カテゴリ:日記( 1024 )

夏休みも終わり

9/3(日)


イベントの入らなかった土日。明日から幼稚園の始まるなっちゃんに「おとうさん、夏休みどこにも連れて行ってくれなかったね」と言われた。確かに、カミさんはあちこち連れ回してくれたけど、私とは近所の公園にさえ暑くてほとんど行かなかった。何度かお店に来て(カミさんと)、何度か買い物に行って(家族で)、お父さんとの夏休みの思い出は何もない。家で何となく遊んだだけだった。言われて初めて気がついた。


そんな何でもない日々が幸せなんだよ、なんて娘に言ってみる。「でもおとうさん、UNOおしえてくれたよね。」7枚ずつ配るハンデを2枚ぐらいつけると、わりと同等に戦える。しかしやっぱり申し訳ない気がした。


先日ランドセルを買いに行った。もう半年もすると小学校だ。まだ早いんじゃない、と思っても、結局選んだ(明るい赤に刺繍の入った)ものは特に高級なわけではなくても受注生産で、届くのは春ギリギリだそうである、遅くなれば残り物しか無くなってしまうというわけである。と言っても買ってくれるのはばあばである。


小学生になれば6歳、自分の記憶でも親と遊んだのは小学校までだからあと6年。もう半分近く過ぎてしまったわけだ。早く大きくなって勝手に遊んでほしいけど、残された時間も少ないんだなあとも思う。


まわりの友達たちはもう補助輪なしで乗っている自転車。それそろ練習しなきゃね、って言っていたら、いつもの公園で会うおじさんが工具を持って来て、なっちゃんの自転車の補助輪を外してくれたそうだ。しばらく公園に行かない間に、夏前にはできていた逆上がりもできなくなってしまった。何ひとつ進歩も残せず、ダメな父親の夏も過ぎにけり。

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後日練習に行きました。小さいうちからストライダー(ペダルのない自転車のような乗り物)に乗り慣れている子は、比較的すぐに自転車にも乗れてしまうらしい。なっちゃんにはストライダーを買ってあげられなかった。でも我々の時代にはストライダーがなくても自転車に乗れるようになったのだから、きっと大丈夫なはず。なっちゃんの自転車には後ろに補助の把手が付いているので、それを支えてあげるだけでもだいぶいいはずだ。


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by barcanes | 2017-09-22 13:01 | 日記 | Trackback | Comments(0)

アンビエント

9/2(土)

久しぶりに見えたアニキが「最近どうよ」と言うので、8月中に作業したカセットテープをお聞かせする。ミックスを一からやり直したピアノトリオの音を何通りか聞いて、やり直した2回目より、やり直す前の1回目の方がいいと言う。アニキはそのライブの当日、ここに観に来ていたのでその日のイメージに近いと言うし、何と言ってもベースの音が違う。カッコ良く言えば「磨き過ぎ」てしまい、ボワっとした質感が失われているようにも感じる。

ライブの響きを再現することは不可能なのだからと、ピアノを前面に出し気味にして、嫌な響きを削り、メリハリをつけたつもりだったが、逆にラフな生っぽさが失われてしまったかもしれない。これは好みの問題かもしれないし、どちらもありかもしれない。実はずっと一緒に作業してきたカセット部員も「1回目も悪くないですよ」と言ってくれていたのだ。悩むところである。しかしもう一度やり直したくはない。奥の手はまだ残されているのだ。

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その後は沢田さんのバシェ音響彫刻やイーノ&ラノワの”Apollo”などを聞く。自身のバンドの他にアンビエント的なフリーの演奏活動もしているアニキとアンビエントのイベントでもやりたいねと盛り上がった。ダニエル・ラノワは手作りのスタジオにブライアン・イーノがやって来たことから道が拓けた。アンビエントが彼のその後の活躍の原点である。ラノワ好きの私としてはアンビエントにタッチしてみたいとずっと思ってきた。ようやくその機が熟してきたのかもしれない。

*********

そんな話をしていると、また何か小難しい話をしているな、とアニキが来店。最近ブログが難しくてよ、頑張って読んでるけど読みづらい。これはオレに店に来るなって言われてるみたいに感じる、とおっしゃる。これはマズイ。ブログがお客を減らしているようじゃ、書かない方がマシだ。確かに書いて得することなど何一つない。以前はお店の会話のネタにもなったりすることもあったが、最近はそういうこともなくなった。書いて怒られることもなくなったけど、喜ばれることもほぼない。

だけど不思議なことに日々のアクセスは今年のある時から倍ぐらいに増えた。多分気のせいで、ブログ本体のアクセス解析の方法が何らかのサービスをするようになったのかもしれない。しかしフェイスブックはほとんど限られた人にしか見られなくなっているようだから、その分やはりブログに戻ってきているのかもしれない。

不思議と過去の記事がよく引っかかっているようだ。何かの役に立っているのだろうか。断続的ではあるが10年以上ブログを続けているので、人のためにではないけれど何かしらの役にはたっているのかもしれない。

この日も遅くに、懐かしい顔が現れた。ゴメン!すぐに名前が出てこなかった。ちょっと待ってて。トイレに行ってる間に思い出した!約8年ぶりとのこと。(もっとかもね。)その後いつしか見えなくなった彼女は結婚して子供も二人。そう言えば何かのイベントのとき、ビール注ぎを手伝ってもらったことがあったね。変わらず若くて(酒が強くて)キレイだった。思えばあの頃はみんな若くて(酒が強くて)可愛い子ばかりだったな。

その後も久しぶりのアニキ。半年ぶりぐらいかな。溜まった報告をたくさんして、この日もよく喋ってしまった。うまく書けないのと同様、うまく喋ることもできないから、喋れば喋るほど空回りしてしまっているかもしれない。それでも過去の遺物でも役に立つこともあるのかもしれないから、長くやっていることは無駄ではないのだろう。

酒のガソリンでエンジンを空回しにふかすだけの私の仕事である。前には進まない。普段は低燃焼の低回転で、やはり前には進まない。何れにせよエコカーではないのでエンジン・ノイズは発せられる。前には進まなくとも、そのアンビエンスだけは少しずつ違ったものが日々生まれ続けてきたのだろう。

