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鶴岡政男展と芝居を見てきた

定休日の今夜は、友人のはっちゃんの芝居を観に行く予定なのだけど、その前に鎌倉に寄って、神奈川県立近代美術館に行ってみた。ホントは理由があって行ったんだけど、それはナイショ。

久しぶりに美術館に行くので、しかも近代美術館だし、戦中戦後の昭和の画家の展示だから、ちょっと気構えに寝る前になんか読んでみようかと、手元にあった岡本太郎の本をめくってみた。「モーレツに素人たれ」と太郎先生は言っておられます。ちょっと長いけど面白いのでまるごと引用。

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先日、竜安寺をおとずれたときのこと。石庭を眺めていますと、ドヤドヤと数名の人がはいってきました。方丈の縁に立つなり、
「イシダ、イシダ。」
と大きな声で言うのです。そのとっぴょうしのなさ。むきつけな口ぶり。ふつうの日本人ではあり得ない。二世じゃないかと思ったのですが、さすがの私もあっけにとられました。
彼らは縁を歩きまわりながら、
「イシだけだ。」
「なんだ、タカイ。」
なるほど、わざわざ車代をはらって、こんな京都のはずれまでやって来て、ただの石がころがしてあるだけだったとしたら、高いにちがいない。
シンとはりつめ、凝固した名園の空気が、この単純素朴な価値判断でバラバラにほどけてしまった。私もほがらかな笑いが腹の底からこみあげてきました。
私じしんもかつて大きな期待を持ってはじめてこの庭を見にいって、がっかりしたことがあります。ヘンに観念的なポーズが鼻について、期待した芸術のきびしさが見られなかった。
だがこのあいだから、日本のまちがった伝統意識をくつがえすために、いろいろの古典を見あるき、中世の庭園をもしばしばおとずれているうちに、どうも、神妙に石を凝視しすぎるくせがついたらしい。用心していながら、逆に、うっかりと敵の手にのりかかっていたんじゃないか。どうもアブナイ。「裸の王様」という物語をご存じでしょう。あの中で、「なんだ、王様はハダカで歩いてらぁ。」と叫んだ子どもの透明な目。あれをうしなったら大へんです。
石はただの石であるというバカバカしいこと。c0007525_014040.jpgだかそのまったく即物的な再発見によって、権威やものものしい伝統的価値をたたきわった。そこに近代という空前の人間文化の伝統がはじまったこともたしかです。
なんだ、イシダ、と言った彼らは文化的に根こそぎにされてしまった人間の空しさと、みじめさを露呈しているかもしれません。が、そのくらい平気で、むぞうさな気分でぶつかって、しかもなお、もし打ってくるものがあるとしたら、ビリビリつたわってくるとしたら、これは本ものだ。それこそ芸術の力であり、伝統の本質なのです。(『日本の伝統』より。昭和31年)

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縄文土器や石庭などを例に挙げて、伝統とは貯金の利子のように崇めたてて少しずつ利益を引き出すようなものではなく、自分の責任において価値を創造的に見直し、過去を瞬間瞬間に創りあげてゆくものだと言う。太郎さんの名著『今日の芸術』の続編と言える本です。私も、予習や先入観なしに、作品に向かってみようと思ったのでありました。

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行ってきたのは、『生誕100年 鶴岡政男展 人間を愛し、人間を笑う』。出遅れてしまって、閉館前一時間しかなかったのですが、それほど広くない建物なのでひととおり見てまわることができました。最初に目に入ったのは、パッと見てエロと分かるような大判の絵の数々。おっぱいやおちんちんはもちろん、おしりの穴やウンコなどをモチーフに、ポップな色合いで塗られたもの。時々グロイ感じのものや戦争を題材にしたもの、原爆実験やドラッグを思わせる、肉体が解体してゆくような抽象画、一転、女性が好みそうなきれいな配色のかわいいパステル画。やはり同時代の岡本太郎さんと似た印象を受けたりもしますが、より男女の性愛の美醜にテーマが寄っている気がしました。壁面に満たされたエロ画の隅に静かに座っている学芸員の女性が、なんともシュールに映ったものでした。

c0007525_0491539.jpg1907年群馬の生まれ、戦前から絵を描き始め、徴兵され戦争にも行った経験を持ち、主に戦後から1970年頃までの時期に作品を残し、晩年は葉山で過ごしたゲージュツ家。年表や絵の解説、本人の言葉など読むうちにすっかり興味がわいてきました。ハスの葉がもりもりと生い茂る池の庭を見ながら一服した後、厚い図録¥2,000を買って帰りました。北鎌寄りの別館も既に閉館。また来なきゃ。北鎌倉まで歩いて、湘南新宿ラインを待ちあわせ、図録の解説を読みました。

c0007525_0435661.jpg戦中、中国で銃殺刑を執行する役を負わされた経験。戦後、上野の浮浪者を描いたという、←『重い手』(昭和24年)、それから見るも恐ろしいひしゃげた顔の塑像。彼が晩年語ったというセリフによれば、

