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TAJI ROCK

夜は久しぶりに田尻が言い出しっぺになってくれて、おなじみの若手メンバーが揃って「TAJI ROCK FESTIVAL」。ピアノ田尻有太、スチールギター宮下広輔(マンドリンも練習中)、歌とウクレレ、コンサーティーナ岡崎恵美、最近はギターで弾き語りもするようになったまえかわともこ、パーカッション宮武理恵、思えばこのタイトルのイベントがきっかけで、みんなうちで演奏してくれるようになった。田尻は頼りなさげにも見えるけど、クラシックの素養もあったりレコーディングの知識もあったり、なにげにみんなの中心になっていて、人望もある。この日もたくさんお客さんを呼んでくれて、予想以上に盛り上げてくれて、とても嬉しかった。

最近みんな新曲を作ったり、レコーディングの予定を組んだり、新しいことにチャレンジしていていい感じだ。こんな時代に退屈を持て余してちゃあいけない。結果をおそれず、なんでもやってみればいいさ。そんな空気をみんなが出してくれると、いい気分だ。技術やクオリティなんかともかく、そんな気持ちが嬉しい。感激な瞬間さえあるよ。

「おーい、おーい、どこへ行く」とまえかわが歌ったところでは、ほろっときた。君たちはみんなどこへ行き、僕はどこへ行こうとしているのだろう。君が正しければ僕は間違った方向へ行こうとし、僕が正しければ君たちは間違った方向へ行ってしまう。だけど、正しいも間違いも誰にも分からない世の中だ。みんながみんなどこかに行こうとし、止めようとし、そして止められない。誰もがどこかへ行ってしまう。それを嘆いたり悲しんだりすることだけが本当で、心で泣きながらも見送ってあげるしかない。そうでなければ、なにも変わらずただそこに留まるしかないのだ。

今夜は合わせ技企画で、演奏の後はRIKUOGAGAのDJで盛り上げてもらった。RIKUOGAGA自身がツイートで宣伝してくれたおかげで、USTREAM中継の視聴者はまさかの300人越え。全国のRIKUOGAGAファンおそるべし。ミュージシャンが回すDJって興味あるだろうし、なにせ毎度反則ぎりぎりのズルい選曲で楽しませてくれるRIKUOGAGAである。今回は小泉今日子が一番盛り上がったなあ。

深夜はsausalitoのジョージさんがお店閉めてからレコードをかけに来てくれ、ゴールデンウィークの一夜を特別なものにしてくれた。ジョージさんも若手たちが好きなのだろう。みなさん、ありがとう。
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by barcanes | 2011-04-30 22:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

仙台荒浜へ

翌朝目が覚めたら1時間に一本のバスが出る15分前だった。仙台駅前午前のざわめきを走り抜け、予定の一本前のバスに乗れた。深沼海岸行き。乗客は10名ほど、見物客など僕だけだろう。

仙台に来る予定もなかったし、特に知り合いもいなかったので、なんのとっかかりもなかった。昨夜のネットカフェに着いてから、電車とバスの路線図を見ながら今日歩く行程のあたりをつけた。今夜はイベントが入っているから、お店を開けるためのリミットは3時の新幹線に乗ること。津波の被害の大きかった仙台市若林区、「荒浜」という地名がテレビや新聞で繰り返されていて頭の中に残っていたから、そこに決めた。そしてそこから北に向かって歩く。とにかく、歩きたかったのだ。

バスは仙台市街を南に抜けて行くが、特に変わった様子もなさそうな車窓のまま、海岸までもほど遠い場所で止まった。終点だといって降ろされた。住宅地のはずれ、干からびた田畑の間の一本道がまっすぐ続き、高台に自動車道路が横切っている。地図を買うのを忘れてた。初めて来た町の知らない場所だ、とにかくまっすぐ行ってみよう。

城塞都市の城門のような自動車道の高架は、不穏な雰囲気を感じた。門をくぐって、この自動車道が津波被害の境目となった国道6号線仙台東部道路だと分かった。堤防となった側面には枯れ枝やゴミが引っかかっていた。遠くに曇った灰色の水平線まで、一面の茶褐色の世界が広がっていた。高速の車の持続音が、海も間近の揺れる松の木と波の音のようにも聞こえ、下道を走り抜けるダンプカーと遠くで作業している重機の音が、巻き上げる粉塵の匂いと一緒に、荒地の風の地鳴りのように濡れた潮臭さを運んできた。乾いているのに湿っていた。いや、湿ったものが乾いたのだろう。

まっすぐ進んでいくと、作業中の迂回を指示する警備員がいて、特にまっすぐ行かなければならない理由もない僕は左に折れた。迷彩の作業服を着た一団が田んぼの泥にまみれて瓦礫の撤去をしていた。なにかを捜索しているのかもしれなかった。強い風に吹かれ、誰もが無言で、苦い表情を浮かべていた。足を止められず、うつむき気味に通り過ぎた。

ダンプや自家用車が行き交う道路から、田んぼの中の車の通らなそうな道に入った。農地には随所に集められた瓦礫が無数にあり、それぞれに白いロープが張られていた。自転車に乗ったおっちゃんとすれ違い、片づけをしている民家の軒先を通り抜けた。集落の小さな墓地はきれいに花が飾られていた。どん突きを右に曲がって、もとのまっすぐの道に戻った。交通整理をしている作業員がいて、その間を通るのがためらわれ、気持ちの中で頭が下がった。

中には庭先もきれいに片づけられた民家もあり、作業は着実に進んでいるのだろう。しかし作業している人たちの間をすれ違って歩くのは、どうにも心が痛む。車で通過しただけでは分からなかっただろう。誰もいないところを歩くのはまだ気が楽だ。この場所が元はどんなだったかが分からないからだ。

それに、こんなところに見物に来やがってなんのつもりだ!と問われたらどうしようかと少しだけビビっていた。車で自宅の様子を見に、あるいはおそらく親戚や友人を連れて来ている人はいたが、一人で歩いてるヤツなんて自分しかいなかった。僕はなにをしに来たと答えればよいのだろう。怒られてもアホだと思われてもいいから、歩きたかっただけなのだ。とにかく、海まで行こう。海を見て帰ろう。

