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足りない言葉

どうやら言葉が足りない。言葉のいらない関係なら素晴らしいけど、察することに負荷を感じているのなら、それは何かが足りてないからなんだろう。誰かの思いだけがひとり先走って、周りがついていけてないとき、その人が孤立するか、さもなくば周りがその距離を埋めなきゃいけない。しかし、そもそも「適度な距離感」というのを測りながら付き合ってきた中で、突然突っ走られてしまうとその適度な距離感を見失ってしまい、近すぎても遠すぎても悩んでしまうのだと思う。だから、できたら言葉を少し足してあげることができたらいいと思うのだ。

今日は昼間にNHK-Eテレで宇野常寛のドキュメントをやってたのをチラッと見た。最近は若手論客ブームだそうである。私も彼の「リトルピープルの時代」を読んで感銘を受けたし、非常に面白かった。社会学者の開沼博、古市憲寿など、みな20代30代の若者でとっても面白い。当然だが上の世代の人の書いた文章ばかり読んできた僕らの、もうひとつうまく言い表してくれてないようなモヤモヤ感を彼らは見事に言葉にしてくれているような気がするのである。

誰だって自分の言葉ではない文章を、つまりは自分にとっては足りてない言葉を察し補いながら文章を読むわけだから、そこにちょうどよい言葉が当てはめられたら、それはパズルのような面白さなのである。

時代はいつだって我々を置いてきぼりにして、ひとり突っ走っていってしまう。我々は適度な距離感を測るにも、過去の言葉だけではどうにも追いつかない。未来は若い人たちのものなのだから、若い人の言葉がどうしたって必要なのだ。

彼らの偉いところは、しっかりと勉強も吸収もした上で上の世代のオヤジたちにちゃんとケンカを売っているところだ。僕らができなかったケンカをしてくれてるというか、ケンカをするにも足りなかった挑発の言葉が必要なのだ。
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by barcanes | 2013-03-31 02:53 | 日記 | Trackback | Comments(0)

週末も平日もなく

最近は平日も週末も関係なくヒマで、うちだけかと思ったらそうでもないらしい。どこもヒマだっていうんじゃなくて、週末も平日もあまり変わらないということである。一昔前は週末ともなると身構えたものだが、イベントでもなければ、身構え損どころか身構えることもすっかりなくなってしまった。

平日の昼間などに出歩いても、家族連れの男性もたくさん買い物に来ているし、このところは学校も春休みでどこに行っても子供連れでにぎわっている。曜日の感覚っていうのが随分なくなってきて、ああ週末なんだと気づくのはテレビの子供番組がいつもと違うぞという時くらいだ。

一方、平日の公園は子供連れの花見客であふれ、世の中にはこんなに働いていない母親がいるもんかと思うし、そんな中でのんきに子供を散歩させている私みたいな男は滅多にいないわけで、ヨチヨチ歩きのかわいい頃の子供と毎日一緒にいられるのは幸せなもんだと思う。要するに、平日も週末も関係ないようなメリハリのない日々というのは、自分が望んだものでもあるということなんだろう。

子供なんかに全く興味のなかった私だが、やはり他の子供もかわいく見えるようになったし、ヨチヨチ歩きの余所の子なんかを見ると、やはりこの頃が一番かわいいのだなと思ったりする。そんなことを言うと大学生の娘さんがいるアニキは、「そんなことないよ。いくつになってもそれぞれのかわいさがあるんだよ」とおっしゃるので、少し安心したのだった。

流される旅も流れる旅も、どちらも旅には変わりないけれど、どちらを選ぶかは自分次第だ。流されて流した何かのせいにするのではなく、流されるよりは流れていこうぜ。
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by barcanes | 2013-03-30 04:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ピンポイント攻撃

年度末だ。大手企業研究職の客人も新年度からまた新しい事業を考えなきゃなあと話してた。昨年は外国に行き来しながら、通じない会話と心をようやく通わせられるようになって、事業も技術的に実現可能なところまできたところでポシャってしまった。手弁当であれこれやっているうちが楽しくて、いざ合弁企業だの現実的な事業化の段になると上の方の話でつまらなくなってしまう。

理系大学へのリクルート活動も仕事のうち。昔は学部や専攻がわかりやすくて良かったが、最近の大学はやたら長い名前の学部とか理系なんだか文系なんだか分からないような学部とかが多くなって、広く良い人材を集めるのが難しくなった。何を隠そう、僕らが大学に行く20年ぐらい前から人間科学だとか総合政策だとか、行ってる本人でさえよく分からないのが増えたのだ。今は教授の専門などを調べて、ピンポイントで攻めなければならない。

