<   2013年 08月 ( 29 )   > この月の画像一覧

土手っ腹に突き込まれた夜

そんな8月の終わり方だった。

ほどよく酔った人の言葉は侮れない。ビシバシと本音のトークが炸裂する。夜も深まれば、アニキは何を言ったか記憶の一時メモリはほんの一時だったかもしれないが、そんな時こそストレートに言葉は私の胸に届き、突き刺さった。私は全否定され、そして同時に全フォローされ、全てが真に当たっていた。

お前は自分のやっているライブのアーティストたちに惚れてないだろ。自分がいいと思ってないから人に勧められないんだよ。だから客が来ないんだ。でも俺も、そんなに入れ込むなんてことはできないけどな。

俺はこの町で一生暮らしていこうと思って移り住んだんだ。お前はこの町から出ないからダメなんだよ。でも、この店がなくなったら寂しいな。

自分に嘘ついてブログにいいことばっかり書いてるだろ。つまんねえんだよ。ガツンとくるライブをやってんのかよ。どうしょもないヤツのライブなんか、やるんじゃねえ。ガツンとこないイベントなんて行きたくねえんだよ。まあでも、そんなに良いものばかりってわけにはいかないからなあ。

全てがこんな調子である。酔っぱらいの愚言と済ませられない問題なのだ。アニキは目を開けたまま眠り、そして帰りを心配する私に「お前も偉くなったもんだなあ」と一喝し、身の危険をかえりみずに去って行ったのだった。

酒場という戦場ではいつだって流れ弾に当たり負傷する可能性があり、私だって長い錬磨でそのような乱れ打ちをかわす術ぐらいは身に着けている。しかし、手負いの身の土手っ腹にでも突き込まれれば、それは避けようなく受けるしかないのである。

僕はひどく落ち込んで、全てがイヤになってしまった。もっと怒れ。もっと準備しろ、期待させろ、期待をかけろ。そんなことを言われた気がして、翌日読む予定の詩を書き直すことにしたがうまくいかず、なかなか寝付けなかった。
[PR]
by barcanes | 2013-08-31 02:31 | 日記 | Trackback | Comments(0)

たじろっく/えみじゃず

不定期で続いている田尻有太のイベント「たじろっく」で、今回は「えみじゃず」と題して、ジャズのイベント。大学時代はジャズ研でピアノを弾いていた田尻とバリバリにジャズを歌っていた岡崎恵美。そして偶然にも彼らと同じ大学の先輩に当たる、地元の重量級ベーシスト大澤逸人。3人ともジャズを本業とはしていないミュージシャンだ。いわば非ジャズのジャズである。

主にスタンダードの歌ものを演奏した。恵美ちゃんのスキャットなどなかなかにたいしたものである。ジャズに入れこみ、クラブジャズ的なバンドで活躍した彼女は、あるときから日本語の歌を一人で演奏したくなって、そうするとジャズでなくてよくなってしまった。おそらくジャズから離れることで自由を獲得した彼女は、しばらくジャズをやることを拒んでいたのだが、時が経ちようやくまた機が訪れ、ジャズをやってみてもいいかな、と思ったのだろう。

6月の当店「Potluckナイト」ではウクレレでジャズの弾き語りを披露し、貫禄さえ感じさせた。遊びに来ていたWesleyのマスター吉村さんとのジャムも素晴らしくて、その後のWesleyでのジャズ・ライブも好評だった。

そんな恵美ちゃんのジャズの良さを知っている田尻は、本人は嫌がっても良いものは良いのだから人に聞いてもらいたい、と彼女を引っ張りだした。そして5月にやった前回の「たじろっく」で共演し、相性の良さを感じさせた大澤さんを誘い出した。さてその結果は。

サイコーだった、とは言わない。ジャム・セッションの域を出ないとは言わざるを得ない。しかし良い瞬間もたくさんあった。大澤さんの熱さが田尻に火を付け、クールなピアノを熱くさせる。いわゆる白っぽさに色が付き始める。ジャズはジャズらしくあればいいってものじゃあなく、お決まりのソロ回しなど吐き気がするときもあるし、黒っぽくやればいいってものでもない。しかし、熱さや緩急や抑揚、音色といったものは、どんな音楽にも関係なく、聞く者を揺さぶる。もっといろんな色を聞きたかったし、聞けるはずだ。