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今日上がってきたジャケットの切り絵。


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by barcanes | 2017-09-22 12:44 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ミサイルにぞめく

8/29(火)


ミサイルが翔んだ。あなたは一人で生きられるのね(©️真知子)。北朝鮮のミサイルが「北海道上空」を飛んだ日。北朝鮮(中東もね)の軍事ネタが話題になると、近所のスーパーとかでたまに会うちょっと知り合いのBさんがテレビのワイドショーに出てくるのが楽しみだ。インテリジェンスが専門で、司会者やコメンテーターのアジりに負けずにいつも冷静な見解を示してらっしゃる。この日も「この人の言うことは当たるからね」と競馬の予想屋みたいな言われ方をしていて可笑しかった。


数多の情報や発言の中から精査して、これ以上は無しこれ以下は無しという間の話をしているわけであって、人は可能性のある現実を突きつけられると、それが妄想であろうと夢や理想像で返答しようとする。そうあるべきだと。アメリカは、北朝鮮は、中国はロシアは、こうするべき、こうされるべきだと。


戦争のない平和な世の中をイマジンするべきかもしれない。でももしかしたらむしろ逆で、今のこの国も戦時下なのではないかとイマジンするべきかもしれない。少なくとも朝鮮半島は休戦中の戦時下であったことを、自分はあまり考えてこなかったことに気づかされた。このミサイルによって。


つまりそれは朝鮮戦争があって、その前に占領下のマッカーサー時代があって、その前に軍国時代の日本があって、きっと明治時代ぐらいから連綿と続いているものが、何も解決も終わりもしていないということなのだろう。そういうことは戦後一区切りついたぐらいに育ったと思っている世代には分かりにくいことだったのだと思う。日米安保関係も朝鮮半島あってのこと、極端に言えば、戦犯逃れの政治体質と宣撫工作的な情報体制は何も変わっていないということだ。


だからインテリジェンス的に情報を精査してゆくことは、我々庶民レベルでも必要なことなのだと思う。だから国のあやふやな発表もマスコミの偏った情報も、ないよりはマシ。「こうあるべき」論を押し付け合って闘うのも同じ穴のなんとやら。「反省」を相手に強要するのは帝国日本軍人主義の常套手段だそうです。


*********


夜は今年から大和の「連」に入って本場の阿波踊りにも参加してきたという男子の話を聞いた。今年はこの店でも数人から阿波踊りの話を聞いた。やはり民謡や音頭と共に日本の伝統文化的なものが盛り上がっているのかもしれない。動画を見せてもらいながら、男踊りに女踊り、いろいろなフォーメーションがあって役割があって、その中の格好良さとはどういうものかを教えてもらう。


ついでに彼が気に入っている最近のポップスなどをYoutubeで教えてもらったりする。こちらは(音質的な問題もあり)なかなかその良さが分からなかったりする。個人的にすごくいいと思えるものはなかなかあるものではないが、人がいいというものの良さは分かりたい。


好みと情報とは一緒くたにしてはならないとは思うが、好みも情報となり、情報もまた好みに応じてしまう。そして人間は、好みでもなければ生きていくのは辛い。好きもあれば嫌いもあるが、好き嫌いを操作されることは避けたい。だからと言って操作することも避けようとすると店の宣伝ができなくなってしまうから、こうなる。


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by barcanes | 2017-09-22 12:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

2週連続カバー特集の金曜日

9/1(金)、8(金)


8月には一度も開催のなかった金曜日のカウンターDJシリーズ。9月は2週連続でカバー特集でした。9/1は通算34回目の”Free Friday”、潤くんの「Doug Sahm金曜日」。1988年の名盤「”Juke Box Music”を聴く」というテーマで、50〜60年代のローカル・ヒット曲をカバーした収録曲(一曲のみダグ・ザームのオリジナル)とそれぞれの原曲や関連曲をアルバム(アナログ11曲、CDでは4曲プラスして15曲)収録順に聞いていった。

このアルバムとその続編とも言える1994年の”The Last Real Texas Blues Band”は以前から私にとって特に愛聴盤であったのだが、後に知り合い一緒にバンドをやったりすることになるアニキたちもみんなこれら2枚を愛聴していたことは、奇遇というよりもむしろ必然であったかもしれない。リアルタイム・ソウルを経験していない我々世代にとってのその入り口の一つは、リアルタイムに聞いたカバー・バージョンである。どんな曲がどんなアーティストによってどのようにカバーされてきたかは千差万別、優劣の判断や好みは分かれて当然である。しかし、原曲への愛とそれをカバーするに際する工夫やクオリティとの両面において、この我々にとってリアルタイムな年代に出されたカバー・アルバムは傑出しているからである。

細かいこと言えば個人的には94年作品がリアルタイムで、88年作は中古CDでの後聞きである。そして今回、持ってなかったレコードを潤くんからプレゼントしてもらった。彼はもちろんそのアルバムだけでなく、原曲のシングル盤たちをもコツコツと集めてきたわけである。彼の考える3大カバー・アルバムはこれの他、Dr. John "Gumbo"とThe Band "Moondog Matinee"ということになるのだが、共に70年代の作品であるこの2作より、回顧の振れ幅がより近いということになるだろう。だから彼のこのアルバムに対する愛は、我々にも通じるものがあったわけである。それでもそこからさらに約30年経つわけだが。

さてカバーを聞いていく楽しみとしては、原曲に比較的忠実な場合は原曲に軍配を上げざるを得ないし、工夫を加えた場合も原曲の魅力を超えられないことが多い。それでは原曲を超えるカバーとはどういうものか、ということになる。原曲が有名なヒット曲であれば、どうしても原曲のイメージが先行するが、ダグの選曲はマイナー・ヒットばかりなので、我々としてはカバー・バージョンのイメージが強くなってしまう。なのでA面とB面では先攻後攻を入れ替え、A面は原曲先攻、B面はカバーを先行としてみた。