「だから、捕らえたがってるやつからは逃げっぱなしだよへへへへへ。」「・・・・・・絵もね。わたしの絵は逃げてるでしょ。どんどんどんどん。しまいには消えて無くなっちまう。ヘッヘへ」「この辺でね、俺のネタを明かしてもいいけれど、逃げよ。逃げの一手あるだけ。捕まったら終り」(図録より孫引)

という「逃げっぱなし」の彼の人生は、この「重い手」から始まったそうである。「・・・・・・ようするに、捕らえられている時の絵ですよ。・・・・・・苦しい絵ですね。・・・最高に。それからね、あれから仕事でもね"逃げる"が始まったのよ。」

この絵が42歳ごろ。その後、TBSの「美術サロン―心の深層を探る・幻想剤(LSD)による美術実験」(昭和36年)なんていう番組に参加したり、新宿の地下にたむろする若者に混じりボンゴを叩いていたという時期は50代半ばだ。

c0007525_136328.jpg→『視点B』には、ここ神奈川県立近代美術館が賞を贈っているが、「ンコたれている絵にも、賞をくれるんだねえ」と楽しげに語ったという。この展示の表題になっている↑のおしりの絵『ゴルフ』も共に昭和41年、この頃の絵は平坦な色調と塗り絵のようなポップな画面で、「ポピュラーソングみたいにね、子供がぼくの絵をみて、お化けのQちゃんみたいだって喜んでくれればいいんだよ」と語っているそうだ。

しかし↓看板になっている『涙する人』は68年(昭和43年)、この絵は連作になっていて、この女性の下半身、割れ目からウナギの尻尾が貫通しているエグイ図柄だ。そしてこの後には突然混沌としてグロイぐちゃぐちゃの絵が来る。裏書には「俺は今夜から人間はやめた/今夜から野獣虫けらになる なったよ/人間はそれ以下だ」。

c0007525_056292.jpgこの絵にはある女性との失恋にまつわるエピソードがあるそうだが、その女性からの絶縁状は「ひとでなし!」の文字で溢れかえっていたそうである。このとき62歳。んー。ゲージツ家の激しさというか、枯れぬ男というか。しかしこの後、急に寡作となり、テープ録音や編集などに興味を持ち、音響作品などを製作していたという。67歳で身体を壊した後、闘病生活が続き、昭和54年72歳で生涯を終える。三人の娘がいて次女による評伝があるらしい。読んでみたい。

ところで、この図録の冒頭にある解説文「鶴岡政男の足跡」を書いた徳江庸行という方は、その文章の冒頭に、次のようなゲーテの言葉を引用している。

「動揺する時代におのが心までぐらつかせる者は、
禍を増すばかりか、世間に禍をひろげてゆく。
それにひきかへ志を堅固にたもつ者は、みずから天地を造るのだ。」(ゲーテ『ヘルマンとドロアテ』より)

原典を知らないのでなんとも言えないが、いかようにも解釈できるような、気になる言葉だ。禍を巻き起こし、逃げっぱなしの鶴岡自身の人生でも、志を持っていれば独自の世界を造ることができると言いたいのか。また、相手の出かたばかりをうかがって、自分の気持ちをはっきりさせられない人が、自分だけが不幸な気持ちになるだけじゃなく、まわりの人たちも災禍に巻き込んでいってしまうような状況も思わせる。

あるいは、禍を「渦」と読みかえれば、渦や乱流こそがこの世を創り成す物質宇宙の構成要素なのだから、「みずから天地を造る」そのような天地は、自然の法則に合わない世界であり、そのような世界が我々の人間の作った国家的な世界だとしたら、そのせいで起きる「動揺する時代」に流されず、疑問を持ち、ほんとうの世界の姿を見ようとするならば、その「堅固な志」とは、まさに渦を巻き起こすような、元素本来の動きを自らに取り戻し、渦や乱流に同調してゆくような気持ちを持つことなのではないか。と、やや屁理屈のような読み取り方をしてみたりする。