それにしても恵美ちゃんの歌はなかなか良かった。サイコーではないのは、それはやはり彼女が本気でジャズをやっているわけではないからだろうけど、一生懸命さとリラックスした感じが伝わってきて、十分に楽しめた。これまで何度となく聞いてきた彼女の歌が、やはりジャズの素養から来ているということが分かって、なんだか僕は嬉しささえ感じた。なぜなら僕はジャズが好きだし、彼女もまた本当はジャズが好きなはずだから。

ジャズの方ばっかり褒めてはいけないかもしれないが、ジャズもまたやってほしいし、彼女の中でジャズもジャズでないものも一緒くたになって、またさらに彼女の音楽が豊かになることを期待したい。そして我々にとって、ジャズもジャズでないものも関係なく我々の音楽なのであるから、その研鑽の場として私はいつだってこの場を提供したいのだ。

ゲストでギターを弾いてくれた圷君、DJに来てくれた匠君もありがとう。恵美ちゃん、田尻、大澤さん、それぞれのファンの方にも新たな魅力を感じてもらえるイベントだったと思う。ぜひまたやってもらいたい。そして終演後はこの日が誕生日だった田尻をささやかに祝った。
c0007525_23204131.jpg

[PR]
by barcanes | 2013-08-31 02:23 | 日記 | Trackback | Comments(0)

みんなもやもや/我々のメディア

今日は早めに集まって、こないだ撮ったCane'sのPVのBGMを録音。Dr.Johnのある曲をイメージしていたのだが、そんなリクエストで我らのピアノ・マエストロに1分40秒の小品をソロで弾いてもらった。酒場の雰囲気でオフ・マイクにして3テイク。ばっちり決まった。

ちょうど終わったと同時に、今度やるチャリティー・イベントの主催者が現れた。彼は全てに怒っていた。同席していた普段は本音を隠さないアニキたちも「聞いてて気持ちいいね」というぐらいのすっきりした持論を展開した。

オリンピックなんて承知してる場合じゃねえだろ。東京の空気をわざわざ吸わせてえのか。海は垂れ流しだぞ。先にやるべきことがあるだろうによ。この国はどうなっちゃてるんだい。おかしいだろ。俺は文句言うぐらいしかできないけどよ、分かんねえんだよ。え、ゲンサン。どうしたらいいのか教えてくれよ。

何かがおかしいと、みんな思っている。何かが変わらなきゃ、何かを変えなきゃいけない。何かを変えるってことはビールを低カロリーの第3ビールに変えるとか、そういうことじゃないだろう。止めればいいじゃないか。変えるってことは習慣を壊すことじゃないのか。なにも壊さずに安い、あるいは高価な代替物でごまかしてきたんじゃないのか。

いや、壊すことは簡単だよ。自称テロリストのアニキが言う。俺は壊し方は知っている。でもな、壊した後の着地点ってやつが俺には分かんないんだよ。アラブの国なんかもそうだろ。俺は壊したくてウズウズしてるんだよ。でもその先が見えないからやらないだけさ。

いったんは収まったそんな話も、深夜にはまた別のオヤジが、急にそんな話を始めるから、今日はそんな日だ。そんな夜だ。みんなもやもやしているのだ。いい年したオッサンたちが酒飲み話にそんな話だ。

酒場に政治談義はよくないと言われるが、そんなことはない。翻訳者がいればよい。酒が入ればみな違う言葉を喋り始めるから、それをいちいち翻訳する者がいればいいのである。酒飲みは決して、自分のことを言いたいだけではなく、ホントは他人の意見を聞きたいのだ。

おそらくそういう場所がないのだ。家庭や職場、地縁や同業の集まりでは言えないようなことを言い、そして赤の他人の意見に耳を傾けたい。テレビも紙誌も、インターネットだって我々のメディアではなく、誰かに利用されている。そんな中で酒場はむしろ、小さいけれども確かに実感のある、我々のメディアであるのだろう。