実際は誰も僕のことなんかに構うような人はいないのだが、人の家の中を土足で踏みにじっているような気分にもなる。海に近づいてくると住宅も多く、学校やガソリンスタンドやお店もあって、道に砂も混じり、見慣れた海岸の町のようだった。昭和十年竣工の石の橋が、石の細工までしっかりと残っていた。貞山運河を渡って、コンクリートの公衆トイレが残る海岸にたどり着いた。一時間ぐらい歩いた。歪んだ松の林は、おそらく津波の水位ぐらい枝を落とし、ひしゃげた幹を恥ずかしげに露わにしながら立っていた。低い石段を上ると白い砂浜が広がり、波打ち際にはテトラの列を覗かせていた。振り返れば、見渡す限り一面、くすんだ空に消えてゆくまで、ほんとに遠くまで荒地でくすんでいた。

**********

松林とアスファルトの「サイクリングロード」が海岸線に沿って、遠くに江ノ島が見えるような錯覚がした。ただ砂浜の白さだけが、違っているだけだった。砂浜の漂流物を棒で突っつきながら歩いているおじさんがいた。砂浜は洗われた貝殻が転がっている、変わらぬ砂浜のようにも見えた。津波の翌日のこの海岸の光景を、想像したくはなかった。強い潮風はタバコの一服をあっという間に燃やし尽くし、海のホワイト・ノイズはすべてをかき消しながらも、ルー・リードの「Metal Machine Music」のように、なにか叫ばんと蠢いていた。

たかだか一時間歩いただけで、もう十分だという気分になった。ここに住んでいれば、もう十分ということはない。一時的なボランティアだって、もう十分ということはない。だけど、僕が分けてもらえるような痛みはこんなものだろう。十分にもらえるものはもらってきたから、これで今日は帰ろう。

それでも海はいつでも、誰の「行き先」にもなってくれる。今日初めて、ケータイで海の写真を撮った。足下には小さな黄色い花が咲いていた。目指す海があってよかった。北に向かって歩き出すと、海岸の堤防道は切れていた。あとで地図で見たら、川のないはずのところに流れの速い川ができて、道を分断して海へと注いでいた。水路や運河が張り巡らされたこの広大な農地に、許容量を越える水が溜められて、あふれ出したのだろう。仕方なくもと来た道を戻った。
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迷ってもいけないので、交通量のある車道をひたすら行くことにした。45度に倒れた電柱、いくつもの立ち上がった車のバンパーやフロントグリル、寝っ転がった松の根、なにもかもが何かに似ている。どこかで見たことがある。散乱するタイヤ置き場、瓦礫とガラクタの山、子供の頃近所にあったスクラップ置き場の油の匂いを思い出し、箱根や丹沢の立ち枯れと倒木の山道を思わせ、ウッドストックの映画の泥のエンディング、戦場のようだが戦場には行ったことがないし、火事場のようだが焼けた跡はない。その全ては何にも似ていないのに、見たことのある断片の組合わさったものとして、脳が処理しようとしているのだろう。

ひび割れ、土泥の干せた路肩を歩きながら、車が途切れるとチュンチュンと鳥の声が聞こえてくる。よく見ると瓦礫のあいだを低く小鳥が飛び回っていた。小さな祠と、それを守るようにまさに鎮守の杜といった数本の松のかたまりが、荒れた田んぼの真ん中に奇跡のように残っていた。住宅の近くでは木の臼をたくさん見かけた。裸のレコードも目に入った。
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小学校低学年ぐらいの女の子が二人、通り過ぎる車をつかまえようと声を出して客引きしているコンビニがあって、子供の声を聞いたのも、お店があることも、食べ物や飲み物が売っていることも不思議な感じがして、思わず吸い込まれてしまった。ちっちゃいユニホームを着ている女の子に、パンはあるの?と聞いたら、「土足のままどうぞー」と言って冷蔵コンテナの中に案内された。コンビニの建物の外で露天で商売しているのだ。

同年輩の父親が明るく話しかけてくれて、ホッとした。たくましく家族経営している姿に、思わずたくさん買い物をしてしまった。農村地帯をようやく抜けると信号がついていて、眺めは少し日常に戻った感じがした。川っぺりで腰を下ろして、さっき買った缶コーヒーを飲んだ。アスファルトのひび割れから、緑色の芽が伸びていた。
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高砂橋を渡ると工場地帯で、キリンビールの工場(散乱したビールやジュースを勝手に拾って持って帰っていく人のことをニュースでやっていた)の周りは、キレイに片づけられた場所があったり、すでに再開されたりキレイに再開の準備をしているお店がある中で、ケツの浮いた車が3台積み重なっているような、放置されたままの車が目に付いた。仙台港にまではたどり着けず、誰もいないのに昨日開幕したばかりの楽天のホームゲームの野球中継の音声だけが流れている閉鎖中のアウトレット・モールを通り抜け、仙石線中野栄の駅に着いた。計3時間半ほど歩いた。

東塩釜から先は不通、という表示を見ながらホームで電車待ちしていると、軽い地震で揺れた。誰ひとりぴくりともしなかった。仙台駅で予定どおりの新幹線のチケットを買うと、もう10分しかなかった。3時間もしないで藤沢に着いた。

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前日の新聞で、「被災者はそこに住み続ける者、ボランティアはいずれ去る者だ。いずれ去る者は、去った後の被災地にたくさんの役割が残ることを理想とすべき」「被災者の仕事作りを最大限におこなった後で、それでも手の届かない部分をボランティアに委ねる、という順序は重要だ。主役は被災者だから」「多くの人たちが自らの役割を見いだすことのできる『場づくり』がボランティアの本業であり、雇用に限らず、子どもにも高齢者にも、一人一人が活躍できる場をたくさん作り出すことが望ましい。(湯浅誠、反貧困ネットワーク事務局長)」という記事が印象に残った。

少し前の新聞では、「たとえば、シカはオオカミを見たら走る。これを、逃げたのではなく、脅威と闘い、正しく対処している姿だと肯定することだ」「『受動的な被害者』ではなく『能動的な生存者』として扱うことが必要だ。水を1杯渡すのではなく、『好きな飲み物を選んできて』と勧める」「外部から何かを押しつけるのではなく、正確な情報を与え判断は任せよう」という、イスラエルのトラウマ治療専門家の記事も心に残った。(4月21日付毎日新聞)

我々に何ができるのか。相手がいることであり、一方で我々が生きることはそもそも自己中心的なことでもある。献身や自己犠牲も大事だが、それだけではやっていけない。自分のためであることが誰かのため、世の中のためでもあること。自己中心的なことが世の中のなにかの役に立つ、ということをやれたらいいし、それを追求したい。それは主観と客観、ということだと思う。そして自分にできること、自分がしたいこと、自分はいったい何なのだ!と自覚しなければ、人のためにも世の中のためにもなりやしない、ということなんだと思う。

