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食欲/94年の音

今月もあっという間に末日。今月はイベントも多かったので、途中まではいいペースで来てたのだが、後半からヒドかった。世の中のいわゆる給料日後ってヤツとは逆で、うちのキューリョービアトは恐ろしくヒマだ。でもなんとか家賃も払えた。

ヨメが子供と帰省中なので、僕は寄生虫で久しぶりに実家で晩飯を食わせてもらう。肉を焼いてくれて、ご飯のおかわりは?って聞かれるけど、僕もすっかり食べる量が減ったなって思う。

なんか貧相な話だなあ。

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深夜に24歳と31と39の3人でSound City録音のNirvana「Nevermind」(91年)、Oasisの「Defintely Maybe」などを聞く。これは94年の音。その頃6歳と13歳のはずの二人にはそれぞれの思い出があり、21の私は流行りの音楽など全く聞いてなかったから、それらには全く思い入れがない。

私にとっては後聞きだけど、Beastie Boys「Ill Communication」が94年の音だ。そこからソウル・ジャズやファンクに入っていった人も多かったんだと思う。低音の扱いが全く違う。Oasisは中高音がほわーっとしてて、低音域は寂しい。一方、Beastiesはベースが効いてる。要するにブラック・ミュージックのサウンドだ。当時こういうところでも好みが分かれたんだろうなあと思うし、音楽の基本的な好みというのは20年たってもあまり変わらないものだ。

音楽の食欲といえば一時衰えたこともあったし、好き嫌いはもともとあまりなかったが、やはり不味いものやケミカルなものは食えなくなった。それでもまだまだ自分の知らない美味いものがあるかと思うと、またまた食べる量が増えてくるこの頃である。
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by barcanes | 2013-05-31 19:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)

よく遊んだ

風の強い定休日。雨が降り出さないうちに海辺をJOGして砂を浴びる。気のせいか少し首も回ったはずなので、レコードを無性に買いたくなり、久しぶりに横浜へ。こないだ観た「SOUND CITY」で録音されたものなどを探す。レコファンの380円棚から持ってなかったものなど20数枚拾い上げる。セール中で全品200円引き。Tom Pettyの赤いジャケの「破壊」、リック・スプリングフィールドの犬のアルバム、フォーリナーなどがSOUND CITYもの

Rock棚はこれだから面白いがSoul棚はそうはいかない。ヒット・アルバムでなければ廉価棚には並ばないし、60年代前半までの名曲はまだアルバムの時代ではなく、アルバムがあっても後の編集盤のことが多いから、もう一つ食指が延びないのである。AtlanticのR&B1000円シリーズのCDを買った方がいいだろう。

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c0007525_2154520.jpg新品はGeorge JacksonのFame未発表曲集のアナログとRy Cooderの昨年作(LPとCDのセット)、アレサの「Young,Gifted,and Black」の重量盤があったので思わず買ってしまった。せっかく昨日マッサージしてもらったのに、ずっと下向いてレコードを見てたのでまた首が痛くなった。レコードは持ち運ぶの大変なので、大人の宅急便発送。

せっかく横浜に来たので足を延ばして、京急で日ノ出町へ。軽い旅気分。野毛坂の「ボーダーライン」に初めて行ってみた。うちにも出てくれている恵美ちゃんやヤクなどがよく出演しているお店だ。この日はちょうどビトさんが出演していた。ビトさんはヤクと対バンで、6月末にうちにも来ます。

久しぶりに余所のお店のバー・ライブを観た。お店にはお店の音があるというが、一義的にはその建物の音、いわゆる「ハコ鳴り」だ。壁の反響、材やモノ、人による吸収なども影響する。第二に音響機材のシステム。普段、いつも自分の店でしか音楽を聴かないので、その違いがよく分かる。

その上でミュージシャンの出す音ということになる。一流ともなると上記の二つの要素を汲んだ上で出す音の加減をする、ということにもなるだろう。例えばどこか中低音が出すぎているな、と思ったらそこを少し弱く弾く、なんてことができる。