そう考えれば、ライブもひとつのメディアである。生の音楽は確実に、誰かの意見を聞き他の誰かの反応を感じることのできる、我々の手の中にあるメディアである。旅をして回っている人は、旅の各地の話をすることもできる。

人が集まり、そして一方通行でないメディアを、みなさんはどれくらいお持ちだろうか。
[PR]
by barcanes | 2013-08-26 00:56 | 日記 | Trackback | Comments(0)

プロジェクター・ナイト/Wattstax

第2回目の「プロジェクター・ナイト」。今回もソウル映画だ。1965年ロサンゼルスのワッツ地区で勃発した暴動。黒人たちが町を焼き討ちした「ワッツ暴動」と呼ばれるこの事件から7年、南部のソウル音楽の代表的レーベルとしてヒットを飛ばしていたStaxは、黒人社会への還元としてロスのアメフトのスタジアムで入場料1ドルというベネフィット・コンサートを開く。
c0007525_2319278.jpg

この映画はこのコンサートの模様を軸としながら、町の住人たちの話や、当時爆発的にレコードが売れたという毒舌コメディアン、リチャード・プライアーの風刺的なトークを通して、黒人社会や白人との対比、教会やブルーズといった黒人にとっての伝統的な文化についてなど、全て黒人たちによって語られている。そして、このワッツ暴動がなんだったのか、というテーマがこの映画の主題にもなっていて、興味深かった。

あれは効果があった、そろそろもう一発やるべきだ。革命は必要だ。人々の生活の不満はそのような意見として表れる。しかし断片的な革命(のようなもの)で町はキレイになるかもしれないが、社会構造にはなんのヒビも入らないどころか、より一層強固になる。そのような例はいくらでも挙げられるだろう。

Staxは経営がAtlantic、Warner、CBSと移り変わり、純粋に黒人経営とは言えない。そして白人社会への売り込みも図っていた。これはイメージアップ的なキャンペーンではある。黒人たち自身が黒人たちのことを考え、責任をとるのだと。不満をぶつけ合ってるだけじゃダメだよ、というひとつのメッセージなのだ。我々の中にも潜んでいる革命的な欲求もどこか無責任な意見な感情であって、壊すのは簡単かもしれない。壊した後のことの方が重要で、その先のことを想像していかなければならないのだろう。

それにしてもEmotionsの教会のゴスペルのシーンは強烈で、そのように聖書の物語を共有している世界というのには入り込みにくさがある。僕もニュー・オーリンズの教会に入ったことがある。アル・グリーンばりの牧師さんの歌は素晴らしかったけど、居心地が悪くてさっさと抜け出したかったのを憶えている。さて我々はどんな物語を共有しているのだろうか。

コンサートの白眉はルーファス・トーマスのピンクの半ズボン・スーツと、フィナーレはアイザック・ヘイズの金の鎖!二人ともマントを着て出てくるから、いかにも怪しい。そしてマントを取ると大受けだ。この出落ち感がたまらない。ダサくてカッコいい。

今回上映したのはDVDではなくVHS。字幕の翻訳がまったく別物なのだそうだ。いわゆる差別用語とか禁止用語みたいな問題なのかもしれない。新版の字幕では、なんだかニュアンスが違うらしい。古いバージョンで観れたのも良かったかもしれない。

終演後は今回のナビゲーターDJの二見さんがStax関連のレコードを軽めに回してくれた。映画だけでは完結しないのが、我々のイベントである。そしてソファにもたれて、酒とタバコを片手にというのも映画館ではあり得ない。今回は前回の3倍のお客さんが来てくれたので、これでなんとかこのイベントも中止の難を逃れ、また秋頃に次回作を上映したいと思います。次はカリプソの映画でも。
c0007525_221321.jpg

[PR]
by barcanes | 2013-08-25 01:49 | 日記 | Trackback | Comments(0)