いい人になりたいわけでも、まともにしなきゃいけないというわけでもない。独りぼっちで生きるわけでもないのなら、悪人でも罪人でさえも、全ての人がこのテーマから逃れられないのではないだろうか。
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by barcanes | 2011-04-30 20:56 | 日記 | Trackback | Comments(0)

相馬へ(後編)

(前編からのつづき)

通されたカラオケ・ルームのような個室で、ガイガーカウンターを森田さんに手渡し、ささやかな贈呈式。そして森田さんと、同席されたある南相馬の病院のお医者さんの話を聞いた。

今回の被災はまず地震があり津波があり、そのうえ福島県には原発事故があり、そして風評被害という問題が起きている。福島第一原発から30キロ圏の外である相馬市は、今後もまだ原発事故の収束がままならない中で、いつ強制避難という政府の決定が出るとも分からないし、遠方に避難、移住してしまった人も少なくないので、とにかく原発が止まるまでは何もできない状態なのだ、と。震災後、自分の住まいも流され、連絡の取れない友人やお客さんがたくさんいる中で、まだ泣けないのだ、泣ける状態じゃない、という言葉が印象的だった。

また南に隣接し30キロ圏内である南相馬市と間違えられやすいこともあり、圏外でありながら敬遠されてしまうという風評被害もあり、相馬市は陸の孤島と化していると感じているそうだ。

とにかくここが安全なのか、これから先も生活していけるのか、それが分からなければ復興はもちろん、片づけさえもできない。それが言えなくて、自主判断せよと言うのなら、せめて判断するためのガイガーカウンターを住民全員に配るべきではないか。子供も守れず、原発近くに今も野ざらしの遺体さえ適正に扱えないこの国のことを、まったく信じられないと、私も思う。

また募金や援助についても、年寄りや体の弱い方には金銭が必要だが、年寄り以外の我々は乞食じゃないのだから、お金はもらえない、それよりも仕事をして商品を買ってほしいとも言っていた。そこは分けて考えなければならないと。全くその通りだと思う。

ようやく、避難所から優先順位の高い順に仮設住宅へ入る段階になり、援助物資も世帯別に必要なものが出てくる。そうしてプライバシーが保たれるようになったら、生活に音楽を必要とする人のためにCDラジカセを贈りたいと森田さんは言っていた。ラジオは情報源としても大事だ。相馬のコミュニティーFMもようやく開設されたそうだが、放射線情報をアナウンスしてもラジオがなければ聞けない。

相馬の有名な野馬追祭りは賛否両論ありながらも、この夏開催されるそうだ。しかし、積極的にお客さんたちに相馬に来てくれ、安心して遊びに来てくれ、と言ってよいのか分からない状態だ。チャリティーのイベントをやるというのも、まだまだ時期尚早だ。友達が会いに来てくれたりしても、手放しで喜べない、何があっても責任がとれないから、むしろ来てくれるなという気持ちだったそうだが、これでようやく、少し安心できると、ガイガーカウンターを手にしてとても喜んでくれた。

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近所の寿司屋へと場所を移し、震災前にとれた地場の魚介をいただいた。このあたりはホッキ貝が有名だそうだ。冷凍モノもそろそろ最後だと言っていた。地元の友人や、ある通信社の記者の方が合流。お茶で座敷を囲んだが、私はせめてもの貢献、森田さんと一緒のビールを飲んだ。地の日本酒をと頼んだら、原発そばの浪江町の蔵元のあらばしりが出てきた。この蔵元の酒も今後飲めなくなるのだろうか。黙って話を聞きながら飲み干した。

もう少し早く着いて時間があれば、過酷な状況だという避難所や、南相馬の福島第一原発に近いエリアにも連れていってくれるということだったので残念だったが、それでも現地の人たちの切実さを感じるぐらいには、短い時間でも十分だった。先ほど連れていってもらった海岸沿いに、結構な高さのある自動車道路が走っているのだが、津波の際そこは大丈夫だろうと上がった人たちが、大勢さらわれてしまったそうだ。福島県内を見て回っているという記者の方は、世界中のどんな戦場にも、どんな空襲でも、これだけの広域に渡って壊滅的な被害が続いている場所はない、と言ったという戦場記者の話をしてくれた。

住民でさえ「ここがどこだか分からない」という状況だった震災直後に比べれば、「自衛隊のおかげ」と森田さんは言っていたが、道路は通れるようになり、だいぶ片付いてきているそうだ。しかし、やはり相馬には放射能の問題がある。同席された医師の方は、「ガイガーカウンターを持って籠城する覚悟だった」とおっしゃっていたが、震災当日から毎日独自に計測を続けてらっしゃり、そのデータを見せてくれた。原発事故直後に高かった数値が徐々に下がり、0.6前後で落ち着いてからはなかなか減らなくなっているそうだ。半減期の異なる放射性物質の種類によるものなのだろう。このデータはネットでも見ることができる。

(参考)南相馬市HPより、南相馬市が独自に測定した環境放射線モニタリング結果
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/monita.jsp

また、その後森田さんが計測している数値と、相馬市が発表している数値を比べてみると、一番近い計測地点の「市分庁舎前」という場所の数値よりも、モリタミュージック前の方が少し高い。先ほどの玉野付近で計測した数値も相馬市発表のこの付近のどれよりも高い数値で、やはり放射線量は少し場所が離れただけでも、かなり変化がありそうだという印象だ。

(参考)相馬市HPより、市内の放射線レベル測定値
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/genpatsu.html

定点観測と、市の発表しているもの等との比較や相関関係、風向きや天気などでの変化など、データを積み重ねていくことも大事なのだと思った。

(参考)happy moritamusicのblog

今回、我々がガイガーカウンターを贈ったところで、状況が改善されるわけでも、安全が保障されるわけでもない。しかし、多くの人がガイガーカウンターを手にすることができないこの現状で、森田さんだけでなくその周りの人たちにとっても、その場所で生活をするのか、あるいは他所に移るのかなどという判断をする際に、ひとつでもその判断材料は多い方がよいのではないだろうか。そして日々の不安な生活の中のせめてもの安心材料として、少なくとも今日はまだ大丈夫なのか、ここはどのくらいの数値なのか、そういうことを自分で確認できたら、少しはマシなのではないだろうか。

放射線量は少し離れただけでも大きく変わってくる場所もあり、気象や風向きによっても、あるいは福島第一原発の今後の状況が悪化することで、変化していくこともあるかもしれない。政府や自治体の発表に従わなければならない状況になるとしても、あるいは必要な指示をしてくれなくても、人は自分の人生の決定を、自分で判断しなければならないのではないだろうか。みなさんに賛同してもらった気持ちが、相馬の決して多くはないかもしれない人たちの、絶望感を和らげる多少の安心のために役立ってくれることを信じたいと思う。