そして最後に、ここがたぶん重要なのだが、お店の人とお客さんが作り出す雰囲気、持っている心意気のようなものが空気となってお店の音となる。マスターは寡黙に、しかし曲が終わればそのたびに、一番大きい拍手を送っていた。その響きが壁や空気や、そして我々聴衆の耳にも染み込み、あたたかいこのお店の音を作り出しているんだろうと思った。

少しだけ挨拶して、演奏中にもかかわらず辞して、藤沢に帰り今日も「太陽ぬ荘」で練習を2回戦。ずっと一つの曲をやる。練習の合間に飲みに出て、休憩しては缶ビールを空け、笑いをこらえながら練習して3時まで。一日よく遊んだ。
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by barcanes | 2013-05-30 20:44 | 日記 | Trackback | Comments(0)

首が回らない

いい加減首が回らなくなって、股関節もおかしいので友達の治療院に行って揉んでもらってきた。首が回らない、っていうのは本当で、首が回らなくなってくるとホントに首が回らなくなってくるんだなあと実感する今日この頃だ。

直接的には背筋が曲がってる、姿勢が悪いっていうところからきているのだが、マラソンをやっていた頃は姿勢やバランスを気にしていたし、弱いところをしっかり鍛えるようにしていたから、すっかり走らなくなってしまって全てが緩んでしまったという感じだと思う。

足首に古傷あります?っていうから、確かに高校の時に両足首とも捻挫したのだが、その靭帯が伸びきったままなんだという。そういうところから、全てのバランスが崩れていく。人体は完全な状態になど戻るもなにも、もともと完全などではないのであって、支え合い補い合い、ダメージを分散し合ってなんとかやっているのだ。

マッサージ師によると、私は稀にみる素直なほぐれやすい身体だそうで、そう、何を隠そう、私の取り柄は「素直」なことなのである。

これですっかり首も回るようになる。なんて甘くないのであって、背骨は真っ直ぐにしときました、でもある部分が前に出すぎてて、その下が後ろ過ぎる。猫背だということ。首は少し回るようになったけど、要は普段の姿勢次第。生きる姿勢とはそういう問題だと、彼は言ったか言わずか。少し運動すれば治りますよ。その通り。
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by barcanes | 2013-05-29 20:37 | 日記 | Trackback | Comments(0)

縄文式と紙媒体

タイ帰りのミュージシャンのライブを8月にやることになった。彼が「投げ銭」方式はもうちょっと面白くない、「縄文式」というやり方でやりたいと言う。それは、小さな封筒に無記名でライブの感想や意見などを書いてもらい、投げ銭と同じくその人の気持ちの金額を入れて渡してもらう、というものだ。

投げ銭方式にさらに気持ちを載せてもらう。話せなかったお客さんの気持ちなどを知ることができるし、ホントは言いたいことがあるお客さんもいるはずだと。誰が言い始めたのか、それを「縄文式」と言うんだそうだ。お金のやりとりなんだけど、そこに物々交換の要素、つまり人の気持ちを載せる、というわけだ。面白いね。やってみよう。

遅くにはまた今日も機材の話から当店のサウンド・システムなどについて話し合う。そんな話から藤沢の音楽シーンについて、我々に何かできることはないか、ということで、音楽情報誌だろうということになった。フリー・ペーパーを作る。

我々、音楽好きと音楽を商売にしている者全員の共通の利益は、第一に足を運んでくれる音楽ファンの総数を増やすことであると思う。私は街興しや地元愛などには興味がないのだが、「シーン」を作るということには興味がある。野望があるとすれば、それはNew Orleansのような音楽の街にすること。

New Orleansには「OffBeat」というフリー・ペーパーがあった。今でもあるのかな。音楽専門の情報誌だ。そこにはその街のほぼすべての音楽イベントの情報が網羅されている。New Orleansに行ったら、まずそれをゲットする。もちろんオン・ライン化もされているが、それを紙で手にすることが大事だ。できるところからやってみたいと思う。
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by barcanes | 2013-05-28 21:59 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ヨット・レース:不確定な科学