その横でミュージシャン氏が来月の大きな会場のライブのために、知り合い個々にお誘いのメールを打っていた。その数なんと200人。フェイスブックだのネット関係で情報を広く拡散してもなかなか集客の効果が出ない。やはりピンポイントで攻めていかないといけない。

行列の店には行列に並ぶような人しか来ないのだ。
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by barcanes | 2013-03-29 20:46 | 日記 | Trackback | Comments(0)

信じつつも疑うこと

 「クエサリドという男はシャーマンの力を信じていなかった。そのインチキをあばいてやろうと、シャーマンになるためのトレーニングを受けだした。そこでもっとも重要な技術として学んだことは、鳥の綿毛(ダウン)を口の隅に隠し、ほどよいところで自分の舌をかむか歯茎から血を出すかして、この綿毛を血まみれにして吐き出し、おごそかにそれを病人と居並ぶ人たちに見せて、これが自分の吸い出しによって患者の身体から追い出された病気の本体であると信じ込ませるトリックである。
 このことによってクエサリドは、やはりシャーマンの治療はインチキであったと確信するが、病人に実際試してみると、なぜかこのインチキ・トリックが劇的に効いて病人が治ってしまうのである。(中略)やがて「大シャーマン」として有名になってしまうが、けっして批判的精神を失うことはなかった。すなわち、当初のようにシャーマニズムはたんなるインチキにすぎないと全面的に否定しさるのではなく、どこかである面インチキであると疑いつつ、でも本物でもあると信じるようにもなっていたのである。」

クロード・レヴィ-ストロースの原典から、精神療法家のとるべき態度について論じた部分。

「精神療法はいつも本物であると同時にインチキであり、われわれ臨床家はみずからの精神療法をつねに信じておこないつつ、他方でそれを疑い続けなければならない(中略)いっさいの疑念なく百パーセント信じるようになれば、そこからは硬化したドグマが生まれ、また、なんの信もなく完全に嘘と思いつつ治療をおこなうならば、それは詐欺行為にすぎなくなるだろう。」

我々は精神療法家ではないし病気でもないけれど、あるいはその両方でもあるかもしれない。誰しもが病んでいて、誰もがそれに臨床家のように日々接しながら生きなきゃいけない、と見ることもできるのではないだろうか。そんな中で我々は様々な療法や処方箋や言葉や師を求めていて、それによってスッキリもしたり、あるいはさらにドツボにハマっていったりもする。そしてそのような欲求を満たすことを、良くも悪くも様々な方法で商売にしている人がいたりする。

「実際に病んでいるのは自我(あるいは自我の無意識に対する関係性)であることを忘れてはならない。無意識(とりわけ集合的無意識)は、正常でもあり異常でもある。健康でもあり不健康でもある。すなわちすべてをふくんだ全体的なものなのである。したがって無意識自身は病んでもいないし、健康でもない。あるいはまた、病んでもいるし、健康でもあるともいえる。それ自身は中立的なものなのである。」

仮に世界を「集合的無意識」と読み換えてみよう。悪いのは世界じゃない。例えば個人を国家に読み換えて、国家的な自我と国家的な無意識とを考えてみよう。

「個人的無意識だけを見れば、不健康なだけの無意識というものもありうる。なぜなら、自我が一面的に片寄っていれば、それに相応して個人的無意識もその対極で一面的に片寄ってしまうからである。すなわち、あまりにも一面的に「健康」そうに見える自我の持ち主の個人的無意識は、往々にして不健康なものである。」

「人類愛や世界愛という大義(非現実的・非地上的な理想世界)にだけそのエロスを向け」、「身近な人たちには支配的で横暴で」、「足もとを見つめずに遠くばかりにあこがれるのが統合失調症者なのである。」「エロスは現実の地上から離れさせるべきではない。」

このように考えてみると、どの国家も統合失調症=分裂病的な悩みを抱えているように思えてくる。

引用・出典は「嘘を生きる人 妄想を生きる人 個人神話の創造と病」(武野俊弥 新曜社 2005年)より。筆者はユング派の医師、臨床家。
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by barcanes | 2013-03-27 21:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

