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小松崎さんと浜田さんと「文化」について

2/7(水)


小樽のラグタイム・ギター奏者、浜田隆史さんの新作弾き語りアルバム『ギター弾きたくない』が最近ずっとヘビロテです。さだまさしや高石ともやなんかをも思わせる昭和フォーク調なんですが、素朴でどーしょもない歌詞と、その陰にひっそりと気づかれないように生息している雑草のように力強い言葉が、フィンガー・ピッキングの素晴らしい技術とそれとなく散りばめられた一癖ある曲構成や驚きのアレンジによって、思わずくくくっと笑っちゃえるように聞かせてくれる、弾き語りミュージックの傑作と言えるのではないでしょうか!


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完成されたポップ・ミュージックですよこれは。小松崎さんに酷評されていた自宅録音のショボ系サウンドもまたむしろ、この方がいいと思えてきます。私はミキサーのゲインを最大に上げて聞いてます笑。ちょいちょい出てくる多重録音のコーラスも、そしてジャケも最高。


ライブでもやってくれた表題曲『ギター弾きたくない』は、ミュージシャンだけでなく楽器を弾いていたことのある全ての人に捧げたい名曲です。特に最後のヴァース、「弾きたくなるから いつか弾きたくなるから」が泣ける。『ミュージシャンの苦労話』の「誰かに言われたひどい言葉 その場で忘れなさい」とか、嫌いだったのを思い出してまた食べたくなる『ジンギスカンの歌』とか(両親が札幌出身なもので、子供の頃焼肉といえば丸いお肉だと思ってました)、プリンセスプリンセスの何かの曲を思わせるメロディ(浜田さんは分かってやってるはず!)の『クリスマスの日』の「お前たちもいつかは わかるはずさ きっと 大事なもののために 苦しむっていうことが」とか、いちいち引っかかってくるんですよ!


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前回お会いした時にいただいた『Ragtime Children』は前半がクラシック・ラグなどのカバー、後半がオリジナル曲という構成のソロ・ギターのインスト・アルバムで、こちらが浜田さんの本チャンと言えるのでしょうかね。こちらも合わせてヘビロテしてます。もちろんライブ録音も、ゲインを目一杯あげたエアー・マイクのステレオで上手く録れたので、それもお客さんたちにお聞かせしております。


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そんな浜田さんがいらしたのは、藤沢にも雪が積もった1/22の月曜日のこと。札幌からハンマー・ダルシマーの小松崎健さんと、雪をまとってやって来た。どうやら小松崎さんは嵐を呼ぶ男らしく、雪雲を運んできたらしい。お二人のデュオ「運河のカモメ」としては昨年6月以来2回目のご来店。早く帰れだの外出は控えよだの言うニュースの脅しに負けてか、来客のない中で演奏が始まる。


デュオで数曲やった後、最初のソロ・コーナー。”The entertainer”で有名なラグタイム・ピアノのスコット・ジョプリン、1902年(1901年と書いてあるものもある)の“Easy winner”をソロ・ギターで。これを生で聞けることの感激を伝えるには注釈が必要だろう。とは言っても、ラグタイム音楽とその創始者と言われるジョプリンを語るほどの知識を持ち合わせてるわけではない。


興味のある方は浜田さんが詳細に書かれている「日本ラグタイムクラブ」HP内の解説などを読んでみてください。

浜田さんの、手作りHPの歴史さえ感じさせるジオサイトの、圧倒的な情報量のHPはこちらです。


さて1902年と言えば、日本では商品としてのレコードが初めて発売されたような時期である。ラグタイム音楽は楽譜の時代で、ジョプリン本人の演奏は残されていないのだろうか、ジョプリン本人が弾いたものが「ピアノロール」(自動演奏ピアノのソフトに当たるようなもの)として残っている、ということだが、それもどのような仕組みで作られたのかとか、その辺りのことも私にはよく分からない。


紙のロールに各鍵盤やペダルなどに対応した穴が穿たれていて、そこに空気を(電気で!)送ることで自動的に演奏されるピアノがあり、その巻物のようなロールがソフトとして流通した時代があったらしい。SP盤の時代にも、レコードより生々しい音がしただろうことは想像できる。ということは演奏者がその穴を穿つための、打ち込み用のピアノがあったのだろうか?つい話が脱線した。まあいいや。とにかくそういうレコードとは違うフォーマットが存在した、そんな時代の音楽である。