大島や初島をぐるっと回って24時間以上もかかるヨットの歴史あるレースがあるそうで、そこで優勝した船のクルーとして乗っていた客人の話。性能のいい船が勝つとも限らないし、精鋭ぞろいのチームが勝つとも限らない。潮や風の流れは不確実であり、ベテランでも自分のやり方や例年の傾向などに固執してしまえば負けてしまう。

彼のチームはたまたま岸に近いところをルートにとるというキャプテンの戦術が当たっただけで、それはギャンブルにも近い。風が止まり、敵の船影も全く見えない中でリタイヤも考えたが、終わってみれば着順は全体の中ではビリから3番目、しかし船体の性能に対するハンデにより見事優勝となった。

これは医療にも似ているのではないかと。一つの問題に対する正解は一つではない。あるいは正解が一つではない問題をどう解くか。ベターを重ねていってもそれはベストの選択ではないかもしれないが、その人その時に合わせて戦術を選べる医師やキャプテンがベストであると言えるのだろう。潮も人体も不確実な科学なのだ。

船体の性能によってハンデが加算される、というのも面白い。加えて、ヨットは素人でも参加できる唯一のプロ・スポーツとも言われているそうで、チームにはいろいろな役割がある。将校だけでは勝てない。歩兵もいなければ軍隊が成立しない。いわば軍事的なスポーツとも言えるかもしれない。医療もまた、患者本人はたいてい素人であり、専門家と患者とのチームで戦術を練っていくことが、勝利へのベストの選択につながっていく、ということである。
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by barcanes | 2013-05-27 21:54 | 日記 | Trackback | Comments(0)

Ryumaro3:音楽への愛を共有する

今日のP.A.は龍麿さんの高校時代の同級生であるFプロに任せてある。夕方からFプロと一緒に今日の全体の配置を考える。事前にももちろんイメージしてみたが、やはり当日になって決めようということになっていた。そもそも円形に陣を取る「in-the-round」のイベントを教えてくれたのはF兄で、それを龍麿さんに話したら、じゃあ俺らがそれをやってみよう、ということになったのだ。

円形というよりは店の四辺にお客さんに座ってもらい、その中央で四角にマイクを組んだ。このような配置でライブをやるのは初めて。結論から言うとスピーカーから離れているので演奏者はやりやすかったようだ。もちろんP.A.も良かったのだが。顔を付き合わせて、目が合って恥ずかしい、なんて大澤さんは言っていたが。

お客さんは席取りによっては龍麿さんのケツや大澤さんのケツを間近に見ることになり、音の聞こえ方も違ったかもしれない。客席の一体感というのは足りなかったかもしれないが、みんながセンターを見守る感じがいつもと違う特別な雰囲気を感じさせた。

ゲストはきれいなテレキャスター・シンラインを弾く田村直樹さん。龍麿さんの昔の職場の後輩であり、大澤さんとはバンドをやっていたこともある。久しぶりに偶然再会し、地元のライブで一緒にやろうということになった。「僕たちいろいろつながってるんですよね」と龍麿さんがMCすると、ユカリさんが「僕は?」って聞くから可笑しかった。ユカリさんといろいろつながってたら大変でしょ!「っていうか今つながってるからいいじゃないですか。」そうだ、その通り。

ふと思った。昔の仲間がそのまま今でも一緒にやれるって、それだけでもスゴいことだ。しかもそこにユカリさんというレジェンドもいる。僕にとっては今日は龍麿さんとF兄貴の長年の友情の結晶。決して大きくない、少し小さいかな、と思えるぐらいの音量も素晴らしかったが、それもこの二人の共感のなせる技だ。

そしてDJには二見潤、Fプロの弟であり、当店の看板イベント「Voices Inside」をずっと続けてくれている。そしてこういう仲間に囲まれながらも、なあなあの内輪のイベントなんかにはならない、龍麿さんの本気度が伝わってきたのが嬉しかった。