リズムやアレンジの組み合わせなどのアイデア、機材的な技術面など、どう考えたって後出しジャンケンの方が勝ちそうなのにそうでもないところが音楽の面白いところである。仮にボーカルの魅力はそれぞれ同等であるとしよう。とすれば、原曲に含まれているけど花としては開かなかった蕾のような要素、あるいは表面上にも出なかった根っこのような要素を捉えて、あるいは感じ取り、そういった可能性がどんな芽を出し葉を広げ花を咲かせたか、といったことを形にして表現できたかどうか、ということになるのではないだろうか。

つまり逆に言えば一般的なカバーとは、原曲の咲かせた花を見て似たような花を咲かせているに過ぎない。ボーカリストの花であったりソロイストの花で、その花を置き換えているに過ぎないのである。しかしナイスカバー!と唸るようなものはそういうことではない。原曲が咲かせた花を折ってでも違う蕾を開かせてもよいかもしれないが、ダグ・ザームはそこまでの乱暴をせずとも、しっかりと原曲の野生な素朴さを残しつつ、全体の枝ぶりを整え、時には既にカバーされたものにも注目しつつ、大胆な接木を施す。言うなれば古木を現代に生き返らせる植木職人である。

切り花を花束にしてデコレーションしたようなカバーを喜ぶ人もいるかもしれないが、そういうものにつまらなさを感じる者は、まだ道端の野花を見る方がよっぽどマシかもしれない。歌はカラオケでも鼻歌でも生き延びるのかもしれませんがね、やっぱり忘れられていくであろう良い曲は、レコードが残されていると言えども、生き返らせてくれるようなカバーは必要ですね。そしてそれらをかけてくれるDJも。

この日はプログラムが早めに終わり、その後もダグ・ザーム関連で延長戦。私は酔っ払ってなんかいろいろ変なこと喋りすぎた気がする。

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Xクラスの太陽フレアの電磁波がビリビリ感じられるような気がするのは気のせいかもしれない翌週9/8の金曜日は、「ゲンキン!誰のカバーやねん?」ということでGenさんのカバー特集。有名曲のカバーなら原曲を聞くより、いろいろなカバーの聞き比べなど。こちらは外来種が野生化してしまったような逞しい珍カバーや、街の片隅に忘れられた野草のような珍カバー、聞いたことのないものがたくさんあって面白かった。

カバーには自分たちのルーツを明言するようなものと、自分たちのスタイルに引き寄せてしまうようなものがあり、何れにせよそこから愛や敬意が伝わってくるというのが、カバーもののいいところ。まだまだカバーもの特集はネタがありそうですね。各ジャンルのカバーもの、ジャンルを超えたカバーものなど、レコードを聞く楽しみは無限だと思います。そんな気軽なレコード企画はぜひ金曜日のカウンターDJシリーズにお寄せください!

この日の最後はバスター・ポインデクスター(デヴィッド・ヨハンセン)による“Bad boy”。ジャンルを超えて幅広いレコード・ハンティングをしているGenさんならでは、前週のダグ・ザーム特集に合わせてくれてのナイス締めでした。

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by barcanes | 2017-09-15 14:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

8月最後の2デイズ:みやしたじろっく→よみきかせのみきかせ→Funk研究会ファンク・ベーシスト特集

8/26(土)27(日)


山盛りだった8月のイベントも、この土日3つのイベントでおしまい。土曜日は「みやしたじろっく」。「たじろっく」と名のつくものをこのお店で最初にやったのは2009年の5月。その時の出演は「々(おどじり)」〈宮下広輔、田尻有太、横山祐介〉、「遊鳥」〈田尻有太、宮武理恵、まえかわともこ〉、「まばら」〈岡崎恵美、トオイダイスケ)、それから「citta」〈秋元勇気〉でした。その時の紹介文にはこんなことが書いてある。

「当店でも何度かライブをやってくれて、店主も大ファンのまえかわちゃんと、店主の高校の〈だいぶ下の〉後輩らしい田尻君が、仲間を集めて素敵なイベントを企画してくれました。当店のライブはいつも年上のアニキたちのバンドばかりなので、こうして若い人たちに集まってもらえるのは嬉しいですし、大変楽しみにしてます!」

その頃から変わったところ、そして変わってないところとは何だろうか。そんなことを感じたりする機会だったのでしょうね、結果的には。

その後開催がまばらな時期もありましたが、近年は2年連続で2月の開店記念にやってもらって、一年に一回ではもったいないから今年は夏にも開催となった。バースデーにかこつけて。前日になってまえかわさんが事情により来られなくなり、そのぶん田尻と宮下のバースデー・コンビが頑張ってくれました。一人でやったり二人でやったり、リエちゃんユカコちゃんを交えたりと。

一方でエミちゃんは潔く、一人で弾き語りのみ。せっかくだからみんなとコラボしてほしいような気もしたのだけど、いつもやってる通常の、今の姿を見せてくれたんだなあと思った。見に来てたなっちゃんも、何が一番良かった?と聞いたら「エミちゃん!」と言ってた。まあ聞き慣れてますしね。こちらは聞きながらライブ・ドローイングしてた絵。
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結果的にはまえかわさんの不在を感じてしまいましたが、田尻がソロピアノや歌モノのエモさでそれをカバーしてくれたかな。「エモい」っていうのは、エモーショナルなんだけど必ずしも肉体派だったり体育会系だったり男らしいっていうのではなくて、ちょっとしたキモい」感じがエモーショナルの新たなベクトルを示す萌芽となっているようなものだと思うのですが、田尻も宮下も最初からエモかった。そう言えばそれはそうだった。それが彼らが最初にうちに来た頃に感じた、自分にとって新しかったことのひとつだったと思うし、その後花開いてゆく彼らのオリジナリティにつながっているんだと思う。