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私は終始、挟む言葉も投げかける質問も見つからず、ただ黙って話を聞いていた。心の片隅に、今回のガイガーカウンターを贈ることに対していただいた意見や批判が、ずしっと重みを持っていたし、被災地で泥かきの一つさえもせず、ただ断片をさらっと見ただけでは、何も言えなかった。意見などなにひとつ持っていないに等しかった。

私は外国人のようなものだと思った。藤沢や首都圏の人々の考えることと、現地の人たちは違い、被災地とまとめてみたって、岩手や宮城と福島も違うだろうし、町々によってもそれぞれ違うだろう。離れた土地では人は勝手なことを言い、当事者であろうとはしない。同じ日本人だと思うからムカつくこともあるかもしれないが、人はみんな別々のクニの人なのだ。そう考えた方が気が楽だったりする。別の人間だと思うから、許したり認めたりもできる。

同じ人間だと思うと悩み、違う人間だと思うと他人事で、同じ人間だから比較し、争い、違う人間だから関心もなく見もしない。同じ人間だから助けてあげて、違う人間にでも助けてほしい。我々は同じ国に生きているけど、同じ国民ではない。同じ国の中に住んでいるけど、違うクニに生きている。我々はみんな同じ、人間だけど、同じ人間、ではない。その間を越えるものはなんなのだろう。

そのときそのときの同席する人たちによっても意見や妥協は変わってゆくし、なにかの「強さ」に人は引っ張られてゆく。その強さとは、権力や経済力の場合もあれば、キャラや押しの強さでもあったり、論理や説得力の強さであったり、知恵や思想の深さであったり、悲しみや怒りの感情の強さであったりする。奇跡や感動に引っ張られたりもするし、真剣さや覚悟の問題であったりもする。

私はいい年して世間知らずの若手のような気持ちで、今後のことを考えている大人たちの顔と表情を見ていた。なにをするべきか、どうしたらよいのか、なにができるのか、そういうことはきっと人それぞれ意見も違うし、得意不得意適材適所、みな違うだろう。しかし、我々に共通しているもの、共有しているものとはおそらく、危機感なのだ。生きる条件や困難さは人それぞれ違う。そんな違った人たちを結びつけるものがあるとすれば、それは危機感なのではないだろうか。

あっという間に時間は過ぎ、ミュージシャンたちは次の公演先へ、我々は東京へと解散することになった。相馬には宿の空室もなく、地元のツテでようやく見つかった一室には記者氏が泊まることになった。私はすぐ帰らなきゃならない理由もないし、このまま帰ってしまっては不完全燃焼な感じがしたので、とりあえず仙台に行くことに決めた。本当は森田さんのお店でCDを買ったりしたかったのだが、また遊びに来よう。

福島の駅まで送ってもらい、最終の新幹線にギリギリで飛び乗った。後日聞いたら、東京チームが帰り着いたのは午前3時過ぎだったらしい。私は宿を探すのも面倒だったので駅前のネットカフェに入った。明日の予定を考えながら寝た。
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by barcanes | 2011-04-29 23:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)

相馬へ(前編)

26日の火曜日に急遽、福島県相馬市に行くことになった。目的は相馬でCDショップを営む森田さんという方に放射線測定器を届けること。それを藤沢からの贈り物にしたいということで、私はみなさんにご協力いただいて3日間で8万ほど集めることができた。今、日本国内にガイガーカウンターはほとんど見つからない状況で、ようやくロシア語表記のフランス製のものを1台確保できた。値段は13万円だった。ガイガーカウンターの値段の相場は分からないのだが、アルファ、ベータ、ガンマ、エックスの4種類の放射線が計測できる、それなりの性能のものは決して安くないらしい。

それにしても届いた現物を見ると、どうもそんな値段には見えない。しかしそれが今の日本の現実なのだ。必要とされているものが入手困難で、さらにこの値段、この矛盾をお金を出していただいたみなさんにも感じていただきたい、ということである。

食料や物資の不足がほぼ改善された今、相馬の森田さんが一番ほしいものはガイガーカウンターだと言う。なぜ今、一般市民の我々にガイガーカウンターが必要なのか、分かる方には説明不要と思うが、分かりかねるという人もいるようだ。それについては前に書いた。しかし実際にガイガーカウンターを贈り、使ってもらわないことには、なにが分かりなにが分からないのか、不安が解消され、あるいはまた別の不安が生じるのか、それに、実際にどのような数値を検出することになるのか、それは分からないのである。

今回、同行させてもらったのはあるミュージシャンと東北支援のチャリティー・イベント関係の精鋭諸氏。僕だけが部外者なのだが、ガイガーカウンターを手渡すのを見届けるという役割をいただいたというわけだ。早朝に電車に乗り、都内の待ち合わせ場所で車に乗せてもらう。首都高から東北道に乗る手前で既に渋滞が始まっていた。連休の初日だ。帰省やボランティア、あるいは東北にお金を落とすべく、レジャーの人もいるだろう。渋滞の覚悟はしていたが、まさかの10時間、何度ラジオの時報を聞いたか。なんとか暗くなる前に着いてくれ、という旅程であった。

途中途中、さっそく件のガイガーカウンターを試しながら行く。表記もマニュアルもロシア語なので、はっきり言ってよく分からないのだが、4種の放射線を計り、その平均値を表示しているらしい。都内から計測を始め、黒磯のパーキングで0.72マイクロSv/h(以下、単位省略)、郡山では1.2と数値が上がってくる。福島市内では1.7と、内陸部がかなり高い数値で驚く。単純計算でもいわゆる年間被爆量は数ミリから10ミリSvという単位になってくる。大丈夫なのだろうか。

しかしFM福島でアナウンスされている福島県内各地の放射線量を聞いていると、それほどの誤差はない。南相馬は0.6と言っている。上空20mで計測されているという公表値が、地表1mぐらいで計っている我々の値よりも若干低い感じはする。今日は風も強いようだし、高速道路では粉塵も舞うだろう。

夕方ざっと雨が降り、東の空には二重の虹が出た。福島西のインターを下り、相馬に向かって国道115号中村街道の坂道を登る。自衛隊の災害派遣の大型車両や、重機を積んだトラックがたくさんすれ違う。霊山(りょうぜん)を越えて海側に少し下った玉野というあたりは、地元では知られた高放射線量を示す、いわゆるホットスポットで、4マイクロぐらい、地表では6という数字にもなる。福島第一原発からは北西に約40キロ離れた場所だ。飯舘村よりも遠い。福島県内には他にも、こうした標高の少し高い場所に、このようなホットスポットが点在しているらしい。