敗戦の弁

負けた試合の後は敗戦の弁を聞くのがちょっとした楽しみでもある。悔しい敗戦ならなおのこと。インタビュアーのムカつく質問や意地悪な言葉遣いにもメゲずに負けを認められるっていうのがスポーツのいいところ。我々は日々の生活の敗戦にも、負けを認められないまま、ぐじぐじ負け惜しみを言うぐらいしかできないし、下手したら相手の悪口で終わってしまう。

とは言っても、彼らスポーツマンも裏では負け惜しみと相手の悪口でグチグチやってるんだろうけどね。夢や感動もいいけど、その裏側があってこそ負けを受け入れることができるし、そうでもしないと生きていくのが辛くなるよね。
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by barcanes | 2013-03-26 22:01 | 日記 | Trackback | Comments(0)

偽善

世の中で苦しんでいる人や困っている人を見て見ぬふりをできない人がいる。反対反対言ってるだけでは世の中はそのまま進んでいってしまうから、世の中に文句があるなら対案を示さなきゃいけない。それで、完全ではないかもしれないアイデアを実行に移す人がいる。代替案に完璧なんてないに決まっているから悩みながらやっているのに、その悩みを偽善と言ってしまう人がいる。

批判されるぐらいなら何も動かない方がマシだとだんまりを決め込む人がいて、あるいは何も動けなかったことに対するうしろめたさや、一度決めたとしても継続する自信がないからやはり動きを止めてしまう覚悟のなさを嘆く人もいる。

自分の基準を相手に押しつけることを偽善だと批判する人には、その人にこそ偽善だと言い返せばいい。なぜなら、その批判者こそ、自分が知らずのうちに気にしてしまっているけど実行もできない善意を、相手に押しつけているからだ。

「偽善者とは、自分に当てはめようとしない基準を他人に押しつける人のこと。」昨年読んだノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」の読後のメモより。

言いたいことは批判をおそれずに言えばいいし、それを偽善だとかいう輩にこそ偽善のタネがあるだろうと思う。奥尻島の震災のとき「俺を偽善者と呼べ!」とわめいていた泉谷しげるのやり方を思い出す。むしろ善意などいつだって偽善でいいんだと思う。ただし、善意を使って人をコントロールしようとするような言説には注意しなければいけない。おそらく、偽善に対する批判というものは、善や善意がどんなものかはどうあれ、それが誰かをコントロールしてしまうことへの警戒心なのではないだろうか。
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by barcanes | 2013-03-25 01:32 | 日記 | Trackback | Comments(0)

同級生

今日は貸し切りのイベント。還暦世代の方のライブ・パーティーのお手伝いをした。同窓会で40年ぶりに再会したという小学校の同級生のバンド。お店に収まりきれないほどのお客さんが集まり、みなさんが最初から最後までしっかりと演奏に耳を傾けているのが印象的だった。

ゲストに昔のCM「愛のスカイライン」で知られるグループの東郷さんという方も同級生だそうで、ピアノと歌声を披露してくださった。若々しい歌声や洋楽のカバーもしっかりと聞かせる説得力というか、本物の貫禄がありました。みなさんお年をとられたのでしょうが、音楽をやるのに年など関係なく、歌声の若々しさ、ハーモニーの楽しさ、昔の曲への愛、まさに青春でした。亡くなられたシンガーのしばたはつみさんも小学校の同級生だそうで、同級生おそるべし。

イベント終了後の深夜には、名古屋から演奏のために来ているというミュージシャンが来店。ハングドラムという不思議な楽器の演奏を聞かせてくれた。スチールドラムとガムランの親戚みたいな柔らかい音で、カリンバみたいな音階があってリズムとメロディーが出せる面白い楽器でした。偶然にも同級生ということが分かり、なんか盛り上がってみんなでラーメン食べにいったのでした。
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by barcanes | 2013-03-24 22:23 | 日記 | Trackback | Comments(0)

頑張る

いつも散歩に来ている公園も、昨日はまだ五分咲きだった桜が今日には満開。昨日は青空に母子連れ。今日は曇り空にも老いも若きも子供もわんさか。娘のなっちゃん(1歳1ヶ月)もよく歩き、階段もきゃっきゃと上るようになりました。

私、頑張ってます。今日も一生懸命やります。そういうのがどうも苦手な自分は、いつの間にか「頑張る」というのがどういうことか分からなくなってしまった。そういう時は、どんな場合に「頑張る」という言葉を使うか考えてみればいい。

