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7/30 地曳の準備


日曜日の地曳網の準備をしております。今年のテーマである「小魚を食べ尽くす」ための最終兵器「揚げもの」も、和伊の両料理人にやっちゃってもらおっかなーと思っております。

世の中の締め付けが厳しくなり、網では何年か前から別小屋を建てて、そこで調理するようになった。以前は浜で地曳のおっちゃんたちが揚げてくれた天ぷら、美味かったなあ。あれの再現じゃないけど、自分たちでやれば自己責任でなんでもいいって。

先日のノロ・ウィルス騒ぎのせいで何百万も損しちゃったよ、と網元が笑ってましたが、このような検査費用ももちろん自腹だそうで。
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食品分析開発センターSunatecという検査施設なんて初めて聞きましたが、四日市にあって公害と関係があるそうで。

体調悪い人は来ないようにして、と網元のおかみさんがしつこく言ってました。風評被害に懲りてるのでしょう。先日の件は結局、客にノロ保持者がいて広まっちゃったってだけのこと。しかも、隣の網でもノロが出たのにそちらは事件にはならなかった。なんでも網元のせいにされちゃかなわない。マスコミは間違った情報でもそのまま流してしまうし、それみたことかと保健所はなおさら目の敵にする。

なんでも人のせいにする、っていうのはある意味「公害」ですよ。今の時代の。そうやって自分たち自身の自由を奪い、自らの首を絞めることになる。あ、余計な話。

それでもこのようにちゃんと検査もして、原因もはっきりして、さらに新たに手洗い場の新設もしたっていうのが、度量の広い網元の闘い方なんでしょう。地曳網の申し込みもまた増えてるそうです。良かった良かった。

ということで、日曜日お待ちしてます!


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by barcanes | 2015-07-30 19:23 | 日記 | Trackback | Comments(0)

かわいそうな人


かわいそうな人。自分が直面している問題を直視できず、対処できないでいる人。自分と比べてその問題がいかに大きく見えても、困難は人それぞれ。困難を受け入れ、打ち克とうとしている人は断じてかわいそうではない。かわいそう、と言ったあなたが既にかわいそうかもしれない。

人は、自分よりかわいそうな人を見てホッとするかもしれない。自分はまだマシで、幸せかもしれないと。問題を直視できなくて。

そう我々の問題はとてつもなく大きなところにあって、僕らはそんなこととても直視できない。かわいそうな僕たち。自分より幸福そうな人と不幸そうな人を見て、そのちょうど中間ぐらいに日々の生活の小さな幸福を見出そうとしている。物事の表面に対して闘っている間に、問題は確実に深刻化していく。逃げるところなどどこにもない、なんてことはないけど、世界のどこに行ったって世界の問題がなくなるわけではない。

かわいそうな僕たち。闘うにも闘う標的がズレてしまうから、いつかいがみ合ってしまうだろう。かわいそうな気持ちは罠なのだ。
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by barcanes | 2015-07-29 06:03 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/28 壊れたサウンド


そういえばレコード置いといたんですけど、聞きました?知らない間にレコード棚に平置きに乗っかってたレコードショップの袋。暗いですよって言うけど他に誰もいないから聞かせてもらった。

Sufjan Stevens "Carrie & Lowell"
ちょうどHeronをかけてたから、流れもバッチリなノー・リズムの多重コーラス。ハイトーンのローファイ感、ざらついたリバーブ。美しい世界がどこか上の方で壊れている。

Godspeed You! Black Emperor "Asunder Sweet And Other Distress"
劣化したアナログ・テープにあえて録音し直したようなローファイ感は、まさにこの世は既に壊れている、と宣言しているかのよう。片面2曲ずつの最後の曲はなかなか終わらなくて、ちょうど「2001年宇宙の旅」の話をしてたら、まんまと騙された!エンドレスのカッティングになっていたようだ。

