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『憲法九条を世界遺産に』

c0007525_4143034.gif本日朝刊の広告に出ていた本日発売の新刊新書、『憲法九条を世界遺産に』をさっそく買って、ヒマなお店の合間に一気に読んだ。爆笑問題の太田光と中沢さんの対論だ。我々の世代、と言ってもどこまで含めてよいのか分からないが、子供の頃から植えつけられてきたのか、洗脳されてきたのか、平和を求める心、戦争はいけないという理想を、理屈ぬきに信じていたところがあると思う。このような平和の理想が、あまり正統性のなさそうな憲法九条によってかろうじて守られており、これが世界的に見てもかなり稀有な、世界遺産に認定されてもおかしくない絶滅危惧的な存在であり、戦勝国アメリカと敗戦国日本の合作であって、あらゆる矛盾を秘めたような宣言であることを、見直そうというものである。

アメリカ建国時の合衆国憲法が、ネイティブ・インディアンの平和に対する考え方の結晶とも言える「イロコイ連邦憲章」に深く関係していることは、最近よく言われていることだが、ヨーロッパの封建的な閉鎖性から逃げ出して、新大陸に新しい自由の国を作ろうとした最初のアメリカ人の理想は、アジア的な共通性を持つネイティブ・インディアンと日本人とに共有の考え方を基本としており、日米合作の日本憲法にもその知恵が生きていると言うことができる。

軍隊と戦争行為を否定することは、身内を殺され、あるいは外国から攻められた時、無防備に、復讐もできず、ただやられるままに黙っているのか、という反論を呼ぶ。しかしそこで見誤ってしまってはいけないのは、個人のレベルと集団のレベルとの違いだ。政治的な集団である国家のレベルと個人のレベルを同一に考えてしまってはいけない。テロリズムは異質なものの抑圧に対する反抗の究極的に追いつめられた姿だ。異質なものを阻害しようとする心理の究極が暴力であり、国家の同一性を守るために、異質なものを排除しようとする政治的な働きの延長が戦争である。身内を殺されるという究極的な表現の前に、集団的、政治的な異質性の阻害行為、すなわち差別が行われていることをスッ飛ばしてはならない。個人的な暴力に対して復讐が生じるのは、国家のレベルとはまったく別の次元、リアルな次元なのだ。

改憲論者も護憲論者も、個人の闘いとしてこの問題に立ち向かえるのかということが重要なのだ。政治は国家的な集団的なものであるから、個人はそこに良くも悪くも埋没してしまう。個人の問題を集団性や政治の問題にすり替え、その陰に隠れてしまおうとする。安全平和で便利で楽ちんな物質主義と、自由と保険の管理社会に去勢されてしまった我々には、もはや個人の力でものごとに対処しようだなんて、あまりにも苛酷で厳しい。個人の力で何とか生きていくなんて、孤独で悲観的で、あまりにも現実的だ。

そこで出てくるのが、コメディアンとしての笑いの芸、変換の芸である。シェイクスピアの道化も、どうでもいい存在だからこそ辛辣な真実を言うことができる。落語の話芸も、近頃もてはやされる「武士道」の武士も、もとは身分の低い職人の類いで、網野善彦さんの言う被差別民、非農業民だ。音楽の芸人もそうだし、ジャズは未だにその表現となり続ける可能性を秘めているだろう。網野さんも中沢さんも、左翼などと言われた人も60年代の学生運動もマルクス主義などと言われたものもみんな、極端に言えば、その立地点に立って、そこからすべてを見直そうとしているように思える。「日本」や「日本人」というナショナリズムを含む概念も、ホントはその大多数が被差別民であり非農業民であり職人であったのではないだろうか。土地に縛られず、移動と経済の自由や、税や支配を逃れるような狡猾さを持ち、誰でもないような庶民であり、同時にどんな概念にも縛られない個性を持っている。

そしてそれは、誰とも同じように生まれて誰とも同じように死んでゆく、片足を死に突っ込んでいるような存在なのだ。低い身分や被差別民という立場が「外」からの視線という視座を獲得するのだ。「外」とは死である。コメディアンも芸人も、言説の職人としての学者も、殺人の職人である武士も、死を身近に感じながら生きる我々庶民も、みな死を背にして生きてるのだ。このような立場からこそ、憲法九条を考える時、「非戦」という、世界の常識としてはありえないようなこの突拍子もなさそうな条件が意味をなしてくるのである。

