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背負い試しとピストル君

山を走ることに疲れてしまったので、今度は重い荷物を背負ってゆっくり歩いてみたいというのがこの夏の夢である。憧れのオスプレーというメーカーの、70リットルの大きなザックを買ったので、さっそく試し履きならぬ「試し背負い」をしたくなった。何度も歩いている箱根湯本から明星ヶ岳のコースが、気軽でお気に入りのコースだ。せっかくのザックがスカスカなので2リットルの水を6本入れて、総重量は20キロ弱ぐらい。こんこんと湧き出ている阿弥陀寺の手洗いの冷たい水を汲むと重さはさらに増した。たかだか30分の歩きですっかりバテてしまい、45分で着いた塔の峰という小ピークで、今日はこのあたりで昼飯でも食って引き返そうと一度は考えたが、少し休んだらやっぱり元気が出てきてしまった。汗だくでビチョ濡れになりながら、標準3時間のコースを2時間半で歩けた。まずまず。山頂近くの開けた場所で、蟻んこと遊びながら2時間近くのんびりした。こんな風に焦らずに山で時間を過ごすことがしたかった。トレランはどうしても、練習でも時間に追われてしまう。とは言っても今日は夜にもうひとつ約束があるので、それほどゆっくりもしていられない。山では結局は時間や日没に追われてしまうのだ。

宮ノ下の銭湯的な温泉「太閤湯」の熱いお湯ではどっちにしろ長湯もできず、小田原行きのバスに飛び乗り、それでも東海道線は事故でダイヤが遅れ気味。藤沢には結局1時間遅れ。音楽スタジオ「てぃーだぬ荘」ロビーでのライブ。自分の店以外でライブを見るのはホントに久しぶり。今日は野狐禅(解散したばかりなのだそうだ)の竹原ピストル君が藤沢に来て、しかも定休の木曜日ということだから、これは見に行かなきゃいけないと、予約までしてもらったのだ。タイバンの2組を終えてトリのピストル君にちょうど間に合った。荷を降ろした肩が軽く、我慢していた缶ビールを喉に通すと、エアコンの効いた涼しい広々としたてぃーだぬ荘のロビーは、なかなか居心地の良い空間だ。先に来ていた当店常連チームと野狐禅ファンというK君や、僕に野孤禅のCDを焼いてくれたCチャンも到着。座っているよりも、カウンターに寄りかかるより、ここは斜に構えずに正面を切って聞きたいところだ。

一曲目。「だけど俺はやめたんだ」なんていう歌詞でハッとさせられ、「積み上げてきたもので 勝負しても勝てねえよ 積み上げてきたものと 勝負しなきゃ勝てねえよ」「何度でも立ち止まって また何度でも走り始めればいい 必要なのは走り続けることじゃない 走り始め続けることだ」なんて言葉に、いきなりちょっと涙こぼれそうになる「オールドルーキー」。ジャニス・ジョプリンのカバーとか言って全然カバーじゃないけど、モチーフだけ汲み取った「メルセデスベンツ」。神様に車の運転をしてもらうだけじゃなく、新宿歌舞伎町のピンサロで働かせちゃうし、急に深い話になったりする展開が深い。完全に心をつかまれた。「ただいまお母さん」の「帰郷」もちょっと涙腺ゆるみそうになるし、旅のベンチの「流れ弾」の「お腹の虫が鳴いた数だけお魚をブッ殺し 頭からおしりからかじりつき 丸呑みにする」なんていう詩は学生のときに愛読した種田山頭火を思い出させた。一曲だけカバーは、ビートたけしが昔歌った「浅草キッド」。七五調の歌詞と演歌フォーク調のコード進行がピストル君の声にもぴったりして、「夢は捨てたと言わないで 他にあてなき二人なのに」などと歌われると、冷房のせいで鼻水も垂れてくるのだ。

知ってる野狐禅の曲は一曲もやらなかったが、むしろ良かった。彼もピンに、単独行の人になったのだ。ハーモニカを首にぶら下げて、ギターをかきむしり叫ぶ、フォーク・スタイルが俺はやっぱり好きだ。ビールを3,4本とバーボンまで飲んじゃった。終わった後ピストル君が話しかけてくれたので、「僕も北口で店やってんだ」と言うと、「そこは、歌えるんですか?」と言うから「もちろん!」と応えた。いつかうちで歌ってくれたらいいなぁ。みんな泣いちゃうよ。