しかし、地球環境の問題を考えるとか、自然と対話するとか、そのような話も、揺れ動く自然を操作したり圧倒したり搾取したりして押さえ込むのではなく、その渦を受け入れ巻き込まれ、そして自らの渦を同調させてゆくようなことが、いわゆる自然との対話状態と言えるようなことなのではないだろうか。すると、鶴岡の言う「逃げ」は押さえ込まれたり搾取されたりすることからの逃げ、つまり彼自身が「自然」であり自然との同調状態なのであって、「逃げ」こそが自然を保つ方法論ということになる。

芸術家個人、あるいは我々個人としてはそのように自然を保つ方法論でいいと思うのだ。だからみんな波乗りしたり山に入ったり、運動して心臓の波音を聞いたりすればまだいいけど、それだけじゃあ済まなくて、自らの心の渦に任せてトラブルを起こしたり、ギャンブルの乱調に身を任せたり、浮気や不倫の不安定さに引き寄せられたりして、禍を起こしたりする。やはり人と人との関係において、殊に男女の関係、特に結婚の問題に関して、個人の自然の問題だけでは納まらない「社会」の問題が出てくるのだ。

ここに芸術家はどのような回答を与えてくれたのか。いや、現在の我々にとって、過去や現代の芸術家は、いったいどんな回答を与えてくれるのか。個人の「自然」からどのように社会にとって有益なものを抽出してくるか。それはどちらかというと芸術家よりも職人の技術(メチエ)にかかってくるのかもしれないが、我々に必要なものがそういう技術だとしたら、芸術はもうすっかりと役目を終えてしまったのかもしれない。音楽も絵画も、もうあらゆる可能性を出しつくして、あとはその組み合わせの妙や意外性や、イベント性や祝祭の気分を再生しようとすることぐらいしか機能していない気がする。複製音楽は個人の慰みになり下がるばかりだし、我々は精神薄弱な自分自身を大事に慰めるばかりで精一杯だ。

そこでまた、冒頭の太郎師の言葉を思い出そう。「文化的に根こそぎにされてしまった人間の空しさと、みじめさを露呈しているかもしれません。が、そのくらい平気で、むぞうさな気分でぶつかって、しかもなお、もし打ってくるものがあるとしたら、ビリビリつたわってくるとしたら、これは本ものだ。それこそ芸術の力であり、伝統の本質なのです。」我々は文化的に根こそぎにされてしまったような空しい時代に生きているかもしれない。しかし、それでもビリビリと打ってくるもの。それは今回で言えば、鶴岡の限界まで自己の自然を追求した「逃げ」と、それが一時かもしれないけど社会とつながりえた「ポピュラー」という技術に達し、しかしそれでは落ち着かず、再び混沌に落ちてゆく、その激しさだ。激しく身を自らの実験にさらすもの。それこそが心を打つ。

自分が大事なのではない。かと言って他人のために生きるわけではない。自分のために自分を犠牲にして、自らの挑戦に命をかける。挑戦や冒険と言うと必要以上に前向きすぎるかもしれない。むしろ捕らえられることからの「逃げ」こそが冒険なのだ。それは征服であってはならない。達成することでもなく、ピーク・ハントでもない。「評価」というゴールが待っているわけでもない。サムライの武士道とも全然違う。なんなのだろう・・・。

もう一度、見直しに行きたいところだけれど、残念ながらこの鶴岡展は9月2日までなのでした。

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そうこうしてるうちに新宿から乗り換えて中野に着いた。ハンバーガー屋でビールを飲みつつ腹ごしらえした後、劇場へ。「心日庵」という役者集団の「あっち川、こっち川」を見てきた。前回は昨年の今頃の「楽園の東」を見たが、それに続く「昭和シリーズ」の第4弾だそうである。

