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三ノ塔で山鍋

某肉食系ベーシストと共に丹沢へ。仮にG氏としておこう。私が急いだり走ったりする以外に、のんびりの山歩きをしたりする話に興味を持ったG氏が「連れてってほしいなあ」と誘ってくれた。G氏の車で行こうということだったので、普段電車とバスでは行きにくいところで、2,3時間の行程でそれなりに達成感があり、眺めの良いところがいいなということで、ヨモギ平から三ノ塔というまだ歩いたことのない尾根道を選んでみた。

秦野からヤビツ峠への車道をどんどん高度を上げていくと、街並みが眼下に広がり陽射しも爽快で、「これだけで帰っても満足」とG氏。ヤビツを抜けて、閉まっている富士見山荘の前の路肩に車を停め、BOSCOキャンプ場までは舗装路を20分。日陰では風も冷たいが、少し歩けばすぐに汗ばむ陽気で上着の脱ぎ着に悩むところ。G氏のヒートテックは効きすぎのようだ。私は食料やコンロ類、水も多めに5ℓほどかついで、歩きのペースは同じぐらいになるかなと思ったが、G氏は思いのほか良いペースで私を引き離し気味だ。聞けば子供の頃から山歩きの記憶はないという。せっかくの冒険気分を味わってもらおうと、前を行ってもらったのだ。
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〈植林帯を越えたあたりに少しだけ残っていたラスタな紅葉〉

今日のルートは、あまりたくさんの人が歩いて山が荒れるのを防ぐためなのか、地図には載せられていないのだが、よく歩かれているらしく道標もところどころある。まずは山腹の植林帯をジグザグに上っていき、尾根筋に出ると踏み跡は落ち葉に隠れてやや分かりづらくなる。私は後ろから道を間違えないよう、コンパスや地図で確認しながらついてゆくが、G氏はベースのプレイスタイルと関係しているのかいないのか(?)直登しがちである。よく見ると踏み跡がジグザグについていても、まっすぐペースを落とさずに登ってゆくのである。G氏は汗の処理にいろいろ工夫しながら、紅葉を愛で、真後ろについてくる大山の高さ(目指す三の塔と大山はほぼ同じ標高なのだ)と比べながら、高度感を楽しんでいた。
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〈ヨモギ平の自習机〉

ちょうど中間地点のヨモギ平には机と椅子のセットが一人用の自習机のように置いてあり、「ここで受験勉強すれば他に誘惑がなくてはかどるなあ」とG氏は言った。ここに(内緒で)テントを張って、正面に大山を見ながら机に向かうのもなかなかだろう。後半、山頂近くになると結構な急勾配で、同じところを下るのは嫌なぐらいであった。しかし転落するような危険な箇所もなく安心して歩けるし、人気も少ない静かな尾根道で、新緑の頃などはステキであろう。ヨコシマの服を着たお地蔵の立つ地点に登りつめると塔ノ岳への表尾根と合流し、いきなり多くの登山客が行き交う。避難小屋のある山頂はすぐそこだ。ちょうど12時に到着。
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〈登山口の道標に「これを使え!」とばかりに立て掛けてあった杖を使って、冬枯れた尾根を行くG氏〉

木のテーブルに陣取り、まずは無洗米を水に浸け、マナスルの灯油ストーブに点火。先日は氷点下近い所でうまくお米が炊けなかったのでリベンジだ。その間にお湯を沸かし甘い紅茶を飲みつつ、今日のメインのキムチ鍋の準備。G氏は「鍋切りすればいいね」と白菜やネギを切り分ける。百キンで買ってきた軽いアルミ鍋に具材を詰め込んで、液体のキムチ鍋の素を入れて火にかけるだけの簡単鍋だが、山ではインスタントラーメンだって旨いのだから、美味しいに決まっている。山ナベ、私はこれがしたかったのだ。風が吹けば寒く、陽が雲から出ると暑く、上着を脱ぎ着しながらやや霞み気味の山並みを眺めつつ、水墨画的な日本の山稜の陰影にG氏はいたく感心しておられた。残念ながら富士山は見えなかったが、晴れていれば江ノ島も見えるし、三の塔は気持ちの良い山頂だ。多くの登山者が休憩に腰を下ろし、着替えや軽食をとってゆくが、我々のように長居するものはもちろんいない。山頂で鍋、サイコーである。ビールも飲みたいところだが、車の運転もあるし下りも気が抜けないので今日はなし。ほぼ4人前の鍋と2合のご飯、締めのラーメン(これは一食分にしておいた)まで完食。デザートのグレープフルーツは、皮で食器を拭くのになかなか良い。食後のお茶までしてちょうど3時間。こんなのんびりした山遊びもサイコーだ。
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〈紅葉は散って落ち葉の紅一面〉