その後、借りてた山の本を返しに「なみ芳」さんに行った。ボウモアがけの生牡蠣やカツオのたたきやいろいろ出てきて、身に余る贅沢をしてしまい、すっかり酔ってしまった。そしてまた山の本を返した以上に借り、さらに歩荷トレーニング用に背負子も貸してくれた。俺もまたオールドルーキーだ。重い荷物を背負って、また一歩から歩き始めよう。

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by barcanes | 2009-07-30 23:20 | Trackback | Comments(2)

日食の日のクライマー

せっかくの日食の日だというのにすっかり寝坊してしまい、見逃してしまった。曇ってて見れなかったという人と少し見えたという人がいた。夕方、水を20リットルほど背負って、たまに階段トレーニングをしている公園へ行くと、昼間の風雨が強かったのかところどころ階段脇の土が崩れていて、カブトムシの幼虫のようなのがたくさんこぼれていて踏みそうになった。大きなカタツムリも久しぶりに見たが、堂々と階段を歩いていてこれまた踏みそうになった。誰かに踏まれないように、なるべく脇の土に帰してやった。

しまいには、階段の小さな段差を登るセミの幼虫がいた。抜け殻はよく見るが、動いている幼虫はあまり見た記憶がないような気がする。日も暮れて暗くなり始める時間だ。明け方と間違えたのかもしれない。それにしても階段を登っても仕方がないだろうから、私はつまみあげて近くの大きな木の幹につけてやった。垂直の木の皮に取り付いて、真っ直ぐに一定のペースで前足の両腕の鎌を振り下ろして登ってゆく様は、まるでダブルアックスで垂直の氷壁を攀じるクライマーのようだ。垂直への憧れが私の心にも生じてくる。たかだか5分10分の間に、クライマー蝉はあっという間に見えなくなるぐらいの高さまで登っていった。

彼はその後、無事に羽化できただろうか。珍しい昆虫の生態を目にしたのも、日食という特別な日だったからなのかもしれない。(その後、今年の夏は、例年に比べてセミが身近に飛んでくるような気がした。きっと彼は無事に成虫になれたのだろう。それを知らせに来てくれたような気がする。)

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後日、公園の階段の一番下の、アスファルトから一段目の階段の壁にくっついてるセミの抜け殻を見つけた。たかだか20センチ。彼はどうして。そんなところでいいのか!もっと高みまで!
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by barcanes | 2009-07-22 23:46 | Trackback | Comments(0)

夏のブルーズ特集!

毎月第3土曜日は「VOICES INSIDE」。ホストDJ二見潤と毎回ゲストを迎え、サウスでイナタく少々マニアックなレコードを流しています。

今月のテーマは夏のブルーズ!私は夏、暑くなってくるとロバジョンとかカントリーブルーズが聞きたくなります。暑い南部の夏を想像して(行ったことないけど)、焼けた土ぼこりや汗の湿った感じがジリジリと脳ミソにまで滲みてきます。この感覚はきっと弾き語りスタイルの素朴さなんかにも関係しているのでしょうか。最近は今さらながらスキップ・ジェイムズにはまっております。

若い頃のB.B.キングなどもたまに聞くととってもいいですよね。私はどちらかというとバディ・ガイとかアルバート・コリンズとかの「ハードコア・ブルーズ」は苦手なところもあるのですが、そもそもブルーズのハードコアってなんだろう。高音のチョーキングでピキピキーン!っていう感じ?今回の特集はゲストが文屋さんですから、きっと7インチ・シングルの応酬になるはずなので、シカゴ・ブルーズが中心の選曲になると思いますが、チェス・レーベルなんかけっこうスタイルが洗練されててソウルっぽいですよね。でかい襟のスーツを着たマディ・ウォーターズ。私はシカゴだったらやっぱりハウンド・ドッグ・テイラー!リトル・ウォルターやサニー・ボーイなどブルーズ・ハープものも好きです。

「VOICES INSIDE」は一応ソウルなイベントなので、ジョニー・ギター・ワトソンとかシュギー・オーティスみたいな感じもいいッスよねー。STAXやニューオーリンズもあるのかな。楽しみにしてます!今週はいろんなブルーズのCDをかけて、予習しときます!

