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西丹沢~主稜縦走

9月に入り、11月の湘南国際マラソンが近づいてきたので、あんまりのんびりした山歩きをしてる場合じゃないような気がしてきた。木曜の休みは二週山から遠ざかり、久しぶりの日帰り山行とした。せっかくだからできるだけ軽装にして、早駆けの縦走で、未だ踏みざる丹沢の最高峰、蛭ヶ岳を貫く丹沢主稜のメインルートを辿ることにした。3時間の睡眠で8:41の東海道線に乗ると、10:46に西丹沢自然教室に着く。その間全て座れたので、ほとんど居眠りしてあっという間に着いた。標準時間12時間半ぐらいのコースを、4割ほどの5時間ぐらいで行けるだろうという見込みだったが、のっけからなんでもない平坦な登山道で派手につまづき、山頭火の「すべつてころんで山がひつそり」。手のひらを擦りむいた。その他にも何度もずっこけた。マラソンのトレーニングで張り気味のふくらはぎも気になり、寝不足と久しぶりのトレイル・ランで、足運びがうまくいかない。しかしちょっとした着替えとスポドリと行動食という軽い荷物は、背負っていないに等しいぐらい気楽だ。焦らずのんびり行こうと心を切り替える。

道を自分が進んで行くのではなく、自分の前に次々に道が現れ通過してゆく、ゼビウス的スクロール感覚である。のんびりしていると画面の下端に追い詰められてしまう感じだ。山道は征服してゆくものではなく、目の前に次々と開かれてゆくフィールドである。クリアする喜びのためではなく、続いてゆくから続けてしまう、エンドレスなゲームの感覚に似ているような気がする。ゲーマーではないけれど。切りのいいところまでと言いながら、結局は体力の限界かタイムリミットまでやってしまったりするのは、きっと山も同じなのだろう。ただしだからといって、山中ではもうやーめたとは簡単には言えないのだが。

檜洞丸までは何人かのおじさんと会ったが、白い花の咲く木道では若い女性がタバコを吸いながら散歩していた。山で一人歩きの若い女性に会うのは年に一人ぐらいだ。話をしてみたい気もしたが、挨拶だけで通り過ぎてしまった。荷物を持っていなかったから、山頂にいたグループの一員なのかもしれない。その後、丹沢山の山頂では若い男の子がうずくまっているかのように座っていて、初めての山登りなのだが大倉まで下山するのにどのくらい時間がかかるかと聞いてきた。のんびりしていると暗くなるがライトも持っているというし、いざとなれば山小屋も開いているから大丈夫かなと思ったが、もう少しいろいろ、地図は持っているかとか、水や食料はあるのかとか聞いてあげても良かったかなと後悔した。でも山仕事をしていた人たちもたくさんいたし、たぶん大丈夫だろう。マンガ「岳」の主人公ではないが、せっかく登ってみたのに山が嫌になってしまったら勿体ないなと思う。だけどせっかくの孤独を楽しみに来ている人に、余計な干渉はしてはいけないという気持ちもある。口には出さず、心だけは気にかける。だから挨拶だけは元気にしたいと心がけている。

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今回は檜洞丸から丹沢山までの間が初めて通るコースで、その間だけ誰にも会わなかった。丹沢の主稜だけあって道は深くえぐれて歩きづらいところが多かった。しかし南側にユーシンの渓谷が見下ろせるようになると、その落差に神妙な気持ちになる。初めて見る風景とはいいものだ。しかも四方を登ったことのある山ばかりが囲んでいるというのも面白い。地図を見ながら山座を同定し、まだ行ったことのない場所や歩いたことのない尾根に思いをはせ、そして未だ足を踏み入れていない沢の遡行の世界にも夢が広がる。いつか地図上の赤いライン(ハイキングコース)や赤い点線(サブルートや難路)を全て踏破してみたい気持ちにもなるし、薄い破線の廃道や仕事道、道なき尾根線など、我々神奈川県民にとって丹沢はまだまだ遊べるフィールドだ。それにビバークや冬の雪山などの要素を加え、秋の紅葉や天候の良し悪しを加えれば、楽しみは無限のようである。

一方でメインルートの登山道はえぐれ、崩れ、荒廃してゆく。土砂崩れや倒木が目立つ。我々が年老いる頃、山はどうなっているのだろうか。私の父などはやはり、丹沢は面白くないという。人が多く通う山は人の手が加わりすぎるからだろう。人の手が加わらない森は美しくない、という言葉もある。これはおそらく里山についての言葉だと思うが、私は逆に無責任にも、荒廃の美もまたあると思ってしまう。むき出しになった木の根が支える登山道や、土が流れてハードルのように歩く邪魔にしかなっていない木段。切れ落ちたヤセ尾根。枯れた植林帯。それらも哀しき頽廃の美なのだ。そしてまた一方で、流出した斜面にくいを打ち、土嚢や石を置き、朽ちた木橋にまた新たに架けられたトラバースの木道。山を知り、山を愛する人にしかできない仕事に心を打たれる。大気汚染や気象の変化で失われてゆく草花。鹿の食害、糞やヒル。それら人為であろうとなかろうと、変化してゆく。それも自然である。無垢な自然などありえないが、それでもときおり見せる天候や災害の激しさや、枯れ果てた死の冬から一気に芽吹き、もりもりと沸き立つ緑の生命力はまぎれもない無垢の自然の力である。

