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旅芸人ねぎらい合う

今日は全く予感のしない、ヒマな夜で、もう1時ぐらいに閉めちゃおうかと思ったが、もう少し待ってみようかと本でも読んでいたら、二人の旅芸人が相次いで来店。旅の途中に偶然居合わせた。長い旅の節目を迎えた旅芸人と、旅の拠点が変わる節目を迎えた旅芸人が、お互いをねぎらい合っているのは、いい光景だった。

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さて、今週の土曜日は今西太一さんのライブ、日曜日は「持ち寄りPotluck Night」と二つイベントが続きます。太一さんは9月に当店に登場して以来、かなりのインパクトを我々に残して、その余波がしばらく続きました。私は勝手にベスト盤を作り(無許可でスミマセン)、好きそうな人に20枚ぐらい配りました。熱いの好きな方、熱さを忘れかけた方、熱さがくすぶっちゃってる方、笑いと涙とそして酒が、同時に胸に染み渡ります。ぜひ来てください。

日曜のPotluckの方は、今回プロデューサーの間瀬さんがいろいろな人に声をかけてしっかり準備してくれているので、今年最後にふさわしい、内容の濃いものになりそうです。今回はいつもに増して、音楽以外のリーディングものが多くなりそうです。私もこれから何か書いて読む予定です。非常に楽しみです。興味ある方、今後出演してみたいという方も、ぜひご参加ください。
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by barcanes | 2010-11-30 20:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

駆け込み寺

ときどき、バーというのは駆け込み寺のようなものだと思うときがある。町の片隅にひっそりと、迷路の袋小路のようなところにたどり着くアジール。入りにくい人には入りにくく、他に行くところの浮かばない人には自ずと脚の向かう場所。世間の常識やルールは関係ない。何をしてきたか、何を背負い抱えているかも不問。

杯も二三と進んだ頃にはようやく腰も落ち着いてきて、(言っておくが、これは一杯やそこいらではダメなのだ)訪問者は然るべくタイミングで、一言ずつ切り出す。答えなど求めても祈りしかないが、そこには偶然のふりをした必然が待ち受けている。もしくは、やってくる。いや、待っているのかやってくるのか、同じことなのだろう。

私こと、この寺のナマクラ坊主は何も答えられるものを持っていない。多少のお題目を唱えるだけ。しかし同じ道を行く袖が触れられれば、他生のご縁。何かが語られる。的を得ているのか外しているのかは、分からない。しかし、どちらでもやはり同じことだ。答えを持っているのは、酔客のあなた方自身なのだから。坊主は坊主らしく、生死の仲介者たれればいい。物事の生死。出来事の生死。生かすも殺すも、死の裏には生があり、死の犠牲を超えて、また新たに生き直す。合掌。

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家を失くしてしまった
お金を失くしてしまった
暇を失くしてしまった
少しだけ賢くなった

昨日のこと
昔の仲間を連れ出して
久しぶりに
夜明けまでさわぎ散らかした

丘を越えて
小さな森の入り口
君が愛してると伝えてくれた
昔のままの印が今でも残ってる

重い荷物は捨てて
遅すぎることはない
光の中の波のように
二人の力をあわせて
これからは
新しいルールを作るのさ

愛をやり直し
仕事もやり直し
君を連れてゆきたい
ついてきてくれるね
お願いさ

佐野元春「君を連れてゆく」
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by barcanes | 2010-11-29 20:53 | 日記 | Trackback | Comments(0)

おさまらない

やっと治ったと思ったスネ痛がぶり返す。ちょっと速く走ってみたらこんなザマだ。またゆっくり走るところから始める。脚の位置、着地の仕方、姿勢、呼吸、どう意識して走るか、ひとつずつ、ちょっとずつズラしながら試してみる。

そんなとき、ふと、前に進んでいるのではなく、後ろに蹴り出しているのだと感じた。地面を後ろに押し出してゆく。かごの中のハムスターの、動いても動いても滑車だけが動いてゆくような、陸上のトラック競技は実はランナーたちの脚力が、周囲の観客席のスタンドをぐるぐる回しているような、地球の自転に逆らっているのか、それとも自転に乗って加速しているのか分からないが、我々が遠くに行くのではなく、遠くがこちらにやってくるのだ。たぐり寄せる。そして蹴り出して、蹴り捨ててゆくのだ。

