<   2011年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

レディオ・ケインズ第2回!そしてDuane Allman没後40年

朝ラジオをつけるとピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」はデュエイン・オールマン特集だった。ちょうど没後40年の命日に当たる。夜は「レディオ・ケインズ」の2回目。主なメンバーは前回と同じ、僕を含めて6人。先月にやった1回目はやはり初めてのことでギクシャクしてしまい、さっそく懲りずにリベンジ。とは言え事前に打ち合わせもできず、当日の早い時間に順番や段取りを決めた。各自が用意してきたプログラムを30分~1時間ぐらいの枠の中でやる。夜10時から3、4時間ノンストップのラジオ番組だ。

オープニングは宮井さんの勢いあるシャウトで始まり、毎月やってる「Voices Inside」のDJとはまたひと味違う二見さんの「Heart of Rock'n'Roll」は、45回転7インチ・シングルのぶっとい音が心に響く。二見さんの喋りスタイルはますますこなれてきて安心して楽しめる。保存版にしたいくらいだ。浅見さんは最近買ったレコードの数々を紹介。聞いたことない曲ばかり。トークも浅見さんのペースで、渋谷陽一のラジオを彷彿とさせたという意見あり。カズマックスの音楽小法廷では一発屋の3曲が被告として告訴され、検事役のよーこさん、裁判長役の二見さんの小芝居が炸裂したが、ほとんど全てがアドリブ!面白かった。宮井さんの小コーナー「歌詞を読み説く」ではスプリングスティーンの「Empty Sky」を取り上げ、その歌詞を解説した。真打ちDr.間瀬さんは一時中毒になっていたメロウ・ソウルのレコードたちを掘り起こし、「ファルセット・ボイスに愛の手を!」いわゆる甘茶ソウル特集。当店は昔ソウル・バーだったので、メロウ・ソウルは大好物。いつまで聞いていても飽きない。と、そこまでで一部終了。お客さんたちはどう思ったかを別として、出演者一同、結構満足。終わって乾杯。なんてったってやってて面白いから。また次もやります。1月の頭にね。

お客さんもほぼ引いて、2部は僕のコーナー。このひと月ほとんどライブもなく、お店のことよりも自分の身の周りのことで精一杯だったので、「ケインズ・ナウ」としてはテーマが見つからなかった。その中での最近のトピックはやはりポスポス大谷、ということで「ポスポスと現代の冒険」をテーマに選曲した。デュエイン・オールマンも音楽の冒険家として取り上げうると思ったのだが、テーマが広がりすぎるので止めた。「Rollong Stone」誌でランキングされた「最も偉大なギタリスト」では、ジミヘンに次ぐ2位だったそうだが、特にエレクトリックのスライドの奏法に革命的な変化をもたらしたのだから、冒険的だといって十分によいのだろう。

翌日に、来店したO氏と一緒にデュエインの参加したレコードを聞き、閉店後には大音量で久しぶりにオールマンズの「Fillmore Concerts」を聞いた。僕が最も多く聴いたアルバムの一つだが、こうして爆音で聞くといろんな音が聞こえてきて、また新たな発見がある。バンド以外のセッション参加曲にはまだまだ聞いたことのないものがあって、バンドの曲とは違うひらめきがある。メンバーが違えば違うなりの新鮮さがあり、そういうことがフレーズや音色に直結して、はっきりと表れている。そしてこの時代の録音はシンプルでダイレクトで、我々の思う「いい音」とはこの辺が基準になってしまっているのだと思うが、そういったこと全て併せて、彼の「素直さ」という印象につながっている。そう、彼は「フェア」なギタリストだったのだろう。71年、事故で亡くなったのは27歳だが、老練のような貫禄があり、炸裂する若さがあり、荒々しさの中に平穏があった。彼はたまたま自然の策略によって岸壁から滑り落ちた一人の冒険者だったんだろう。もし、たまたま助かっていたら・・・クラプトンのように・・・。あるいは生き残ったオールマンズのメンバーのように・・・。その後の人生をどう生きただろうか。

---------------------

22:00 オープニング
22:05 二見潤の「ハート・オブ・ロックンロール」
22:40 浅見卓也の「こんなん買ってみました」
23:15 かずまっくすの「Cort of Music;裁かれるのはこの曲だ!」
23:45 Sandfish宮井の「歌詞を読み解く」
24:10 間瀬ケンジの「ファルセット・ヴォイスに愛の手を~秋の夜長の甘茶ソウル特集」
25:10 第2部:Cane'sゲンの「ケインズ・ナウ」

http://www.ustream.tv/channel/channel-canes
[PR]
by barcanes | 2011-10-29 21:15 | イベント | Trackback | Comments(0)