7/18(土) 8pm-
今月のゲスト:文屋章さん
No Charge
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by barcanes | 2009-07-18 19:58 | イベント | Trackback | Comments(0)

夏の芋焼酎

今日は久しぶりに八部のプールに行ってきた。7月から屋外のプールも開放になり、子供たちがわんさかいた。監視員のおにーさんおねーさんに「走っちゃダメだよー」とか「休憩時間が終わるまで入っちゃダメー」とか言われても、はじっこで寝っ転がってるおっちゃんのお腹にビーチボールを落としまくっても、子供たちはやりたい放題だ。昨日で梅雨明けしたの?風は強かったけど心地良く、空は青く、夏だ。子供たちの天下だ。

外へ出れば八部球場は高校野球の予選が行われてて、応援の声が聞こえてくる。甘酸っぱいなあ。昼間のテレビはTVKで、弱い学校のへなちょこプレーや、刈ったばかりの青白い坊主頭や、息詰まるチャンスやピンチの連続が見れる。そしてどちらかのチームが必ず負けてゆく。その姿を見たいような見たくないような。夕方、うちの台所の目の前は公園で、子供たちの遊ぶ声を聞きながらカレーを作って(意外と甘口)、汗をだらだらかきながらお腹いっぱい食べた。隣の庭から、昨日までは聞こえなかった虫の声が大きかった。

そんなことで、夏にふさわしい味かどうか分かりませんが、久しぶりに新入荷の芋焼酎。両方とも当店としては軟弱な25度です。
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・日南焼酎 銀の星 皮むき芋仕込 (25%)
さつま芋(コガネセンガン)の皮をきれいにむいて仕込んでいるのと、3年ほどの熟成をしているからか、非常にすっきりとしています。すっきりしすぎてやや物足りない気もしますが、好きな人は好きでしょう。それに暑い夏にはロックであっさり、いいんじゃないんでしょうか。

・本坊貴匠蔵 全量芋焼酎 芋全 (25%)
米を使わない、全量仕込みの芋焼酎はあまり種類は多くはありませんが、どれもやさしい甘味があるように思います。飲み口が柔らかいというか。この焼酎は(いもぜんと読む。イモキンじゃないよ!)そんな中でお芋の香ばしさを前面に出したかったようだ。香ばしいけどスルッと入ってくる、香ばしいけどスルッ系ですね。ロックで最後にほんのりと甘味も残るし、いいんじゃないでしょうか。
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by barcanes | 2009-07-15 22:50 | Trackback | Comments(0)

北丹沢山岳耐久レース挑戦記

今回は久しぶりの長文です。

去年に引き続き、2度目の北丹沢に出場した。結果は5時間18分、総合36位。約2000人のエントリーで男子の完走が1300人だそうだ。上位の選手の昨年とのタイムを比べてみると、みなさんだいたい3,40分ぐらいは短縮している。昨年はコースと気候が少し厳しかった。そんな中で私は昨年から1時間17分ほど縮めた。平均心拍数167。max187。上々だろう。

去年の自己記録と2週前にコースをひと通り試走したタイムから、今回の目標を5時間半、朝6時半のスタートだから、お昼12時までにゴールすることに設定した。できたらそれよりも少しでも早く帰って来たい。試走では半分ずつ2日に分けても、ぎりぎり5時間半を切ったぐらいだった。この半年、自分なりに結構トレーニングを積んできたつもりだったが、昨年に比べてたかだかこのくらいにしかならないのかと、本番2週前にモチベーションはかなり下がってしまった。それでも諦めずに何とかやりきらなければならない。5日前まで最も弱点と思われる登りを、高い心拍数で動き続けることに費やした。

本番のプランとしては、最高にうまくいって5時間でゴールできるように各区間のスケジュールをたてた。そのプランよりも前半飛ばしすぎれば、当然後半にダメージがきて遅れるだろうし、かと言って抑えすぎたら後悔するかもしれない。前半を温存するなどというテクニックは自分には分からない。心拍計の数値を当てにせず、自分の身体の負担具合を信じて、力を抜かず無理をし過ぎないような具合を量りながら行こう。