下りは私の背の荷がG氏の腹に移った分、私は楽だがG氏は「下が見えない」。前日の雨で滑りやすくなっており、慎重に下ったが歩きにくい石段が多く、G氏は最後になって山の洗礼を受け、滑ってコケた。正面の大山はみるみる大きくなり、一時間であっという間に下りてしまった。周回コースで車を停めたところに下りてきたのだ。下りきってすぐそこに車があるというのはなんて楽なのだろう。護摩屋敷の水という水場で水を汲み直し、コーヒーでも飲もうと、朝来る途中にあった見晴らしの良い展望台に移動。陽は既に夕刻に傾いて、秦野や厚木の市街に灯がともり始めている。カップルなどがドライブに来るような場所で、コンロを取り出し、ミルとドリッパーでコーヒーを淹れた。ここまでくると私は完璧なおもてなし具合に我ながら達成感。こういうのも楽しいものです。やがて暗くなるまで二人でロマンチックな夜景を見ながらコーヒーを飲んで。一日はあっという間に過ぎていった。女の子でも一緒に来てくれるともっと楽しいね、と話しながらも男同士でももちろん楽しい。もし一緒に行きたい、山鍋したいという方がいましたら、ぜひお声をおかけ下さい。これからの季節はちょっと寒いかもしれないけど、天気が悪くなければ着替えと防寒具があれば大丈夫。食材、水などは全部私が担ぎます。低山でも十分。山鍋しに行こう!
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by barcanes | 2009-11-26 20:56 | Trackback | Comments(0)

ご飯の会、3回目

一人暮らしでご飯をひとりで食べるのは寂しいよね、たまにはみんなで食べたらたのしいねって始めたこの会も3回目。前回は僕と間瀬さんの二人だけだったけど、今回はこれまた独身のTケさんが参加。一品ずつでよいっていう設定だったのに、各自それぞれ2品ずつで計6品、プラス僕がご飯を炊いて味噌汁も作った。そこにたまたまというか、タイミングよく現れた独身腐女子Y子。せっかくだからみんなで一緒にご飯を食べた。これがまたなんだか楽しいのだ。先日の発表の会とこれはセットでやっていきたいねってことになった。

そしてそのままお店の時間に流れていき、夜になってお腹空いてるっていう女の子2人に余ったものを食べてもらった。すると、「なんかひと味する。足りないんじゃなくて。ひと味、切ない味が」と言う。「え?」と、味付けのことならまだわかるが、そんな味がしてしまっているということには僕も間瀬さんも全く気付かないのだから、これがそのダメ男の味なのだろうか。独身男の寂しげな味…。

私も今年から自炊を始めて、ほとんど毎日自分のご飯を作るようになった。これがなかなか楽しい。マラソンの練習をしながら自炊をしてしっかり食べ、お店に行くとなるとなかなか大変で、お店を開けるのもつい遅れがちだが、生活をしているという実感がある。いつも本やレシピを見ながら作っているけど、やはりやっていると慣れてゆくもので、たいしたものではないけどそれを人に食べてもらう、というか食べさせるっていうのも面白いものだ。それはやはり、できたらおいしいものを作って食べさせたいという気持ちで、演奏や作品を人に聞かせたり見せたりするのと同じなのだろう。