ポスポスと現代の冒険

c0007525_0482397.jpgそのCDを初めて聞いたのは、たぶん2年ほど前だ。主にアコーディオンの弾き語りで、独特の発声で詩を歌い、合間にモンゴルの倍音唱法、ホーミーが入る。いわば「ホーミー・シンガーソングライター」だ。どこかのライブで一緒になったM嬢が、僕にお土産にと買ってきてくれたんだ。これは新しい!これは誰もやってなかっただろう。すごい。そう思った。「歌の途中でときどき『ポスポス』ってつぶやくんですよ。」ってM嬢が笑ってた。

そのころ僕は山岳レースに挑戦したり、その延長で一人で山に登ったりキャンプしたりすることにハマっていた。「岳人」という少々マニアックな山雑誌では、服部文祥という同世代の登山家が時おり特集の文章を書いていた。彼は米と塩だけを持ち、あとの食料は山の中で調達しながら何ヶ月にもわたって山行を続ける、という「サバイバル登山」で知られる現代の冒険家だ。著作も何作か出ている。蛇やカエル、山菜を採り、川魚を釣り、猟銃を持つようになると鹿を狙い、テントやコンロも持たない、ということは常に森林限界よりも低いところでチャンスを窺いながらピークを狙う。人の手で整備された登山道を避け、沢筋を縫いながら尾根を越え、遠くへと移動する。

彼のテーマは「できるだけズルをしない」ということだが、時には折れて、避難小屋にいるところを知った人に見つかってしまったりもする。もちろん山を少し下りれば、あるいは山の上にも文明が待ち構えており、事前に知ってしまう天候の情報や知識は捨てようがない。全ての道具を手作りしたわけでもないし、ひどい雪山では最新の道具がどうのこうの言う以前に生きて還ってこなければならない。

私たちの時代は何もかもが用意され、お金を出せば買うことができ、そのお金を稼ぐために仕事をし、その結果お金がなければ何もできなくなり、自分の力で生きていく能力がなくなっていく、という時代だ。それを裕福で幸福なことだと信じて目指してきた人たちには、現代の世の中は満ち足りた幸せな状況だと言えるのだろうか。そう言える人も勿論いるのだろう。あるいはそう信じてきてしまったのだから今さら疑えないかもしれない。

しかしそうでなければ、我々は用意され満ち足りたかもしれないけど決して幸福とも平和とも言えない世界の中で、何かを目指さなければならない。だけどその目指すものを探さなきゃならないのに、満ち足りたものたちの隙間をほじくり返しても、なんにも見つかりやしない。だから仕方ない、与えられた世界の中で、与えられた現状をせめて楽しんで生きることに、ささやかな幸せを感じようとしてる。

c0007525_054197.jpg 「生きるということに関してなにひとつ足りないものがない時代に生まれ育ってきた。それが僕らの世代共通の漠然とした不安である。老人たちは決まってそのことを贅沢な悩みだという。だが、生きることに必死になれたり、反抗する甲斐のあるものを持っていたりするほうが、生きている充実感を味わうのは簡単だ。僕らは自分で奪ってくるものをなにひとつもっていない。なにひとつ欠けていないという欠落感を人権だ個性だという自意識教育が煽り立てる。環境が満ち足りているのに、何もできないというのは恐ろしい。それはダイレクトに無能を証明するからだ。少なくとも旧い世代が思うほど僕らの世代は楽じゃない、と僕は思う。」(「サバイバル登山家」より 服部文祥著 みすず書房 2006年)

このように書く彼の心情には同世代として共感できる。この世界にいる限りこの世界からは抜け出せない。当たり前の話だ。この世界の外側に抜け出さなければ。それが一番基本的な冒険の始まりだろう。人間は極地を走破し、高峰を踏み、宇宙を目指す。人間の居住可能域の外へ出て、制覇することを競った。未踏峰が無くなれば未踏のルート、困難なルート、そしてより困難な手法で山や岩壁を目指した。金と道具さえあれば誰でも登れるようになった高峰などに魅力を感じない現代の冒険家は、違う方向を目指したのだ。