最初のロードから心拍は180近くまで上がるが、身体はまだまだブレーキをかけるほどではない。やはり本番の緊張感と人ごみの中で、心拍はいつもより10ぐらい上がっているのだと考えることにする。入山口での渋滞はなく、ほどよいペースで最初の登りが始まる。それでも少しでも前へと走りぬいてゆく人たちもいるが、私はあせらず、ただ前後のペースを乱さないように、無理をしない程度に流れについてゆく。山道も下りに入り、また10キロほど続くロードに出る。自分とちょうど良いペースのランナーが見つかり、アップダウンのロードを近つ離れつ付いてゆく。スタートはあまり前に並べず、中ほどからのスタートだったが、ここまでにそれなりの人数を抜いただろう。1時間と少しして、2度目の入山口(立石建設)では予定より7分ほど早かった。プランからすると、明らかに飛ばしすぎだ。これでは後半バテることは目に見えている。しかし自分の体感として「無理しちゃだめだ」と意識しながら来たのだから、これはこれで後悔しまい。前半ゆっくり行ってもバテるかもしれないのだから、それで後悔するよりはマシだろう。

一つ目の登り、鐘撞山から大室山分岐までで早くも疲れ、貯金を使い果たして予定通りの通過となった。既に気持ちは「もう嫌だ。早くやめたい。もう二度とやるもんか」と負け犬だ。今回は5月に彼女と別れ、6月は今までにないお店の赤字っぷりで、トレーニングどころではない気分だった。ただ惰性でなんとか走り続けてきただけの日々であった。こんな利にも得にもならないことやってる場合じゃないんじゃないかと、自問自答の毎日だったのだ。それでもこのレースまではギブアップせずになんとかやり切ろうと、それが終わったらもうこんな寂しくて無駄なことはやめようと心に決めた。だからなんの楽しみも見出せず、辛いだけのレースが目に見えていたのだ。

2週前の試走でそれは決定的になった。楽しいはずの山歩きの孤独感も、緑や山の風の心地よさも感じることができず、心には葛藤だけが残るのみだ。せめて少しでも楽しみを見出さなければ、レースの時間を乗り切ることはできないように思えた。残るのは、何にもしないよりは諦めずにチャレンジしようという気持ちのみ。やめてしまったら何もかも全てが無駄になる。だから少しでも早く行こうとか、余裕を持ったレースプランとか、前後の順位などは全く考えられず、ただただ少しでも前に進むことだけ。足を止めたくなれば「Move, Move!」とランボーばりに自分に言い聞かせる。完全にネガティブな前進だが、脚筋のトレーニング不足を悔やみつつも、脳内音楽プレーヤーにはロッキーのテーマをリピートさせ、何とか時間をやり過ごすしかない。

登りから一気に下りに変わる分岐点で「68位」という声が聞こえた。まずまずだ。登りで萎えかけた気持ちが重力に任せて下るうちに少しずつよみがえる。しかしギリギリまでストップをかけないように駆け下りるため、太ももへのダメージは想定以上だ。登りではかなり抜かれたが、第一関門への下りでは誰にも抜かれなかった。ここまでぴったり予定通りの通過。この最初の一山の上り下りで、既に両脚は完全にバテてしまった。給水しようとバックパックを下ろすが思いのほか水は減っていなかった。やはり500mlほど多すぎた。500g余計に背負ってきたことになる。給水所でしばし立ち止まったが、心拍は全然下がらない。ホントはこの関門で給水しながら休み心拍を下げてもよかった。次の登り、犬越路への緩い上り坂では走るどころか歩くこともままならないような感じだ。

前後の選手たちも同様なのか、抜きも抜かれもしない状況で、私は前の選手にぴったり付いて、彼のペースに合わせて登ってゆくことにした。テイル・トゥ・ノーズどころかヒップ・トゥ・ノーズな間隔に嫌気をさしたのか、「先にどうぞ」と道を譲られたが、私には追い抜くほどの気力もなく、「ゆっくり行きます」と少し間隔をあけて登っていくことにした。登り終わった日陰沢源頭から犬越路トンネルに抜けるトラバース道の分かりずらいポイントで、判断に迷った彼を後ろから道案内しながら、そのうち彼は私を先行させた。彼のペースを乱すわけにもいかないので、少し頑張ってペースを上げ、そこから長く続く林道の下りを、後ろを振り返らずに駆け下りる。この下りで結構な人数を抜いた。重力に任せて駆け下りるのは太もも前面へのダメージが大きいが、私は比較的下りの方が得意なのかもしれない。去年の大会でも下りでは(30分遅れのスタートだった)女子のトップだった櫻井教美さんにしか抜かれなかった。今年も結局は最後の下りで一人に抜かれただけだった。しかしこの第一関門からの上り下りで予定から10分近く遅れた。この上り下りのプランは余裕をもったつもりだっただけに、この先どれだけ遅れてしまうのか不安になる。それでも山3つの上り下りのうち二つを乗り越えた。あと一つ、登りきればあとはまた勢いにまかせて下りきれば良いだけだ。