「生きている人たちとつき合ってばかりいると、感受性は鈍くなっていきますねぇ。そうではなくて、死者との対話というものがいいですよね。死んでしまった者を、どうしたら蘇らせることができるのか。それを必死になって考え努力してみると、鈍くなり始めたものが、また生き生きと若さをとりもどしてくる。不思議ですね。いまいる人といると年を取り、死んだ者とともにいようとすると、生命のよみがえりを感じるわけですから。」(本文引用)

結局この本は、憲法九条を考えることを通して、芸人である太田と学者である中沢さんの立地点の確認と共感と、そして今後の可能性を信じて頑張っていきましょう、という感じであった。憲法九条がこのような議論を生み出すきっかけになったというようにも思えるし、逆に言うと憲法九条が改悪されてダメになってしまっても、それでも議論は続くし、良くも悪くも未来に可能性を残そうとするだろう。世界遺産に認定された場所が観光地化され、決して以前のままの残り方をしないことも、それでも最悪の結果になるよりは残した方がよいという考えも、途上国の自然が未開のままであってほしいなどと思う自分勝手な理想も、バーミヤンの仏像のように破壊されてしまうことも、いずれも事実で受け入れざるを得ない。そういう意味でも、憲法九条を世界遺産に、という言い方は面白いかもしれないし、この言葉自体がコメディなのだろう。

ついでに、最後のページの中沢さんの写真が、よく言えば菩薩のような悪く言えばアヤシげな宗教家のような、今までになく楽観的な表情であったのが印象的だった。
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by barcanes | 2006-08-12 06:14 | Trackback | Comments(9)

江之島亭、サイコー!

c0007525_1291898.jpg夏らしい良い天気。定休の今日、中学の同級生Yタカ君の家「江之島亭」に初めて行ってきた。展望台よりもさらに奥に進み、階段を下りてまた少し階段を上がった右手にある。昼下がりの4時前、Yタちゃんに予約を入れておいたのだが、バルコニー席(お店の人たちは「ベランダ」と呼んでいた)の一番奥の席を空けてくれた。屋根の上に柵があるだけの見晴らし抜群、日当たりも良好。暑いけど気持ち良い。
c0007525_1314141.jpgまずは生ビールと、観光地らしくサザエのつぼ焼き。汗かいて歩いてきただけあって、生ビール最高。江ノ島でつぼ焼き食べるのも初めてだけど、夏の暑い気候に焼けた磯の香りが合うんですね。夏の強い陽射しに海の色が青く濃く見え、境川の水などキラキラ輝いて清流のようだ。

北西向き、片瀬から鵠沼の海岸を一望。石名坂の煙突のとなり、稲荷の台地に要塞のような建物が建ってるのは新しいマンションかな。こうしてみると鵠沼にはまだまだ緑があるように見える。c0007525_1322391.jpgアースダイバー的には、今から100年以上前の、人の住んでいない鵠沼辻堂辺りはどんな光景だったろうなどと想像してみたりする。もっとも、江ノ島のこの辺りは古くは修験場であったのだろう。

江ノ島は網野善彦さんの代表作「無縁・苦界・楽」にも出てくるように、中世には無縁の地であったようだ。無縁の地と山伏的な修験とはこれも関係があるらしい。江ノ島神社の宿坊だった岩本院(現在は江ノ島神社との関係を絶って旅館「岩本楼」として存続している)には、室町時代、古河に退散した鎌倉公方足利成氏が一時江ノ島に逃げ込んでおり、その後に交わされた書簡が残されていて、江ノ島に権力に関わるような存在があったことを思わせる。北条早雲は江ノ島で武士が乱暴狼藉を働かないように禁制を掲げているが、それは実際、武士が暴れていたからであろう。江戸期には僧坊同士の権力争いもあった。また展望台のあるコッキング苑のサミュエル・コッキングさんは開国期の極悪武器商人であり、外国人でありながらも、江ノ島神社の上手の広大な敷地をどうやって私有地として温室など作ったのか、当然膨大なお金が動いたのだと思われるが、これは江ノ島の大きな謎である。また江ノ島神社の最初の鳥居は、吉原の芸妓衆のカンパによって建てられていたり、また杉山検校など盲目の鍼師の信仰を集めたり、いろいろな身分、怪しげな人たちを集め引き寄せた。それも江ノ島の無縁たる魅力があったのだろう。江ノ島には今もそのような霊力と、無縁の地たる自由の気配が(江ノ島住民のA君やYカ君やYオさんにも)引き継がれているような気がする。