意外なTOTOの「Georgy Porgy」のカバーも良かったし、なによりユカリさんのカホンを叩く姿勢の風格あるたたずまいには目を奪われた。分厚い手のひらから叩かれる分厚い音。シンプルに叩いているように見えるのに、いろんな音が聞こえてくる。なんなんだろうこれは。

ライブ終了後には残ったミュージシャン、エンジニアなどとみんなでデイヴ・グロールの映画「SOUND CITY」をプロジェクターに映して観た。主役はNEVEのアナログ・コンソール、日本で言うところの「卓」。これがアップで大写しにされるたびに歓声が!70~80年代の数々のプラチナ・ディスクが西海岸のこのスタジオで録音されていたとは知らなかった。こんなマニアックな映画を錚々たるメンバーで観ているのが可笑かったが、こんな音楽への愛を共感できることが嬉しかった。

デジタル機材のおかげで誰でも簡単に音楽が作れるようになった。しかし我々の好きな音楽は機材が作るのではなく、人が作るものだ。それうまくまとめてくれる素敵な(そして高価な)アナログ機材と、なによりもミュージシャン、スタッフの熱意。僕が最近ようやく気づいたことは、音楽に対する愛はぜひとも熱意に向けるべし、ということだ。

今日は、そうやって考えると、音楽への愛を共感できる人たちの作り出す音楽、作り出した音楽、そういう日だった。龍麿さんはニュー・アルバムのレコーディングの最中で、ベーシック・トラックはNEVEのアナログ・コンソールのあるスタジオ(伊豆にある、これまた現代には奇跡的なスタジオらしい)で録ってきた。ギターやバンジョーなどのは「スゴい」ミュージシャンに弾いてもらって録り終えた。後は本人のボーカル・トラックを残すのみだという。きっと今日の一日がまた、これから作り出していくだろう音楽につながっていくのだろう。僕らの共有した音楽への愛を、さらに乗せて。
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最後にFブラザーズ。(撮影:H本氏)
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by barcanes | 2013-05-26 04:19 | 日記 | Trackback | Comments(0)

去りゆくコーヒー・ドリッパーへ

先日忙しい最中に手を滑らせてコーヒーのドリッパーを落としてしまい、取っ手が取れてしまった。10年以上使ったコーノ式の「名門」の2杯用。(うちは一杯に2杯分入れている。)細かいヒビが入っているのはコーヒー豆から出る炭酸ガスの作用とか言われているが、真偽のほどは分からない。放射状にきれいにヒビが並んでいるのは、うまく使っている証拠だと言われている。

取っ手が取れても使えなくはないが、きれいに泡を丸く作りながらコーヒーを淹れていくにはちょっと不便なので、新品を買うことにした。「名門」の印の入った箱に入ってるヤツと、ペーパーなどがセットになっている袋入りのヤツとは、プラスチックの肉厚やテーパーの角度が違うそうだ。

そういうところにこだわるのがコーヒーの道。ドリッパーも数々あるが、それぞれ味の出方が違う。ネル・ドリップが一番とも限らない。私には私のやり方があり、様々な流儀があるが、どれがベストということはない。これもまた音楽に似て。日々の作業の中での自分なりの流儀を発見し、また改良し、それを続けていくことが一つの道である。
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小さなヒビのひとつひとつが愛おしく可愛らしい。
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F22で撮影。ドリッパーも照明も星型だ。
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コーヒー色に染まって、長い間ありがとう。ご苦労さん、僕のコーノ式。
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右奥はコーノ式を模した陶器のドリッパー。左奥は4杯分のコーノ式。これにはいいヒビが入らない。右前が新入りのコーノ式。よろしく頼むよ。
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by barcanes | 2013-05-25 05:01 | 日記 | Trackback | Comments(0)

Dylan72歳の誕生日

深夜になって今日がBob Dylanの誕生日だと気づいた。1941年生まれなので72歳。今でもアルバムを出し続けていることに感謝したい。なぜなら、僕らは自分の歳の時にDylanはどんなアルバムを出していたかが分かるようになっているからだ。僕らが年をとって70になったって、まだそれが分かるのだ。