僕らの場合だと、僕らというのは同業者と話してたからなのだが、お客さんにあなたのオススメは何かと聞かれたり、明らかにどこか美味い店を知っているのにわざわざ人を試すように同じスタンダード的なものをオーダーされたりとか、そういうのってあまり頑張る気になれない。できることを毎日淡々と継続するのって、頑張り過ぎてたら続かない。

しかし、無理難題を言われた時とか、ひとりではこなせない量の仕事だったり、ホントはイヤだけど仕方ない、ちょっと一服して、それじゃちょっと頑張りますか、そんな時そういえば「頑張る」って言ってるんだなと気付くわけです。楽しいことやりたいことなんて頑張らなくてもやるし。できないこと、ちょっと無理なことをやるってことが頑張るっていうことなのかな。努力をするには夢や目標が必要で、そういうのがうまく設定できないでいるうちに凡庸を求めるようになってしまって、頑張ることも努力の仕方も忘れてしまうんだと思うんです。

仕事ではできることしかしなくなりがちな自分も、たまには頑張らないとなと思った次第なんです。明日は滅多にない貸し切りイベント。頑張りたいと思います。
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by barcanes | 2013-03-23 22:20 | 日記 | Trackback | Comments(0)

示し合わせない

今日は仕事帰りにひとりで飲んでたら、今月で定年退職する職場の上司からどうして嗅ぎつけたか電話があり、一緒に飲んだ。最後の週末だもんな。上司はお前の先輩だよ。高校の。

以前は毎日のように来てたけど、最近は月に一度くらい。以前は近くに事務所を構え、仕事の合間に一杯やりに来てたけど、今日は年明け初めて。以前は数々の失態をやらかすぐらいよく飲んでたけど、今日は数ヶ月ぶり。そんな久しぶりの常連客が3人ほど重なった。懐かしい雰囲気が嬉しかったけど、みんな確実に状況が変化している。

久しぶりに酒場に来るとタバコが吸いたくなるな。やめたから吸わないけど。明日から旅に出るんだ。逃亡するんだよ。山に。山はいいぞ。お前わかるだろ。独りでも全然寂しくないもんな。

そこにも偶然かそうでないか、ひとりずつ集まってきて楽しい酒を飲んだ。示し合わせないのがいい。バーらしくて。そんな一日だった。
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by barcanes | 2013-03-22 00:17 | 日記 | Trackback | Comments(0)

激しいニュースの日

今日のニュース。福島原発の停電事故はネズミが原因。韓国はサイバーテロ。キプロスの銀行は取り付け騒ぎでデフォルトの危機。その一方、日本では株価高騰で一般投資家の資金を巻き上げようという投資講習会が盛況。イラク戦争開戦から10年で今日も多数の死者。オウム幹部の裁判、地下鉄サリン事件から18年。ローマ法王が新しくなったバチカンは幼児虐待と汚職まみれ。そして中国からの黄砂は東北にまで飛び、PMなんちゃらはここ藤沢にも警戒すべき数値にまで上がった。近年のニュースが全て凝縮されたような驚くべきニュースが、当たり前のように食卓の会話の横で流れてゆく。そんな今年の春分の日。

藤沢では「ダブル成人式」というのが行われ、僕のひとつ上の先輩が主催者だったので、その同級生たちが10名ほど来店してくれた。街おこし的な意味も含めての大きな同窓会で、300人以上集まったという。夜にはたくさんのお店に散らばったことだろう。僕の店にも経済効果をありがとうございます。

今日は昼間にピアノの調律をしてもらい、その調律したてのピアノを弾きに来たピアニスト一名。やっぱり調律したてはいい響きだ。深夜にはマイルスから秋吉敏子のビックバンドものを聞く。一時期「民謡ジャズ」にハマったことがあり、彼女の日本的なメロディの扱い方とコード感に感銘を受けた。僕が好きなアルバムは、世界の民謡をピアノトリオで、という「Lullabies For You トシコの子守歌」(1965年)。オリジナルのジャケットはグランドピアノに乗せた幼き娘(Monday満ちる)を見つめながらピアノを弾いている写真のやつだ。(僕のは黒いジャケットの再発盤。)これに入ってる「かんちょろりん節」は名作「Long Yellow Road」でビッグ・バンド・バージョンで演奏されている。
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by barcanes | 2013-03-20 21:37 | 日記 | Trackback | Comments(0)