それから今回はP.A.&録音を「太陽ぬ荘スタジオ」社長相澤くんに丸投げ。自分は半日みんなと一緒に過ごせて、のんびり演奏を聞けて、嬉しかった。

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日曜日はイベントがダブルヘッダー。昼過ぎから準備してフロアにマットを広げ「よみきかせのみきかせ」。隔月開催で21回目。2歳だったなっちゃんももう5歳半です。今回はテーマが設けられて、夏休みということで「絵日記スペシャル」。なっちゃんにも事前に新潟の思い出を一枚の絵に描いてもらったのだけど、「恥ずかしいからお父さん読んでー」と言うので、共作ということにして二人で一緒に発表しました。ますいさんの絵日記は、ちょっと大人向けなオリジナル絵本のレベルで、とっても面白かった。

今回は大人も子供もたくさん参加してくださって、とても賑やか。盛り上がりました。妻子が来てくれた社長一家は昨夜と合わせて全員参加!ありがたいです。

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夜はセッティングも切り替わって、カウンターDJとプロジェクターの準備もして「Funk研究会」。5回目のテーマは「ファンク・ベーシスト特集」。忘れ物に気付いたファン研部長は快足を飛ばして汗も流さず往復20分で戻って来ました。さすが。こちらも意外に来客あり、思いがけずやや緊張気味の部長は念入りに用意して来た入魂の選曲を急遽変更しつつ、映像を交えたりして楽しませる工夫をしてくれました。

今回の主人公はラリー・グラハムということで、教則DVDの映像も登場。下品な音色のエフェクターを踏み踏みしながらジャムってるだけで何の参考にもならないのがやはり一流の証。(翌日、足でクラーベのリズムを踏むバカテク・ラテンドラムのオラシオ・エルナンデスの教則VHSを久しぶりに見てみましたが、やはり何の参考にもなりません。次は教則ビデオ特集か!)

チョッパー・ベースから始まったレコードが、次第にそこから離れて普通の指弾きに収束して行くあたりがファン研部長ならでは。「昨日のエミちゃんのトライアングルの入れ方がグルーヴィーで良かったね」と、グラハム師が教則ビデオで言っていたベースとバスドラムとの絡みを思わせる感想で二日間をまとめてくださって、部長は去って行ったのでした。

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by barcanes | 2017-09-12 03:24 | 日記 | Trackback | Comments(0)

「斉藤ネヲンサイン」2デイズ

8/15(火)、16(水)


2年ほど前に8トラックのデジタルMTRを手に入れ、当店のライブのP.A.をするついでの片手間にライブの録音を始めた。今のところ、その成果は一つとして作品としての形を成してはいないが(Youtubeにいくつかラフなミックスを上げた程度)、ライブに来られなかった人にお聞かせしたり、当店のBGMとしての楽しみとなってきて、その録音のクオリティも低予算の機材の寄せ集めながら、少しずつ上がってきたと自負している。

そんな話を聞いてか、興味を持ってくれたミュージシャンが出てきてくれた。「斉藤ネヲンサイン」こと斉藤君である。歌謡曲や和モノのレコードをかける当店定例のイベント「藤沢歌謡会」にはDJとして来てくれたこともあるし、ライブも一度やってもらったことがある。

以前にスタジオ録音によるCDを作ったことがあるが、音色に満足がいかなかったらしい。そこで、ライブを一発録りしたような、いわゆるマイクが被りまくっているようなゴチャゴチャした雰囲気で録音をしたいと言う。私としては初めてのレコーディングという案件である。希望通りのサウンドが録れるかどうか自信はないが、それでもやってみたいと言ってくれる。

うまくいくかどうか分からないが、とりあえずやってみようじゃないか。そんなことで、前夜にセッティングとリハーサルがてらのライブ、そして翌日は昼から5曲の録音というスケジュールを組むことになった。

一日目、予定の入り時間より前に3人組が現れる。撮影部隊だと言う。簡単な動画撮影をしたいとは聞いていたが、思っていたよりも遥かに重装備のチームで、のんびりやりながらセッティングしようと思っていた私は意表を突かれた。カメラは大小7台ぐらいあって、三脚やらスネーク・ケーブルやら(翌日にはクレーンまで!)撮影機材とバンドの楽器などで店内フロアは足の踏み場もないほどに埋まった。

バンドはドラム、ベース、ギター、オルガン、サックス、そして斉藤くんのボーカルと6人編成。ヤマハのP.A.スピーカー4115片方をオルガン用に使うことにして、もう片方をボーカルのモニター用とするなど、初の試みもしてみた。リハが終わってようやく気持ちも少し落ち着いた。

この春に藤沢を旅立って行ったカズマックス先生も、今夜のDJとして3ヶ月ぶりの帰店。来客は多くはなかったが、メンバーとスタッフと撮影機材などで店内はいっぱいだ。撮影の照明が斉藤くんとバンドを照らして、キャバレーでの演奏のような不思議な雰囲気もあって面白かった。翌日録音する5曲を中心に、各メンバーのモノマネや余興など挟んで短めのライブだった。メンバーはホテル泊でよく飲んでくれて、まさに合宿の盛り上がりである。

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翌日は1時入り。昨夜のままのセッティングでやろうと思っていたが、音の被りを避けようと間合いを取って、結局輪になった。それはそれで音が回ってしまい(特にギターアンプのリバーブの音)、良かったどうか分からない。よりベターな配置もあり得たかもしれない。各曲だいたい3テイクずつ演奏して、どれも最後のテイクでオッケーとした。アレンジもしっかりできていてリハーサルやライブも重ねており、各メンバーとも身体に入っているという感じ。みんな上手だなと感じた。差し替えの「パンチイン」はサックスとギターのソロ1箇所ずつ、それもたった一回で決めた。私も初めてのパンチイン操作だったが、全く違和感なしの出来。4時間ほどで5曲、バンドの音録り終了。

一度片付けて、サックス以外のメンバー5名でコーラスをオーバーダブ。一人で2声、2マイクで4人、そして3本マイクで5人のわわわわ〜コーラスなど、各ポイントの音程やハーモニーを確認しながら、何度かずつ繰り返していく。ヘッドホンなど使わず、先ほど録音したバンドの音をスピーカーから流しながらの録音だ。私もキュー出しからハーモニーのチェックなど、機材を操作しつつ共に参加している気分で高揚してきて、8時過ぎに全ての録音が済むとなんとも言えぬ達成感を感じることができた。こんな気持ちは初めてだ。