昭和40年代後半、ダムの建設に伴って立ち退きにあう小さな町の商店街の人々の群像劇。かつて病気だった弟の治療費を稼ぐために娼婦に身を落とした過去のある身寄りない女性が、地上げに来たヤクザに過去を暴かれてしまい、その婚約者の男が逆上して立ち向かってゆく。しかしどさくさにヤクザの子分に刺されて死んでしまい、その事件が取りだたされて町が立ち退きをまぬがれるという筋書き。なんとも言えない後味の悪さが残る。そして町も残った。しかし彼女は消えてゆく。町に伝えられた河童の伝説も消えてゆく。町の存続のために犠牲になる者たち。いや、物語のアヤによって結果的に町だけが残るのだ。しかしその町もいつか変わってゆくだろう。後味の悪さが残った以外に、何が残り、伝えられてゆくのだろうか。

c0007525_611688.jpg逆上して刺されて死んだ男の激しさが町を救うことにはなったが、その激しさが命を賭したものは町ではなく女の過去であった。彼の自己犠牲は我々の心を打たない。しかもその女は男の犠牲を引き受けるわけでもなく消えてゆく。町を残そうとする他の男たちは、ただヤクザの攻勢に抵抗しているだけで、何も自分を犠牲にせず、これまた心を打たない。鶴岡展から流れてきた私としては、この物語に「逃げ」が見出せないのだ。逃げているのは時代に流され、松田優作の真似をしている学生と、家族を捨てて学生運動に身を投げたが病気で死んでしまう女性、そして言いたいことだけ言って黄泉の国へ帰ってゆく兵隊の亡霊ぐらいだが、彼らも物語の筋には何も賭けていないから心を打たない。みんなクヨクヨやって悩んでるだけで消えてゆく。それぐらいが現実なのだと言っているような夢も希望もないドラマだった。

昭和とはただそんな時代だったのだろうか。揺れ動く時代の現実にただ埋もれてゆくだけの人たちだったのだろうか。役者の気持ちは弱い気持ちばかりをなぞるために使われるだけなのだろうか。昭和の人たちは、そんな弱い人たちばかりだったのだろうか。地上げや立ち退きに反対した人、居残った人、なびいたり売り渡したり、さっさと移り住んでいったり、いろんな立場の人がいただろう。その中で悲喜こもごものドロドロした人間模様があったはずだ。その激しさを見つめなければ、時代を越えて今を生きている我々の心を打つことはないだろう。過去の時代にそんな人もいたのだろうと、ノスタルジックに同情したり感情移入することはできない。時代ものエンターテイメントなら「三丁目の夕日」と何も変わらないのでないだろうか。

ただし、我々は泣きたくて泣ける映画を見たりするように、勝手に感動したがるから、役者が一生懸命やってる、とか練習して準備した成果をだしてる、とかいうところで勝手に感動したりする。私は一生懸命やってる役者の女の子がキレイだなと思って見ていた。同じように女性のお客さんは、一生懸命やってる男の役者を見て、カッコイイと思ったりするだろう。それも男女の機微。でもそこに芸術は、ない。日頃の練習の成果を出す発表会なら、¥3,500は高いんじゃないかな~。

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(後記)

同じ芝居を見たY君に、「昭和って、あんな人たちもいたんじゃないですか」という反論をもらった。確かにそうかもしれない。僕がただ、もう少し違うタイプの登場人物を望んでいただけかもしれない。あんな人もいたし、そうじゃない人もいたはずだ、というのは確かにおかしな批評だったろう。

僕らの知らない時代だから、そんなこともあったのかもしれないなぁ、という想像力を利用するのは、時代物エンターテイメントの常套手段かもしれない。そしてフィクションなのだから、いろんな設定を施した筋書きの仮定の上で、登場人物の心の流れを目の前の役者たちの心で再現しながら、結末まで追ってゆくことが自然であればよいのだから、その点では異論はない。

時代や運命に翻弄され、残されていった敗者や弱者の歴史劇、というのが自分の好みに合わなかっただけかもしれない。しかも後に残された者が、現実を知らない子供に未来を背負わせて希望を持とうとする、というのが無責任な感じがして嫌だったのだ。好き嫌いでいって嫌いなお話だった、ただそれだけなのかも。

しかし、演技の隙間、という点から言うと、隙間の少ない戯曲だったというよりは、人物の心情がさらっと流されていくような流れに設定されていて、それが、まさに時勢に流されていく庶民像として描かれているようにも感じられた。隙間が少なかったから役者個々の力量を発揮しにくかったもしれないが、流されてゆく流れに抗する、あるいは流れに負けない演技ができたら、絶望的な筋書きの中で我々の心を打つ瞬間もあったかもしれないし、哀しい(かもしれない)庶民史の中に一滴の希望を見出せるのかもしれない。