憑依する「あべのぼる物語」/AZUMI・ビト・ヤクLIVE

・・・・・・
そう人生は積み重ね
罪を重ねてナンボのもの
それがこの世に落ちてきた 天使の流儀の
あOne、Two、Three
合わん、ツー、スリー
・・・・・・
アホおまえ一生懸命ちゅう言葉を使うなアホンダラ
・・・・・・
生産すなよ、もうモノ作るな、何もすな言うてんねん
・・・・・・
一般市民、大衆、全然いらんちゅうてんねん
・・・・・・
まじめに働くという言葉を使うな
アズミ働くな 働くなちゅうてるやろ
働くんやったら持ってる奴らからパクれアホ
それがマジメやいうこっちゃ
・・・・・・
あのね、人間いくとこまでいかんとあかんのですわ
愛も恋も政治も全て
あのね、人間いくとこまでいったらね
何でも解決しますから はい
何も言わずにこのままそっと
俺が俺がの我を捨てて おかげおかげの下で生きる
人間あんまり辛いことや寂しいことが続き過ぎるとな
これ ある日 身体がふーーーっと楽になるときがあってね
悲しい夜は 悲しい夜は自由になれる
俺は俺だけ 見つめていればいい
・・・・・・
悲しい夜は 自由になれる
俺は俺だけ 見つめていればいい
・・・・・・
ほんでやな
古い順から言ってくで
アナログレコード、カセットテープ、MD、DATにコンパクトディスク、え
コンピューター・ミュージック、打ち込み
ま、それで音楽作るのもええやろうけどな
そんなもんだけで音楽作っとってみいや
この国確実におかしなっていくで ほんでやな
・・・・・・
俺が生まれるよりずっとずっと前から
俺が生まれる前というよりは俺が死ぬよりずっとずっと前から
ずっとずっとあるもんてお前なんか知ってる?
生で演奏するゆうこっちゃ
俺はずっとそれにたずさわってきたんや、お前、え
先輩と話しとったんやけどな
これからちゃんと音楽を聞く思うてんならな
ちゃんと自分の足で
生で演奏聞きに行くしかお前 方法なくなんど
絶対言っといたるわ
・・・・・・
おまえ忘れたんか
その時にそのイベントの一環で見たやないか
一緒にカーチス・メイフィールド・バンド
「あべちゃん、憶えてんで、忘れもせんわ きっついバンドやったな」
おお、ギターはあれやぞ お前なんや
カーチスが持っとったギター あれ何や
安物のヘビメタの使うような あれギターやで
アンプは国産のあれやんけローランドのJCの2発やんか
それ指で弾いてなんであんな音すんだあのオッサン
え、ギターはあれやぞ、ギターは心やぞアズミ
分かってんのか
それでいってくれるか
・・・・・・
そこを曲がると夕陽に染まった海が見える
(わかっとるやないか お前)
涙こぼれて風に向かって空を見る
何も考えない
何も考えない
(それでいってくれや)
・・・・・・
People get ready
There's a train a-coming
You don't need no baggage
You just get on board
All you need is faith
To hear the diesels humming
Don't need no ticket
You just thank the Lord
・・・・・・
1足す1は2 2引く2はゼロ
そういうものの考え方では何もオモロいことはでけへんねんぞ
いかにマイナスに耐えていけるか
マイナスをプラスに変えていけるか
問題はそこや
・・・・・・
アズミ お前
後ろにつんのめってコケても 後ろにズドンて
あ間違えたわ 前につんのめってコケても 後ろにひっくり返っても え
お前 しっかり前向いて
思い切り声出して歌わんかい コラ
いっていっていきまくれ 最初から最後まで
お前 先輩ミュージシャンに気い使うな言うてるやろ
いっていっていきまくれ
途中からやったらアカンぞ
途中からノってきてそれでええはアカンぞ
最初からいっていっていきまくれ お前
アズミ 歌わんかい ごちゃごちゃごちゃごちゃ言うてへんと はよ歌わんかい
アズミ はよ歌わんかい
シャウトせんかい ア゛ーーー
・・・・・・
夜が短い 夜が短い
夜が短い 夜が短い
・・・・・・
一日に24時間て誰が決めたんや そんなこと
勝手に決めるな
・・・・・・
俺のフリ見て お前直せアホ
お前が直せ
・・・・・・
おお 机にも角があったか え
スピーカーにも
しかし地球は丸いど
・・・・・・
踊りたいな 踊りたいな
踊れるかな 踊りたい
・・・・・・
あのな 俺はとっくに死んでてな
生きてるフリをしてるだけなんか俺は
あいつらホンマに死んでんのか なあ
・・・・・・
このまま 死んで踊りたい
・・・・・・
閉じて閉じて
閉じて閉じてな 思い切り閉じて
お前勘違いすんなよ
お前閉じてるって言うたら オレの最高の誉め言葉やぞ わかっとるか
媚びも迎合もいらんで 盛り上げる必要なし
おまえ一人になりたいんやろが 一人に
一人になりたいんなら歌うたえアホ
お前一人になれんのって歌うたってるときだけちゃうんか
こらアズミ
・・・・・・
アズミ お前のせいじゃ全部アホ わかっとるか
・・・・・・
ありがとうございましたありがとうございました
あべのぼる物語 ありがとうございました ご清聴
今日足をお運びくださいましたみなさんだけにそっとお知らせいたします
本日の 本日のラッキーナンバー 「5」
ありがとうございました ありがとうございました
・・・・・・
いかがでしたか それではみなさま
あともう一曲 ご辛抱願います
・・・・・・
(この日の「あべのぼる物語」から抜粋)