そのための着地点は、真下よりもやや後ろ、その分、上半身は前傾するが猫背になってはならない。前に進むために、ちょっとだけの過去から踏み出すのだ。頭から前のめりにつっこむのではなく、胸を張り、背中から押し出してゆくのだ。

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昨日今日と、リクオさんの20周年記念イベントが東京で行われ、私は行けなかったが、藤沢からも多くの顔なじみのみなさんが奇跡の時間を目撃しに行った。豪華なゲストによる、まさにリクオ・フェスティバル。話を聞くだけでもすごい。録音は残してるらしいけど、映像も見たいなあ。

そんな中で不完全燃焼なおっさんが一人、飲んでも飲んでもおさまらないようで、一度火がついてしまった勢いは、恐ろしい。
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by barcanes | 2010-11-28 04:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

転生る

今日は江ノ島の花火大会。朝になって気づいた。夕方ジョギングしていると、川沿いの道をゾロゾロと海に向かう人たちが続く。知らなかったら大繁殖のネズミが海へ飛び込む開高健の「パニック」のようで少し気味が悪かっただろう。

冬の花火もなかなか良かった。鵠沼のモスバーガーあたりの海岸の芝生の高台から、江ノ島を正面に花火が上がるアングルぐらいが自分にはちょうどいい。今期初のダウンを着込んで、地べたに座り込み空を見上げるのは、何かに似てるなと思ったら冬の流星群を見上げたりするのを思い出した。こちらに飛び出してくるように爆発する瞬間をまばたきをせずに注視していると、核爆弾やビッグバンの瞬間、それを眼前に体験したら一瞬で死んでもいいような気がしてくる。一テンポ遅れて破裂音が鼓膜と腹下に響いてきて、起きろ!とビンタをされるように目を覚まされる。そうして一瞬で生まれ変わる。それを数多繰り返している。でっかい花火とでかい音を聞くと、無条件に笑える。リフレッシュした気持ちになって愉快だ。

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兄夫婦がネパールに移住して、農業をやりながら日本語教師をしているというI姉さんが久しぶりに来店。嫁さんはアパレル店員で今時っぽい女の子だったが、むしろダンナよりもとけ込んでいて、ネパール語で近所のおばさんと口ゲンカしているぐらいだという。ヒマラヤ登山の人たちが通る山近い町だそうだ。いつか行ってみたいな。

ネパールのお土産は脳味噌らしきイラストの入った「記憶力の良くなるお茶」とククリという伝統的な刀の形をしたビンに入っているラム。実は何年も前に同じラムをもらったことがあって、そのビンをとってあった。アジア雑貨のお店を経営している人がこのお酒を輸入しようとして、ロットが多すぎて断念したのだと言っていた。ビンの形は一緒だがラベルが違った。ビンの内側のガラスの吹き方も違っていた。

それを見せようとして持ち上げたら、手が滑って落として割れた。笑えた。こういうのって何かいいコトワザとかってないかね?「新しいのが来たんだから、ちょうどいいですね」って、そういうことだよね。今日は「転生」するのにもってこいの日、というわけだ。
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by barcanes | 2010-11-27 11:45 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ナンセンス

宮内勝典の「宇宙的ナンセンスの時代」を今更ながら読んだ。86年の本。全く古くさくない、どころかすでに忘れられてしまったようなことから現在をも語り得ているような気さえする。我々の現在は80年代から何も変わっていないのだろう。騙し取った土地に新しく国を作った人たちのやり方が世界に広まれば広まるほど「ナンセンス」は蔓延してゆく。一度開いてしまったナンセンスが、いろいろなものを飲み込んで、世界の隅々にまで浸透してゆく。それが我々の現在であり未来である。

逆に言えば、新しいとは、忘れてしまったことを思い出すところから始めなきゃいけないということで、そうでもなければ新しい「意味」を創造するために前人未踏のとてつもないスケールのことをする以外には、「意味」は空回りしてナンセンスに陥る。だからいちいち新しく生きるのがメンドクサい我々は、新しいものを買ったり、気分やムードを求めることに人生の幸福を見出そうとする。