というように見てくると、このお芝居は二重の意味で、希望を見出すことの難しい庶民史の一場面を、抗しがたい現実として表現し切ったとも言えるかもしれない。とらえがたい演技の隙間を輝かすことが、我々のこれからの庶民の人生に力を与えることになる、と。それがゲージュツだ!もしかしたら、他の回では何らかの希望を見出すことができたかもしれないし、あるいは、幕後の私を襲ったがっかり感もまた、失望として心を動かした、ひとつの感動であったのかもしれない。それもまたゲージュツかも。少なくともオレは心と頭を動かされたぞ!¥3,500は高くなかったかもね~値段じゃないか
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by barcanes | 2007-08-30 22:09 | Trackback | Comments(2)

晩夏の入道雲

お盆休みも終わって、みなさん今日から日常に戻っているのでしょうか。お疲れさまです!この週末はややおとなしい感じで、やはりみなさん遊び疲れ&飲み疲れのご様子でした。昨夜はStray Catsの90年クラブチッタのライブ映像(NHK)を、元ロカビリー少年だった某店主と一緒に観た後、早々と店を締め、南口大新の、深夜にもかかわらず混雑の、手際の良いキッチンさばきを観察して帰りました。

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今日の夕方は、鵠沼の堀川網に先日の地引網の支払いに行った帰り、まことに夏らしい入道雲が出ていたので、鵠沼あたりでは一番の高台にある新田山の分譲地までチャリをこいで、かろうじて残されている松の木ナメでカナトコ雲(っちゅうのかな)を撮ってみました。

新田山は一昨年の夏あたり、鵠沼に残された最後の松林ということで保存運動なども行われていましたが、当然のごとくあっけなく更地になって、20戸ぐらいの分譲地と相成りました。久しぶりに訪れてみたら、まだ半分ほどの区画が更地のまま残っておりました。その一画、北寄りの高台からの遠望です。

c0007525_5431694.jpg2005年9月撮影。「新田山の緑を守る会」という小屋の前に掲示された「壊れる風景」という文字がなんともイタい。建設反対運動や保存運動など、政治や金銭も絡むだろうけど、そんな意味も含め、いろんな意味で痛々しい。自然に朽ち果て、人も生まれ死んでゆくように、ものや風景が消えてゆくのはいたしかたないことだと基本的には思う。それでも残るものは記憶や心に残り、そして新しいものや思い出がつくられてゆく。気づき思い出し、感じ想像するものだけに美があるのだろう。

c0007525_5585553.jpg帰り際、川名橋のあたりから見る入道雲はさらに大きく。心なしか、広島の原爆の煙雲を連想させる。まだまだ長びくであろう暑い晩夏。それでも今日から日常の日々が始まるみなさん、ご苦労様です!

そんな今夜はやっぱり、ヒマでした。
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by barcanes | 2007-08-20 05:20 | Trackback | Comments(0)

恒例地曳網大会

c0007525_5301852.jpg今年はネット告知しないと宣言しておりましたが、直前に迫ってきて皆さんの反応があまりないので、今さら告知しときます。オヒマならどうぞ!

来週、8月12日(日)朝7時、現地集合。
荷物を運んでくれる人は、朝6時にお店に来てください!

会費:後日払い(当日払いの方はだいたいで。基本料金4000円ぐらいかしら?)
事前申し込み不要。
集まった人数で会費を決めます。

今年はのんびりやりたいので、店主は何も準備しません。酒と魚だけのシンプルな地引網の基本に返ります。期待せず、勝手に楽しんでくれる方だけいらしてください。

生ビールと焼酎などは用意しますが、ジュースその他、食べたいもの飲みたいもの、お子様の飲み物などは各自ご用意のこと。持ち寄り歓迎!

焼肉、焼魚、BBQなどやりたい方はご自由にどうぞ!おすそ分けしてね!

マイカップ、マイ箸などもご持参下さい。

今年でもう6回目?ベテランのみなさんはだいたい感じが分かるはずなので、いろんな準備、おまかせしま~す。網もしっかり引っ張ってね!