僕は今39なので、Dylanでいうと「Saved」である。改宗してクリスチャンになった、いわゆるゴスペル3部作の2作目。マッスル・ショールズの南部ソウル・ミュージシャンをバックにした、Dylanのアルバムの中でも最も骨太なサウンドと言えよう。
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自分の歳のDylanのアルバムを聞け、と言い出したのはあるダメ兄貴で、彼は今年42、アルバムは「Infidels」である。「異教徒、不信心」というタイトルで、クリスチャン3部作の後のアルバムだ。スライ&ロビーなど異種多様なアーティストと「Jokerman」などの傑作を生みだした。オレは突き抜けていろんな種類の人とコラボできるようになったんだよ。元チャンはまだまだ宗教にハマって悩んでる頃だな、と兄貴はのたまうのであった。

ちなみにデビューが20、「Like A Roling Stone」が24、傑作「Planet Waves」「Blood On The Tracks」が32、33、「Oh Mercy」が48、原点回帰した弾き語りアルバム「Good As I Been To You」が51、還暦は「Love And Theft」といった具合である(録音時の歳など多少のズレはご容赦)。私がこの店をはじめたのは27、突然カントリーにいった「Nashville Skyline」の頃だねと。

ダメ男の「社是」を考えたいんだよね、とそのダメ兄貴は今日の話題を振った。社是っていうのも可笑な言い方だが、ブレずに生きるモットーのようなものが必要だという。ダメ男としての。その基底には一日一日を燃焼し尽くして生きるDylanの生き方があるという。そうして生き抜いてきたときの、その歳その歳に残した墓標のようなものがDylanのアルバムなのだ。

墓標というのは、彼は決して振り返らないからだ。彼には代表作も名刺代わりもないし、絶頂期も最盛期もない。人は傑作や駄作を言うけれど、おそらく優劣などないのだろう。そんなことをできたのはポピュラー・ミュージックの世界ではDylanとマイルスとジョニ・ミッチェルぐらいではないだろうか。マイルスは常に時代の最先端すぎたし、ジョニは引退宣言してしまったけれど。

Dylanはあらゆる意味で唯一無二の、我々のマイルストーンであり続けている。そして兄貴はカウンターで眠りながら聞いている。きっと来週の、優勝を狙っている100キロレースの距離表示を、残り50キロ、30キロと数えながら。
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by barcanes | 2013-05-24 00:30 | 日記 | Trackback | Comments(0)

今生の別れ

今日は定休の木曜日。親子3人プラスなっちゃんの大好きなバアバといつものように辻堂に買い物に行く。うちの母は底なしの体力で、全力で子供と遊び続けるので、なっちゃんにとっては一番の遊び友達なのだ。

その後「キョール」に足を延ばしてウコンの効いた奄美カレーを食べる。僕らが食べている間、ちよりさんとご主人に落ち着かないなっちゃんのお守りをさせてしまった。本がたくさんあって、なっちゃんは奄美の本や雑誌を片っ端から取り出さずにはいられないのだ。

来週からヨメが娘を連れて10日ほど里帰りすることになった。しばらくなっちゃんに会えなくなるかと思うと辛い。

小さい子供がいるのに離婚するとか別居するとかいう話が身近にあって、僕はそんなこと辛すぎてどんなことがあっても避けるべきだと思うのだが、そういう状況になってしまった彼ら(そんな知り合いは男の方に決まってる)の気持ちを思うと、それ以上彼らを責めることなんてできない。

僕は幸い、そんな状況にはなっていない(はずな)ので、しばらくすれば戻ってくる(はずな)のだから、それまでどうやってやりすごせばいいかと、楽しいことでも考えるしかない。少し前まではずっと一人だったのだし、一人者の人たちだってみんな辛くても楽しくやってるさ。