約20分に渡る大作の中で、アズミさんの中にあべさんという人が宿り憑依し、アズミさんに叱りつける。それにアズミさん自身が応える。これだけ自分の名前を連呼する歌など聞いたことがない。歌詞の中身は毎回毎回変化していくらしい。アズミさんの中に生きているあべさんが勝手に喋っている。霊媒師のようにこの場に甦らせる。会ったことのないあべさんがそこにいる。アズミさんの中に住み着いて、ひょこひょこと顔を出しては引っ込んでいく。

この曲を含め、5曲を持ち時間の50分ぴったりで演奏した後、アンコールはもう一曲だけと言いながらなんと5回。計1時間20分。こんな弾き語りを見てしまった我々藤沢の音楽ファンは、もはや弾き語りという「芸」のハードルを落とすことはできないだろう。大変なものを目撃してしまったのだ、我々は。

一言で言えばブルースとしか言いようがないが、ソウル、河内音頭、浪花節、ヴァン・モリソンやカーティス・メイフィールドまでもが息づいて、鎌倉のフルヤ・ギターのアコースティック・ギターに硬質のフィンガー・ピッキングで爪弾かれ、ハジかれ、叩きつけられる。フラット気味の唸り声が聞く者の胸の上の方に引っかかる。これは正にブルースではないのか。開放弦の響きや9thやメジャー7thを使ったあらゆるブルースの在り方を我々は知らされたのだった。

対バンのビトさんとヤクは、Cane'sに初めてアズミさんを連れてきてくれた紹介役として、またいつにも増した高揚感で前座をこなしてくれた。そして二人ともアズミさんが大好きで、お客さんの誰よりもアズミさんの演奏を楽しんでいた気がする。

ビトさんというのはじわじわ効いてくる薬みたいなもので、何日かちゃんと継続して飲まないと効いてこない。僕にとっては4回目にしてビトさんの自由っぷりがだんだん効いてきて、すっかり楽しめるようになってきた。初めての人はビックリしてしまっただろうが、僕もそうだった。やはり慣れが必要なのかもしれない。みなさんにもぜひビトさん薬の服用の継続をお勧めしたい。

また12月にビトさん、アズミさんのライブを予定しています。アズミさんには気に入ってもらえたのか、すぐ次の予定を決めてくれました。12/8(日)には端山龍麿さんとの対バンでビトさん、12/15(日)にはAZUMIさんとヤクの対バンが決まっています。今回お見逃しの方は、絶対来た方がいいです。間違いないです。
c0007525_017507.jpg
曲間にノートをパラパラめくって次の曲を探す、おなじみの姿のヤク。今回はオーガナイザーとしても働いてくれた。
c0007525_2164778.jpg
じわじわ効いてくるビトさん薬。
c0007525_2172894.jpg
飛行機型ブリッヂの傷だらけのギターとAZUMIさん。
c0007525_2175641.jpg
アズミ、One More Time!
[PR]
by barcanes | 2013-08-24 23:59 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ヤサぐれる