ということで、このイベントは隔月の日曜日の7時頃からやっていきます。次回は1月17日の予定。参加資格は独身者のみ。既婚者は家でパートナーや家族と一緒に食べてください。ひとり暮らしでいつもご飯をひとりで食べている人は特に、たまにはみんなで食べましょう!普段料理しない人も、たまには作ってみましょう!Cane'sはダメ男の生活力を上げていくことを応援し、みんなで楽しく生きることを考え、ダメ男の将来と老後を見据えていきます(笑)ダメ男だけじゃなくダメ女もぜひ!
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by barcanes | 2009-11-15 20:49 | イベント | Trackback | Comments(2)

第4回湘南国際マラソン

3度目のフルマラソン。昨年は3:00.15、わずか及ばず悔しい思いをしたサブ・スリー。今年は7月の山岳レースの後、燃え尽きた感があって8月になってもなかなか練習する気になれなかった。というより暑いし、それに8月は少しずつ山の道具を買いそろえ、全ての定休日に山登りに出かけていって、走ることに気持ちが向かわなかったのだ。9月になってようやく山登りを封印し練習開始、今回のテーマはストイックになりすぎないよう、ランニングは週4日までとした。下地の脚作りは今年の前半でできているということにして、レペテーションなどといった、やや強めのメニューを入れてゆくが、心拍数が下がらず、なかなか夏前までの状態に戻らない。それでも今までのようにどこか痛くなったり、休まなければならないような故障がなかったのは、やはり脚力がついてきたからなのだろう。

9月の走行距離は月間250キロちょっと。やはり10月になってあせり始め、練習は増えたが、短い距離を早く走るメニューと、長い距離をゆっくりめに走るメニューなどとメリハリをつけるようにした。10月は月間350キロほど。夏前に比べても少なく、やはりちょっと足りなかったかもしれない。レース3週間前に酔って左足首内側をぶつけてから痛みが気になるようになり、どうもプロネーション気味で、足首が内側に倒れこむようになっている気がする。レース本番はトレイル・シューズ用に買ったインソール(ショップ店員にプロネーションの傾向があることを指摘されたのだった)と、自前のキネシオテープ何とか事なきを得たが、痛くて走れなくなったらどうしようかと、かなり不安ではあった。

それでも今回は初めて練習で最長46キロを走り、この時は鵠沼から柳島まで2往復半と、同じコースを何度も繰り返すという、むしろ精神的に嫌になる練習だった。ようやくレース一週間前の最後のペース走で、夏以上の心拍の数値が出るようになり、何とかいけそうな自信が出てきた。今回はもちろんサブ・スリーが目標だが、できたら最後までギリギリの状態にならないように、楽しむ余裕を持ってゴールしたいと思っていた。ペースはキロ4'10、うまくいって2:57~8分でゴールできれば最高だ。レースでは前半にできるだけ貯金を、ということはなく、なるべく目標のペースギリギリに、少しでもオーバーペースになると、そのダメージは何倍にもなって後半に効いてくる。私は今回もスントのFoot Podをつけ、まず最初の5キロで距離とスピードの調整をするまではやや遅めのペースでいこうと考えた。心拍計は後半おそらく上がりすぎてとんでもない数値が出るのが怖いのでやめた。Foot Podは歩幅を基にしているため距離が正確ではないので、実際のレースでは誤差を頭の中で計算しなければならない。例えば、1キロ地点でスントの距離表示が1.01kmを示していれば、自分はスントの表示するペース(速度)よりキロ2.5秒ほど遅いのであるから、その分速く走らなければならないのだ。実際、キロ4'10の設定で練習してきたのだが、レースでは4'07の表示で走らなければならなかった。このキロ3秒の差が後半に効いてきたのかもしれないのである。