深い渓流沿いの道を下りて、相馬の市街に入ったのは6時頃。なんとかぎりぎり日没に間に合ったようだ。相馬駅近くの「モリタ・ミュージック」に着くと、待ちかねていた森田さんがそのまま車を出して、僕らは挨拶もせずにその後ろを追う。市街を抜けると、早くも船が転がっている。鉄骨がむき出しになった建物がそびえ立つ、一面空襲の焼け跡を思わせた。マスクをして歩いている人が多いので僕らも身構えてマスクを着ける用意をしたが、そのうち構わずに窓を全開にして身を乗り出し、埃っぽい息を思い切り吸い込んでやった。泥と廃屋の荒れ地の向こうに夕陽が沈もうとしている。夕陽はどんな場所でも夕陽として、美しく、そして切ない。

相馬バイパスを越えて海側の「一般車両通行止め」の区域に入ると、潮の匂いと雨に濡れた埃臭さが入り混じった匂いがしてくる。思っていたほど強い匂いではなかった。車のスピードと共に次々と展開してゆく光景を目に映すことだけだった。一面に茶色と逆光にくすんだ色の泥沼に、潰れた車やひっくり返った車がスタックしている。
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海沿いに出て、港には難を逃れた漁船がまとまって停泊されていた。その船たちは津波の向こう側へと乗り出していった船だそうだ。松川浦の漁港のあたりまで来て、ようやく車から降りた。所々に残っているコンクリートの建造物も傾いている。僕はここに初めて来たのだから、たぶん全く分からないのだ。以前にここに来たことのある人や、ここに住んでいた人の気持ちは。

漠然とした、殺伐とした建設現場のようでもあるし、手のつけられない荒野のようにも見えてしまう。それは以前の姿を見たことがないからだし、想像できないからだ。きれいな建物と美しい風景、それともくすんだ、寂しげな町並みだっただろうか。想像できないほどに、生活の香りも人の温もりも、すべてを洗い流されてしまっていた。とっくの昔に見捨てられた無人の集落のように、後悔も怨念も残らないほどに諦められ、人気のない夜の浜辺そのままの、気持ち良いほどの寂寥感だ。アホなカップルはここに来て、ピースサインで記念撮影をして行くという。自分もアホな見物客と思われてしまうんじゃないかと、肩身を狭くした。余計なことを言ってしまわないように、ずっと黙っていた。

住宅地に入るとそこには真っ二つに切れたように残った住宅や、全半壊の家の庭には家財が散らばって、生活の香りが残っていた。壊れていないヤマハのギターが野ざらしに置かれ、木札が瓦礫の中に立てられていた。雨に濡れた路面には夕暮れの最後の光が反射して、犬を連れた女性が散歩をしていた。小さな墓地の墓石は全て倒れていた。

巨大な瓦礫の山は、災害ゴミの集積場だ。割けた柱や建築資材、折れ曲がった鉄骨にブルーシートや漁網が混じり、一面の不法投棄の粗大ゴミ、山積みにされたスクラップ置き場のようだけど、これは出したくて出したゴミじゃない。出したくなかったゴミの山なんだ。
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なにかを言うには、「こんなこと言っちゃ悪いけど」という前置きが必要なのが面倒で、話すことがためらわれた。自分の素直な感想は、そんなこと今さらながら、自分が余所者だということでしかなかった。自分がここに来たのは、驚くためでも悲しくなるためでもなく、同情するためでもない。惨状を伝えるための取材に来たわけでもない。僕は匂いを嗅ぎに来たんだ。そして痛みを少しでも分けてもらいたかっただけなんだ。吸い込んだ粉塵のせいか、胸の上の方が少し苦しくなった。

避難所になっている学校の前を通り、野球場のグラウンドに立ち並ぶ、明日から第一陣の入居が始まるという仮設住宅の前を通った。営業しているパチンコ屋にはたくさん車が停まっていた。我々一行は、若者が集う大きなバーの個室に案内された。

後半に続く。
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by barcanes | 2011-04-29 22:13 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ガイガーカウンターを贈るということ

なぜ今、一般市民の我々にガイガーカウンターが必要なのか、分かる方には説明不要と思う。自分で生きるための判断を、自分でしたい。ただそのことに尽きるであろう。

そのための判断材料は、既にいろいろあるとも言える。そして、判断材料がいくらたくさんあっても決断はできないかもしれないし、少なくても決断しなければならないときもある。それでもやはり、情報は少ないより多い方がいい。情報を取捨選択するのは、最終的には個人個人の責任だ。ある判断材料を、知りたい人に共有してもらえれば、それはその地域のみなさんの役に立つのではないか。もちろんその情報を信用するかしないかは、個人個人の判断による。

おそらく、全ての人が測定器を持っていれば理想的かもしれない。しかし、今は限られた数しかないのだから、それをその地域の信頼のある、情報発信力のある人に託そうというのが、今回みなさんに募金をお願いした趣旨である。ひとつしかないものをみなさんで共有してもらおうということに賛同いただいたわけだ。

それは同じ空間を共有したり同じ音楽を共有したりすることにも関係していると思う。それは個人的なことでもあり共感的でもある。そういうことに普段から慣れ親しんでいる藤沢の飲み人のみなさんの気持ちを、藤沢の一店主が代表して相馬の一店主に贈るということなのだ。

しかし、どうしてガイガーカウンターが必要なのか、分かりかねるという人もいるようだ。日本国民であり日本で生活している以上、決められた規則や、政府や公的機関の発表や方針に従わなければならないことを、基本的には受け入れなければならない。いくら不満や不信があっても、そこに住んでいる以上は受け入れなければならないのだから、自分で計測したとしてもその不満や不信は変わらないのではないか、と。

むしろ、なぜそういう発表や方針を信じられないのか、とも思われるのかもしれない。全ての人が納得できる国などないとしても、大多数が疑ってしまったら成り立たなくなってしまう。発表されている基準値はまちまちで疑わしいところもあるし、そもそも放射能の危険性がどの程度のものなのかが科学的に判定できていない。それでもどこかで線引きをし、どこかに基準を決めなければならない。その中で、現場で働いてる人は一生懸命やってるし、発表されている数値も、隠蔽はともかく、出されているものに関しては信用していいのではないか、と。

要するにそもそも不信感のあるものに対しては、なにを出されても信用できないのだし、不安などなくならない。だからと言って不信と不安で生きてゆくというのは、くだらないことなのではないか。騙されているかのような被害者意識は良くない。なにかを信じて生きなければならないのだから、この国を信じていくしかないのではないか。むしろ、疑い始めたらキリがないのだから騙し切ってほしい。どうせなら信じてもいいような「嘘」に騙されたい、と。

