんとウリョン君のライブへ。ウリョン君は初めて見た。声量声圧がすばらしかった。ペダルスチール宮下も一曲参加。しかし今夜はリクオさんが特に素晴らしかった。ちょっと泣けた。あとでそのことを伝えたら、「心が弱ってるんちゃうかー」と言われた。そっかもなー。

テレビもない ラジオもない
ビデオもない ファミコンもない
電話もない ファックスもない
車もない お金もない
時間はある 僕らは自由さ
暇つぶしをしよう なにして遊ぼう
思いつくかな どうかな

イメージしよう 君とのバカンス
イメージしよう 気ままなバカンス
イメージしよう 自由なバカンス
イメージしよう 素敵なバカンス

リクオ「すてきなバカンス」より

「自由なバカンス なにして遊ぼう」この一行で十分に詩となっていて、とっても感じさせるものがあった。我々はあったものがないから寂しいのであって、ないということのあたたかさを感じることができれば、生きることの意味さえ転回する。孤独が自由であるように、自由とは「ない」ことなのだ。「ない」から遊ぶのであって、「ない」から生きるのだ。あることでいっぱいになったこの世界から、我々は一生懸命「ない」の隙間をさがそうとし、「ない」ところから生きるということは、遊ぶ喜びを見いだすことだ。

これは自分の生きる世の中に対するラブソングだろう。孤独を悲しむのが孤悲=恋であるという。ないことが悲しいから「ない」ものを手に入れようとするのだろうが、我々が求めているのは、あるものの隙間にある、あるいはあるものの中にある「ない」ことなのだ。

全国各地を隅々までくまなく回っているリクオさんは、旅の話をするMCだけでもとっても実感があって、食糧自給率2000%という北海道のある町の話や、失業率や離婚率が高い南の国の方が幸せそうに見えるなあとか、それだけで民俗学だ。旅と出会いを大切にしている彼らのような「旅芸人」は、詩の言葉で語る現代の民俗学者となり得る、だろうなー。
by barcanes | 2011-05-08 20:26 | 日記 | Comments(0)