30キロで2:05というのがひとまずの目安なのだが、ここまではほぼ目標どおり。しかし、やはり江ノ島の折り返しを過ぎて20キロ過ぎから少し疲れ始め、右ハムストリングに始めて痙攣が来た。つりそうな感じだ。やはり力が入っているのだろう。力を抜くようにしてやり過ごすが、これはその後も何度か襲ってきた。仕方がないので、ややピッチ気味というか、ストライドを小さめにして、その分心拍が上がるのを覚悟してピッチを速くする。せめて30キロまでは余裕を持って行きたかったが、25キロで既に頑張らないとペースが落ちる感じになってしまった。30キロからは確実にペースが落ち始め、残りは12キロ。残り5キロならギリギリでも頑張れるかなと考えていたが、12キロとなるといつもの練習で言えば5キロ+7キロ、鵠沼から柳島までの分がさらにプラスされることになる。キロ4'10で最後まで行くとすると、実は3時間までに4分の余裕がある。30キロまでは予定通りだから、残り12キロで4分、3キロで1分、1キロ20秒までなら落ちても良いことになる。そういう計算を頭の中でしながら、ペースをキロ4'15~20ぐらいでもよいのだと言い聞かせ、大ブレーキだけはしないように粘るしかない。

相模川の橋のちょっとした登りや西湘バイパスの登りも辛い。そしてバイパスに乗ってからが長い。給水は前回の反省(おしっこしたくなった)をふまえ、2箇所のうち1回はとばしていたが、35キロぐらいの給水で一度スローダウンしてしっかり飲んだ。38キロぐらいで大磯プリンスの本拠地を通る。応援に来てくれているCane's応援団に余裕のVサイン(2時間台の意味で)をするつもりだったが、サブ・スリーもギリギリ間に合うかどうか自信のない状態だ。そしてここから二宮の折り返しまでが果てしなく長い。ペースは既に4'30近くまで落ちている。脚が動かないのである。残りのキロ数+最後の195m、この約200mに1分の余裕を見るとして、必死に計算する。ようやく折り返しの40キロ地点で2:49。あと2キロをちょうど10分。キロ5分でよいわけだが、自分はスローモーションのようにしか動いていないような感じがしている。それでも直前のランナーに必死でついてゆく。それで1キロぐらいは頑張れた。心拍はとっくにレッドゾーンに達しているであろう。おそらく180後半、見たくない数値だ。やはり心拍計をつけてこなくて良かった。一度抜いたはずのスーパーマリオにも抜かれ、うしろから「まだまだ!ここからだ!」などと叫びながら抜いてゆくアニキがいた。

オレはそのアニキ(年下かもしれないが)が昔の部活の先輩か先生かのような気分になり、恥ずかしながらいちいち「おう」だの「はい」だの応えざるを得ないような、あの気持ちを思い出した。たぶんそれで500mぐらい頑張れた。もう一度ホームストレートの応援団を探す余裕はなく、しかしなじみの声が耳に入ると途端に身体の力が抜けてしまった。バイパスの大磯の出口を左に折れ、あと何100mもないはずだったが、血圧が急に落ちて貧血のような感じがして、完全に足が止まってしまいそうだった。自分はもっとさっそうと、軽々とゴールするつもりだったのに、全く恥ずかしい面をして前のめりに脚ももたれるようなブザマな格好をしている気がして情けなかった。もっといいカッコウをしたかったのにしたかったのに、結局このザマだ。

しかしそんなことは誰も期待もしていないし、誰も気にしちゃいないのだ。ただただ去年のような「ギリギリアウト」だけは嫌だっただけで頑張れた。何度も嫌になるのだ。走るのをやめて楽になりたくなる。スローダウンしてゆくランナーを通り過ぎてゆく。でもあと1時間、30分、あと5キロ、3キロ、過ぎてしまえばあっという間に熱さを忘れてしまうことは分かっているのである。ただそれだけ。12時を過ぎた頃には、もうすっかり終わってしまうのだ。