その他お問い合わせは来店、あるいは電話にて。

地図↓
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昨年の様子。(撮影:高倉さん)c0007525_532176.jpgc0007525_5334517.jpg
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去年は前夜から雨が降って、それでも朝には止んで、なんとかできたんでした。だいぶ曇ってますね。
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by barcanes | 2007-08-12 04:41 | イベント | Trackback | Comments(3)

秦野~大山~七沢温泉へ

c0007525_14254339.jpg梅雨も明けて天気の良いせっかくの定休日、精一杯早起きして午前中に出かけたけど、秦野駅から歩き始めたのはもうお昼12時頃になってしまいました。駅前の水無川に沿って歩き、こんなところにもある「湯河原温泉万葉の湯」の横を通り、金目川の橋を渡ったところにひっそりと「弘法山公園登山口」がありました。先日アウトレットで買った、CAMELBAKの型落ちのハイドレーション・パック(点滴パックみたいな水筒にホースがついてて、リュックを背負ったまま水分が補給できる)をセットして、スタート。急な段差をのぼってすぐに浅間山、近所の事務員らしき女性がボーっと昼休みを過ごしてらっしゃいます。続いてすぐに権現山244m、ひらけた公園になってて、お弁当を広げる方々がいらっしゃいます。↑写真は、権現山から秦野市街。

c0007525_1451220.jpg馬場道というなだらかな坂を下る。桜並木の葉陰がきれい。春はさぞきれいだろうな。弘法山入り口の石碑の前ではニャンコ↓が日向ぼっこしてました。弘法山山頂235mにはお堂や鐘楼などがあり、おばちゃまハイカーたちが井戸水にc0007525_1458178.jpg湧き立ってらっしゃいました。そこから吾妻山、鶴巻温泉方面に向かう山道は、流れる風景も次々に変わっていき、なだらかなところもアップダウンも適度にあり、道幅もすれ違えるぐらいあり、見通しもよい素敵なトレイル。空荷で走ってる人も結構いて、ご近所でうらやましい。すれ違いざま、「若いモンが、元気でよろしい」と言ったか言わなかったか、満面の笑みで挨拶してくれた一人歩きのおじさん。それから多くのハイカーおじさんたちや、お姉さん方に会いました。追い越し際に、高取山方面に分岐するところを聞きながら走ったのだけれども、気持ちよく飛ばしてたら見逃してしまったようで、ずいぶん先のほうまで行ってしまいました。
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c0007525_152538.jpg脇道を下り、林道に出て地図を確認。「矢倉沢往還」という道に出た。矢倉沢往還というのは、東京からの大山道、箱根の北麓を越える足柄道のもとになった道だそうで、箱根には矢倉岳があり、足柄古道があるが、万葉の時代には主要道であったそうだから、古の人の踏んだ足跡も重なっているわけである。近くを走る現在の国道246号は、もとはと言えばこの道に沿って設定されているわけである。

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道沿いには、ちょうど素敵な谷線を背に馬頭観音や庚申塔などの石碑が並んだ場所や、古の苦旅にまつわる「夜泣石」などがあり、古道として一応「関東ふれあいのみち」の9番コース「弘法大師と桜のみち」に指定されているようですが、僕が通ってきたハイキングコースに比べて人通りは少ないようで、踏跡に迷いそうなところもありました。しかも道が途切れたかな、と思ったら、そこにいきなりラブホ街が!246の旧道、善波随道の東側、伊勢原側に数件のラブホテルが密集。もしかしたら善波峠のたもとに、昔は小さな宿場町が形成されていたのかも、と思いました。

c0007525_216322.jpg善波峠へ戻る道が見つからないので、怪しげなトンネルを抜けてみる。夏でも涼しげな善波トンネル。しばらく右往左往して、ようやく見つけた登山口の看板は繁草に隠れて見過ごしげ。しかもラブホの裏。
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c0007525_2261217.jpgこうして思いがけず寄り道をしてしまって、約一時間もロス。石碑の並ぶ善波峠の四叉路に出て、本来のコースにようやっと戻った。暑い夏の昼下がり、ここからは上りが続いて、もうほとんど走る感じではない。鹿除けの柵を開けて、ちゃんと閉める。
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少し登って念仏山。南西にまたも秦野市街。c0007525_2415793.jpg
ちょっと登るとちょっと下って、また上り。

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そして上り。

c0007525_2453934.jpg↓556m高取山。ここからもまた市街を望む。時刻は2時半。ドライフィットのTシャツを脱いで搾ってみると、コップ一杯分ぐらいの汗が搾れた。短パンからも汗が滴り落ちてくる。そんなことなので、ハイドレーションはかなり調子よい。リュックを下ろさずに歩きながら、頻繁に水分補給できるので、喉の渇きをほとんど感じることなく歩けるのだ。c0007525_2545045.jpg

c0007525_3272468.jpgここからしばらく下りが続く。どうして折れたか、折れた不動明王の石碑。折れても不動。

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林道をまたいで、すぐに急坂。しかもはげた路面で、こんなん登れんかいなーと一人ごちつつ、カロリーメイト・チョコ味をほおばる。