夏風邪をこじらせ、咳だけ残ってしまった。咳止めでも買おうと通りがかりのドラッグストアに入ったら、薬剤師のおっちゃんが「それなら首の後ろのデッパったところを叩けばよい。薬など買わなくてよろしい。」との実演をしてくれた。確かに少し楽になった気もしたが、念のため咳止めも購入した。

こんな夏は早く過ぎ去ってほしいと願っていると、ホントにあっと言う間に8月も終わってしまうもので、何も貯まらず残らないまま月末を迎えることになる。憂鬱である。何もかもがうまくいかなくなり始めると、負のスパイラルってやつが作動し始めて加速する。くよくよしても仕方がないが、くよくよでもしてみたくなる。つい愚痴なんかコボしてみる。

そんな時に限って、久しぶりに顔を見せたバカ客が場を荒らして去って行ったりする。去って行った先は盛り上がりを見せたポジティブな渦の方である。こちらには何かを巻き散らかして、できあがった良い雰囲気の方へ乗っかっていく。こういうとき、こちらは負のブラックホールとなってイヤなものばかり吸い上げてしまう。まあそれも酒場のイヤな方の姿ではある。

そして私もたまにはヤサぐれて、店をやるのがイヤになったりする。それもこれも咳のせいだ。せっかく買った咳止めを持ってくるのを忘れたからだ。
[PR]
by barcanes | 2013-08-23 02:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)

素人の音楽

音楽なんてミュージシャンがやればいいんだ。俺たち素人がわざわざやる必要なんてない。そう考えちゃってみると、やっぱり素人にしかできないこともあるだろう、プロとプロを目指してるヤツにはできないことをやってやればいいんだよ、とも思える。

知り合いの兼業ミュージシャンが言っていた。「音楽だけで飯食ってます」なんて偉そうに思うかもしれないけど、決してそんなことないよ。外国に行けば兼業ミュージシャンで素晴らしい人なんてたくさんいるよ。むしろその方が生活や社会のことを歌えるんじゃないかな。音楽はそこから生まれてくるもんだろ。俺はサラリーマンだけど、だからと言って定時で働く必要なんてないし、音楽だけで食おうとも思わないな。

なんて言うか、同じことをやる必要はない。音楽は人の数だけあっていい。その中で良質なものはホントに一握りである。人間の文化的要求など、それだけで十分に事足りるだろう。ガラクタな音楽なんてほとんど誰も必要としていない。誰もアンタの言葉になんか耳を傾けるだけの興味もない。家に帰って自分の聞きたいものを一人で聞いてる方がマシだ。

それでもやはり、人の数だけ話があるように音楽があり、話が上手いか面白いのなら聞こうかっていうだけのことだ。上手くなくても面白くなくても、気持ちや熱意で聞ける話もあるし、その人の人柄や人生で聞ける音楽もあるだろう。人に聞いてもらう音楽というのは、必ずしもプロとプロっぽいものとは限らない。彼らにできないところに素人の道がある。それが素人に与えられた使命なのだ。それは例えばどんなことだろうか。
[PR]
by barcanes | 2013-08-22 20:51 | 日記 | Trackback | Comments(0)

合コン・パーティー

合コン帰りの女の子。誰もタバコ吸う人がいないからガマンしてきちゃいましたと一服。飲み足りなくて、一人でお酒を飲みに来れるような女性に、付き合える男子は見あたらなかったようだ。

出会いを求める女性がいる。女性はなぜに30歳を目前にすると、やけに婚期を焦るのはどうしてなんだろう。集団的知性のようなものなのだろうか。あるいは女性には出産というタイム・リミットがあるから、それは生物的なアラームなのかもしれない。

以前に50人対50人みたいな大きな合コン・パーティーを企画していた友人が現れたので、そんな話を持ちかけてみた。出会いを求めている男女なんてすぐ集まるよと言う。

当店は近年、私を含めたダメ男たちが続々と結婚して、シングル層が薄くなった。女性客は遙か以前にみんな結婚してほとんどいなくなってしまった。ここは独身層に切り込んでいくチャンスでもあるかもしれない。