我々はそれを感じにゆく。一年の間にあれだけこんもりしていた緑の道が枯れ果て、そしてまたあっという間に盛り返す。ありきたりな言葉だが死と再生。その道を自分の足で歩く。ただそれだけ。丹沢もやはり山岳修験の山で、古くは山伏のような仏教徒がこの山々を歩き道を作ったのだろう。私も子供の頃、父親に連れられて山を歩くことで、自ずと自分の宗教的感覚が形成されていったのだと、今となっては思える。山を歩く人たちは、なんの方法論(宗教とは本来方法論であるはずだから)を持たなくても、山を歩くことで原初の宗教感覚に触れるという、古の山岳修験者と同様の体験(深さは違うにせよ)をしているのではないだろうか。

小学校6年生の夏休みだったが、なぜか中学に入ったら厳しい部活に入るという決意をしていた私は、もう山にも行けなくなるだろうから最後の思い出にと、父と二人、中央アルプス縦走に出かけた。記憶は断片的だが行きも帰りも夜行列車で、山小屋にも泊まって木曽駒ケ岳から空木岳を歩いた。岩の陰から野生のテンが出てきたのを憶えている。帰宅したのはお昼頃だったと思うが、疲れてるでしょ、と母に布団を敷かれ、昼寝をさせられた。その明るい午後のセミの鳴き声の中で、私は密かに文字通り、枕を濡らしたのだった。山に別れを告げ、帰ってきたことがたまらなく悲しかったのだ。その感覚は今でも心に残っていて、あの世界にはもう戻れないのだと確かにあの時思ったのだ。

山伏の修行では一般に、山を母親の胎内に見立て、一度死んでまた新たな人間となって生まれ出るという構造になっているという。そのことと重ね合わせれば、あの時私はイニシエーション的な経験をしたのだけれど、あちらの世界の心地よさを断ち切れず、後ろ髪を引かれながら悲しみとともにこの大人の世界に生まれ出てきてしまったのかもしれない。私が大人になれないのはそのせいかな?だからせっせとこうして山に出かけ、歩きの業を積んでいるというわけだ。業かな業かな。

塔ノ岳からは真っ直ぐに大倉尾根を下りず、表尾根をヤビツ方面に少し行って、政次郎尾根から沢登りの拠点、戸沢に下った。なんとか陽が落ちる前に下山できた。実質動いてた時間だけだったら予定通りだったが、ちょこちょこ休み休みだったのでそれを入れると1時間ぐらい予定オーバーだ。まあまずまずだ。そこから林道を5キロと、車道を5キロ、計1時間ぐらいジョギングして「湯花楽」というスーパー銭湯まで行った。どのお風呂もぬるめで唯一「リンゴ酢の湯」という赤いお湯だけが温かかった。面白いのは浴場から裸のままエレベーターに乗り、別フロアはラブホみたいな怪しげな雰囲気で、寝転がれるサウナが2種、そして水風呂の替わりに涼しい部屋がある。天井に降雪マシンが付いていて15分に一度雪が降るのだが、映画のエンディングみたいな音楽がかかって、うつむき加減の裸の男たちが座っている薄暗い部屋の上のほうから、ふわっと明るく照らされると、なんだかベンダースの映画みたいに天使でも飛んでいるのが見えてきそうでおかしかった。

渋沢駅までの道の途中に有名な「なんつっ亭」があるので初めて食べてみた。黒いマー油?がかかっているやつ。思ったよりコッテリしてなかったが、やはり油っこくてお酢を入れた。それでもやはり旨い部類なんだと思う。というかマジメに作ってます!という店員たちの威勢の良さに好感が持てた。当店近くのどこぞのラーメン屋とは似て非なるというか。レジのかわいい女の子が目を見て応対してくれたのも後味が良かった。最後はそこかい!と思われるが、それぐらいがせめてもの精進落し。帰ってチューハイを飲みながら山頭火の行乞記を読んだ。業かな業かな。

山頭火には山の句も多い。彼は山登りをしたわけではなく、ただ旅のために山を越えたのである。

分け入っても分け入っても青い山

これは彼の代表作ともいえる句で、私の記憶が確かなら、小学校の国語の教科書に出ていた。私は小学生ながらも、山頭火の自由律俳句というものに魅かれた。その後、音楽でもなんでも、フリースタイル的なものに心が動くのは、やはり私の資質なのだろうか。