そんな中で、宮内勝典は都会の下町のマーケットに懐かしさや人間っぽさを見出していたのが印象深い。音楽もそこから生まれる。そこにしか真実が見いだせないのなら、やはり未来の世界はスラム化してゆくのだろう。

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今日はポルトガルから中国までユーラシア大陸を徒歩で横断したという方がいらした。あまり話せなかったが、たまたま本を読んだばかりだったので、戦後世代の旅ものなら「宮内さんと藤原新也だったらどっちが好きですか?」と聞いてみた。「どっちも好きだけど、二人とも自分には硬派すぎる。旅をするときはあまり考えたくないから、沢木耕太郎ぐらいがちょうどいい」とおっしゃった。なるほど。連れのKさんはニューヨークの宮内さんに会いに行ったことがあるという。宮内さんは近々、久しぶりの新刊(ガンジーについて書かれた『魔王の愛』)が出るそうだが、僕はとりあえず次は「始祖鳥」ぐらい読んでからにしようと思う。
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by barcanes | 2010-11-26 11:08 | 日記 | Trackback | Comments(0)

カシスオレンジ

「いい歳した男がカシスオレンジもないだろう」とひとりゴチたら、オセッカイ姉さんが後で、そういう態度は良くない、来る人を拒むようなのはイカン、サービス業なのだからもっと投げかけなきゃ、とお説教をくださった。その通りである。ただメンドクサいだけなのだ。そしてメンドクサがっちゃあいけないのだ。

多くのお客さんに気を使わせてしまっているのは分かっている。しかし何年やっても商売人になりきれない私は、せめてお店を続けてゆくことを優先して、自分がお店をやってゆくことが嫌になってしまうことを避けてきたのだ。分かってくれる人だけでも来てくれればいいと。もうすぐ10年、泣かず飛ばずな理由はなんとなく分かっているつもりだ。なじみの顔に会う安心と、日々のささやかな幸せと、時折起きるハプニングが楽しみでなんとかやってきた。もうちょっとで、と言いながらまだ何年もかかるのかもしれないけど、何かがつかめそうな気がしている。もう少し、みなさんには不愉快なことにも我慢してもらって、お付き合い願いたい。

まあ、うちのカシスオレンジは美味しいんだけどね。
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by barcanes | 2010-11-24 21:26 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ぶつかる

北朝鮮が韓国領を爆撃したというニュース。だからなんだという気もしてしまうが、軍人が死に民間人も被害を受けているという事実。これは突発的な事件ではなく、北朝鮮側からすると充分に練られた作戦であるらしい。それにしても、例えるなら北朝鮮は万引きや校内暴力を繰り返す悪ガキのような印象さえする。本当は話を聞いてほしいんだよ、ちゃんと受け止めてくれないなら、もっと悪さをしてやる、と。アメリカ先生は、調子に乗るんじゃありません。同じような手には乗りませんよ。それならば仲の良い中国君に話を聞いてもらいなさいとたらい回し。そうじゃないんだ、中国も韓国も日本も、友達じゃ駄目なんだよ。それなのになんでアメリカ先生は日本や韓国ばかり贔屓にして。自立できない少年北朝鮮は、アメリカ先生に受け止めてほしいんだ。子供扱いじゃなくて、対等に扱ってほしいんだ。米朝会談を。

米朝と言えば、桂でしょ。落語で言やあオチは無難に優等生ぶった日本で。アメリカ先生に殴られたトラウマを抱えたまま理論武装の言い訳をする弱気な学級委員というところか。正当性を求めてどうする。先生!中国君や北朝鮮君がいちいちつっかかってきます!文句を言っても始まらねえ。世界は正当であるべきかもしれなくても、クリーンな分かりやすさを求めれば求めるほど、みんなで牽制し合って、つまらない人間とつまらない世の中になるのだ。

世界が一様に同じ正当性を持ったとしたら、どうなるのだろう。それが世界平和なのだろうか。抵抗したり、ぶつかったりするのは仕方のないことじゃないだろうか。でもぶつかり方というのはあるだろう。排除の殺し合いは避けてほしい。

小林秀雄の名言を集めた「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(新潮社編)。年代別に時系列に並んでいるのだが、30代半ばの言葉が特に多く取り上げられている。