自分ではおそらく手にすることのないこのような最近のレコード、彼の趣味だろうけど、壊れてる。壊れたサウンドに美しさを見出し、壊れたこの世界を生きてゆく。

我が子を殺させない、と行進する母親たち。我が子を殺すのは、安保法制よりむしろフクシマから流れてくる放射能の方がよっぽど怖いと思うけど、我々はきっとこの壊れた世界に生きる覚悟をしちゃったのだろう。どこにいたっていろんな危険がいくらでも転がっている。空はざらつき、存在はもろく崩れかけている。


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by barcanes | 2015-07-28 11:15 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/27 ENOWA

マリンバのソロ演奏が始まり、オフホワイトの服を着た二人の絵描きが並んでちょこんと座って聞いている。その後ろ姿が可愛らしくて天使か妖精のようだった。幅90センチの2枚の障子紙のキャンパスに、無から何を組み立てていくのか。40分と50分の2ステージの演奏の合間に、何かかけろと言われて、これは責任も重大だ。演奏前を含めて、音楽の何らかが即興のライブ・ペインティングに影響するのかもしれないから、私は直感でフリー・ミュージックなCDを選んだ。circe(キルケ)のマリンバ奏者teraさんの、ループやディレイを効かせた演奏と共に、この日の2枚の絵に関係したかもしれないので、参考までに記しておくことにしよう。

Zakir Hussain & Ustad Alla Rakhan / Tabla Duet
Derek Bailey & Cyro Baptista / Cyro
Hukwe Zawose / Chibite
World Cafe / World Music Library Compilation by Makoto Kubota
Shakti with John McLaughlin / Natural Elements
Archie Shepp / The Magic Of Juju
Ornette Coleman / Dancing In Your Head
Konono N°1 / Congotronics
Saba Nova de Nouvelle Vibe / Compilation by Minoru Wakasugi

墨絵のような濃淡の黒と白を担当するayaちゃんと、色を入れていくelinaちゃんが、4回ほど交互に入れ替わって2時間ほどで2枚の絵を描いてゆく。後半にホワイトが入ってコントラストがはっきりとした方の一枚を終演後に譲っていただいた。絵のことはよく分からないけど、岡本太郎好きの私としては好きな感じ。お店の壁に飾りたいなと思う。

***********

歴史の流れの半ばに生きている我々は、無から何かを生み出すことなどできない。美術の世界だってそれはもちろんそうであろう。それでも白いキャンバスに何かを描き出そうとすることは、尊い作業だと思う。無垢な子供の絵がたとえ芸術的であろうと、それが芸術ではないのは自己批判や反省がないからだと、そのようなことを太郎さんが書いていた。芸術が闘いであるなら、それはそのような自己との闘いであり、それがうまくいこうとなかろうと、芸術だろうとなかろうと、葛藤していればそれでいいのかもしれない。

これはおそらく個人主義の命題のひとつで、芸術は個に限られたものではないというというのは我々にとって逃げでもあり自由でもある。民俗音楽的なフリー・ミュージックがどのように闘っていて、あるいは闘っているように聞こえて、そして我々が国民的な集合としてどのように闘うのか闘っているように見えるか、というのは個を越えたところにある葛藤である。

タッグにおける葛藤が社会の原点であると考えるなら、それを無からの創造としてアウトプットしようとすることこそ、前に進んでゆく力になる。選択肢はふたつ示される。それをみんなが見守っている。尊い作業であると思う。やはり二人は天使かもしれない。
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by barcanes | 2015-07-27 06:55 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/26 ロック


After h'Our Rock、略してAOR。和製英語の誉れ高きこのアダルト・オリエンテッドなロックという言葉、AORの新たな解釈を試みるこの企画。総括すると結構ポップだった。ロックとはどちらにしろ、大衆音楽あるいは商業音楽という両義を持つポップスに含まれる。そうに違いない。我々それなりの年の大人にしてみると、商業主義のロックを聞いて育ち、大衆音楽としてのロックをいろんなところに見出すことができる。何をロックと感じるかは人それぞれ、多種多様でよい、というのは予想通りの結論である。それが我々のAOR。