高校の時、バレー部でセッターをしていた私は楽勝な試合でも、どこかもっと長くプレーしたい、試合が終わってしまいたくないと思っていた気がする。チームの調子が良いほど、もっと長くやりたくなってしまうのだ。そんな私の気持ちが作用してしまっていたかどうなのか、我々のチームはいつもフルセットの接戦を演じてしまっていた。そのせいで少ないメンバーはいつも無駄な疲労をして、そして最後は負けてしまったのではないか。そんな自責の念を抱いていたようなことを思い出した。終わってしまうのは寂しいものだ。続けたくてもいつか終わってしまうものを、それはたとえ勝ちだろうと負けであろうと、自分から終わらせてしまうというのは嫌なものだ。いつか終わってしまうことをやるというのは、なんと矛盾に満ちているのだろう。我々は何のために生き、あるいは何のためでもなく生き、そしていつか死んでゆくのだろう。何かが残り、忘れ去り、あるいは何も残らず過ぎ去ってゆく。何かのきっかけが人を動かし、心が動き、ただただ欲望だけが確かなもののように思える。キツイから止めてしまおうというのもまた欲動ではあるのだが…。

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ゴールゲートの時計が2:59であるのが見えた。時間内にゴールできたようだった(タイムは2:59.19)。ガッツポーズをできたかどうか分からないが、倒れこんでスタッフの人が車イスを持ってきて「乗るか?」と聞かれたのは憶えている。担架だったら乗ってしまいたい気もしたが車イスには座れそうになかったから、「大丈夫です」と言ったところがこの写真。その後這いつくばって本拠地に戻り、1時間ぐらい動けなかった。止まった途端に両脚のあちこちがかわるがわるに攣り、どこか動かせばどこか攣るといった状態でしばらくもだえていた。こんな風になったのは初めてだった。両脚を揺さぶってもらって血行を促し、ようやく落ち着いた。このようなレースはもうしたくない。あまり心臓などにも良くないだろうし、こんなことで死にたくないし。

目標はクリアしたが、「敗因」はやはり脚力不足であろう。今回の練習メニューの反省点はいくつかあるが、もっと効率よく、ストイックになり過ぎないように脚力を上げてゆく必要がある。まずは5キロ10キロのタイムを縮めてゆく走力、脚のバネを強くして終盤へたれないようにする。来年はもう少しペース設定に余裕を持たせ、2:57ぐらいを目標にしたい。そうして毎年3分ずつぐらい縮めていければ、5年で2:45という大目標を持ってしばらくは楽しめそうだ。何のためとか理由や理屈は問わないことにしよう。無駄なことにも、いや無駄なことにこそ価値があるはずだ。お酒も音楽も、そして酒場にも僕の店にも。そしてきっと我々の生活や人生にも。

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最近、マラソンにすっかりはまっているミュージシャンY氏とマラソン談義で仲良くしてもらって、とても嬉しい。氏のブログには私もたびたび登場しているそうである。南口の某バーでは氏のミュージシャンとしてのカリスマ性が発揮されてか、あらゆる人たちがシューズを買い、ランニングを始めて、空前のマラソンブームが起きている。それに引きかえ当店のマラソン熱は盛り上がるどころか冷えてゆく一方で、これもひとえに人間的魅力の問題であろう。氏は3月のレースでフルマラソンに初挑戦し、サブ4を狙っている。たてた目標は意地でも達成するガッツを見せてくれるはずだから、私はあえてクリアできなかった時の罰ゲームを提案した。それはかかった時間だけ当店でフリーライブをしてもらおうというものだ。私は密かに罰ゲームを期待するが、晴れてクリアしたら、それでもいつか当店で(有料の)ライブをやってほしいと思っている。
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by barcanes | 2009-11-08 21:17 | Trackback | Comments(2)

日本語再発見ナイト

お店を始めた当初は、日本語の曲をかけるのがためらわれたものであった。外国の歌や音楽ばかりかけていた。我々は子供の頃テレビの歌謡曲を聞いて育ったけれど、いつからか日本語の曲を聞かなくなった。僕は高校を卒業するまでは、むしろ英語が嫌いだったので英語の曲なんて聞かなかった。みんなに嫌がられるから恥ずかしいことのようになってしまったけど、僕は長渕剛が好きでギターを始めた。フォーク的な音楽が好きだった。それがスプリングスティーンやトム・ウェイツやディランから始まって、ブルーズやニューオーリンズ音楽に興味を持ってから一気に世界が広がった。そしてその分だけ日本語の歌やヒットチャートのJポップに耳がいかなくなった。