 「結果よりもフェアであることを求めること。・・・人は結果より質を求めはじめたのである。そこにはより深い何かがあった。登山というルールのない世界で、自分を律すること。それは自分自身に強い意志をもってチャレンジすることだった。・・・あえて原始的であったり、難しかったりする方法を取ることで、その行為に占める自分の能力の割合を増やすことが、より深い経験につながっているということ・・・。
 岩と自分の間に挟まっているものを最小限にとどめようという姿勢にクライマーとしての美しさがあり、自分の力で登ることにこだわるからこそ、かぎりない自由がある。フリークライミングとはたんなるスポーツではない。世界にどう向き合うかという思想でもある。道具と人間のどちらがボスなのかわからないこの世界で、もう一度まっさらな自分を取り戻す。登る行為者が背負い込むべきことを放棄しては登ったことにならないのだ。」(同著より)

この本を偶然にもこの日、ライブを見に来ていたO氏がプレゼントしてくれた。彼は若い頃に、まだキャリアを積む前のやはり若い服部文祥と山に登ったのだそうだ。僕はクライミングジムに行っても一回で挫折してしまうぐらいで岩登りなんて怖くてできないが、高峰や雪山への憧れや、自分の中に埋もれた冒険心ぐらいは感じることができる。身軽に速く移動することや重い荷物を背負って旅をするという小さな冒険に、ささやかなロマンを感じることもできる。

現代の冒険は、外へと脱け出ると同時に、内へと向かう。考えてみれば太古の昔から、人は精神的な冒険を行ってきた。古くから残る宗教的な行為にも、芸術的な行いにも、我々は内なる冒険を見いだすことができる。以前、「冒険とは誰もやらなかったことをすること。過去に誰かがやった足跡を追うのは探検だ」とインタビューで述べていたのはこれまた日本が誇る冒険家である三浦雄一郎だったと思うが、例えば音楽で言えば、過去の楽譜を追い作品を再現するクラシックなどは大いなる探検と言うことができるだろうし、買ってきた楽器で誰かの曲をマネして演奏するなんて、ガイドブックに載ってるコースを行くハイキングみたいなものだ。(もちろん、ハイキングを楽しむことは悪いことじゃないと思う。)

何もかもがやり尽くされてしまったように見え、生まれてから死ぬまでの決まったような生き方も、よく言えば探検であり悪く言えばハイキングのような人生でしかない。生き方の全てを見てきたかのような、全て生き尽くされてきたかような大人たちの言い分の前では、僕らは近所の裏山さえ冒険のフィールドであった子供の頃の気持ちのまま、我々の身の周りの行為のひとつひとつに冒険の空間を見出していかなければならないんだ。

それは常識を疑え!ってことだし既成概念を打ち破れ!ってことでもあるし、誰かが決めた決まりを利用するな!ってことかもしれない。でもそんなことはつまらない常識人の言うことであって、つまりは頑張ってそうしてるかあるいは頑張ってもそうできていないようなヤツなんだ。ある種の冒険者は、そんなこと考えずにいつのまにか人と違ってたり、変人と思われるようなことに自然となっちまってる。普通の人からすれば「変態?」と思われるか笑われてしまうようなことが普通にできるからこそ、それは端から見ればすごい冒険になってるっていうわけだ。

だからすごい冒険譚を読んだり、なんじゃこれっていう変わった音楽を聴けば、突拍子もない変な人の話を聞いたりすりのと同じように自ずと笑ってしまうし、なにものにもとらわれない自由を感じることができる。スカッとした解放感が、逆に自分がとらわれていることのどうでもいいような小ささを感じさせてくれるんだ。やり尽くされたように見え、積もり積もった世界経済のような世の中の閉塞感など、吹っ飛ばしてくれるような冒険を僕らは欲しているんだ。

僕らのこの時代の「現代の冒険」は、スケールのでかさとか速いとか高いとか、そういうことでもまあいいんだけど、スケールなんて小さくてもいい、「フェアであること」を求めている。ズルをしないでどこまで自分の力でできるのか、それを追求してゆくとそこに冒険の空間が開かれるんだ。それは精神の内側にも深く広がっていくだろう。そしておそらく、我々の経済生活にもつながっていくことだろう。

c0007525_144271.jpg
あれから2年、とうとうポスポス大谷がお店に来てくれることになった。あのCDを録音した宗田佑介君がイベントに連れて来てくれたのだ。声のイメージから想像していたのとは違って、小柄で細身の人だった。インドや中央アジアを旅した話や、ロシア奥地の人たちが宇宙を身近に感じているという話など、ライブの前に飲みながらしてくれて面白かった。実は年も一つ上で地元の人だった。ライブ演奏が始まると、突然みんながタバコを吸い始め、店中が煙で包まれたようになった。ホーミーの唱法には口琴(今回はやらなかったが)の響きみたいに自然と笑ってしまうような可笑しみもあり、その表情も可笑しいし歌詞はシュールで笑いをこらえるような、そんな和やかな雰囲気でもありながら、その圧倒的な「やりきり感」に客席には賞賛の拍手が鳴り響いた。