下りきった第2関門で給水を受ける。「1リットルぐらいお願いします」と言うと、スタッフのおばちゃんが「じゃあペットボトル2リットルだから半分ぐらいね」とペットボトルを逆さまに入れてくれたのはいいのだが、ボコボコとなかなか水が落ちてこないのを別のスタッフのおばちゃんが見かねて、ひしゃくで横から足してくれたものだから、思ったよりもたくさんハイドレーション・パックに入ってしまった。MUSASHIのスポドリの粉を入れながら、「濃くなり過ぎなくて良かったかも」と思い直した。(結局ゴールした後、500mlほど余ってしまった。私の判断が誤っていたとしか言いようがない。)

関門近くでは二人の女性が、ゼッケン番号をパンフの名簿でチェックしながら、「にとりさ~ん!」と応援してくれたのは嬉しかった。名前を読み間違われるのには慣れている。「ガンバ、ガンバ」と声をかけてくれるのはやはり山岳関係者だろう。見ず知らずの人からの声援はいちいち有り難く、「ありがとう。ヨッシャー!」と元気が出るのは、マラソン大会など経験したことのある方にはお分かりだろう。最後の姫次までの登りを予定で1時間、遅れても10分ぐらいならなんとかなるだろうと、ロッキーのテーマを頭中にフル回転で流す。呼吸はランニングの「吸って吸って吐いて吐いて」のようなペースはとっくに乱れ、やや過呼吸気味なのか肺や心臓の辺りが痛み出す。最近読んだ高度登山の本にあったように、腹式呼吸の「吐き」を意識する。登山道の根っこ道を支える木々の幹にタッチしながら、「山の神様、力をちょうだい」と浅はかな神頼み。しばらくすると涼しい山の風が稜線に向かって吹き上げてきて、背中を押してくれるようだ。歩きながら深呼吸をするように手を広げ、ゆっくりと深く呼吸をすれば、落ち気味のペースも少し戻ってくる。

登りのだいたい中間地点、風巻の頭のベンチまで着いたら少し休んで心拍を下げようと、そこまでひと頑張りしたら誰か休んでいる人がいるに違いないと思ったが、これも浅はかで、休んでいる人など皆無、スタッフのみなさんが「ガンバレ、あと半分!」と声援してくれるものだから、休むことはできなかった。「Move!」動くしかない。ちょっとでも味のするものが口に入ってくれば元気が出るんじゃないかと、そしておばちゃんがたくさん入れてくれた水を減らして荷を軽くしようと、水を多めに飲み続けたらお腹がタポタポしてきた。それでもはるか先に見える先行の選手が、こちらも精一杯のスピードながら徐々に近づいてくるし、後続の選手たちも近つ離れつだ。みんな苦しいのだ。ようやく登りももう少しで終わりというところで前の集団に追いついたと思ったら、いつの間にか女の子に追いつかれ、そして抜かれた。緑のウェアを着たこの女子選手は、前半のロードで追い抜いた記憶があったから、まさかこんなところまで来てこんな小娘に抜かれるとは。どんだけの登りなんだ!悔しくて今日一番の頑張りで一度は抜き返したが、それも勾配がきつくなったところでまた抜き返され、あっという間に見えなくなってしまった。オレはなんてヘタレなんだろう。女の子についていけないなんて。袖平山の手前、もう少しで登りも終わりというところでもう体力も気力もおしまいだ。