不信に対しては募金はできない。しかし安心のためなら募金はできる。ガイガーカウンターを手にして、安心できるのならそれでいいかもしれない。自分で計測した数値が、公的機関の発表したものと大差なければいいね、というのが落としどころになった。

今朝の新聞で読んだのだけど、ICRP(国際放射線防護委員会)という機関がある。「ICRP式算定方法」というものがあるそうだ。さまざまな社会的・経済的要因を勘案して「安全」と「社会的便益」の両立を考えて判断したもの、それを「ICRP限度値」と言うらしい。原子力安全委員会をはじめ、この国の政府機関は基本的にこの考え方で「基準値」を決めているそうだ。つまりこの考え方は、決して生きた人間の健康や安全を最優先していないということだ。社会のためには人は犠牲になってもいい、と言っているようなものではないだろうか。

と言うと特攻隊精神を尊ぶ右翼のみなさんには、言い過ぎだと言われてしまいそうだ。人は誰かのために生き、死ぬことはできるし、自己犠牲の精神は私も嫌いではない。しかし、それは決して強要されてはいけない。それは少なくとも選択肢として提示されなくてはいけない。どちらをとるのか、選択できなければならない。つまり、この「ICRP限度値」を出すなら、もうひとつ、子供の健康を守るような基準値を出し、二つの基準から選択できるようにすればいいのではないだろうか。まあ現実的な話ではないかもしれないが。

一つの基準で全てを取りまとめるのは、多くの矛盾と精神的苦痛を強いることになる。だから精神的自由を求める人は、そこから逃げようとする。日本という国が一丸となって、ひとつにまとまることを理想とする人には、そういうことが許せないかもしれない。おそらく、国の前に人間があるのか、国がなければ人間は生きられないと考えるのか、そういうことに行き着いてしまう。

普段なにもなければあまり気にされない問題だが、これは我々の根本的な問題だ。戦争も経済問題も貧困も、すべて国家というものが大きな原因だ。しかしもちろん、だからと言って、国家がなくなれば全てうまくいくということでもない。その間を行くしかない。国や自治体のサイズにも関係しているのだろう。エネルギーの問題でも、今後はローカリズムということが必ずテーマになってくる。簡単な言い方をすれば、神奈川県と福島県は別の国だと考えたほうが、日本人はみんな一緒と考えるよりも乱暴でなく健康的だ。そうでなくても、人は区別をし差別をしたがる。みんな別の人間だからこそ、人を思いやることもできるが、みんな一緒だと言うと、そうしない人に不満が出るし差別も生まれる。

ガイガーカウンターを贈るということが、これだけの問題をはらんでいるのだと、大いに考えさせられた。いや本当は、あらゆるすべてのことの背景に、こういう問題が横たわっているのだろう。
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by barcanes | 2011-04-29 20:59 | 日記 | Trackback | Comments(0)

臨時休業です

今日28日(木)は定休日。月末業務の家賃など支払ってきましたよ。今月もあっという間でした。

明日29日(金)は臨時休業させてもらいます。朝から出かけてまいります!

明後日30日(土)は「タジロック・フェスティバル」、ピアノの田尻を中心にmoqmoqこと恵美ちゃん、遊鳥にはまえかわと理恵ちゃん、ペダルスチール宮下など、おなじみのメンバーが総出演します。ゲストはDJリクオガガです!お楽しみに!

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みなさんにお願いした募金ですが、昨日おとといの二日間で、来店してくれたお客さんのほぼ全員から、計7万円程いただきました。この件に関して、いろいろな意見もいただきました。こういう時には批判的な意見ももちろん、人それぞれの考え方を知ることができるので嬉しいものです。熱い議論にもなりました。ひとつのことを言葉にし、それに納得して賛同してもらうのは簡単なことじゃないし、責任も生じます。

そして、匿名性のある寄付や寄贈であれば、それをもらう立場の方も気が楽かもしれませんが、こういった顔の分かる人の、気持ちの入ったものを贈り、受け取ってもらうことには、それを受け取る方が背負うことになるかもしれない重みや、施しを受けることに伴う心の痛みを、誰かが分かち合わなければならないと思います。お金やモノをあげたりもらったりすることについての感覚も人それぞれ違うのだと思いますが、やはり簡単なことではないのだと思います。

みなさんからお預かりしたお金の分だけ、いろいろ考えさせられております。どうもありがとう!
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by barcanes | 2011-04-28 19:34 | Trackback | Comments(0)

右往左往

昨日は急な募金の呼びかけをしたもんだから、来てくれた方からは確実にご協力いただかなければと身構えていたのだが、ご来店は若干2名だった。お二人とも久しぶりの来店だったので、なんとなく震災や原発の話になるだろうと、そんな取っかかりから「実はこんなことをやっているのですが」とやる手はずであった。

お一人目は自称「右往左翼」なんて言って、右往左往しながら右寄りなフリして生きながら気持ちは実は左寄り、という我々一般庶民のだいたいがそんな感じじゃないかと思われるところを、やや自虐的に認識していらっしゃるような方だった。喜んで募金にご協力いただいた。

「俺は実はさ、ロックでも聴きながらライフルをぶっ放して、自分も頭を打ち抜かれて、ポックリ逝っちまうようなベトナム兵士になりたいんだよね」なんていうことを言って、Clashを聞きながらご機嫌で帰っていかれた。全てに唾を吐いて、誰彼かまわずぶっ放してやりてえ気持ちというのは、誰しも分からなくはないと思うし、そうしたら、その唾が自分に返ってくるように自分も打ち抜かれてしまうのだろうというのも、そしてだからこそできないというのも、分かる。問題は、誰を、何を撃ちたいかなのだ。

その後、二人目はいつもお店を愛してくれていて、仲良くしてもらっているアニキで、しかし時々話が熱くなると僕との意見が真っ二つに割れてしまう、自称「天皇万歳右翼」である。ガイガー・カウンターの件にしてもなかなか納得してくれない。「なんで、政府や公的機関の発表を信じられないのか」と。世の中を信じないで、なにを信じるのかと、ああじゃないこうじゃないとやって、私は答えに窮してしまった。

私は政府だろうが税金のシステムだろうが、資本主義も利子が増えてゆくことも、ほとんど信じていない。だからと言って自分だけを信じているわけでもないし、家族や知り合いだけを信じているわけでもない。知らないけどまともな生産者や、見えないけど誠意のある流通を信じているし、どんなに人を愛していても思い通りにならないことがあることぐらいは知っている。