『歴史は将来を大まかに予知する事を教える。だがそれと同時に、明確な予見というものがいかに危険なものであるかも教える。歴史から、将来に腰を据えて逆に現在を見下す様な態度を学ぶものは、歴史の最大の教訓を知らぬ者だ。歴史の最大の教訓は、将来に関する予見を盲信せず、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を創って来たという事を学ぶ処にあるのだ。過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。併(しか)しその歴史的限界性にも拘らず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。この尊敬の念のない処には歴史の形骸があるばかりだ。』(昭和12年、35歳「戦争について」)

ひとりひとりの人生も、国家のあり方も、同列のように思える。過去に生きるのではなく、今を生きろということだ。今、現在に文句をつけるのは簡単だ。北朝鮮にも日本の政府にも文句をつけるがいい。「歴史の形骸」を基準にしてしまえば、過去にがんじがらめになるのは自分の方なのだ。

『僕等の望む自由や偶然が、打ち砕かれる処に、そこの処だけに、僕等は歴史の必然を経験するのである。僕等が抵抗するから、歴史の必然は現れる、僕等は抵抗を決して止めない、だから歴史は必然たる事を止めないのであります。これは、頭脳が編み出した因果関係という様なものには何の関係もないものであって、この経験は、誰の日常生活にも親しく、誰の胸にもある素朴な歴史感情を作っている。若しそうでなければ、僕等は、運命という意味深長な言葉を発明した筈がないのであります。』(昭和16年、39歳「歴史と文学」)

ぶつかるからこそ歴史と日常の必然が生まれるのであって、今を生きるということはそういうことなのではないだろうか。

『人間は、正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば、見る方が曖昧になる。誰でも日常経験している矛盾であり、僕等は永久に経験して行く事だろう。』(昭和14年、37歳「イデオロギイの問題」)

『誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ。』(同上)

見ることは受け止めること、しっかり受け止めようとすればぶつかれなくなるし、ぶつかれば曖昧に受け止めることになる。曖昧にも誤解を恐れず、ぶつかっていけと。今の私と同じ37歳の時の言葉。身につまされる。

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今日は祝日の早い時間に、ライブをやってみたいと言ってきた若い女の子にチャンスを与えた。チャンスを与えるなんておこがましい言い方だが、行動を起こそうとする若手のやる気を拒んで見殺しにしてしまってはいけないと思ったのだ。結果をどう考えるかは人それぞれだ。既にちゃんと少なからずファンがいて、これからも増やしていけるようなセンスを持っている子だと思う。しかし当店にも限界があり、イメージどおりの楽園はそう簡単には実現しない。なげかければぶつかり、それでもメゲずになげかけぶつけて、音楽を続けていってほしい。続けた人だけが本物になれるのだろうから。
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by barcanes | 2010-11-23 20:52 | 日記 | Trackback | Comments(0)

海辺のロッキー

今日の夕方、久しぶりに「海辺のロッキー」に会えた。いつもの場所で、でっかい木の切り株を担いでトレーニングをしていた。久しぶりといっても、彼はいつも夕方のだいたい同じ時間に来ているはずで、私の方が最近は暗くなってから走りに来ているから会わないだけなのだ。「ロッキー3」で雪山で丸太を担いでトレーニングをしていた姿を想起して、私は彼を勝手にロッキーと呼んでいる。話をしたことはない。

私が鵠沼海岸に走りに来るようになった4、5年前から、歩道橋をダッシュで駆け上がったり、ダンスのような太極拳のような、独自のひねりを加えた動きを繰り返したりしている姿を見かけていた。赤いキャップを後ろ前にかぶり、ボロボロのTシャツを肩まで上げて、人目を全く気にするところがない。そしていったい何のためのトレーニングをしているかも分からない。季節も寒くなってくると当然走る人も減ってゆく中で、しょっちゅう顔を合わせているうちに私はいつしかロッキーに親近感を覚え、すれ違うときに会釈をするようになった。

