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愛猫タマの死

昨晩、深夜2時半頃、母からのメールが鳴った。我が家の愛猫タマが亡くなった。20歳と半年、大往生といったところだろう。85年、私が中学に上がるのと同じ春にもらわれてきた。厳しい部活の上下関係やスパルタに身も心も疲れて帰り、玄関に転がり込んだ私を慰めてくれたのはネコであった。今で言うところの癒しだ。以来、私が子供の時期を終え大人になってゆく、これまでの人生の変化を見守ってきてくれたのである。

10歳を越えた頃、我が家の引越もあって一度衰えかけたのだが、そこに飼い始めた、日本でも5本の指に入ると思われるほどのバカ犬モコが来た途端、またタマは元気を取り戻した。犬に追っかけられるので、逃げ回っているうちに体力が復活したのだろう。極度の人見知りであるタマは、うちにお客さんが来てもどこかに隠れてしまうので、家族以外にタマを見たことのある人はほとんど希少である。モコとも最後まで頑固に、仲良くならなかった。

そんな犬のいる緊張感のせいか元気だったのだが、それでも2年ほど前から、どうやら耳が遠くなってきたようで、変な鳴き方をするようになった。夜中にも大きな声で鳴き叫ぶものだから、眠りの浅くなった父などは迷惑しただろう。今年7月ぐらいからは餌をあまり食べなくなり、8月の後半には片目に涙を流して、白内障のようになった。毎朝の日課であったベランダの散歩もやらなくなって、8月31日に久しぶりにベランダの手すりに上り、元気な勇姿を見せたのだが、それが最後になった。1週間ほど前からほとんど食べなくなり、みるみる痩せていって、目は濁り、少しの段差にも転んでしまうようになった。

おととい月曜の深夜、家に帰ると、タマが大きく鳴いたので見に行くと、寝ていた小抽斗(ひきだし)の上のところから一段下がった椅子の上に身を投げ出すように僕の腕の中に転がり込んできた。看病のため横に寝ていた母も起きてきて言うには、そんなことは家族の誰にもしなかったそうだ。そして聞けば、その日の昼間には普段入らない僕の部屋に3度も行こうとして、そのうち一度は僕のベッドの上に登ろうとするので、母が持ち上げてやると僕の布団の上で寝たという。その日は最後の力を振り絞ってベランダも歩き、母がいろいろな草花を育てている屋上に連れて行くと、歩き回りはしたものの扉を引っかいて中に入りたがった。ネコは死に場所を選ぶというが、僕のベッドがよかったのかもしれない、と母は言った。

そんな私への態度に姉などは嫉妬したようだが、どうしても犬を可愛がる家族の中で、ひとり猫が好きだった(というか、うちのバカ犬は僕を見下していたのもある)僕のことをタマは分かっていたに違いなく、深夜あるいは早朝家に帰れば鳴いて迎えてくれ、夕食に魚があれば家族の誰でもなく僕の膝の上に乗ってくるのだった。餌もトイレの世話もほとんど母がやっていたのに。考えてみれば、タマ(本当の名前はタマコなんです)と命名したのも中学一年の私であった。

前日になって初めてお漏らしをした。それまではトイレもちゃんとしていたのだ。そのあとは水も飲もうとせず、見開いたままの目を閉じることなく、どこか宙を見つめている(あるいは何も見えてないのだろう)。夜になって僕がお店に出かけるとき、小さく声にならないくらいに鳴いて、ちょっと身を起こした。声を発したのはそれが最後だったようだ。夜中、喉が詰まったように3度ほどゲホッとして、それで息が切れたそうだ。ちょうどお客さんが引いたところだったので、片付けをして帰るとまだ少し暖かく、チベット密教などの本によると人間も心臓は止まっても意識はしばらく続くというから、あなたは孤独ではないよと、何かしてあげたいと思い、しばらくなでていた。干からびるように痩せてしまっていたので、顔ぐらいしかなでられるようなところはなかったのだが、死んで少しずつ体が硬くなってくると少しずつなでやすくなってくる。そのまま一緒に寝たいという気もしたが、腐らないようにと発泡スチロールの箱の中に氷を敷き詰め、棺桶のようにしたので、フタをして、それで母も姉も寝ることにした。写真を撮るのも、毛を少し切って残したりするのも、「犬畜生にはあまり情を残さないようにしなくちゃいけない」と母に止められ、あきらめて私も寝ることにした。ひとり布団に入って少し涙も出たが、眠たいので寝た。泣くのは泣きたいから泣くのであって、泣かなきゃやりきれないほどの悲しさではない。衰えてからの姿が長かったので、昔の若い元気な姿も思い出せない。だから悲しさも後悔もないのだ。