深夜にライブを終えたミュージシャンが2名。DJ終了後にゲリラライブ。以前にライブのオファーを頂いたのにお断りしてしまった方だった。リクオさんや太一さんの先輩だって、言ってくれればいいのに、後輩の名前を出すわけにはいかないと。その方の深夜にも気合いの入ったリーゼントが、この日一番のロックだったような気もした。


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by barcanes | 2015-07-26 04:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/23 観に行く


ということで、観に行った。ベスト8を決める5回戦。僕はこの日しか観に行けそうにないから、頑張って早起きした。駅からタクシーに乗った。ワンメーター。シートノックの前に間に合った。空は抜けるような快晴。バックネット裏には屋根があり、人工芝がキレイに映える、いい球場だ。大和引地台球場はドカベンの銅像の建つスタジアムに変わっていた。僕はここに来たことがあるはずだけど、思い出せない。

ライト上空に厚木基地の飛行機が飛んでいる。強い風がバックスクリーンの旗の向きをあちこち変えている。フライの処理がこの日の勝敗を決めるかもしれない。その運はどちらに転がるか。

経過は省略して、母校は負けた。土曜日のハマスタを当てにしていたOBOGたちも残念だった。客観的に見て、総合力的に負けだった。しかし、それを跳ね返す勝ち方をしなければならなかったのだ。天候さえ味方に付けなければ。僕はあえなく腕と額と、膝頭を隠すために穿いていった長ズボンの足首を真っ赤に焼いた。

同行の野球部OBの後輩に美味いクラフトビールをもらって飲みながら、気分良く観戦していた。接戦のままもつれ込んだ終盤の時間は加速したと思う。高校野球観戦のときにはビールを飲まない、という飲み人の話が分かるような気もした。青春はそれほど儚く過ぎ去ってゆく。あっという間に大事な瞬間が流れていってしまう。満塁のピンチを切り抜けたか、とホッとした次の瞬間、甘いストレートが真ん中に入り痛打される。レフトの頭上を越えてゆく。その光景を彼らは一生忘れられないだろう。

青春という言葉を簡単に使うことの、僕らはその痛みを再確認しに行くのかもしれない。例えば若手の失恋話を、本気で聞くことなんてできない。本人にしか分からないのだから。僕らが聞くことができるのは、そこから立ち直ろうとするところ。僕らが分かるのは、その帰り途のこと。偶然にも僕らの代のエースと会って、一緒に帰った。炎天の直線道をとぼとぼ歩いて帰る気持ち。僕らは今は無き川崎球場からどうやって帰っただろうか。そして僕自身が負けたときのいくつもの帰り途は、どうだっただろう。惨めだったには違いないけど。

どうやって帰り、どうやって立ち直ったかなんて、思い出せないものだ。ただ終わるのはあっけなく、あっという間だ。共感というものがあるとすればそれはそのようにして生まれ、それは負けようとしては得られない。勝とうとするその意味もなく純粋で恐れのない気持ちと、その儚さ。我々はその痛み、あるいは痛みスレスレの薄氷の思いを味わいに行くのだろう。

大人になるとなかなか終われないし負けを認めるわけにいかないから、鈍感になってしまう。鈍感にならずには生きていけないから。それでも僕らが分かるのは、日々のよくある惨めな気持ち。僕らは日々小さく負け、それでもなんとか勝ち、いや引き分け続けている。
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by barcanes | 2015-07-23 04:46 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/22 高校野球

高校野球県予選、母校が春の大会県ベスト4の第一シード校を撃破。TV中継を見てた。ベスト16は21年ぶりとのことで、僕らの3つ下がベスト4に勝ち上がったとき以来。僕らのときもシード校を破り、横浜高校に1-0で負けての16だった。

川崎球場、3塁側スタンド。野球部に友達の多かった僕は一回戦から全試合見に行った。授業は当然サボったけど、そんなのしょっちゅうだったから関係なし。サードゴロを一塁へと投げる送球が、フェンス越しの僕の目線から延長してまっすぐに上空へと抜けていった。カメラはカットアップして、今に至る、みたいな。大袈裟な。