今日は柳島まで行った帰り道、もう陽も暮れて真っ暗のサイクリングロード。ヘッドライトの明かりに照らされて目の前にだけ小雨の破線が浮かび上がる。こんな天気のこんな時間に走っている人はほとんど皆無である。私はキロ4'20ぐらいのペースを保っている。そこにすれ違う人影が、そのすれ違う一瞬で「あ、ロッキーだ」と分かった。そして彼も私に気づいたであろう気配が感じられた。挨拶はできないが、それだけで十分なのだ。いつも茅ヶ崎方面へダッシュで消えてゆくロッキー。彼がゆっくりジョギングをしているところを見たことがない。

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夜も小雨が降り続き、静かな月曜日。深夜遅くになっても残ってるお客さんが数名、というところでやっと明日が祝日だと気づいた。
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by barcanes | 2010-11-22 18:49 | 日記 | Trackback | Comments(0)

いぢわる

「あたしたちが帰っちゃったら寂しくなるね。」深夜2時頃、最後のお客の姉さんはそんなことを言う。そこに多少のイヂワルを感じて「慣れてますから」と私は返す。余計なことをと言うほどでもないが、言われなきゃなんとも思わなかったようなことを、つい口に出してしまうことって、人を試しているようで、何かを確かめているようで、何でそんなこと言うんだろうと考えさせたりして、なにかをはっきりさせようとするかのようで、それはひとつの挑発なのだろう。なぜなら、挑発というのは「同じ気持ちだろ!」と言ってるようなものだからだ。

しばらくして、北口の同業店主が二人連れだって来店。みんなで共同出資で朝までやってる店を出そう!と、冗談だけどちょっとだけ本気な話で朝まで盛り上がった。寂しくなんかないよーだ。
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by barcanes | 2010-11-21 20:42 | 日記 | Trackback | Comments(0)

「Voices Inside」ジャンプ&ジャイヴ特集

今月の「Voices Inside」はジャンプ&ジャイヴ特集。1940、50年代のジャンプ・ブルースは底抜けに明るくて、元気で楽しい。どれも似たり寄ったりのようで、やはり歌手の数だけバリエーションが豊富だ。二見さんの喋りディスク・ジョッキーも乗って、店内は最初から和やかなムードだ。

それとは対照的に今回のUstream中継の方はほとんど視聴者がなく、告知や工夫の必要があるようだ。Ust中継はお店の営業とイベントの本筋ではないが、ここにはいない誰かが聞いている、という軽い緊張感を与えてくれるし、この小さな空間に閉じられたものが、どこか地上に通気抗が届いて、外に開いているような気にさせてくれる。気のせいかもしれないけど、このちょっとタイムラグのある同時性はなかなかに面白い。遠方の方や、家庭や仕事の事情でお店に来られない人たちに、この共時性を感じていただきたい。あるいは、週末の夜のBGMにしていただいてもいいぐらいの音質は確保してますから、そのように利用してもらってもいいと思います。Ust中継に関して、ご意見やご要望がありましたら、ぜひお寄せください!

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夕方には今シーズン初めての「リピテーション・トレーニング」にチャレンジした。いわゆるインターバル・トレーニングのようなもの。例えば1キロを3'30で走り、500mぐらいをゆっくりジョグして心拍を十分に落とす。それを6~8回ぐらい繰り返す。「ヤッソ800」と呼ばれる簡単な計算法があって、例えばサブ3(フルマラソンを3:00)が目標なら800mを3'00、1キロなら3'45が目安。それを合計で8キロぐらいになるぐらいの回数で繰り返す。キロ4'00でフルマラソン2:48が目標なら、リピテーションの目安は3'30となる。それぐらいの練習が可能であれば、本番のレースの自信になる、という話である。

陽も暮れて時計もよく見えなくなったので、あまり数字を気にせずにやってみたのだが、いいとこ3'50ぐらいが精一杯だった。まだまだだけど、この練習ほど効果が現れやすいものはなく、オーバートレーニングにならないよう気をつければ同じ内容が次には必ず楽になる。この1ヶ月でどこまで上げられるか。

そんなことだったので、ちょっと寝不足もあって夜には眠気が襲ってきた。音楽がぼわっと遠くに聞こえるような。これは古いレコードのサウンドのせいか?元気で明るいジャンプ・ブルースのおかげでなんとか乗り切ったよ。

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今月のゲスト、テツさん、ギンさん、大森君、ありがとうございました。
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by barcanes | 2010-11-20 20:39 | 日記 | Trackback | Comments(1)