お店で日本語の曲をかけると、どうも急に空気が変わってしまう。それはバーという空間が、普段あまり飲まない洋酒を飲ませるという非日常的な要素を売り物にしているからだろう。当店の売りのモヒートやラムを飲ませるにはやはりキューバやラテンの音楽が似合うし、ワールド・ミュージックには無国籍でゴッタな不特定の土地への浮遊感のようなものがあり、どこの店とも違うという、自分の店のアイデンティティを表すのにはちょうど良かった。ソウルやジャズやロックにはそれぞれの雰囲気があり、気持ちよくお酒を飲むためのBGMになりうる。英語の曲はタイトルや歌詞でなんとなく分かるような曖昧な感じが間接的で良いのだ。しかし日本語の曲をかけると、途端に現実に引き戻されるというか、俗っぽさに気が緩むというか、日本語が直接耳に入ってきてしまって、間接性が一気に失われてしまう。

なぜそのことをバーが嫌がるかは、酒場での政治談議のようなもので、直接的であることは危ないからだろう。思ったことをそのまま言ってしまえば、相手を傷つけたり怒らせたり泣かせたり、周りの人はかばったりフォローしたり気を使ったりと、曖昧や笑いや嘘やおべっかでなんとか和らげなければならなくなる。そんなバー・カウンターの幅のこの曖昧な距離感の中で、しかし人は、やはりほんの少しでも直接性を求めて酒を飲みに来てくれるわけなのだ。本当のこと、本当の気持ち、一瞬の真実、しっくりくる言葉、飲んで良かったと思える酒の味わい、喋って良かったと思える会話、無言のうちにも気付くひらめき。我々はそんな希少な直接性のために、むしろ間接性を必要としているのだろう。

そこに日本語の曲である。ラーメン屋のラジオ、スナックのカラオケ、有線のJポップ。そんな俗っぽさのためにバーに来てるんじゃないって言われたくはない。昭和歌謡や演歌は我々の記憶に作用し、気持ちが動いてしまうので良くも悪くも空気が荒れる。沖縄や奄美の民謡はケルトやカントリーブルーズと同じようにワールドミュージックとして入ってくる。日本語の曲をかけたときのあの気が緩む感じは、いつしかお店を長く続けるにしたがって、私の肩の力が抜け、(非日常的な)お店自体が私の日常となり、気持ちが緩んでゆくのと同調していくようになった。良くも悪くも自然体になってきたのだろう。そうして近年、殊にこの半年ぐらいは、お店で日本語の曲を流すのがしっくりくるようになってしまった。お酒のラインナップもこだわりが抜け、ケミカルなものや大量生産のものが減り、身の丈にあったもの、庶民的で質の良いもの、安くて美味しいという意味でリーズナブルなものを選ぶようになった。洋酒と同じように焼酎や日本酒も扱ってきたのだから、洋楽と同様に日本語の曲が流れるのも当然といえば当然であったのだ。

特にこの夏に竹原ピストル君が藤沢に来てからというもの、我々に空前のフォークブームが訪れた。60年代ジャパニーズ・フォークのレコードがCD化され再発され、フォーク・フェスも往年のミュージシャンもリバイバルしている。フォークとは民衆、フォーク・ミュージックとはあらゆる民俗音楽を指す。国や言葉や民族が違えど、我々はみな民俗に生きている民衆である。人は国民である前に民俗民衆であると私は思うし、国境も国籍も我々が選んだものではなく制度として与えられたものである。我々は世界の様々な民俗を知り、楽しむことができる、世界人なのだ。だからこそ自分たちの民俗を見つめ直し、作り直し、そして現代のものとして新しくしていかなければならない。それがフォークだと思うわけだ。今まさに我々のフォークが求められているのだと思う。