ということで合コン・パーティーでも企画してみようということになった。どうせなら当店ならではのものにしたいと思うので、後続を応援したい元ダメ兄貴たちのサポートにも期待しています。
[PR]
by barcanes | 2013-08-21 20:48 | 日記 | Trackback | Comments(0)

Jazzのサウンド/内野君と"Mellow & Whisper"

アルト・サックスの内野祥吾君は、会えばいつでも練習しているかどこかのライブ会場に足を運び、ベテラン・ミュージシャンのセッションに果敢に飛び入りして武者修行しているか、という熱心な若者だ。今回も、なにかイベントでもやってよという私のリクエストに応えてくれて、気合いの入った演目を準備してくれた。メンバーも自分のバンドではなく、特別編成です、と。

5人編成のジャズのコンボのライブをするのは、当店初めてである。どんなサウンドになるのか、想像するのは難しかった。おそらくマイクが要るのはピアノだろう。ベースはアンプで、それ以外は生音だから、それを基調にピアノを合わせればいい、でもそんな簡単なことではない。

ステージ側ではミュージシャン同士、生音だけでバランスがとれている。しかし客席側では聞こえ方が違う、という当店の特性がもろに出て、ピアノなどが少し寂しいけど、そこを上げるとミュージシャンたちがやり辛い、ということになった。なので今回は生音のバランスをとり、思い切ってP.A.なしということでやってもらうことにした。

というのも、ピアノの阿部紀彦さんの音がスゴくて、マイクが要らないぐらいなのだ。何がスゴいって、まず音圧がスゴい。そしてシャープである。コードがシャーンシャーンと決まっている。ジャンジャンでもポロンポロンでもない。シャーンである。私はミキサーのヘッドホン・アウトでピアノの音だけをひとり聞いてたのだ。

でも本番ではやはり、ピアノを少しだけでも上げておけばよかったかな、とも思った。ピアノをもう少し聞きたいとつい思ってしまうが、それはやはりCDやレコードのジャズを聴き慣れてしまっているせいで、ライブのサウンドは違うのだろう。

フロントのサックス陣がブワーッと吹いてる間はピアノは聞こえない。サックスのメロディーの隙間隙間にカウンターでピアノのフレーズが聞こえてくる。ピアノはリズム・セクションとしてやや後方にいて、コード・トーンを叩き出している。それは1マイク、1チャンネルの時代のレコードのようなサウンドだ。

今日はサックスの二人がメインだからね。僕は引き立て役だからそんなに聞こえなくていいよ。それに内野君も大内君もうるさいサックスじゃないから、生音で十分だよ。とライブ前に阿部さんと話し、必要ならばピアノを上げてくれていい、ということになった。しかし、一度決めたバランスを崩すのは難しい。そしてバンドはバランスを取りながらうまくやっている。

そこでベースをコントラバスからエレキ・ベースに持ち替える曲だけ、ピアノを少し上げた。サウンドは一気に60年代に下る。ソウル・ジャズだ。テナー・サックスの大内満春君はフルートに持ち替えて、マイクにリバーブを少し効かせた。

年齢を聞いてびっくりするほど貫禄もあり、上から下までジャズなファッションも決まっている大内君は、丸山圭子の「どうぞこのまま」を昭和歌謡のムード・サックスばりにディープにブロウしつつついでに歌ってしまうようなサービス精神も持ち合わせており、どこかローランド・カークを思わせるような柔軟かつ猥雑な雰囲気を秘めたサックスを聞かせてくれた。

ドラムは初めてお会いする中屋啓之さん、ベースは知り合いの江上友彦君、二人とも湘南在住の息の合ったリズム・セクションだった。そして今回のバンマスである内野君は、アルトとテナーの2サックスのアレンジをいろいろと考えてきてくれたようで、ハーモニーや絡み合いがとても良かった。特にハモリのフレーズが気持ちよかったし、おなじみの曲も新鮮に聞こえた。