野球は特別なスポーツだ。ズルい。つい気になってしまう。

夜は今後のイベントの打ち合わせ的な来客ばかりだった。先のことを考えるとき、過去のことを参照する。先例のない初めてのイベントの場合、失敗や反省がないから楽しみだけ。先のことを考えるのは楽しいこと。過去がある場合、それより良くなるかどうか分からないから不安が入る。良くするためには相当頑張んないと、まあまあってことになる。頑張るのは大変だ。

僕にとって高校野球は、失敗や反省がないから楽しみだけ。ズルいね。自分の部活はイヤなことばかり思い出させられるからイヤだね。良くなることなんてないもの。


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by barcanes | 2015-07-22 04:43 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/21 歌わせる

「Penny Time」。子供と過ごす時間が残り少ない。そんな親心を歌った曲を「父親」に歌わせる。高満洋子さんは策士的なソング・ライターだ。劇中歌なども多く作っているそう。大瀧詠一のナイアガラ、「シュガー・ベイブ」からジュリーのエキゾチクスなど、日本歌謡会を下支えした上原ユカリさんの、歌心ある希代のレジェンダリー・ドラマーとしてのキャリアに、歌を歌わせる。意外なハイトーンのキーに合った曲を歌わせ、掛け合いのハーモニーも完璧だった。

アイドル時代?からのキャリアを感じさせる魅力的なトーンを持った洋子さんの声がグッと決まるときの感じ。ユカリさんの、ちょっとか細いけれど聞くものに何かを聞かせる声。その二つに注意を絞った。ハイに抜けるリバーブの余韻がフッと残す。それが残すものを信じている。

それは熟成酒の残す余韻と同様で、バーマンとしての私が思うところの残響。そのものの味とともに後味がほんのりと追いかけてくる。歌わせた後に響いてくるもの。音楽が終わった後にも残る響き。小さな響きが胸に残る。
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ユカリさんの昨日のコックピット。

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by barcanes | 2015-07-21 06:26 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/20 アウトしちゃえよ


酒場で政治の話は禁物、と言われるが禁句ってわけじゃない。だってみんな関心を持つべきなんでしょ?関心なんてみんな持ってるさ。ただ、話す場所が仲間うちになっちゃって、つい親近で同意しちゃったりするだけ。だけど酒場だと、さっきまで仲良く話してたと思ってたのが、いつのまにか火が点いちゃったりしている。オレはすぐには火消しに入らない。しばらく燃やしとく。ある程度燃え進んだ頃、そろそろって時に言ってやるのだ。アウトしちゃえばいいじゃん。

話がみんなインサイドに入ってくる。歴史のインサイド、税金の使い道とかのインサイド。憲法や法律のインサイド。インサイドについて、どうだったかとかどうしちゃダメとか、どうすべきとか言い始めると、オレはカンケーないね、って言いたくなる。俺たちはアウトサイドだからね。無関心とは違うよ。アウトサイドから興味を持って見てる。

今思えば、若いうちにアウトできて良かった。インサイドにぶらぶら宙ぶらりんになるのがイヤだったのだし、無理っぽかったし。でもインサイドがないとアウトサイダーは生きていけないのだから、インサイドに切り込まなきゃいけないときもある。

でもアウトサイド同士ががインサイドで闘っても意味ないさ。イン&アウトだよ。俺たちはせっかくアウトにいるんだから、自由と引き換えに無償無援を選んでいるのだから、お互いの豊穣さを見ていかなきゃいけない。何かに頼るから、しっかりしてもらわなければいけないと思うし、それが当然とさえ思ってしまう。歴史に頼るから歴史がしっかりしてほしくなるし、そんなの当然だと思いたくなる。法律もまたしかり。そんなもん頼れない時代があったでしょ。つい最近まで。いや、今でもきっとそうだ。

アウトしてみればさ、世界はアウトサイドの上に成り立っている、ぽっかり浮かんだインサイドだってことが分かるんじゃないだろうか。だからアウトしちゃえばいいよ。でも問題は、みんながみんなアウトしちゃったら、どうしたらよいのだろう、ってことなんだろうね。
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by barcanes | 2015-07-20 06:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