ローテクながらシンプルかつ共時性、そして共空間性が保たれる。SP時代(1950年代まで)のレコーディング方法に近いのではないか。見たことないけど。みんなで乾杯しながら、今日の成果をラフにミックスしつつ聞き直す。みんな満足してくれて嬉しかった。

もちろん、いわゆるポップスの音にはならない。その後でブルーコメッツとかGS歌謡とか、彼らの音楽に近いようなものを聞いてみると、ドラムはとても小さいし、歌は大きくてしっかりと前に出ている。歌の録り音には限界があると思う。できたらボーカルぐらいは良いマイクで録ってみたい気もする。でも、ダイナミック・マイクだけでレコーディングする、っていうのも確かに斉藤くんの持っているテーマの一つだったから、そこにも良さがあるはずなのだろう。

私が漠然と持っている完成像と、アーティスト本人が持っているイメージは違うだろう。特に自分よりも若い世代の場合、例えば自分が何かに比べて劣っていると思われる部分にも、むしろ何らかの良さを感じて、私などには気づかなかったような面白さを提示してくれるかもしれない。連綿と人が歳をとり続け、自分と違う人間と同じ時代を生きるということに希望があるとすれば、そういうことなんじゃないだろうか。

今回の私の仕事は録音までで、ミックス以降の作業は他の方がやるそうなので、これで良かったのか心配も半分、出来上がりの楽しみも半分。思い切っていじくってほしいと思う。音をどれだけいじくってもおそらく残るであろう、共時性や共空間性というものを録り落とすことが、今回の私に与えられたミッションであっただろうから。

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雨降る水曜の深夜、今日もよく飲んでくれた斉藤くんたちに録音データを渡し、もう今日は満足だし誰も来店しそうな気配もないのでたまには早じまい。小雨に濡れてたまには南口へ。

一人で飲みに出るのも一年ぶり。久しぶりに以前よく来ていたバーに行った。もうすぐ22年になるそうで(95年夏の開店)、数えてみたら私が初めて来たのは19年ほど前になるでしょうか。基本的にカウンターの感じは何も変わってませんが、よく見たらちょいちょい変わってる。多分3、4年来てなかったと思う。

美味いモルト原酒(ボウモア20年)を飲み、隣のお客さんにパクチー味のポテトチップスをおすそ分けしていただいてしまったのでビール。でも、最後のカスクウィスキー(ストラスアイラ10年)のひとくちは残しておいた。ちびちびsipする美味さを思い出し、残り香の余韻を感じながら帰った夜だった。
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昭和のムード歌謡スタイルのニュータイプ。


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クールファイブ・マナーでわわわわ〜コーラスを指揮する斉藤くん。

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持てる機材総動員。

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「ベルーガ」は南口「ケインズタワー」地下にあります。


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by barcanes | 2017-09-08 16:13 | 日記 | Trackback | Comments(0)

Voicesルイジアナ夏祭り&しんぺーのPageant

8/19(土)20(日)



土曜日のVoicesはいつもの3クルーとゲストのGenさん阿仁敬堂さん、合わせて5名のDJに加えて、昨年の8月にも来てくださったZydeco Kicksと、やはり2度目の登場のLos Royal Flamesというルイジアナあたりの音楽を演奏する2グループが合わせて出演。さらに合体企画のLos Super 8(サックスのギンさんも参加して9人編成!)という大編成バンドもあって、その後のレコードがハウリングしているように聞こえてしまうぐらいの大音量ライブだった。夏といえばお祭り。祭りといえばお祭り騒ぎ。


私もリハ中にこっそりひっそり、パワーアンプを壊れてもいいものに替えておいた。が、音量はP.A.側ではなく、金物や太鼓に鳴り物、ギターアンプにベースアンプといったものなので制御不可能。音色だのリバーブだのといった細かなことはカンケーなし。だってお祭りだもの。好きにやってください!途中から開き直ることにした。フロアも踊る踊る。大盛り上がりの大盛況でありがとうございました。でも私はやっぱりお祭りは苦手みたい。


お祭りの音楽は好きなんだけど、ザディコもスワンプポップも古いソウルも好きなはずなんだけど、やっぱり自分は録音され切り取られた、切り離されたようなものが好きなだけなのだろうか。現場の熱狂の只中にいて、自分の力では制御のしようのない状況に身を置くことに耐えられなくなってしまう。ある種の精神疾患なんだろう。あ、それってパニック障害みたいなものか。そういうことで許してもらうしかないな。


自分がそこに関われるかどうか、あるいは人に任せてしまって信じられるか。人を信じてしまうというのも一つの関わり方かもしれない。受け身で音楽を聞くということも、信じてしまっているからかもしれないし、逆に耳を傾けようとするのは信じていないからこそかもしれない。信じていないからこそ関わろうとするが、関われないものも信じられないわけだから、どちらにしても人間不信に陥る。人間不信の人間は結局、音楽しか信じられなくなってしまうのだろうか。


そんな人間にとって、音楽を粗末に扱われると救いがなくなるように感じられてしまう。しかし元来、音楽とはノイズの中の一形態であり、特殊な形の騒音でしかないのだから、水や空気のように当たり前のような存在であって、粗末も何もないのかもしれない。少し以前までの水や空気のように。


同時に音楽には破壊的な要素もあるわけで、ロックだのパンクだのフリージャズだの、何らかの破壊性がサウンドの面にも現れることは、おとなしく型にはまったものよりもむしろ健全であるとも言える。ただスケールの問題であると言ってしまうのが簡単だ。野外の広々とした空間で存分に音を解放することのできるバンドの音を、壁でさえぎることには問題が生じる、ということに過ぎないのかもしれない。音量音質の基本的な問題でしたね、それは。後になってから自分も、"Play Loud!"の文字が誇らしげに書かれているZydeco KicksのTシャツを着ていることに気づいた。


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2度目のガンボ・スープを作ってみましたが、アメリカ南部料理の料理人の方がいらしていて、恥ずかしくなってしまいました。


