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ダメ男ウィーク開幕!

6年目を迎えたカフェウィーク。当店は初年度から参加させてもらっています。今年は参加店が約20店舗から130店舗以上に増え、保存版のマップを作ろうというのが新しい試みでした。実際、出来上がってみたらたくさんの間違いが見つかり、マップの出来にもかなりの不満が残るものになってしまいました。我々、人と人のつながりでやっているはずなのに、どうしてこんなことになってしまうのでしょう。政治や利害の関係のない世界でも、下請けや下請けの下請けなど言っている間に、なかなかうまくいかなくなってしまうみたいですね。大人の社会は難しいものです。もうひとつ愛が感じられないものになってしまい、ちょっと残念でしたが、また来年、またもう少し良いものにできたらいいなと思います。今年は僕も多少自腹を切って頑張ってみたのですが、新しい同業者の仲間が増えて、とても楽しい、良い機会になりました。それでも、一番頑張ったのはベルーガのマスターです。今回の参加店のうち、3分の2以上はベルーガのマスターのお知り合いの協力によるものです。すごい。来年はさらに200店舗ぐらいに増やしたいですね!

さて、今回の当店の企画は、「ダメ男ウィーク!」です。昨年末から「ダメ男ナイト」という企画を始めてみましたが、「ダメ男」とはいったい何なのか、常連さんや周りの人たちを巻き込みながら、いろいろ考えてきたわけです。自分なりに考えた今のところの結論は、「ダメ男」とは、「独身男」ということに尽きる気がしています。最近、テレビで独身女をテーマにしたドラマが放映されているらしいのですが、女性の独身者は、どうやら一人で何でもできてしまうことをポジティブに楽しんでしまいたいと感じたくなってしまっているようです。しかしダメ男たる独身男は、無理してポジティブになりたくはないのです。そこに切なさややるせなさを感じつつ、寂しさを背負いつつ、「ダメさ」を認めながらも生きてゆくのです。一人で生きてゆく寂しさや辛さと、その反面の自由や気楽さ、どこか女性を求めたくなる気持ちと、それに付きまとうわずらわしさを全て背負って、それでもこれが最高!とは言わないのがダメ男の嗜みです。「俺はダメ男じゃない!」と言い張る男は、どこかまだ一人で生きてゆく覚悟ができていないか、誰かに頼ろうという期待を持っているのでしょう。それもまた愛のかたちなのか。自己愛、または未知の未来への愛の投げかけ?これもまた、酔うて書きたるダメ男のたわごとか。

それでもこの一年というもの、「ダメ男」ということが議論のネタになり続けてきたのです。ダメ男の街、藤沢北口。独身男の住みやすい街。たそがれたければ海に行って夕焼けでも眺めればいいし、夜寂しくなれば、飲みに行く店はたくさんあるさ。ただ一人で飯を食う寂しさは。そんなことで、最近は「ごはん会」を始めた。一品持ち寄りでみんなで集まれば、品数も増えるし、ごはんもおいしいさ。独身限定で月一でやってます。料理するのも楽しくなるしね。自分で飯でも作れなければ、一人で生きてけないよ。そして、一人で生きてける強さがあれば、もしかしたら良い人に巡り合えるかもね。そんな感じなのです。

そんで、今週は「ダメ男ウィーク」です。

10月25日(日)「モンクとエヴァンスのソロピアノをひたすら聴く」
MONK "Solo On Vogue" "Thelonious Himself" "Alone In San Francisco" "Solo Monk" "Monk Alone"
EVANS "The Solo Sessions Vol.1 &2" "Conversasions With Myself" "Alone" など。切ない一人っきりの音楽。日曜の夜。ただただ聞くだけ。

10月26日(月)「Stormy Monday Blues Night」
一部に好評のブルーズ・ナイト。今回はカントリー・ブルーズだけでなく。

10月27日(火)「"J"のつくダメな奴特集」
James Taylor、Jackson Browne、Eric "Justine" Kuz... "J"のつく奴にはなぜかダメな奴が多い…

10月28日(水)「ジャパニース・フォーク・ナイト」
将来の日本を担う20代割引あり。これからの音楽、これからの歌を考えるための日本語の歌、日本のフォーク。フォークロアこそわれらの音楽。温故知新。Free Folk!

11月1日(日)「日本語再発見ナイト」
日本語で歌おう。日本語で語ろう。日本語の美しさを再発見。ポエトリー・リーディングもあり。ゲストもあり。

各日、ダメ男(女)に限りNo Charge。
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by barcanes | 2009-10-25 04:03 | イベント | Trackback | Comments(2)

流星について流星のような思索

しし座流星群が朝4時頃に見ごろのピークを迎えるというニュースを見たので、お店が終わったら見に行ってみようかと思った。ちょうど4時頃にお店が静かになり、チャリを飛ばして海へ向かった。夜空を見上げながら歩いている人がいた。鵠沼海岸のマックでセットを買い込み砂浜へ向かうと、強風は一段と激しく砂防の竹柵の陰に逃れて、芝生の上に陣取った。空は藤沢にしては星の良く見える夜空で、じっと見上げていると目が慣れてきて、いっそう満天の星空のように思えてくる。