c0007525_6283287.jpgそれでもいくつかのアップダウンを経て、姫次のピークまで来ればあとは下るだけだ。臨時の給水の「冷たい水飲んでって」という言葉に魅かれたが、ここは足を止めず、ホントなら神奈川県最高峰蛭ヶ岳が間近に見えるはずだが周りを見る余裕もなく通過。予定より約19分の遅れ。この分なら5時間半どころか5時間10分台も夢ではない!その時、20分台と10分台では僕の中では大きな隔たりがあるように思えた。昨秋のマラソンではわずか15秒でサブスリーを逃した。高校のバレー部では最後の大会、関東大会を決める試合でデュース、デュースの末ぎりぎりで負けた。オレはなんだかいつもぎりぎりでイマイチだった気がする。だからなんとしても、今日は10分台でゴールしてやりたいと思えた。もちろん内心はもっと速いタイムで走りたかったのだが、11分も19分も同じように思えたのだ。そしてそれが現実のものとなる可能性がここで生まれたのだ。夢と希望とはなんと素晴らしいのだろう。こんなくだらない数字ひとつでも夢が希望となり、そして気力が生まれる。挑戦とは個人個人としてはそんな些細なもので、はたから見れば全くくだらないものであってもいい。大事なのはきっとそういうときに生まれる気力と、それを達成してやろうという思いなのだろう。(写真は姫次のピークを通過して「希望」が生まれたとこ?)

何度か下ったことのあるこの道、段差があるように見える木段は全てハードル走のようにスピードを緩めずに飛び越していけば良い。脚力はもはや踏ん張りのきかないことをいいことに、むしろ勢いにまかせて下ってゆく。ターンのないほぼ真っ直ぐの、余裕があれば気持ちの良い緩やかな下り道だ。しかし呼吸が乱れ、息を吐くために声を出す。シャラポアのサーブのようで嫌だが仕方がない。間もなくして一人二人、そして先ほどの緑色の女の子が道を譲ってくれた。多少の登り返しは短いはずだったが、思った以上に長く続き、心拍はこの終盤に及んで170を超えてくる。尾根道から切り返しの続く下りに変わる平丸分岐でスタッフから「30何位」というような声が聞こえた。聞き返したつもりだったが声が言葉にならなかったようで返事はなかった。時計はぎりぎり20分遅れ。10分台は厳しいか。

前回の試走で2度ほどつまづいたから、ここはスピードよりもしっかりと足を運んでいかなければならない。しかも太ももは踏ん張りが効かないから、足の親指の爪が靴に当たって痛んでいるのが分かるがもう仕方がない。何度も細かいターンが続く下りの中ほどでとうとう転倒しかけ、手をついたところでいつの間にか気配さえなかった後続の選手に抜き去られた。追うまでもなくあっという間に消えていった。だが周りの選手にまどわされず、最後まで自分の闘いをしよう。順位ではないのだ。残り3キロで5時間5分。残り15分。キロ5分の計算だ。ロードなら余裕がありそうなタイムだが、まだまだガレ気味の山道は続くから気が抜けない。登山口から出てしまえばあとは思いっきり飛ばすだけ。「重機キター!」の登山口を出てロードを少し走り、残り1キロの最後の荒れたトレイル。足首をくじきそうな不安定な路面を叫ぶようにやり過ごし、何度通っても見えづらい堰堤の脇道でコケ、ゴール地点のキャンプ場にひらけたところで勝利を確信した。あと2分近くある。最後のストレートに、応援に来てくれるはずのSさんTさんはいるだろうか。間に合わなかったかな。むしろ傍目を気にせず、思い切り叫びながら走り抜けられた。

c0007525_6243670.jpg最後の小さいコーナーをぐるっと周って、ゴールと同時に脚の力が抜け、前のめりに倒れこんだ。砂利にヘッドスライディングしたような感じだったはずだ。多少の歓声と拍手が聞こえた気がする。そのまま動きたくなかったが、後続の選手のゴール写真の邪魔になるといけないと思い、ストップウォッチを止め、そのまま四つん這いで脇に逸れ、突っ伏した。先にゴールした選手たちが「ナイスパフォーマンス」などと言ってくれているのが聞こえたが、パフォーマンスではない。自分は精一杯やれただけだ。倒れこんだ僕の心拍計を見て「170だよ。よくそこまで追い込めるねえ」と言ってくれたのはお褒めの言葉なのだろうか。僕には冷ややかな声にも聞こえたが、これは自分の闘いなのだ。周りの人たちは気にならなかった。しばらくしてスタッフのおばさんが冷たい飲み物を手渡してくれ、一気に飲み干し、仰向けになったら涙がこみ上げてきた。