7/19 SP盤~タイムマシンという文化財


月例ソウルのレコード・ナイト「Voices Inside」第89回はBLUES特集。ブルーズは古くさい音楽だろうか。確かに粗野でシンプルで、しかしだからこそ人間丸出しで、そしてエグい。プレイのエグさもさることながら、個人的にはサウンドのエグみ、そしてリズムの芯の太さ(幅広さ×タイトさ)に興味はリバイバルしている。その点でも、今回はSP盤時代のレコードがスゴかった。

盤質の良いSP盤の場合、スクラッチ・ノイズがほとんど気にならず、低音から高音まで幅広くヌケの良い、これはまさにハイファイ・サウンドである。一般に「ハイファイ」と言えばノイズの少ないことと思われるが、原音再生の忠実性(High Fidelity)としてみれば、これはノイズの多少に拘わらず、それを上回る圧倒的な音の威力である。これは回転数分速78回という高速回転によるところでもあるのだが、どうもそれだけじゃなさそうだ。

まず、おそらくダイレクト・カッティングの時代には、テープ録音がないのだからアナログ・テープが特性上持っているコンプレッション機能、いわゆるテープ・コンプが効いていない。この時代には放送用のコンプがあったはずだから使ってないこともないだろうが、リミッター的な使い方をするに留めていたのかもしれない。なんにせよカッティングの技術者の腕が素晴らしかったのだろう。

もちろん、数少ないテイクの勝負で技量をいかんなく発揮したミュージシャンたちの手練の度胸というか、この一発勝負感、スゴい。

時代にもよるが(SP盤はほぼ50年代末までとのこと)、4チャンネルぐらいまでのミキサーを使っての1チャンネル録音。指向性の広いマイクでルームエコーをよく拾っている。当然同じ室内での一発同時録音だから、楽器編成の配置や限られた本数のマイクの位置取りも、よく練られたことだろう。

このあたりはもう一度、我々の時代にも参考にすべきところじゃないだろうか。例えばドラムの聞こえ方。どの音域のリズムが聞こえて、被るところはどこか。キックだけでもいいし金物だけでもいいし、スネアだけでもいいのかもしれない、ホントは。音楽の基体になるものの最小形態がどうで、何を増やしているのか。数少ないマイクで音を拾うとしたときに、どのように音が被るのか。そして楽器の余韻まで拾うとしたら。SP盤は我々の未来かもしれない。

SP盤を聞いた後に7インチを聞くと、どうしても負けた感を禁じえない。33回転の後聞くと、やっぱ45回転いいなって思うのに。でもこれもやはり回転数の問題ではなく、コンプ感が違う。あるいは中心軸のズレや内周に近いことによる歪みもあるかもしれない。SPと7インチが両方とも出ていたらしい50年代のものでも、音が違う。これはSP原盤をマスターにして7インチに焼き直したのか。このあたりのレコード制作の歴史について、疑問と興味は尽きない。

音場を埋め尽くすかのような音圧で迫るリトル・ウォルターのハープ。アンプから直接聞こえてくるかのようなエレキギター、エルモアのスライドはグワッとこみ上げてくるし、ジャンプ・ブルースのサックスは艶めかしく押し引きする。今回ビックリしたのはピアノの音が良いこと。左手から右手まで奥行きのあるとてつもなくでっかいピアノを弾いてるみたいだ。そして戦前ブルーズの生々しさたるや、本当にそこでやっているようだった。

なんとも、音楽を聞く多幸感ってやつがジュワッと感じられた夜だった。録音の良いものを聞く幸せっていうのもあるけど、これにはさらにタイムスリップ感、自分が過去に行くというよりは過去が現前するような、まさにそこに居合わせているかのような感覚だ。死んだ爺ちゃんが若い姿のままそこに現れたかのような。爺ちゃん、スゴかったんだね!みたいな。爺ちゃん、ブルースマンじゃないけど。

SP盤は我々に過去を生々しく教えてくれる驚くべき文化財だ。それはまさしくタイムマシン、擦り傷に埋もれた我々の未来的なツール。


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by barcanes | 2015-07-19 06:31 | 日記 | Trackback | Comments(0)