私は脱原発や脱成長社会というようなものを、どこかで信じているのだが、その仕組みを言葉で説明できるほど理解しているわけでもなく、全てがうまくいくようなリアリティを持つことはできない。宗教もうまく説明することのできない我々は、いったいなにを信じて生きていると言えるのだろうか。それとも、なにも信じられない、ということを信じて生きているのだろうか。

日本人の魂の中心の空洞には、お堀の中の皇居のような天皇という空虚がある、と言われたりもするが、なにも信じるに足るものがないからこそ空虚を信じ、その空虚に権威を与えるためのことを、むしろ人は信じているようにも思える。つまり伝統や血縁や、行事やしきたりを守るということだ。

今回の震災で、天皇陛下は何をされていたかというと、お祈りをしていたのである。節電や節制をしながら、ただひたすらに、透明に祈っていたのだ。天皇は何もしていない、と言っているのではない。祈るということは元来、透き通るような自我である、ということではないだろうか。

その透明な、空気のようなものを守るには、やはり容器が必要なのだ。保守派というものはその容器を守ろうとし、革新というのはその透明性を守るために、容器を壊すか、あるいは容器自体も透明なものに替えようとする。どちらにせよ、我々にとって大切なのは、その透明性ということなのだ。

今回のガイガー・カウンターの件についての落としどころは、これを贈って計測してもらった値が、公的機関の発表値と大差なくて、安全なところはやっぱり安全だったね、となれば良い。ただ現在の計測地点は少ないし、発表を誰でも知ることができるとも限らない。やはり情報の選択肢は多い方がいいはずだ。政府が強制退去命令が出せない地域の住民に「自主避難」というのなら、各自が自主的に判断できるように、究極的には一人に一台ずつガイガー・カウンターを配らなくてはならない。

なにせ相手は見えない、透明なものだ。容器の破損とともに透明なものが破られたのだ。透明なものをどう扱うのか、これは相変わらず我々のテーマになっている。

そして私は、その容器を守り、信じようとすることも、容器を壊し透明性をあふれ出させることも、どちらも信じられなくなった。これは原発のことではなかったのに、原発のことにもなってしまった。

信じられるものがないというのは悲しいことだ。朝まで二人で同じものを同じだけ飲み(私にご馳走してくれた分は全部募金!)、熱論を交わしながら、二人とも涙目になってしまっていた。だけど、信じられるものがないからと言って、間違っているものやどうでもいいものを信じなきゃならない、というのもおかしいし、それでも人はやはり、何かを信じなければ生きていけないのだろう。なぜ宗教が必要なのかもよく分かる。私も今までよくよく甘かった。何かを信じて生きてこれたのだ。

最近は全くの虚無感に襲われるような夢を見るようになった。でも、そこからなにか新しいものが見えるようになってくるかもしれない。それが楽しみではある。

それでも少なくとも、政府は子供を守ろうとしないから、ダメだ。なんとしてでも、放射能から子供たちを守らなければならないのではないか。これまでも少子化対策もできなかったし、ジジババだって、未来の子供たちのことより自分のことしか考えてこなかったのだ。将来のことなんて考えてるわけがないのだから、そんなの信じられるわけがない。

そして我々の身近にも、いろいろなことを信じている人がいるはずだ。例えば原発についてでも、人それぞれなにかを信じて、いろいろな立場でいろんな考え方をしている。リアリティがないと言えばそれまでだし、危機感がなければリアリティも感じられない。どうでもいいとか、なんとかなるとか。そういうことを言う人たちのことも考えなきゃいけない。そういう人が身近にたくさんいる世間の大多数なのだ。

それでもいろいろな意見があることは認めなければいけないし、いろいろな人がいてみんな別々の考え方をしても、うまく話し合うことができれば、結論としてだいたい同じところを見ることができるはずだとも思える。右だろうが左だろうが同じものごとの両面であり、そのどちらかが正しくてどちらかが間違っているということではない。むしろ、いろいろな意見や考え方を知ることができた方が短絡的にならずに済むし、一方的にならずに済む。いろいろな人のリアリティがそこにあればいい。見えないものやそこにいない人のリアリティを感じることができるかどうかだ。それが自分にとってのリアリティとなり、自分の現実となる。現実はやはり簡単ではない。

信じられるものがなくても不安でも、人は生きていかなくてはならない。他人のことや未来のことなど考えている余裕はない。現実は決してシンプルではない。そんな中でできることをやるしかないとは言え、人は右往左往するだけなのだろう。最後まで残るのは、自分の直感の力を信じるしかないということ。おそらく世の中はもともと、そんなあやふやなものだったのだろう。今に始まったことじゃない。それが今はっきりしただけだ。

さて、どうやって生きていこうかね。
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by barcanes | 2011-04-27 19:45 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ガイガー・カウンター募金にご協力お願いします!

このたび縁あって、福島県相馬市でCDショップを営んでいる方に、放射線測定器(ガイガー・カウンター)を送ることになり、その購入資金について、みなさまにご協力をお願いしたいと思っています。急な話なんですが、金曜日に僕も相馬に行くことになるかもしれません。

福島第一原発の避難区域からは外れているものの、放射性物質汚染の影響が大いに心配される相馬市には、ガイガー・カウンターがほとんどないのだそうです。また政府、ならびに公的機関が発表している飛散放射線量についての数値情報も、地面から何センチのところで測っているか等、測定基準がまちまちで、まったく信頼できるものでないことは、被災地ではないところに住んでいる我々でも疑問に感じるのですから、現地の人たちの不安は察するに余りあるところだと思います。

そこで、現地でCDショップを営みながらブログを更新しているこの方に、日々の放射線量を測定してもらい、ブログで発信してもらおうという趣旨で、ガイガー・カウンターを送ることにしました。

公的機関の発表に惑わされず、一般市民自らの測定値を参考に、自らの判断にゆだねてもらおうということです。政府や公的機関の判断や発表が全く信頼に値しないことは、普段からそう考えている方でなくても、今回のような非常時を経て、みなさんがそう気づかざるを得ない状況だと思います。

我々一般庶民が、自分と家族や仲間たちの身を守るためには、我々自らが信頼できる情報を集め、精査し、発信していかなければなりません。みなさんが集うさまざまな個人店は、みなさんにとっての遊び場であると同時に、そういう地元の情報源のひとつになりえているのではないかと思います。

相馬の音楽発信地であるCDショップも、我々と同じ個人店です。心ある個人店を愛するみなさまには、この趣旨に賛同していただき、この募金についてのご協力をお願いしたいと思います。

つきましては、一口1,000円から、あるいは店主へご馳走するというかたちでも結構です。被災地のみなさんへの献杯としても、ぜひ一杯分多くご馳走くださいますよう。

なおお送りする予定の放射線測定器は、アルファ、ベータ、ガンマ、エックス線の4種類の放射線が計測できるフランス製のもので価格は12万9,000円です。

実は木曜日までに集めなくてはならないのですが、お店に来られない方は無理せず、メールや電話ください。立て替えときますよ!

