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憤りの矛先

福島の第2原発からも白煙。フランスの原発関連会社アレバのCEOが来日。翌日にはサルコジ大統領も来日するらしい。原発大国であるフランスの力を借りることは、今後どのような進展を見せるのだろうか。良くも悪くも。

「ダチョウの平和」という言葉があるそうだ。頭隠して尻隠さず、といったところだろうか。頭を砂の中に隠して、見たくないものをシャットアウトすることで、心の平静を取り戻すということらしい。余計な不安を煽るな、という意見もそうだし、政府のご意見番に親しい学者を揃えるのもそうだろう。身内を固めるだけでなく、反対意見を持っている学者や、いろいろな見識を持っている専門家の意見を聞かなければいけない。それは我々のような庶民のレベルでもそうで、いろいろな意見を聞いてみなければ分からないことがたくさんある。僕のような小さい店でも、それはそうなのだ。

今日は全く静かな夜だった。たまに飲みに来てくれるヤツがいて、人がたくさんいるときはほとんど喋らずに帰ってゆくのだけど、半年に一回ぐらいは他に誰もいないような夜があって、そういうときは結構とことん話す。彼も変わり者だが熱いところを秘めているヤツで、震災や原発のことについていろいろ話し合っていた。

そこにとある姉さんがやってきて、酔って寝てるのかと思ったら突然口を挟んできて、「あんたら、お金も人も集められないくせに、偉そうなこと言ってんな!」とのたもうた。「わたしはこれだけやっているのに、あんたはなにもしてないじゃないか!」と噛みついてきた。確かにその姉さんは衣服を段ボール10箱ほど集めて、宅急便で被災地の知り合いに送ったそうだ。他で何かあったのかもしれないが、どこか憤っていた。

でも僕もなんかムカついてきたので、「人に唾を吐けば自分に返ってくるよ」と言ってやった。姉さんは静かになっていつの間にか寝てしまった。横で見ていた先述の彼は、「女の人らしい意見ですね」と冷静に言った。我々は抽象的な話をしていたのだろう。今すぐではない、先の話もしていた。それに比べたら女性は、今すぐの、この場所の、具体的な、感情的なものを求めるだろう。そして解決策を示して行動してくれる、指導力や影響力のある男性を求めるかもしれない。

我々は組織として動けるようなタイプではないので、個人として独立人として、自分の責任の範囲でしか動けない。その弱さや小ささが情けないと思うときもある。そのかわりに、言いたいことを言い、やりたいことをやれるという自由を持っている。そして、言いたいことを言っていい場所を作ったり、やりたいことをやっていいんだとみんなに言うことができる。個人の力は小さい。しかし組織や集団の強さや力の大きさよりも、その怖さ不気味さよりもマシなこともある。

こういうときだから、みんな団結とか、ひとつになろう、とかいうスローガンも大切なのは分かる。そういう一体感が気持ちよく、なにかできなかったことができるような気分になれる人にとっては、そういう標語も役に立つのだろう。しかし、こういうときだからこそ、そのような一体感に嫌気を感じる種類の人間もいるのだし、いなきゃいけない。そして、それは非常に大事なことだと、僕は思っている。

どんな時代にも主流でない人がいなければいけない。戦争の時代にも、弾圧されても非難されても主流に流されない人たちがいた。時に規律や常識を破ってでも、自分の感覚ややり方を貫いた人たちがいた。我々はそこまでの覚悟もたくましさもないかもしれないけど、そういう人たちにこそ勇気を感じてきたのだ。僕もヒーローやリーダーは嫌いじゃないし、問題を一発で解決に導いてくれるようなことを求めているかもしれない。けれど、そこに必ず付きまとう危険や、集団性ならではの差別があることを忘れてはならない。

しかし、この無力感とそれに対する憤りが、みんなの中にふつふつと沸いてきている。その憤りの矛先は当然、原発とそれにまつわる政治や経済のしくみと、それを許してきた社会に向けられるだろう。反原発の小さなデモも行われているようだが、今はまだ、被災地の救援が落ち着くまでは時期尚早という声もあり、冷ややかな感じだ。確かにそうだろう。でも、無意味かもしれないデモみたいなことを続けている人が僕は嫌いじゃないので、集団行動は得意じゃないけど応援したいな。我々民衆にとって、デモというのは立派な民主的手段であるし、何万人というような規模であれば、必ず大きな力になると思う。

各地の知事選も近い。原発やエネルギー政策についてどういう立場をとるのかが注目されるべきだと思うが、今回は論点も絞られていないし、選択肢もないだろう。今はまだ大騒ぎする時ではないかもしれない。でも「今すぐ止めなければ」という思いが空回りし、世の中はどうせなにも変わらないのだという諦めが支配するのは避けたい。これは右とか左とか、政争の問題ではないのだ。みんなが思っている普通の感覚の問題なんだ。

どのようなやり方が良いのだろう。いずれにせよ、長い年月のかかる、長い戦いになるのだろう。これは申し訳ないが爺さん方にはさっさと身を引いていただこう。我々の世代の宿題なのだ。
by barcanes | 2011-03-30 22:37 | 日記 | Comments(0)