波打ち際の夕陽遊び

12/3(日)


気晴らしに海までゆっくりジョグ。ダダ波の波打ち際に腰を下ろすと、波は洗う音がする。こびりついた汚れまでは落としてくれないが、すすいではくれる、そんな音だ。日曜だけあって夕方でも人が多く、家族づれや犬の散歩、スポーツに興じる若者、海釣り。夕焼けがキレイでカメラやスマホを掲げる人も多い。その中で海をぼーっと眺める人は、何を想っているのだろう。海に無常を感じるか、この世の果てとまではいかなくても、この世界の端っこ、境目に触れることで感じるものがあるのだと私は思う。海から遠くないところに住んでいて、たまに海に来て、来なきゃよかったと思うことはない。


波打ち際に座り、波の音を聞く。右の耳、左の耳。低音から高音、まんべんなく輪郭の曖昧な音が出ている。片耳を閉じるとボワっとするのは中高音域の倍音成分が複雑に絡み合っていて、それを両耳で補整しているからなのだろうか。意味不明なことを考える。正面右手に陽が傾いていゆく。冬至に近づいていくにつれ夕陽はほとんど南へ、南南西あたりに沈んでいくようなイメージだ。辻堂あたりから見て、伊豆半島の陸地の低いところに落ちていく。夕陽からは真っ直ぐに海面を輝く「光の道」ができていて、それは見ている全ての者に対して真っ直ぐに引かれている。どんな人にとってもその光の参道は正面から真っ直ぐ伸び、その神殿へと直接繋がっている、という当たり前のような事実に気づく。


まん丸の太陽が地平線あたりに残る空と陸地に阻まれて、光の道はちょうどこけしのような形となり、目をパチパチするとその残像が最初はアゲハチョウの蛹のような形から、次第に立像の仏様のような形となって、まぶたの中で肌の模様をした赤黒い背景の中央に緑色の発光体として現れる。太陽の光輪は阿弥陀如来(いや大日如来でしょうか)の光背となり、目を開ければ光の道は青や赤や、それを合わせた紫の、細かく刻んだカラーセロハンを張ってはためくように色づいている。


さらに目をパチパチしながら顔を細かく動かすと、その緑色の発光体の周囲に白い光の点が飛び散る。艦砲射撃の炸裂する閃光を浴びる如来像。というか私にとっては観音様だ。一身に爆撃を受けながらもなお輝いている。セルフ精神鑑定、以上。ちょっとマズイかな。いや、回復傾向だろう。波打ち際を走って鵠沼あたりに戻る頃には夕陽はもう半島の向こうに消え、光の道は薄赤色の広場となり、空には箱根から富士山までの輪郭が薄霞にフェードしつつもくっきりと浮き上がっていた。砂浜から上がって踏み脚も軽やかとなる。



c0007525_02445114.jpeg

私も夕陽の写真を撮りたいが、ジョグにスマホなど持ってくるわけがない。代わりに昨晩の帰り途、満月に近い月の下に不思議な輪が浮かんでいた。タバコの煙で作った輪っかみたい。雲なんだろうけど。



c0007525_02451137.jpeg

昨晩CDを持ってきてくれた平塚のTOSH君。中古のカセットMTRとやはり中古の乾電池式コンデンサマイクを使って一人で録音したという弾き語り的作品。スライドギターもいい感じ。最終的にはプラグインで音を整えたというが、それも良かったのだろう、カセットテープをプレイしているかのような触感と奥行き感が気持ちいいナイス・レコーディング作だ。ジャック・ダニエル飲みらしい、男らしい低音の声も彼の魅力。試聴の後はCDとレコードの音が大きく違う、いわゆる「ジャクソン・ブラウン問題」で盛り上がった。



[PR]
by barcanes | 2017-12-04 02:44 | 日記 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://barcanes.exblog.jp/tb/28461294
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 安くて美味いシングルモルト 定番の純米酒 >>