乞食僧としてただ歩くことを業とした。家族を捨て、酒を捨てられず、そして一生悩み抜いた。我らがダメ男の究極のような人である。いつかまた、改めて書こう。
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by barcanes | 2009-09-17 23:15 | Trackback | Comments(0)

TAJI ROCK MEETING

2回目のTAJI ROCK。前川ちゃんの大学の音楽サークル仲間たちを中心に、音楽を続けている若手たちが集まってくれる楽しみなイベントだ。中心の田尻君は僕の高校の後輩でもあるそうなのだが、最近分かったことには、なんとお母さんが僕の小学校1,2年生の時の担任の先生だった。確かに名字と目元にぴんと来るものがあった、ような。お腹が大きくて、産休で半分ぐらいいなかったのだが、その時お腹にいたのは田尻君のお兄さんだそうである。キレイな先生で、子供ながら密かに憧れていたぐらいだから、顔も姿もよく憶えている。

そんな先生がライブにいらした。約30年ぶりである。自分の母とあまり変わらない年代であろうから想像には難くないはずだが、やはり記憶の中の若い先生(およそ今の僕より年下であろうから)が時を越えて目の前に現れるというのは、両親の若い頃のアルバムをめくるような、タイムマシーン的な不思議な感覚である。思った以上に先生は小柄で、着物を着て、背筋の伸びた凛とした感じが当時の印象そのままであった。騒がしいライブの中、全然話すことができなかったのだが、当時のお話などまたいろいろ聞いてみたいな。

そして子供の頃の私を知っている人が、今の私をどう思うのだろうか。こういう商売をしていることに、多少の恥ずかしさもある。子供の頃の自分のどのような資質が、今のこの私に発芽しているのだろう。あるいは散り落ち、またはいつか何らかの果実を実らせるのか。花の咲かない雑草として路傍に踏まれ、それでもたくましく根を張り、それともタンポポの綿毛のように空を飛べるのだろうか。木の実となって鳥に食われ、糞となってどこか遠くに連れて行かれるのも悪くない。

前川ちゃんと田尻君のユニット「遊鳥」は、まさに空に遊ぶ鳥のような前川ちゃんの歌声が、今はまだ家の近所をぐるぐる飛び回っている可愛らしい子供の鳥でも、いつか遠くに羽ばたいてほしい、そんなところを見てみたいというか、我々のささやかな木の実を食べて、どこか遠くに運んでいってほしい。それがクソのような我々ダメ男の気持ちである。日本語の歌ももっと食べてみようね。

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スズケン君は僕の好きな曲ばかり、よい選曲の洋楽カバーの弾き語り。やはりオリジナル、または日本語の歌が聞いてみたいね。ドラム、ピアノ、スチールギターの3人組「々(オドリジ)」はとってもポップなメロディーと、歌詞も良くて、そして歌やコーラスがへなちょこな感じがこれまた良い。既成の枠組みやスタイルや誰かの影響などに頼らず、自分たちで時間と空間を作り出してる感じがとても心地よい。そういうことって、我々と我々より上の世代の人には意外と難しいことなのだ。みな、我々の以前に開かれた燦然たる功績や、スタイルや構成や方法論を前にして、それに学び平伏して、その組み合わせを変えることぐらいしかできていないのだ。よく言えば時代を引き継ぐというか。

それに比べ、若い世代の人たちはそんなことからとっくに解き放たれてて、自由だなと思う。我々の世代はいろいろなものがぶち壊され、自由をもてあそんだバブル期の後で、そんな自由にまた不安になり、何か古いものの中にも良いものがあるんじゃないかと、信用するに値する頼れるものを再発見しようとしてきた世代だから、あまり新しいものを生み出せなかったのだと思う(たぶんこれからも)。若い人たちに何か新しいものを期待し、なにが出てくるか楽しみになることって今まであまりなかったから、自分もおっさんになったなということかもしれないけど、音楽のことだけでなく、これからの世の中についてもお先真っ暗になるばっかりじゃなく、若い世代の人たちがなにか新しく、楽しくしてくれるかもしれないなあと思うと、嬉しくなるのです。我々も負けないように頑張らないとね。

次回、また11月に当店に集まってくれるそうです。楽しみだなあ。みんなまた新曲も頼むね~。citta君や岡崎恵美ちゃんの出番も楽しみにしています。

今回の出演
鈴木健太郎 〈スズケンvo,gt)
遊鳥 〈田尻有太key、宮武りえper、まえかわともこvo〉
々(オドリジ) 〈宮下広輔vo,steel gt、田尻有太vo,key、横山祐介vo,dr〉
http://www.myspace.com/odoriji
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by barcanes | 2009-09-12 20:19 | イベント | Trackback | Comments(0)