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c0007525_3353812.jpg3時を過ぎ、先ほどまで暑かったのが、急に曇ってきた。高度は600mぐらいを越え、「雨降り」と書いて「アブリ」と読ませる大山阿夫利神社の懐に近づいてきた感がする。680m浅間山を見過ごして、「蓑毛越」という分岐に着く。

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c0007525_34818.jpg正面に真っ直ぐ進めば、この先に大山の山頂だ。だがこの先の行程を考えても、このガス具合ではもう暗くなっちゃいそうで不安になってくるし、山頂は諦めて阿夫利神社下社に向かう右の道をとる。

ここからはほぼ等高線に沿って、山腹を右に谷を見下ろしながら進む。
c0007525_421613.jpg霧にかすむ谷底を覗きこむ。

↓途中、根っこから根こそぎ、青い葉をつけたまま横たわる倒木があった。
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遠くからザワザワっと、雨の降る音が聞こえてくる。でもまだ僕のところは濡れていない。雨の音は少しずつザワザワザワっと近づいてきて、しまいにパラパラっと降られた。雨に追いたてられ、ケーブルカーの終着駅のある下社にたどり着いた。

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立派な神殿のある下社にお参り。ついでに横にあったおみくじを引いてみた。小吉。商売繁盛、延命長寿の金の銭亀のお守りが入っていた。ちなみに恋愛運は「父母に相談せよ」。両親に合わせられるような女性じゃないとダメっていうことね。商売運は「他人の世話で利あり」。みなさまのお世話をお待ちしております。

さてここまで、秦野駅から約5時間のハイキングコースを、休憩や回り道した時間も含めて3時間40分で来ました。休憩所の軒下を借りて、ふもとで買ってきたおにぎりを食べて雨宿り。こんな天気でも諦めないお土産物屋の呼び込みをかわし、七沢温泉まで暗くなる前に着かないと。

c0007525_4503885.jpg山頂からの道と合流する見晴台というところまでは、標高のあまり変わらない、山腹の道。なるべく道を急ぐが、崩れた谷場、ガレた岩の道など、なかなか歩きづらい。見晴台とは言っても、ご覧のとおり全く見晴らしなし。ここからは下りが続く。10分も下ると、すっかりガスも切れて、また明るくなってきた。さっきまでのちょっとした不安もなんのその。

c0007525_535049.jpgはじめはなだらかな段差などある下りだったが、次第に細かい石畳の、右に左にターンを繰り返す「九十九曲り」という名もうなずける、きつい下り道になった。さすがに左のひざが痛くなってくる。春のマラソンのときに痛かった左ひざだから嫌んなる。右足裏のスジも時折ピキッとくるので、着地に気をつけるようにする。

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ひたすらターンを繰り返していると、沢の音が近づいてきました。

遠くに滝が見えた!沢の水の音ってホントにいいもんだ。元気が出るね。

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c0007525_5243020.jpg沢を渡る木橋のところから水辺に下りて、頭から水を浴びた。冷たくて気持ちいい!ここからすぐが登山道の終点。「ヒルに注意」の看板が。ここからはしばらくアスファルトの坂道を駆け下りる。段差の下りとは足の使い方が違うのか、ひざは痛まず。温泉までもう少し。だけどその前に、もう一山越えなきゃ。坂を一気に走り下りて、左折すると今度はゆるい上り。舗道の上りはきついわーね。

c0007525_5494291.jpg日向薬師入り口の駐車場には二人のおじさんがマタ~リと地べたに座ってて、「昼はどうした」って言うから、昼飯のことかと思って「えっ?(おにぎり食ったけどー)」って聞き返したら、「ヒルだよヒル。ヒルに食われてねえかって。」「いや、大丈夫ですー」七沢温泉への道を聞いて、最後の日向山へアタック。