冬の星座、オリオン座が南からやや東寄りに出て、冬の大三角形が低く見える。星座には詳しくないが、この2つが見られるようになると冬も近づいたんだなぁという気がする。特にこの時季にはまだ明け方にならないと見えなかったりする。静かにお店が終わって、まだ暗いうちにチャリをこぐような、この時間が好きだ。新聞配達と道路工事と、あとは夜の人たち。夜しか泳げない人たちが仕方なく歩いているような時間。

こんな時間に家に帰ってテレビでもボーっと見ていても仕方ないし、夜空を見上げて天体ショーを待つのは悪くない。空からのメッセージを待つのだ。テレ=メッセージ。考えてみればテレビも「テレ=ビジョン」で、遠隔的なビジョン、天体ショーだって遠くからの映像なのだから同じことだ。人は時に直接的なコミュニケーションより、テレ=コミュニケーションを好むことがある。人の言うことを聞かずにテレビからの情報を鵜呑みにしたり。家族との会話よりテレビをじっと見つめたり。話すことよりメールの方が楽だったり。人の言うことに即座に返答するというのがメンドクサイこともある。僕はお店をずっとやってきて、長いこと顔を突き合わせ、言葉を尽くして語り合ってきたつもりでも、とうてい相手の心に届かないということに幻滅を感じたりすることもある。目の前にいても遠いところにいるかのように、言葉は伝言ゲームのように、相手の心に届く頃には全く違う言葉になっていたりする。

だから最近はこう思うようになった。お酒が入らないと語り合えないということもあるけれど、お酒はむしろ言葉を失くしてゆくのだ。酔い心地に言葉が流れ出しても、その分だけ言葉の力はどんどん無くなってゆく。そして残るのは好きか嫌いか、良いか悪いか。このシンプルさが最近とても心地よいと思うようになった。言葉を尽くしても理解は生まれない。酒場における理解とは同意であるが、同意できない場合はお互いの違いが明らかになってゆくだけだ。本当の理解とはそこから始まるはずだが、言葉ではなくそこを超えてきてくれる人だけが残ってくれる。結局、好きか嫌いか、良いと思うか悪いと思うか。言葉の重力を超えて。言葉の重力を超えた言葉は、詩の言葉になる。無意味に真意をつくような、シンプルに心に響くような。光の重力を超えて飛び散る流星。光だけが光じゃない。夜しか泳げない…。(by SION)夜の街をチャリでふらふら走るのも、また。

最近、若い子たちと仲良くなって(仲良くしてもらって)、若い子たちの勢いの良さに驚く。そして自分たちにもそんな年頃があったのだと懐かしんだりする。自分の世界が狭くて窮屈で、勢い良く壁に当たり散らしては、世界がジリジリと広がってゆくのが楽しかった。自分はいつも慎重で引っ込み思案になりがちではあったが。我々は年を経るにつれ、いつしかいろいろな失敗を繰り返し、世界が捉えようのないぐらい大きいことにおののき、周りをじっくりと見て少しずつ慎重になってゆく。そして身の丈のささやかな幸せに落ち着いてゆく。世界は星座の動きと同じように、システマティックに正確に周っている。そんな中で我々はいったいどこに心の隙間を感じられるのだろうか。

しし座のシリウスとオリオン座の間ぐらいに見えるというから、その辺りをじっと見ていたのだが、どうももっと東の低い空にちらほらと光の筋が、眼の周辺に流れて行ったような気がする。1時間に50本ほど見えるというけれど、なかなかはっきりとは見えないものだ。流れ星が消える前に願い事をすると叶うというが、実際、言葉を浮かべた途端に消えてしまうぐらいだろう。文字にしたらせいぜい2文字か3文字ぐらいのものではないだろうか。2,3文字で言える願い事なんて、せいぜい「愛」とか「平和」とか、そんな漠然としたものぐらいで、逆に言えば流れ星の願い事って、個人的で細かい具体的なことなど叶うわけではなく、とても抽象的な、大きな事しか言えないようになっているのではないかもしれない、なんて思ったりもする。我々の流星のような人生の最後に残るのも、結局は2文字か3文字、「イエ」とか「カネ」とか、あるいは「うた」とか…。

恒星のシステマティックな廻りの中で、突然勢い良く降りかかってきて消えてゆく、そんな突拍子もなく勢いの良い、若さのような力を見たくなるのかもしれない。人はなぜ流星の天体ショーを見に行くのだろう。二度と同じことのない夕焼けの風景。二度と同じ波など来ないサーファーの日々。二度と同じことのない雲の色合いとスカイラインのグラデーション。我々はそんな自然の二度とない色合いを見るとホッとする。だけど流星は何十年に一度とかの周期で現れて、恒星のシステムに勢い良く割り込んでくる。それを今か今かと待っていると、心にぽつぽつと新しい隙間が生まれて、開かれていくようだ。マックを喰いきったら、芝生に寝転んだ。一人で風の音を聞きながら空の変化を待つのは、山にいるのと同じでなんて素晴らしいのだろう。5時も過ぎるといつの間にか空にもやが白く薄くかかり始め、星の数が少なくなったと思ったら、東の空が明るくなり始めていた。

結局見えたのは、というか1本か2本見えた気がしただけだった。願い事などできるはずもなかった。それでも何かを期待して待つというのも悪くなかった。何かのメッセージが降ってきて、このようなとりとめのない思索が流れ出たのだ。
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by barcanes | 2009-10-19 20:56 | Trackback | Comments(0)