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翌日曜日は、しんぺーちゃん久しぶりのライブ。この店で歌うのは一年半ぶりとのこと。二十歳前からこの店に来てくれていた彼に、そろそろ定期的なイベントをやってみてほしいということと、日本全国を旅して回ってきて知り合った各地のシンガー達を藤沢に呼ぶ機会にしてくれてもいいなっていう思惑で投げかけてみた。


この定期開催を目論んだイベントのタイトルを決めるに、なんとなくしんぺーの「ぺー」に絡めて「ページェント」って思いついたんだけど、思いつきにしてはなかなかの意味を兼ね備えておる。


pageant『〔大仕掛けな〕歴史ショー、時代劇。地域の歴史や伝統を題材にしたもので演劇や山車を連ねたパレードの形を取ることが多い。〔壮麗な〕行列、行進。〔多くの参加者が登場する〕ショー、公演。誇示、見せびらかし』


うん。これも祭りだ。しんぺー祭り。そんな栄えある第一回のゲストは三重県出身の岡秀年くん。まさにお祭り男である。自らの顔と名前を幟にして背負い、自分が大好きで目立ちたいという半分芸人のようなオモロイ男である。残りの半分は長渕剛と竹原ピストルとあと何か混ぜて割って熱いところを出してみたんだけど、やっぱり笑いを取らなきゃと思い余ってライブ中に実家の母ちゃんに電話しちゃうような、なんか憎めないヤツである。


それに比べるとしんぺーちゃんがなんだかおとなしくも落ち着いたように聞こえてくるから不思議である。いや、大人になったのかもしれない。だってもう29歳ですもの。しんぺーのアルバム制作を手伝ったたじりんPも鍵盤ハーモニカやピアノで参加して、お客さんもたくさん来てくださって、和やかで楽しい夜になりました。


しんぺーちゃんには世代の違いだけではなく、はっきり言って良いか悪いか全然理解できないんだけど良いのかもしれないっていう、自分の分からない領域を教えてもらっているし、彼もそれでいいし、自分もそれでやっぱりよく分かんなくてそれでいいんだと思っている。今後もよく分かんないヤツらを呼んで、よく分からんページェントを続けてほしい。よく分かんないうちに何かがちょっとずつ変わっていき、良くなったり悪くなったりして成長したりダメになったりしていくのもまた人生なんだろうと思うからである。


同じ人生なら、よく分からんことがあったほうが面白いし、いろんなことが相対化できるのだと思う。純粋で絶対的なものを称揚してできあがる日本的な「空気」が排除しようとするのが「対象を相対化する者」(©︎山本七平)であるなら、我々はやはりくよくよしながらも絶対的なものに支配も拘束もされず、また他人をも支配拘束しないでいたい。それもダメ男的なささやかな抵抗なのかもしれない。


お祭りには、そんな日本的「空気」の嫌な部分も感じられてしまうわけだけど、ダメ男的な自由を感じられるお祭りの楽しみ方もあるはずなんだろうと思う。


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by barcanes | 2017-09-05 07:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

「空気」の研究、2デイズ

8/17(木)18(金)

先週14時間かかってイコライズ&ミックスした、あるピアノトリオのCane'sでのライブ録音。その日の時点ではようやくここまで来た!という達成感で満足したのだが、カセットテープに落としたり何度も聞き直しているうちに低音の少々耳障りな帯域がうるさく感じてきてしまった。それでも完璧になんてできっこないのだから、定休日のこの日は午後をまるごとテープ落としに当てようと店に来たのだが、やはりダメだ。ここで妥協するのは良くない。早々にやり直しを決断。明日は一日それをやる。一からやり直しだ。

観たかった音楽ドキュメンタリー映画、「Take me to the river 約束の地、メンフィス」がちょうど横浜のレイトショーでやっているのを知ったので、暗くなってから出かけた。関内の駅から歓声の聞こえるスタジアムの逆側に遠回りしてしまって、外国の話し声が聞こえる暗い裏通りを少々迷いながら歩いた。伊勢佐木長者町の「シネマリン」にようやく行き当たり、階段を降りてドアを開けると、さながら街外れのゲストハウスにたどり着いたようなホッとした気持ちになった。大して歩いたわけではないのだけど、ちょっとした外国旅行者の気分になれた。

ちょうど映画が上映されているジミー・ツトム・ミリキタニの猫や原爆の絵が展示されている小さなロビーで汗を乾かす時間があって、300円ほどのレイトショー割引がせっかくなので缶ビールを一本。客席真ん中あたりに腰を下ろして、ページを開く。行きの電車で読み始めた本は「『空気』の研究」。ミックスとリバーブの空気感をどう考えるか、という真っ只中のテーマに関する参考書、ではなく「日本教」やいわゆる日本人論で名高い、在野の著作家にして書店主である山本七平の代表作の一つである。

夏には毎年、一冊ぐらい戦争関連の本でも読みたい気分になる。今年はNHKの戦争関連のドキュメンタリーを何本か見たが、映像の強烈さの他にはどうしてもメディアなりのフィルターがかかっているように感じられてしまう。そのフィルターもやはり「空気」なのだろう。戦争に向かってゆく「空気」、豊洲市場の移転と無責任工事にまつわる「空気」(この件ではユリコちゃんが山本七平の「空気」に言及したそうである)、カゴイケ&カケ問題などで顕著になった政官民入り混じっての隠蔽と口裏合わせの「空気」。カンボー長官の記憶や言及が失われるのも、日本人は今も昔(明治維新あたりから)も何も変わらず「空気」に支配拘束されるからなのである。

昭和51年ごろに書かれたこの本は見事に今のご時世も予言しているが、その「空気」の拘束からいかに脱却するかという示唆も忘れてはいない。「人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。人が「空気」を本当に把握し得たとき、その人は空気の拘束から脱却している。(あとがきより)」音楽の空気を再構築することはこのことと無関係に違いないが、一概にそうとも思えない私は少々狂い始めているのかもしれない。まあそういうのも今に始まったことではないし、そのぐらいが自分にはちょうどいい。