ラグタイムはその後ジャズの興隆とともに廃れ(ジョプリン没の1917年ごろ?)、40年代など何度かのリバイバルと共にギターでも弾かれるようになった。ラグタイム・ブルーズといった主に歌や説教と共に演奏されるブルーズ/ゴスペル経由のものもあるが、浜田さんのHPの解説では除外されている。1900〜10年代のピアノで演奏されたクラシック・ラグを(おそらくラグタイム・ブルーズとの兼ね合いの中で)ギターに置き換えて演奏するような新たなリバイバルが起きたのは1960年代以降とのことである。浜田さんはその系譜にあるギタリストということになるわけだ。


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そんなラグタイム・ギターの紹介者として名高いステファン・グロスマンの教本は日本版でも出ているのでわりと知られているのかもしれない。私も高校生の時につい買ってしまった。それが間違いだったのだろう、ギターに挫折するハメになった。いまだに練習しても弾けないままである。そんな私にとって、目の前で流麗なフィンガー・ピッキングが聞ける、しかも大クラシックであるジョプリンの長大な曲である。ゆったりとしたテンポで。それはそれは感激なのである。


キレイなだけじゃないところがまた素晴らしい。押弦の濁りやリズムのちょっとしたグラつきにラグタイム・ブルーズのおおらかさをも感じられる。浜田さんのちょっとトボけたような人間味の面白さは、この音楽と無関係のはずがない。


さてその曲が終わって、次は小松崎さんのソロ、という時である。「僕はバー・ケインズで流れている音楽がすごく好きなんですけど」と話し始めた。前回は私の持っているグロスマンのレコードを、今回はジョン・ミラーをお二人と一緒に聞いて、これはよく聞いたよねー、と話していた小松崎さんである。


「今の商業音楽は間違ってると思う!」


誰もいないのをいいことに語り出しましたね、と浜田さんが笑って合いの手を入れた。


「泥臭さとかさ、洗練されていてオシャレだったりしてもその後ろに生っぽさ、体臭とか、泥臭さとか そういう大衆(体臭)の匂いがあったんですよ、商業音楽にね、それが最近ない。」「頭の中だけで作ったような音楽がはびこっている。なんかね、それがちょっと面白くない。」「泥臭さかったり哀愁みたいなのが大事。」


ケンさんは生っぽい人ですもんね、と浜田さんがボケを挟む。いいコンビ話芸である。(小松崎さんは名を健と書いてケンジと読む。ハンマー・ダルシマーを自作するところから始めたという人である。)


「ダルシマーもファンが増えててダルシマー愛好会があちこちできて、喜ばしいことなんですけど、ほとんどふわふわと、空に浮いている、実態のない浮き雲のような、キレイなだけの、哀愁もなければペーソスもない、泥臭さもない、お手軽、誰でも演奏できてキレイな音がすぐ出ちゃう。背景に文化がないんだよね。」


以上抜粋ですが、すごく良い話をしてくれた。私はわりとなんでもありの人間だから、ヘッド・ミュージックでもキレイなだけでもいいんじゃないか、好みの問題なんじゃないかと思ってしまうが、それはただ無責任なだけなのかもしれない。なんでもよいというのは、他人は他人、自分は自分という意味では冷たいのかもしれないし、はたして我々には背景を感じさせ表現できるだけの文化があるのだろうか。いやそもそも「我々」とは誰のことで、文化とは意識できるものなのだろうか。はて文化ってなんだろう。


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そんな語りの後に小松崎さんがソロで演奏したのは、1960年代にニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したという、ハンドメイドのハンマー・ダルシマー奏者Chet Parkerのダンス曲。ダルシマーは起源を古く中世あたりに遡る楽器で、幾世代を経ていつしかアメリカに渡り、その頃のフォーク・リバイバルの中で再発見された。


アイリッシュ音楽やブルーグラスなどにも言えることだが、古いダンス曲には打楽器がない。これでどのように踊ったのだろう。古のダンス・シーンを想像しようにも、想像は文化に追いつかない。私の頭の中にはあまりにも文化がないものだから、文化のあるもの、人間臭いものを求めてしまうのかもしれない。


その日は演奏も終盤になって、浜田さんの弾き語りコーナーの最中にお一人だけお客さんが現れた。全国各地のツアー会場にやその打ち上げに突然現れるというツワモノの方だそうで、先述の名曲『ギター弾きたくない』を歌っている途中で驚いている浜田さんの様子が録音にも残っている。雪の中、川崎から2時間かかって来てくださった。