その独特なスタイルは変人というか変態というか、そんな印象を持ってしまうのだが、モンゴルの伝統的な音楽のCDなどを聞くと、短い詩を詠みそのあとホーミーが始まるなんていうスタイルもある。その伴奏には馬頭琴など、やはりドローン音が響く単調の演奏が付く。ポスポスのスタイルは決して突拍子もないものではないのだ。それでもやはり生ポスポスはすごかった。そこには見たことはないが心の中にある草原が広がり、岩山の向こうに広がる天空を見上げれば数多の星が輝いている。冷たい風が吹き抜け身体を引き締める。そんな時に味わえる何とも言えぬ寂寥と愉快さを含んだ解放感と同じような感覚が心の中にしみ出した。

あのCDのあと新作は出してなくて、今は一つの曲の歌詞が長くなってなかなか完成せず、その曲をやるのに現在でも40分ぐらいかかるらしいのだが、完成したら一幕もののライブをやりたいと言っていた。いつかまた、来てもらいたい。きっと来てくれるだろう。

---------------------

その峯の遙か向こう側に
秘密の世界の入り口があると
告げられて
探しに行った記憶の中に
封印された 未来の形を
開いて

その星のすぐ向こう側に
隣の宇宙の入り口があると
告げられて
探しに行った記憶の中に
文化の鎧を 重力の呪縛を
はずして

(ポスポス大谷「現代の冒険」より)

ポスポス大谷http://www.myspace.com/posuposuotani
[PR]
by barcanes | 2011-10-25 23:44 | 日記 | Trackback | Comments(0)

【告知】-野村和孝/Julie Hurd-Japan Tour- +ポスポス大谷、宗田佑介

先日の「恵美の部屋」(ホントの名前は「moqmoqオカザキエミの今夜もMash Up!」だったはず)にゲストで出てくれた宗田君がステキなイベントを持ってきてくれました。海外で活躍するお二人がメインですが、待望の当店初登場、ポスポスさんが来てくれるのもメッチャクッチャ楽しみです。ホーミーシンガーソングライターですよ、ヤバイっす。野村君はバカテクギター弾き語りだそうで、Julieさんはアコーディオンの弾き語り。宗田君も独特の世界を持った弾き語りで、4者4様の弾き語りになりそうです。

平日火曜の夜ですが、週はじめなんで早々に仕事を切り上げて、ぜひお集まりください。投げ銭ですしね。投げ銭でいいんですか?投げ銭たくさんしてあげてくださいね!

************************

-野村和孝/Julie Hurd-Japan Tour-

10月25日火曜日 @ Bar Cane's (藤沢)
OPEN20:00/START21:00 投げ銭(オーダー別)

出演:野村和孝 Julie Hurd ポスポス大谷 宗田佑介

【野村和孝(英名PWRFL Power)】
1984年旭川生まれ。音楽家、翻訳家、ときどき執筆。ユーモア溢れる日常の考察を現代的なハーモニー、作曲法と技術に裏打ちされたギターワークで鮮やかに描き、新しい形の弾き語りを提示。作曲家Bern
Herbolsheimer, ジャズ奏者Julian Priester, Jovino Santos Nestに師事。Cornish
College of the
Arts作曲科卒。B型さそり座

【Julie Hurd】
米モンタナ州ミズーラ出身のシンガーソングライター。親友のJune WestとJulie and the
wolvesとして活動後、アコーディオン片手にスペイン、イギリス、フランスを放浪。仏マルセイユに長期滞在し曲を書き貯める。2010年にはJapanetherやKinskiらと並びモンタナ州のTotal
Festに出演。アメリカーナのエッセンスを現代的でシン
プルなフォークソングに加えたその音楽性はScout Niblett, Julie Doiron, Nina Nastasiaを彷彿とさせる

【ポスポス大谷】
1972/10/13日生まれ、スロートシンガーソングライター、口琴奏者、日本口琴協会会員、西洋式毛針釣り師、倍音研究家、2006年頃からアコーディオンでの弾き語りを開始。それまでは口琴ソロを時々やっていた。20代前半まではエレキギターを弾いてました。

【宗田佑介(むねた ゆうすけ)】
1977年1月10日鎌倉生まれ。唄うたい。日本でギターを弾き、詩を書いて、唄を歌う音楽活動家。全国でライブ活動中。時々、絵描き。
[PR]
by barcanes | 2011-10-25 20:17 | イベント | Trackback | Comments(0)