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福島県相馬市のハッピー・モリタ・ミュージック
happy moritamusicのblog
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by barcanes | 2011-04-26 15:02 | Comments(0)

【予定】「ザッハトルテ」LIVE

アフラックのテレビCM「アヒルのワルツ」インストバージョン、NHK「おかあさんといっしょ」の演奏などでも知られる、アコーディオン、チェロ、ギターの3人組「ザッハトルテ」が京都から来てくれます。今回はsausalitoのジョージさんが企画からDJ、フードと全てやってくれており、僕は場所とドリンクだけなので大変申し訳ないのですが、予約もあと若干名ですが入れる状況ですので、よろしかったらぜひどうぞ。ちなみに当店の常連の参加はほとんどない状態でございます。

ザッハトルテHP

「ザッハトルテ春のツアー 梅は咲いたか・桜はまだかいな?番外編」
4/24(日) 19:00~(18:00open)
料金:前売り ¥2500 当日 ¥3000(ともに別途1オーダー)
ご予約:メール予約 sausalito1994@jcom.home.ne.jp
Food販売します。
http://swingfuji.exblog.jp/16011099/
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by barcanes | 2011-04-24 23:42 | イベント | Trackback | Comments(0)

10万年後

100,000年後の安全」という映画を見てきた。平日の昼間だというのに、渋谷のミニ・シアターはほぼ満席だった。原発を全廃した隣国のスウェーデンとは違い、フィンランドには原発があり、その放射性廃棄物の処理について、どのように考えられているのか、永久地層処分施設の建設についてのドキュメンタリーだ。

地下に何キロにも及ぶ坑道を掘り続け、何十年後まで核廃棄物を埋めた後、完全に封鎖する。核兵器などに流用されることを防ぐため、高濃度プルトニウムへの再処理はしない。そのため、放射能が減衰するまでに10万年という時間を設定している。そして6万年後には氷河期が来るという予想もしている。

その後の人類がこの施設を見たときに、その危険性をどのように理解できるか、という未来への警告が主なテーマだ。その前のたかだか何世代か下の人たちの時代でさえ、社会がどのように変化しているかも分からない。何種類かの言語で注意書きを石に刻み、針山のようなオブジェで危険性を表現し、イラストで視覚に訴える。「ムンクの叫び」が、最良の方法かもしれないとさえ言っていた。

技術の継続や情報の伝達は、必ずしもつながっていくとは限らないから、それをあてにはできない。完全に独立して、人間の管理もなく、それが危険であるということを分からせ続けなければいけない。独立して、安定して、危険であり続けなければいけない。忘れ去られることを、永久的に続けなければいけない。「忘れ去ることを忘れないこと」と、映画では言っていた。未来の人間を信じられるか、とも。信じるということは何の確証もない。やはり危険だ。

核廃棄物の問題については、原発に対する賛否に関係なく、誰もが考えなくてはならない問題だ。少なくとも、もう既に大量の核廃棄物と核燃料が存在しているのだ。

これは原発のいわゆる発電コストとも関係していると思うのだが、この未来永劫続くと思われる核廃棄物の管理コストは、いったいどのように計算されているのだろうか。伝統的な家業を続けていくというのともわけが違う。この先何世代にもわたって管理を続けなければいけないのに、誰かがやってくれるという確証はあるのだろうか。高給の日雇いと幾層にも渡る下請けシステムが、それを存続させていくのだろうか。

将来の世代について、知恵や技術の伝達や継続をできない状況を考えなきゃいけない。誰かに継続を強いるというのが、我々の言う「持続可能な社会」なのだろうか。

映画の無機質で不気味な映像で、感覚的に訴えられてしまうところもあるが、我々はむしろ感情的にではなく、冷静に冷徹に未来を考えていかなければならない。今までの過去はともかく。今まであまりにも、世界が破滅に向かっていることを止められるはずもないと、誰もが諦めてしまっていたのだ。どうしようもないと無関心になっていただけだ。それでもそう簡単にはなにも変わらないだろうが、バカがバカを生む連鎖を止めるチャンスが、ようやく訪れているのだろう。

それでも未来の人は、エジプトのピラミッドのように、危険を犯してでも財宝を求めて世紀末的な墓地であるこの神殿に分け入って行くことだろう。人類最初の忌避の場所である墓地は、アンタッチャブルであればあるほど、魅力的な聖地となったのだ。未来の人間は、きっと墓破りをするだろう。その頃には、放射性物質に対する技術が上がっているという可能性も、なくはない。そしてその墓守のためには、壮大な宗教が必要になるのではないだろうか。放射性廃棄物という、確実に物質性を持った神の神殿だ。どのような神学を形作ることができるのだろう。中途半端なものにしかならなければ、そのことのほうが、よっぽどタチが悪そうだ。いずれにせよ、未来は明るくないなあ。

未来についてどのように考えるか。10万年後を想定することはバカげているのか、それとも聡明なのか。人間を信じる、信じないということはどういうことか。今の自分の金のことしか考えられないというのはどういうことか。果てしない未来から見た、現在という過去。我々には時間感覚についての思想が、あまりにも欠けている。
映画『100,000年後の安全』

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夜はUstreamで、孫さんの講演を聞いた。プレゼン内容の如何や、実現可能なのか、それが損なのか得なのか、鵜呑みにはできない。でも、「正義感」ということについて語るところ(1:23ごろから)で、自分の力のなさに悩みながら、批判も受けながらも「やらないかんことがある!」と言ったときには、ちょっと涙腺ゆるんだね。そして、「今の政権与党に足りないものは?」という質問に、一言「覚悟。」と言ったのは、ちょっと出来すぎの問答とは言え、熱い気持ちになった。

株価の下落した東電の買収とか、政界進出とか、いろいろ煽る輩もいるが、在野の「怪しげ」な民間業者として、通信の世界でできたことを、電力の世界にもぜひ挑んで、やり遂げて欲しい。これだけの弁論のパフォーマンスができるのだから、多くの人たちが応援するだろう。俺もとりあえずケ-タイ変えよっかな。

自由報道協会主催 孫 正義 記者会見
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by barcanes | 2011-04-22 23:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)