翌日の今日、石名坂のゴミ処理場でペットの火葬をしてくれるというので、電話で予約し、母と車で出かけた。母はうちで育てた花や香草を、靴の入っていた紙箱に詰め、フタをしてリボンを掛け、それで棺桶とした。私はその最後の姿を見逃した。ゴミ処理場にはペット火葬の札がかかっているコーナーがあるので、行けば分かるようになっている。骨壷と合わせ、5000円ほどでやってくれる。当然、職員の方は儀式的なものには関係ないので、余計な儀礼はない。箱のまま、おそらくペット専用の焼却炉に入れ、一時間程度で終わったら声をかけるから、駐車場で待っているようにと言われた。そこで「最後のお別れを」なんてやられたら切ないから、さっぱりしててそれでよい。愛猫タマの死_c0007525_449570.jpg雲のないきれいな青空で、まだ残暑という夏の天気とはいいながら、すがすがしい秋の空だ。石名坂の高い煙突から、少しだけ煙が流れる。それがまさかタマのものではないだろうが、晴天のアスファルトに煙の影が流れてゆくのが映る。こんな天気の良い、僕も母も都合のよい日に、最期を悟って死んでいった、タマの死に方、散り方に感心した。

死期を悟って延命しないためなのか、何も残さないよう食べ物も水も絶食して、家族に挨拶を済ませ、そして僕には特別の感情を示してくれた。こんなに長年、身近に暮らした命を亡くすのは私にとって初めてで、だからこそ悲しみを残すことなく、その死を受け入れることができる。そのような死に方を、タマは教えてくれた気がする。散り方…この夏に少し調べた広田弘毅さんの散り方、A級戦犯や多くの戦没者の死、政界や経済界における進退の引き際散り際…散り方に対する動物の天性、本能はすごい。自らの感覚で、自らの選択で、その死に向かって行く。私も同じ動物として、そのような死に向かって行きたいと思った。ペットを飼うのは、自分よりも早く死ぬであろうことを考えるととても飼えるもんじゃないと思っていたが、こうして「動物の死」について教えてくれるとは考えもしなかった。中学生から今まで私を見守り、そして30代に突入して今までとは違う人生を進みつつある私に、最後のメッセージを遺していってくれたタマの死で、私の人生にも一区切りつきそうな気がする・・・。

ただひとつ、お骨ではなく何か形見がほしかったのが残念だったので、家に帰り、タマのいた布についていた細かい毛をこっそり集めた。夕方になってようやく思い出したのは、「今日は死ぬのにもってこいの日」。アメリカ、ネイティブ・インディアンの古老の言葉を集めた同名の本がある(ナンシー・ウッド著めるくまーる刊)。天気予報は、夏の陽気も今日までで明日はぐっと気温も下がり、夕方からは雨も降るかもしれない、と告げている。本当に、今日ほど良い日はなかったかもしれない。我が愛猫はもはや哲人、いや哲猫の域に達していたのだ。タマの猫神様が今後も私を見守ってくれるに違いない。

Commented by hapimaのおやじ at 2005-09-20 03:22 x
タマと知り合いになりたかったな。
Commented by saku-la-saku at 2005-09-20 10:46
なんて見事な最期なんでしょうね。
Commented by barcanes at 2005-09-20 20:38
お二人とも、どうもありがとうございます。
もうすぐ一週間経ちますが、なんだか寂しいものですね。
Commented by k_dogg at 2005-09-24 15:19
たまさんのご冥福をお祈りいたします。しかし、見事な文章に圧倒されました。
Commented by luka at 2014-08-02 06:16 x
我が家の猫2匹が死んだらどうしよう…と思ってこちらに行き当たりました。素敵なお話有難うございました。我が猫たちが旅立っても受け止められる希望が持てました。
Commented by barcanes at 2014-08-05 01:37
lukaさん、ありがとうございます。もう随分前の文章です。この中でネコを追い掛け回していたバカ犬が、今では老犬となり、目も耳も利かなくなり、足腰も弱り寝たきりですっかり痩せ細ってしまいました。もう18年ほど生きました。いつ亡くなってもおかしくない状態です。ペットを焼いてくれるお寺があるそうなので、次はそちらにお願いしようかと、ちょうど話していたところでした。ネコも20年生きましたが、犬も長生きしました。それにうちには高齢の祖母がいるんですが、こちらもなかなか大変であります(笑)
by barcanes | 2005-09-14 21:00 | Comments(6)