昨年夏に初めてヨメが生後半年の娘を連れて里帰りした際、自分はいなくてもいいのだ、と思い知らされて、子育てに関する距離感が少し遠くなった。そのようにして男親は少しずつ遠くなっていくのだろう。そうしていつかなっちゃんが離れていく心構えができていく。いや、いつでもその心構えがあるようにしとかないと。

これがこの人との今生の別れになるかもしれないと、この商売をしていると思うときがある。それだからこそ再会が嬉しくなる。それでもヨメとなっちゃんとの一時の別れも辛いものがある。
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by barcanes | 2013-05-23 00:26 | 日記 | Trackback | Comments(0)

どうするよ?/イベントについての五要素

同級生が「オレたちももう40歳だな。どうするよ?」と生ビールを傾けながらなんとはなしに問うた。どうするもなにも、まだ始まったばかりだろうが!って、「はじめたら、はじまりさ」っていうSIONの歌みたいなことを言ってやってもよかったんだけど、そんな変に前向きなことを言うのも、なんか他人行儀でよそよそしい気がした。

やることは変わらないし、どうしたらよいか惑い続けて今に至ることも、これからずっと変わらないだろう。それでも、そう問われれば、なにかしらの苛立ちを感じないわけではない。

お前はそれなりに貯金もあるんだろ?いいところでまじめにサラリーマンして働いてんだから、オレなんかよりよっぽどあるだろ。結婚して子供もできて、あとは家でもマンションでも買っちまえばいいじゃねえか。

僕は蔑んだ言い方をしたかもしれない。羨ましいわけじゃないし金がほしいわけじゃないけど、ギリギリのラインで生活していることについて、やはり恥ずかしさを感じてしまっているのだろう。自分を軽蔑することは止めたはずなんだけど、だからといって自分は自由で楽しく幸せにやっているのだと開き直るのも行き過ぎなのだ。だから自分を蔑む代わりに、相手を蔑んだのかもしれない。

そんな貯金じゃ病気したりしたらどうするんだよ。老後はどうするんだ。そんなことを言いかけて、ヤツはいいヤツだから、いやお前には定年とかないんだからずっと働けるんだよね、って言い直した。

おそらく「どうするよ」っていう問いが、軽いようで重いのだ。「お前はどうするんだ!」って突きつけるような人は、自分は何かを一生懸命にやっていて、そうでないような人を見るとムカついて「お前もなんかやれよ!」となる。そうでもなければ、その問いは自分に返ってくるわけだ。

僕は優しいから、人にそんなことを突き詰めたりはしない。それは自分に優しいからだ。それを甘いともいう。そして自分が言われたら嫌なことは他人に言わない。でも自分が言われても平気なことは他人に言ってしまうから、それを相手が嫌と思うこともある。それも甘い。

甘さと甘さの間では、何も言うことなんかできないのだ。四十にして惑わず、というけれど、誰だって惑ってるし、でも惑いながらも惑ってなんかいない。「どうするよ」って聞くから惑うのであって、他人からとやかく言われるのは気にしなくなるんだ。それが不惑ってやつなんじゃないだろうか。

まだまだ気にしちゃってるわけだけど。もうすぐ気にもしなくなるはずだ。自分の人生はもう残り長くないけど、まだ始まったばかりなのだ。

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その後、イベント企画を考えている後輩と、一緒になっていろいろ考えてみる。彼は藤沢の音楽に限らない街ネタを模索しており、僕は音楽以外は興味がない。喋りながら自分がこんなことを考えていたんだなと気づいたりする。ある種のブレインストーミングだ。

イベントについて大事なこと。一に熱意、二に継続。三はクオリティ、レベルの向上。四、客の全体を増やすこと。音楽ファンの総数を増やすことが個々にも反映されるはず。五、素人からプロまで、あるいは裏方からトップまで、層の厚さ。

なによりもその全てにおいて、熱意が重要だ。逆に言えば、全てのスタッフ、全てのメンバーに気持ちを伝え切れるだけの熱意を持っているのなら、トップに立った方がいい。でもたいていは、みんな裏方気質なんだよな。
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by barcanes | 2013-05-22 00:17 | 日記 | Trackback | Comments(0)