終演後は「すっぴん・るみ子の酒」を飲みつつ、浜田さんの弾き語りCDのサウンドをあれこれ言いながら、先ほどの曲間の話から中村とうようさんのことなどで話が盛り上がった。小松崎さんもとうようさんの文章には大きく影響を受けたそうで、『ノイズ』という雑誌があったことと、そこでJagataraのサックス奏者、篠田昌已と「コンポステラ」というグループを知ったという話が、なぜか強く残ったのだった。


後日、古本で『ノイズ』を2冊ほど手に入れた。89年から92年まで(個人的には高校3年間がちょうどそこに含まれる時期である)、ミュージック・マガジンの別冊季刊誌として13号まで出た、いわゆるワールド・ミュージックの専門誌である。私が入手した「東京チンドン」特集の第10号には、ちょうど篠田さんが登場している。チンドン屋さんに入門し、チンドンのアルバムを出したり、ジプシー・ブラスとチンドンの混ざったような音楽をやったりと、私はYoutubeで垣間聞きしただけなのだが、その混ざり具合というか、いい意味での「インチキ」具合というか、その辺りの趣味の共感を小松崎さんはCane'sの音楽に感じてくださっているのだと思う。


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小松崎さんがユダヤ音楽をやっている「ビロビジャン」で一緒に演奏していて当店に来てくれたこともあるバス・クラリネットの長崎さんという方がいる。私は彼女のことを以前(2003年頃)に目撃していて、面白かったのでその場でCDを買ったことがあった。小樽のビアホールで練り歩きライブをやっていた「パロシクス」という古楽とジプシーを混ぜたようなブラスバンドだったのだが、それもやはり篠田さんの「コンポステラ」の流れであるのかもしれない。


さて話は変わるがもうひとつ気になっていたのが「じゃがたら」である。例のミュージック・マガジンVSロッキン・オン、中村とうようVS渋谷陽一の論争のきっかけとなったのがじゃがたらの江戸アケミだった、ということも少し前にとうようさんのことを調べているうちに気になっていたし、いわゆる日本のファンク、あるいはパンク=ファンク路線としても気になる存在ではあった。いかんせん名前だけは知ってたけど怖くて聞けなかった、かのJagataraである。避けて通ってきてしまったやつである。


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これがまたつい先日、本棚を整理して片付けよっかなと引っこ抜いた80年代のミュージック・マガジン誌。スティーブ・ウィンウッドの表紙と「非西欧圏ポップ」の文字でたぶん学生の頃に100円で買ったやつ。表紙に「江戸アケミ」とあるではないか。89年6月号、これが先の論争の元になった江戸アケミの発言が載っている号だったのだ。私はほんと、このような奇遇の中で生きているのだと思う。20年前に買って眠ったままの古雑誌が突然目を覚ますのだ。


「黒人音楽は好きだけども、黒人音楽ばかりやってちゃあ、日本人としてウソになるじゃないですか。日本人のハートってものがチャンとあるんだから、それと黒人音楽との合体をしなきゃウソですよ。白人ロック文化から学んだものがあるんだから、それとも融合しなきゃならない。ジャズからも学んだ、パンクからも学んだ。いろんなものがあって、初めて自分の音楽があるんだ。久保田利伸さんみたいなやり方で売れる発想もあるけども、ああいうことを全部やってたら、あれはむかしの言葉で言えば資本主義のイヌでしょ。」(中村とうようとの対談「オレはスレスレで音楽やってる」より)


久保田利伸を出してきたところはここではスルーしよう。89年の話である。当店の音楽アニキたちに軽くじゃがたらのことを振ってみたけどあまり分からなかったので、Youtubeで聞いてみた。篠田さんの他、トロンボーンの村田陽一、振り付け師の南流石(なんと私の地元の先輩らしい)、大阪で活躍しているエマーソン北村など、そうそうたるメンバーで、フェラ・クティのアフロ・ビートにニュー・ウェーブだの変態フュージョンだのいろいろ混ざって、Pファンク的でもありザッパ的な部分もあったり、なんだかスゴイことになっている。


好みの問題なのかもしれないが、カリスマ的なパワーと言葉の力のある江戸アケミの歌がもっと上手かったならば、スゴいスーパーグループになっていたのだろうなあ、なんて思ってしまった。そんなことを言ったらファンの人に怒られるかな。時に音痴的に音を外してくるボーカルやコーラスは、聞き慣れていかないとちょっと辛い。でもきっと、上手くなろうなんてこれっぽっちも思っていないのだろうし、むしろわざとそうしてるんじゃないかと思わせるところがある、なんて考えるのはウソになるのだろうか。