何品かの肴と冷酒、それからご当地ものの「江ノ島ビール」2種を飲み、陽が傾いてゆく。西に夕焼けを望む絶景です。江ノ島って近くなのにとっても旅行気分。遠くに来たような気がする。当店には江ノ島の住民が何人か飲みに来てくれているのだけれど、参道の食堂のにぎわいの中で育ったA君や、c0007525_1331634.jpgこんな景色の中で育ったYちゃんは、どんな気分だったのだろう。やっぱフツウじゃぁないわなぁ。良くも悪くも。

お店の人も言ってたけれど、夏に富士山がくっきり見えるのは珍しいそうだ。陽の落ち際の空の色合いと影絵のような富士山のライン。富士山がきれいだなんて思ったことない、って誰か言ってたけど、富士山そのものが美しいのではなく、天気や光の具合のこういう瞬間、こういう時間を過ごしたことのシンボルとして、富士山があるのだろう。きっと。

c0007525_1334190.jpg灯がぽつぽつとつき始め、藤沢バイパスや海岸線がくっきりと線を引く。夕焼けから夜景へ、ゆっくりと時間が流れてゆく。閉店の7時過ぎまでたっぷりと休日の時間を過ごした。これで花火でも上がればサイコーなんだが、いやそれは贅沢すぎるというものだ。十分にサイコーだ。翌日の雨を思えば、嵐の前の静けさの良いタイミングだったし、いや小雨の日だって、秋や冬の寂しい感じもきっとサイコーだろう。江之島亭、サイコー。みなさんも江ノ島に遊びに行った際には、ちょっと奥まで足を延ばし、窓際の座敷席かベランダ席に腰を下ろしていただきたい。もちろんシラス丼などもあります。近道は最初の参道を登りきって江ノ島神社の右手から登ってゆく坂道です。ここからの景色もよいですよ。

江之島亭 藤沢市江の島2-6-5 電話0466-22-9111
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by barcanes | 2006-08-07 01:17 | Trackback | Comments(3)

ヒロシマの原爆の日

広島の原爆の日に相応しく、常連のO君がDJイベントをやってくれました。仲間を集めてのこぢんまりしたものでしたが、彼なりの鎮魂の気持ちが伝わってきました。ジョー山中の70年代のアルバムや、カウント・オージーのナイヤビンギ、それにフェラ・クティやKeyco、最後のケイコ・リーなどが印象に残りました。どうもありがとう!

昼間にはテレビで、戦中の九大医学部生体解剖事件のことをやっていた。九州大の歴史にも日本の歴史にもタブーとして語られない事件だという。墜落したB-29の米軍捕虜を生体解剖し、胃や肺の切除、海水を代用血液にするなどの実験をし、死に至らしめた。戦後、米軍によって日本軍関係者と九大教授が死刑を宣告されたが、担当医はすべてを否認して自害、死刑確定者も朝鮮戦争時の恩赦によってその後釈放された。当時現場に立ち会った医学生で刑を免れた方は、「軍の命令に逆らえないとは言え、身内を戦争で失ったり、今日明日生きるか死ぬかの戦争の中では、そういうこと(敵軍兵士を生体実験で殺してしまうこと)もやむを得ないという感情が、医師としてもあった。そこまで人間を狂わせたのも戦争なのだ」というようなことを言っていた。

「戦争論」のクラウゼヴィッツの理論なら、戦争は政治の延長であり、政治が「人を狂わす」とも言えることになる。世の中に戦争が今も存続するのは、やはり政治があるからだ。国家があり、政治がある限り、世界に戦争状態はなくならないのだろう。どうして人は政治的な活動をするのだろう。政治的な欲望とは一体なんなのだろう。人はどうして何かのために闘おうと思うのだろう。そして、どうして国家があり、何かに属し、集団を形成して、そのために身を犠牲にすることができるのだろう。家族を守り、家系を存続させることと政治との関係は一体どうなのだろう。

最近そんなことをよく考える。
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by barcanes | 2006-08-06 04:44 | イベント | Trackback | Comments(2)