僕より2分ほど遅れて、あの緑色の女性がゴール。アナウンスは「女性のトップ、間瀬ちがやさんです!」と告げている。やはり小娘どころかタダモノではなかったのだ。トレイル・ランニングの女王どころか、日本海から北、中央、南アルプスを縦走して一週間以内に静岡の太平洋岸にゴールするという、一昨年のトランス・ジャパン・アルプス・レース(約420キロ)に並みいる男性陣を差し置いて優勝した猛者でありながら、2児の母でもあるという、この世界では有名なトップ・レーサーだ。しかし、雑誌で拝見するイメージとは違って、小娘と見間違っても不思議じゃないような、小柄で細く引き締まって、可憐というかキュートな方だった。そんな彼女に、もちろん本気のレースではなかっただろうけれど、勝てたことはとても嬉しかったし、女性ランナーに一人も負けなかったということはなんだか、ささやかな誇りに感じた。まあこれはおまけのご褒美だろう。

間もなく2位の女性ランナーとの記念撮影が始まり、涙目の僕が真後ろに写り込んでいるような気がして恥ずかしくなった。すぐ下に流れる沢に下り、靴ヒモを解くにも脚全体がつってしまいそうな両脚から靴下までようやく剥ぎ取り、温泉に浸かるようなほどよい窪みに身体を投げ出した。緑の山々が何もなかったようにたたずんでいる。冷たい小川のせせらぎに子供たちが遊んでいる。目の前のホームストレートには他人事のように次々とゴール目前の選手たちが入ってくる。心拍が落ち着き、全てが終わり、自分はこのレースとは無関係のアカの他人のようだ。こうしてひとりになり、自分の闘いは終わって、自分の挑戦は終わったのだ。そう思ったらまた泣けてきた。この何ヶ月か、ずっとひとりでトレーニングしてきたのだ。夜はいつものようにひとりでお客を待ち、特にこのひと月はお客さんのいない時間が多くて、心が折れそうになるとはこのことかと思った。

しかしこれも、「孤独」ということを考えさせてくれる良い機会なのだろう。たまたま本屋の雑誌コーナーで目に留まった「Coyote」の最新号は植村直巳の南極特集で、三浦雄一郎の植村についてのインタヴューが興味深かった。植村の言葉から―――「その人にとっての冒険は、行動の大小じゃないと思う。心の冒険をしているわけですから、自分の今の年代にあった、その時にできる可能性を求めたものじゃないかと思うんです。」「誰もが夢を見ますね。その夢をやってみたいな、だけで終わるんではその人は不幸だと思うのです。やってみるという一つの実行力が欲しい。」単独行の人、植村直巳。最近ようやく読んだ山岳救助のマンガ「岳」の主人公も孤独を愛し、警察や組織に属する人たちと関わりあいながら自分はボランティアという立場で、自由や責任の独立を保っているという設定だ。日本人は「単独」や「孤独」が好きなのだろう。孤高の人、加藤文太郎しかり。よく言われていることだが、ヨーロッパではザイルを組んだパートナーとの友情が尊ばれ、日本では単独行に崇高性が求められる。山という聖地における宗教性の違いだろうか。そんな日本の単独行の冒険家に魅了される。

「岳」を泣きながら7巻まで借りた日に一気に読み干し、一緒にお借りした平山ユージのドキュメンタリー本「ユージ★ザ・クライマー」(羽根田治著 山と渓谷社)も興奮しながらその日のうちに読み切ってしまった。世界一のクライマーの飽くなきチャレンジ精神に感動した。しかしそれをはるかに凌ぐ衝撃が山野井泰史。丸山直樹によるドキュメント「ソロ 単独登攀者 山野井泰史」(山と渓谷社)は表現にいささかの大袈裟さが気になるが、高山の岩壁をロープも使わず、落ちたら終わりのソロ・クライミングにこそ生きている実感を求めるという、究極なまでの孤独感にショックを受けた。「なぜ、そこまでして、そんなことを?」の問いに、山野井は「なぜそんな否定的な見方をするのか。子供が木登りをするのに理由が必要か。」とシンプルに応える。完璧なほどのシンプルネス。シンプルを求める人は単独にならざるを得ないのだろう。複雑系の中で生きるのも人生だが、そうではない人生もあっていい。男ならシンプルにスジの通った人生を歩んでみたいと、きっと誰もが憧れるだろう。