落ち葉の踏みしめる、裏山っていう感じの低山だが、5時のチャイムも聞こえ、だいぶ疲れてきた。うつむき気味に登っていると、前方にドサッという音がした。見上げると、やや小ぶりの鹿が目の前を通り過ぎた。山道のすぐ左に沿って張られている鉄条網の隙間を抜けていったが、どこかケガをしているんじゃないだろうか。

c0007525_5395626.jpgそんなこんなで日向山山頂404m。↑ここからの展望は厚木市街。弁天様だというあやしげな祠があるが、中には何もない。横のベンチに荷物を下ろし、地図を確認しつつしばし休憩と思っていると、足元には周囲から迫り来る吸血ヒルの群れ。同心円状にクネクネと迫ってくる。これじゃ全然「ナイスの森」じゃないぞ!気付くと既に靴の上にもいるぞ!さっさと退散しよう。

c0007525_54440100.jpgと焦ったのがいけなかったか、方向感覚を失った。先ほど見えていた厚木市街が北東の方角に感じられてしまい、道なき道を下るはめに。ふかふかの腐葉土の急斜面。一応、尾根線に沿って下りてみたら、しばらくして人の踏み跡を見つけた。やぶを掻き分けようやく林道に出た。

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それがこんなとこ。真ん中のとこからオレ、ひょっこり出てきた。いったいここはどこなんだー、って感じだけど、とりあえず下っときゃ間違いないベー、と思い、アスファルトの坂を下る。坂上りのトレーニングをするランナーとすれ違って、山道の慣れで挨拶するがシカト。シカタナイ、君はオンローダーだもんねー。でもこんなところを日々走ってるなんて、なんて本気。その後も坂道を駆け上がるランナーをたびたび見ました。厚木のランナーはさぞ足腰が強いことだろうな。

そしてなんとか暗くなる前、6時ギリギリに七沢温泉街にたどり着いたー。全行程約22km、所要8時間のところを6時間かかりました。

c0007525_6133066.jpg春に一度来た「七沢荘」は大山を背に、ひなびた温泉街を抜けて左折、奇抜でキッチュな外観だ。

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c0007525_6261120.jpgこうして温泉旅館の前で靴を脱いでみると、中から丸く肥えたヒルが3匹出てきました。やはりさっきの日向山の道なき道がいけなかったー。血と泥を拭って、日帰り温泉をいただいてきました。独特のぬめっとした強アルカリ泉です。浅くて寝っ転がりながら入れるところがあるので、暮れなずむ空を見ながら、一時間ほど出たり入ったり。

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缶ビール一本飲んで、一時間に2本ほどある「七沢温泉入り口」から本厚木行きのバスに乗りました。

c0007525_6363824.jpg行き先は本厚木駅から商店街に入って、タハラの向かいの地下、焼酎バー「LINK」です。僕の大学の同級生がやってるお店です。スーパードライとバス・ペールエールの生を3杯、宮崎焼酎の「あくがれ」、そして食らうはチキン南蛮。c0007525_640432.jpg








あとお腹がすいてたので、お肉の乗ったチャーハンも食べました。うまかった。お店の感じは、こんな感じです。↓

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本厚木方面にお寄りの際は、ぜひご利用下さい!焼酎全般に定番からマニアックなものまで取揃えております。

今度の日曜日の地引網は、奇しくも彼ら「LINK」のみなさんと同じ日です。我々Cane'sチームは朝一番の網、彼らは3つ目の網です。ヨロシクどうぞ!↓はLINK店長の義弟(デザイナー)が作った地引網のチラシ。おしゃれです。

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最後に飲んだのは、「春雨」のなんか特別なヤツ。なんだっけ?忘れちゃった。とっても濃厚でこうばしかった。で、10時半ごろにはすっかり疲れて眠くなってきたので、早めに辞したはずが、気付いたら相模大野に1時。あれ?おかしいなー


本日のルート
「キョリ測」使用。ちょっと重いです。
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by barcanes | 2007-08-02 13:43 | Trackback | Comments(2)

長い夏が始まる!

昨夜2時過ぎには雨も止んで、まだほの暗い4時半ごろ、蝉の声が聞こえ始めた。おそらく今日で梅雨明けだろう、それを待っていた負けず嫌いの蝉が、フライング気味にこの夏一番の雄叫びを上げる。ちょっと気の早い一番蝉だ。長い夏が始まる。

夏が来ると、あっという間に夏も終わって、今年ももう終わり、なんていう人もいるが、今年は残暑が厳しいらしいし、長い夏になりそうだ。僕はいっぱい汗をかいて、いっぱい水を飲んで(お酒も)、脱水症状に気をつけて、夏を楽しみたいな。

この夏、当店はモヒートが例年に増して好評です。ラムも、飲んでくれる方が増えてきました。7年目にしてようやく浸透してきた感じがして嬉しいです。長い夏ですから、モヒートやラムが当分楽しめそうです。
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by barcanes | 2007-08-01 05:53 | Trackback | Comments(4)