内野君にはイベントの企画からメンバーのアポイント、選曲やリアレンジ、当日のリハもみっちり、そしてチラシ作りから宣伝集客まで、全て熱心にやってくれて感謝している。嬉しい。内野君は予想したほどの動員じゃなくて少々がっかりしたようだったが、平日の天気も悪い中、上々の十分な集客だった。

また終盤には若手サックス奏者の飛び入りもあって、計4ステージ、終盤になるほどリラックスしてきて、私も大好きなジャズを十分に楽しませてもらった。そして同時に、P.A.としては不十分でとても勉強になったし、悔しい思いもした夜だった。

今日のミュージシャンたちがよく出演している店のマスターも遊びに来てくれて、好い「イエイ」を入れてくれて盛り上げてくれた。うちはあまりジャズのライブをやってくれる人がいないので、なかなかジャズのサウンドが店に馴染んでいないかもしれない。ジャズを店の壁や床に染みこませるためにも、またライブをやってもらいたい。
c0007525_483593.jpg

c0007525_485471.jpg

c0007525_49968.jpg

[PR]
by barcanes | 2013-08-20 04:03 | 日記 | Trackback | Comments(0)

あと少しの

ヒマな店ほど良い店はない、とは誰が言ったか、自分も空いてる店が好きである。騒がしくない店で、一言二言しゃべれればいいのであって、あとはほっといてくれればいい。よい音楽がかかっていればなお良いし、それがそれなりの音量だったらサイコーだ。

とは言ってもそれは客目線のことであって、自分の店となるとそれなりにお客が入ってもらわないと困る。目下、私の店はかなりの良い店になってしまっている。あと一人二人、欲を言えばあと数名のお客さんがいてくれるといい。

お客さんは何かの期待を持ってやってくる。それは飲食のメニューであったり、特別なサービスであったりする。仕事帰りになじみの店で、職場との往復の日々に一息入れに、あるいはたかぶった気分を和らげに、というのもバーとしての正しい使われ方かもしれない。

しかし、その期待とはやはり、誰か人との出会いであったりする。それは店の人間かもしれないし、店員のことなんてどうでもいいかもしれない。店の者と既に顔見知りであれば、やりとりが客人と店員の双方向でだけで閉じないような、第三者を求めているかもしれない。それは不確定な要素だ。たくさんの人で混み合ってるとか、いつもワイワイ盛り上がってる、というのとも違うのだ。あと一人二人、欲を言えばあと数名のお客さんがいてくれるといい。

新奇な演目を企画しても、それがなかなか集客にはつながらないところもあるが、必ずしも集客を求めることが音楽のためになるわけでもない。ある若い女性シンガーのコンサート、渋谷の大きなライブハウスをやけに年齢層の高い背広の人たちが埋めてるな、と思ったら宗教関係者だったという、そのバックをやっていたミュージシャンの笑えない話。その日の演奏の寒々しさたるや。

その話は極端とは言え、集客動員とその音楽の素晴らしさには、ほとんど相関関係がないように思える。知人友人片っ端から電話して誘ってでも、お客さんがたくさん入れば燃えるのもミュージシャンであり、それで盛り上がれば今日は盛り上がったね、とはなるが店はそれで良くてもそれもまた音楽の良し悪しとは関係がない。それは正確に言えば、いい音楽というよりは「盛り上がる音楽」である。より正確を期せば、世には盛り上がる音楽と盛り上がらない音楽があり、それぞれに好きと嫌いがある。

魅力ある音楽の新鮮さのために斬新なことばかりやっていては、お客さんはついてこれない。それでも我々が求めているのは「不確定な要素」である。どんな音楽か分からない、どんなライブになるか分からない。もしかしたら全然良くないかもしれない。そんな不確定さを当然のように求める人があと5人、欲を言えばあと10人のお客さんがいてくれたらいい、といつも思う。

つまりいつでも、あと少しのお客さんが必要なのだ。いつでもあと少しでうまくいく。でもそれがなかなかうまくいかないものなのだ。
[PR]
by barcanes | 2013-08-19 03:36 | 日記 | Trackback | Comments(0)