さてこの映画、音響的なものを期待したのだが、全体の音量がやや小さく感じられたこともあり、ちょっと欲求不満。伝説のロイヤル・スタジオもセパレイトされた分離の良い音でキレイすぎる。もちろん壮大な共演プロジェクトなのだから仕方ないだろう。オーティス・クレイやボビー・ブランド、スキップ・ピッツなどの大御所(いずれもこの撮影を最後に世を去った)が孫ほどの若手と世代を超えて共演するというのが、この映画のあらすじとして据えられているのだ。その他メイヴィス・ステイプルズの天真爛漫なお喋り、ウィリアム・ベルのその辺にいそうな人柄、チャーリー・マッセルホワイトの渋さ、ディッキンソン兄弟の立ち位置も良かった。そして意外にもスヌープ・ドッグの手早い仕事っぷりに感心した。しかしStaxとHi以外にほとんど言及がなかったのも少々物足りなかった。

サウンド的な欲求に満たされないまま、深夜にも花屋や果物屋が開いているギラギラした福富町あたりを抜ける。女の人には声をかけられなかったが、おじさんがいちおう客引きしてくれた。川を渡るとガラッと空気が変わって野毛へ。閉店まで30分、「ダウンビート」の階段を上がる。ちょうどピアノトリオがかかっていた。

レイ・ブライアントのいかにも黒っぽいピアノが、アルテックのシアター・スピーカーを通して濁ったサウンドで響いている(61年のコロンビア録音”Con Alma”)。ところどころ詰まった帯域が見受けられるが、それも味である。ドラムもベースも意外なほど小さいが、ピアノがメインであるのでそれで良いのだろう。

程なくしていかにも音楽関係者らしい会話をしている二人組が入ってきて、マイルスの「枯葉」(キャノンボール・アダレイ)をすかさずリクエストした。もちろんピアノは小さくミックスされており、ピアノソロのところだけ音量が上げられている。私も去り際にECMのサウンドを聞いてみたくてリクエストしてみた。スティーブ・キューンの”Trance”がかかった。リバーブの効いた70年代のサウンド(75年)である。しかし決してキレイな音ではなく、濁った成分が十分に残されている。これでいいのだと思った。もちろんスピーカーやそのほかの再生機材によって再生音は変わってくるわけだが(もちろん盤質も)、ところどころ突出した帯域があってよいのだし、むしろそこに味わいがあり、再生の楽しみも生まれてくるのだ。自分なりに納得して、閉店時間に野毛の地下道を通り抜けて帰った。

翌日は昼過ぎから店に行き、件のピアノトリオのミックスを一からやり直し。ヤマハのスピーカー4115で低音の処理から始めてエレボSx300で高音域へ、イコライジングだけで5時間かかった。慣れないパライコの作業で、結局20ポイントほど削った。あとはカセットに入れる予定の6曲を、前回の作業をたどりつつ、各楽器の音量を探る。抑揚の素晴らしい演奏だったので、ひとつひとつの曲の中ではフェーダーを動かさない方針で、音量のレベルを合わせ、リバーブの具合を決める。(最後のアンコールでやった曲だけ、いたずら心でリバーブを3段階で深くした。)コンプは考えていたよりも結局薄くなり、ライブ演奏の時点の幅広いダイナミクスと奥行き感をできるだけ損なわないようにした。

3曲ほど終えたところで開店時間となり、来客あり。機材のセッティングはそのままに残して、客人の途絶えた瞬間を見計らって続きをやりながら、お酒を飲まずに朝4時まで。そんな最中に初めていらした客人はたまたまオーディオ好きな方で、興味を持ってくれたので助かった。ようやくビールを飲んで、達成感ついでにカセットに落として朝6時。重低音が残ってしまったが、それも味わいということで。他所の環境で聞いたら問題があるかもしれない。

それでも磨きに磨いた。研ぎ澄まされた音になったと思う。完全に生音のライブだったから、マイキングをして録音して、ミックスしてリバーブを載せているわけだから全くの別物である。そんなことを許してくれるミュージシャンは普通いないと思うが、私は許可もなく勝手にやっているので、ホントだったら怒られても仕方ない。

しかし「空気」の研究とは、「空気」に水を差し、その水が雨のように降り注ぎ、降り注いだ雨が金属を腐食させるように、消化酵素の作用のようにまた元に戻って「空気」を形作る、その永遠のような繰り返しの中で、罪悪を感じながらもあえて空気を読まずに水を差すことによって、その対象への追求が可能になる、ということである、と私には読めた。私のやっていることは言うなれば、差した水の雨が次の「空気」を作り出そうというところかもしれない。それでも万が一、それが成功していたら大したものであろう。

そうでなくても、この春からずっと続いてきたカセット・プロジェクトと、この店で生じた新しい音楽のサウンドが、ようやくここに形として結実したのだと、私は大いなる自負と満足を得た次第である。あとは作品としての最終段階というところまで来たのではないだろうか。
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by barcanes | 2017-08-30 04:39 | 日記 | Trackback | Comments(0)

過去最長記録のアイリッシュ・セッションとジャケ買いFunkの冒険

8/13(日)、14(月)


日曜の「アイリッシュ・セッション」は5時の開始時間早々から多くの方々が集まってくださり、10名余りの参加者、11時ごろまで過去最長のセッション時間と盛り上がった。お盆休みと重なったこともあり、静岡や名古屋からの遠方の方や初めて来てくださった方、久しぶりの方など、タイミングさえ合えば参加してくださる方はいるのだなあと励まされました。主宰も喜んで、時間を忘れて演奏に没頭しておられました。


その間にも最近近所に引っ越して来られた方などの他、珍しく外国人の二人組が見えた。しばらく使うこともなかった片言の英語でどう話しかけてよいやら、恐る恐る声をかけてみると、一人は近所に在住、もうお一人はなんと「12年ぶり」と言う。以前は藤沢に住んでいて、ロンドンから久しぶりの来日だそうである。「Naomiがよろしくって。」と言われて思い出したよ!Naomiは以前よく飲みに来てくれていた何人かの英会話教師のうちの一人で、彼女は何度か一緒に来てくれたことがあったのだ。あの頃よく来てくれていたカナダ人やオーストラリア人の男子はみな、日本人の女性と結婚してどこかへ行ったしまったなあ。


