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「批評」について

隔月開催の「ほほえみ歌謡ナイト」。明日と二夜連続のUSTREAM中継であります。今夜は最高で15、6人ぐらいの人が見てくれていたみたい。ありがとうございます。でも今年の目標は、なんと100人なのです!盛り上げていきましょう!次回は3月4日の金曜日、メインのテーマは「卒業」です。その他にも何かアイデア等ありましたらどしどしお寄せください。「どしどし」ってのもなんか懐かしいな。

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かなり夜も更けてから、若手のミュージシャンたちと、ライブやそれに対する意見や反応、言ってみれば批評みたいなことについて話し合った。ライブを見に来てくれた人が「良かったよ」と言ってくれるのは嬉しいけど、それに対して「ありがとう」しか言えなくなる。それで終わってしまう。良かったかどうかはミュージシャン本人がよく分かっていることだ。

たとえ的外れな意見でも、思ってもみなかった感想でも、ダメ出しであろうと、そこに受け手の身体を通過した愛や痛みがあれば、言ってみる価値はあるのだろう。それはどうでも良くないことだからだ。まずはそのまま受け止めようとする。そしてあれはなんだったんだろうと考える。それを伝える。そこまでに長い時間がかかるかもしれない。でもこれはむしろ、楽しみが長く続いているということでもある。なんだったんだろう、と心に引っかかり続け、何度も反芻し考えさせられる、そういうのも楽しみのひとつなのだから、総じてみれば「楽しめた」という感想は当たっているかもしれない。

たとえば凶悪犯罪とか奇怪な事件が起き、あるいはスキャンダルが人々をにぎわし、興味や憶測がしばらく続いてゆく。あれはこういうことだったらしい、と納得がつけばその事件は忘れられてゆく。あるいは早く収束させるために犯人やストーリーをでっち上げたりする。人はいっとき面白がり、そして早く忘れるための分かりやすさを求めているようにも思える。なにもなければつまらないが、なにかが起きて目の前を通過してゆくときに、引っかかっても気持ちが悪い。暇つぶしとはそのようなものだ。

しかしなにか判別のつかないものが、簡単に言葉を与えられないものが、すんなりと理解のできないものが、矛盾を抱えたものが目の前に流れてきたら、それをどのように受け止めて、そして心や身体に通過させていけばいいのか。音楽も映像もストーリーも、そのような矛盾をまるごと提示しようとしているわけで、時には人の生き方やそのときどきの態度にも矛盾は含まれていて、我々はそれを日々受け止め、あるいは避け、ときにはスジを通させようとしたり、分かりやすさを求めたり、不変でいようとしたりする。ピュアなものには矛盾がある。それは複雑なのではなく、シンプルなことだ。シンプルなことというのは、生まれたものはいつか死ぬというようなことだ。それをまざまざと見せつけられることは怖いことだから、生と死を切り分けて、別々に理解しようとする。そして分かったような気になって、とりあえず安心して忘れようとする。

しかしそのようなところに大事なことが、喜びや快楽が、痛みや悲しみが、男と女、生と死、判別不能のものがあり、それをそのまままっすぐに、まるごとを受け止める方法があるのだろう。どのように。それが私にはまだ、よく分からない。人は生きざまとして矛盾をさらけ出しながら生き、音楽も芸術もいろいろな形でそれを提示する。簡単には分からず、だからこそ忘れられないもの。簡単には忘れられない人の人生。そういうものを受け止め、よく分からないままに共に生きること。それが批評なのだろう。

誰から影響を受けたとか、なにかに似ているとか、今日は調子が悪いとか、そういうことではなく、どんな家庭に生まれ育ち、どのような時代や流行の中に生きたかということは多少関係あるかもしれないが、偶然あるいは望んで、縁のあったものや人が自分の中に引っかかり、それらの一部が自分の中に棲みついて、それらとともに今この時代に生きて行くということ。この矛盾に満ちた人間たちが矛盾に満ちた人間関係の中で悩み、その矛盾の一部でも共有して一緒に考え、日々を過ごすこと。私にとって、音楽を聞くこともライブを見ることも、本を読むことも、そして日々お店で客人たちの話を聞くことも、同じように「批評」であるに違いない。

そして深夜、明け方、他のお客さんも少しずつ減っていって、やりたいことをやっている人たちとやりたいことについて話し合うのは、私にとって楽しいことだ。しかもそれが音楽の話ならばなおさら楽しい。恋愛という矛盾についての話は苦手だけど。そうして今日も朝9時になってしまった。みんな引っ張ってしまってごめんねー。
by barcanes | 2011-01-14 21:00 | 日記 | Comments(0)