そんな彼は最近はどうしているのだろうか。2004年の自著「垂直の記憶」(山と渓谷社)はヒマラヤ山域における自身のクライミングの記録だが、まさに誇張も謙遜もない筆致で、想像を絶するような冒険ながら、僕らにも分かるような気のする、リアルな挑戦として心に迫る。2008年NHK出版の「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」は、凍傷で手足の指を失ってからのグリーンランド未踏峰への挑戦が、ものすごいレベルでありながらも、邪心や野心を超えた、ただ登りたいというピュアな楽しみとしてどこか心地よい。昨冬には奥多摩でトレーニング中に熊に襲われ、出血多量の危機の中を自力で脱出し、近号の「岳人」誌ではもうすぐ鼻の手術のため再入院するとあった。

命の危険の中にこそ、生きることの欲する冒険がある。そしてそういう時にこそ、我々は自分の生命や人生を感じるのだろう。人生は冒険である、というのはきっとそういう意味なのだ。私はこの時代にこんな人がいるということに衝撃を受け、そして心から喜べた。私のこの些細でくだらない挑戦も、たとえ孤独であろうと、山野井さんに力をもらいやり遂げられたのだ。

最近の「BE-PAL」7月号(小学館)ではこんな言葉もあった。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の"間"にある」(三木清「人生論」ノート)。ホーボージュンさんの南アメリカ最南端トレイルの紀行記で、アルゼンチンの町場では多くの人の中でたまらない人恋しさを感じたが、誰もいないところに来て「ひとりになれば孤独から逃れられる」と書く。なんとなく分かる気がする。その意味で言えば、トレイルの大会は山に都会を持ち込んでいるようなもので、山にいながら人との争いで孤独感さえ感じる。ひとりで山歩きする時のあの心地よい寂しさはない。むしろこのレースを終えた疎外感の中で、冷たい沢に身体を沈めていたら、ようやくなんともいえぬ達成感がこみ上げてきて、私はひとり、沢で子供を遊ばせている若い親たちの目を少し忍んで、泣けたのだ。

たかだか12分といえども、頑張れた自分が嬉しかった。そのための練習も報われた気がしたのだ。しばらくして迎えに来てくれてるはずのSさんTさんが歩いているのが見えて、大声で手を振った。思いのほか早かった僕のゴールに、二人は温泉に浸かってて間に合わなかったのだ。でもそれはそれでよかった気もする。ひとり感極まれる時間があってよかった。

Sさんの車で藤沢に帰り、レースの後の定番、居酒屋「いさり火」でみんなで飲んだ。2年連続で一緒に宿に泊まり、一緒に参加してくれたWアニキは今年も途中リタイアだったが、僕をねぎらってご馳走までしてくれた。翌日、Tさんはわざわざ飲みに来てくれて、他のお客がいなくなったところで「レースの厳しさも、そのための努力も僕には分からないけど、泣けるぐらい何かを達成したという気持ちは分かるよ」と言ってくれた。彼もまた、家族や恋人にも分かってもらえない努力をして、今また自分のやりたいことのために仕事も辞め、人目もはばからず下積みのチャレンジをしている。そんなTアニキに言ってもらったその言葉が、たまらなく嬉しく、そしてそれこそが真実のように思えた。

達成感というのは人それぞれ違うし、上には上が下には下がいるものだ。それは比較でもないし、そもそも誰にも分からない。ただ自分が本当にやれたか、自分が満足できるほどやれたかということだけなのだろう。挑戦とはそんなひとときの達成感のためにあり、小さな挑戦が終わればまた次の挑戦が始まるのだ。人生はそんな挑戦の連続だ。植村の言葉もきっとそういうことなのだろう。やってみる、ただそのことのために例えばレースという機会があり、同じように人生の、日々の区切りがある。だからレースはもういいな。そんなことに気付けたから、もう十分だ。少なくとも山岳レースはもうやめよう。僕にはあまりにも辛く、あまり楽しめなかった。

でもまたなにか、新しいチャレンジをしてみたいと思っている。みなさんもぜひ、人生の冒険をしてください!

音楽は、ハナレグミの新曲が聞こえてくる。

いつだってその輝きに
まっすぐに熱くなれたら
何にだってなれるぜ
どこへだって行けるんだぜ

誰でもない、どこにもないぜ
君だけの光と影
光の先の闇を見に行こう
光と影

誰でもない、どこにもないぜ
僕だけの光と影
闇の向こうの光を見に行こう
光と影

億千万の光と影
今から会いに行くんだぜ
聞かせてほしい、君の中にある
光と影

「光と影」より
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by barcanes | 2009-07-07 08:43 | Trackback | Comments(2)