と前置きが長くなったが、若い人たちが自分たちの言葉でオリジナルの曲を作って歌っているのは本当に素晴らしい。洋楽や外国の音楽のカバーから入っていても、そこから日本語の歌をつむぎ出すことに、私はいちいち感激するのである。そんなことで我らがダメアニキ間瀬さんの提案で、我らが歌姫まえかわちゃんにもっと日本語の曲を歌ってもらいたいという気持ちから始まったのがこの企画である。あまり知られていない日本語の古い曲をまえかわちゃんに歌ってもらい、かけだし学生フォークシンガーのしんぺーには詩を朗読するというチャレンジをしてもらうことになった。
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小雨降る日曜の夜に間瀬さんの尽力でなじみのミュージシャンや音楽好きの面々が集まった。冒頭はしんぺーが和んだ空気の中からものおじせずにポエトリー・リーディングをして、引き締まった良い空気を作ってくれた。二見さんやテツさんの日本語の曲のDJを挟みながら、間瀬さんが岡崎恵美ちゃんとギターとウクレレのデュオ、恵美ちゃんのウクレレの弾き語りはさすがに場慣れしていて安心して楽しめた。まえかわちゃんは間瀬さんが持ってきた五輪真弓の曲と長谷川きよしの曲を間瀬さんのギターで歌った。いつものブラジルの曲を歌うのと違うようで似ているような、彼女独特の雰囲気が出ていてとてもよかった。雨の夜にぴったりの雰囲気だった。そう、まえかわちゃんがうちで歌う日はなぜかいつも雨なのだ。サンドフィッシュ・レコードの宮井さんは自作の詩を作ってきて、ロックに対する愛を読み上げた。この日一番の拍手をもらったかもしれない。飛び入りでぎゅーぎゅーさんと中西さんが即興演奏をしてくれ、盛り上がりが納まってから最後にしんぺーがオリジナル曲を数曲歌った。

とてもやわらかく、素晴らしい雰囲気に包まれた一夜だった。洋楽一辺倒のサンドフィッシュの宮井さんも、「こんな良い雰囲気のイベントはなかなかないね」といたく感心してくれた。特に朗読というのがとても良くて、音楽に混じって朗読を聞くということがみんなにとっても新鮮であり、また語られる次の言葉を待ちながらみんなで静かに耳を傾けている、その時間が面白かったし素晴らしかったのである。集まったメンバーもいつも別々のイベントで来てくれている人たちが一堂に会して、全員がなじみの仲間うちという感じも良かった。内輪のイベントという感じもしてしまうが、人前でいつもと違うことをしようという今回の主旨には、それを見守ろうという温かい雰囲気がとてもよかったし、内輪の馴れ合いという感じにもならなかったのも良かった。

楽器を演奏するとなるとなかなか大変だし、誰でも何でもよいという風にしてしまうとちょっとクオリティが落ちてしまうかもしれない。でも朗読というのは日本語が喋れれば誰でもできるのだ。詩は自作でも詩人の作品でもよいし、絵本でも小説の一部でも、戯曲や小芝居でも、旅のお話でも語りでも何でもよいのではなだろうか。いつもと違うことを人前で発表したりすることが面白いのだ。よく考えてみると、少し前から始めたご飯の会と似ていて、一品持ち寄って自作のものをみんなで共有して味わい合うというは楽しいね、ということなのだ。これも間瀬さんの言いだしっぺで始めたのだが、とても面白い。だからこのイベントも、何か一品持ち寄って、発表してみんなで共有しようという主旨で、続けていきたいなと思っています。発表の会とご飯の会と、交互に隔月でやっていく予定です。みなさんもぜひ参加してください!何をやるかについては相談に乗りますので、参加したい方はぜひ。日本語ということには特にこだわらなくても良いです。
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by barcanes | 2009-11-01 20:44 | イベント | Trackback | Comments(0)