折しも先日、(こんな言い方しても怒られないと思うんだけど)歌もギターも大して上手くない若手たち(一応匿名にしときます)のライブがあった。もうちょっとちゃんとしてこいよ、なんて言おうものなら、それはそのまま自分の商売のやり方に跳ね返ってくるような話である。それにむしろ「ちゃんとしてない」ことの良さがあるはずだし私はそれを知りたいのだ。下手なやつ、といったら言葉は悪いのかもしれないが、それはある基準を元にしての良し悪しを言っているわけで、その基準を共有できるかどうかという一点にかかってくる。その基準とは、ある人(とそれを共有する人)たちが当たり前と思っているものであり、それは言い換えれば「文化」ということになるのかもしれない。


しかし時に、文化を超えるものが出てくる。文化の中からそれが出てくるのか、それとも外から来るのか、いずれにせよ、それは過去のことではなくて現在の出来事である。実際に下手くそな音楽が人の心を打つかもしれないし、上手くてもつまらないものなんかよりもずっと、人を喜ばせたり何かを伝えたり元気を与えたりするかもしれないのだ。というか、そんなライブだった。


この場合、「上手い」というのは先の小松崎さんの話に出てきた「キレイ」ということに近づいてくるのではないだろうか。もちろん上手いことには時間や努力がかかっただろうが、伝えたいのはその過ぎ去った時間や努力だけではないはずである。上手い人は下手に憧れるらしいが、それは、上手いということが過去に引っぱられるからだろう。


江戸アケミにこんな言葉があった。「昨日は事実 今日は存在 明日は希望」。昨日までに得た上手さを捨てなければ、今日には存在できないのかもしれない。人は日々、下手でなければならない。「お前はお前の踊りを踊れ」とか「お前はお前のロックンロールをやれ」というのも、文化が今日ここで、新たにここから生まれるのだということなんじゃないだろうか。なんだかグッときてしまった言葉がありました、江戸アケミ。


ライブ・ミュージックでは(ということは録音音楽とは分けて考えるべきという限定的な意味において)、上手い下手にかかわらず目の前の人間に喜んでもらえればよいわけで、というより目の前の人たちと一緒に時間を過ごそうとするわけで、その一回あたりに喜んでくれる客数が多ければエンターテイメントとなり得るのかもしれないし、かと言ってエンターテイメントとしては届かない距離感というか、個別的な付き合いとか具体的な話ができたりとか、客数が少ないからこそのコミュニケーションが成り立つこともあるわけである。(私の商売も同様であると思う。)


マスメディア的なものともエンターテイメント的なものとも違う、レコード・アーティストとも違うやり方が、それらの届かなかった客層に届くかもしれない、という可能性があるのだと思う。技術的なハードルは、高いことによって超えられるものがあるのと同様に、むしろ高くないことによって超えられるものがあるのかもしれない。それが稚拙と呼ばれようが退廃と言われようが。


飲食店としても、チェーン店ともファストフードとも違う、三つ星だの行列の店とも違う、自分は自分の踊り方があるのだと、私も思ってやっていることになる。まあ商業的な成功とかの話じゃありませんから。ただ文化は、文化のことは自分はただ流れ流されていくだけで、何もやっちゃいないと思われて、耳や胸が痛い。


80年代の音楽誌をパラパラめくっていると、その頃にはまだ音楽ライターたちにも「懐古趣味に浸ってんじゃねえよ」といった気概が感じられる。90年代からがリアルタイムである私など完全にリバイバル世代で、過去の歴史を読み直すだけで精一杯だし、それを楽しみとさえ捉えているところがある。いや、歴史は大切である。正統とされた歴史を捉え直してゆくことは。


例えば時の基準や正当性によって着せられた汚名は、そそがれるまでに時間がかかる。たいてい30年一世代ぐらいかかるものだろう。もちろん逆も然り。80年代末から今ちょうど30年。文化ということを考えるに、ちょうどいい頃合いなのかもしれない。



久しぶりの長文(7000字超!)となってしまいました。記録的な寒さを記録しているというこの、開店記念日を挟んだ 2週間ぐらいの出来事でした。


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私はこんな安CDしか持ってないのですけど、これもピアノロールから取ったって書いてありますね。

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紹介する前にほとんど飲んでしまった「すっぴんるみ子」の超辛+12。

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在りし日に小樽で買った「パロシクス」。若い頃の何気ない布石が、意味を持って蘇ってくるものなんですね。


by barcanes | 2018-02-08 10:57 | 日記 | Comments(0)