先日も13年ぶりに藤沢に帰って来たというお客さん(憶えてなくてすみません)や、近年は藤沢に引っ越して来たという方がよく見えるが、大概一度で終わってしまう。きっといろんなお店に入ってみて、どこか気に入ったお店を見つけたことだろう。また何年か後にふらっと来てくださることもあるかもしれない。



翌14日は「ファン研」。今回のテーマはちょっと柔らかく「ジャケ買いFunk」。ファン研部長が1万円持ってレコ屋に行き、目を引いたものだけ買ってきた。部長にとってジャケットにFunkを感じたもの、ということである。アフロファンクやレアグルーヴの好盤もあり、またプリンスやタワー・オブ・パワーなどに絡みのある盤には、その関連盤などもかけた。


ジャケ買いはガイドブックに頼らない旅、地図のない冒険である。金(とある程度の体力)さえ払えば登れてしまうエベレスト(2000万ほどかかるらしい)でさえ、冒険ではなく資金力の誇示である。評価が定まり金さえ払えば買える名盤の初回盤など、ガイドブックに記載された登山道を歩く百名山登山のようなものである。もちろん、それが悪いとは言わない。


低山の道なき藪漕ぎに、人の歩かないエリアに新たなルートを見出すことに、過去の誰かが踏んだかもしれなくても自らの五感と共に新たに歩き始めるのが小さいながらも冒険である。ジャケ買いFunkはガイドブックに頼らない冒険Funkなのだ。そして真の冒険は、その成果を詳細な記録に残さない。なぜなら、後にその道程を辿る者の冒険性を妨げるから。


冒険はまた、違う分野に応用が効く基礎研究でもある。だとすれば、その成果は応用のために開かれるべきかもしれない。しかし冒険史は、歴史と共に発展進化してゆくはずだというヨーロッパ的歴史主義をとうに見限っている。つまり、何かのためになるようでは冒険ではない。基礎研究は基礎研究として、自らの五感を土台に楽しんでやるしかないのだ。我々の日々の基礎研究(サウンドだのノイズだの)も、役に立たなくて結構なのである。


ただ、少しずつの到達点、小さな完成、ちょっとした達成感、イベントとして形にすること、そのようなちょっとしたゴールが、次につながっていくためには必要なんだろうと思う。


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by barcanes | 2017-08-25 21:55 | 日記 | Trackback | Comments(0)

お盆ウィークの前半の3夜連続DJイベント

8/10,11,12(木金土)

例年ヒマなこの時期ですが、今年のお盆はうまいこと予定が埋まりまして、6夜連続イベント+水曜日には初めてのレコーディングっていう案件も入り、なんと一週間イベント連チャン!ありがとうございます。せっかくの妻子里帰り中なのに、遊ぶヒマもありません。遊ぶ元手もないのでちょうどいいですし、何よりお店で毎日遊ばせてもらってます(そこ受け身かよ)から、自分は十分に幸せだと思っております。ええ。

そんなお盆ウィークの前半は3夜連続DJイベントでした。まずはノーザン・ソウル・パーティー”SOUL KINGFISHER”、当店でやるようになって3回目、かな。主宰のゴトーさんは共通の友人がいたり中学の先輩という縁もあり、「ノーザン・ソウル」という独特の世界観を理解しようという自分の気負いのようなものが徐々に和らいできた気がします。それほど会話をしたことがあるわけではないのですが、自分の世界を守ることと排他的であることとはイコールではないし、差別的であることとも違うということを教えてもらった気がします。

今回は一曲目から知ってる曲がかかったり、わりと幅広い選曲だったりして、これまでの厳格さから比べるとユルめのノーザン・ソウルでした。夏の暑さのせい?私のようなノーザン素人からすればこれはこれで楽しめたのですが、求道精神のようなものを否定したくはありませんから、相変わらずマニアックなレコードを聞かせてもらいたいと思います。同時に、どうやって身体を動かしたら良いか分からない人が楽しめるように、初心者向け「ノーザン・ステップ講座」みたいなものでもあったら面白いかもしれません。

2日目、8/11は「藤沢歌謡会」第24回。ゲストは珍盤亭達磨、珍盤亭MOCHO、天敵といういずれも藤沢初上陸のお三方。レギュラー及川”妖精”譲二さんとの4DJが2セットずつ。主宰のダメ男a.k.a.浅見さんは司会に徹して終盤のB2Bだけ参戦。「夏のおどり」というサブタイトルや珍盤亭御一門がゲストとのことで、音頭ものなど珍盤系ばかりかかるのかと思っていたのですが、ムダ曲一切なしのいい曲ばかりの約5時間でした。個人的には達磨さんの、泉谷、加川良、長谷川きよし、BOROなどが並んだ最後のファンキー・セットが素晴らしかった。久しぶりに参加の予定だったカズマックスさんは、ダブルブッキングにより現れず。

3日目8/12は「キラ金 夏のスピンオフ!」。マキちゃんの金曜日のカウンターDJシリーズ「キラキラ金曜日」の拡大版。ゲストはSAQURAさん(女性かと思った)、フウコさん、そして「Frank Zappaナイト」でおなじみNAKAOさん。和洋問わず80’sを中心にキラキラした曲をかける趣向。特に、この選曲はおそらく二度とやらないだろうというNAKAOさん渾身の80’s王道的ヒッツものの心意気が伝わってきました。

この日は他所のDJイベントとのハシゴ客などもあって店内入れ替わり立ち替わり、延長戦も遅くまでやってもらいました。DJイベント3連夜、いろんな方々に来ていただいて、多種多様なレコードが流れ、あっという間の3日間でした。

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3日とも来てくれたのは唯一人!

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毎回デザインの変わる特製ワッペン。金糸づかいの豪華なカワセミ君があしらわれています。

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by barcanes | 2017-08-25 14:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)