Irish Sessionから泉谷のカセット

7/23(日)



この週末、藤沢は「遊行の盆」という豪勢な予算を使っているであろうお祭りで盛り上がってるんだかどうだか分からないが、当然うちにはなんの関係もあるわけがございません。とうとう参加者ゼロか、と思われた月一の「アイリッシュ・セッション」も、都内から若い男性が来てくれて助かりました。「申し訳ないけど楽しいですよ」と主宰の椎野さん。続けてくださることが何よりです。


その後は椎野さんとAZUMIさんの先日の録音、それから最初の時のライブCDRを聞く。前回ここで聞いて、耳について離れなくなってしまったとのこと。憑依イタコ芸に共に涙す。孫の誕生を楽しみにしていた父が、孫の顔を見る前に亡くなった。祖父の顔を知らないはずの娘が「あそこにおじいさんがいる」と家の中を指差す。特徴を聞くと父そのもの。霊的なものを信じない自分だが、やはり父が孫を見にきているんだと思わずにはいられない。やはり死んだ者にはこちらの声が聞こえていて、いつでもその辺にいるのかもしれない。死者の声を聞こうとする者だけが、その声を聞くことができるのだ。


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先日実家から掘り出してきたカセットテープの中に、「泉谷フォークゲリラ生録」と書いてあるのが2巻あった。大学1年の93年夏、地引網に通っていた冷夏の夏休み(8月末になって気象庁が梅雨明け宣言を撤回したという記録がある)に、何ヶ所か路上の泉谷を追いかけた覚えはあったが、録音していた記憶はなかった。


CDになった「泉谷しげる/ひとりフォークゲリラライブ」のブックレットによると、8/31の蒲田駅西口と二子玉川、そして9/1目黒駅前の2日分ということになる。(その後の渋谷公会堂前と、中央大学での学園祭も見た。)当時ポータブルのAIWAのテレコをよく持ち歩いてた。録音好きは今に始まったわけではなかったのだ。


どのようにこのライブ情報を知ったのか記憶にないのだが、もちろんネットも何もない時代。新聞に小さく載っていたような気がする。きっとテレビのニュースかなんかで「奥尻島救援」と銘打った姿を目にしたんだと思う。蒲田と二子玉川で衝撃を受けた二十歳の私は、翌日9/1には品川にも足を運んだが、現場が見つからなくて、その後の目黒に向かった。村上ポン太が飛び入りして、生音ドラムを叩いたのを覚えている。カセットテープにはその時の、ライブ前に泉谷がそれまでの募金額を報告し、品川が中止になって、これがとりあえずの最終回だと説明している声も収録されている。録音レベルもしっかり入ってて、わりとちゃんと録れている。貴重な音源なんじゃないの。


思わず古本で「泉谷しげるのひとりフォークゲリラ お前ら募金しろ!」(読売新聞社 1994年)を手に入れ、一気読みした。7/12の北海道南西沖地震から約1ヶ月後、泉谷が路上に出ていくまでとその後の経緯が、おこがましさと謙虚さが交差する泉谷ならではの口調で、笑いを差し込ませながら丁寧に書かれている。


当時45歳の泉谷の恐れを知らぬ優しさと葛藤を突破してゆく熱さが、自分が見たあの時の涙と衝撃と、あの頃の泉谷とほぼ同じ年齢に達した自分にも変わらずに伝わってくる。つまりそれぐらい自分は何ひとつ変わってなくて、と言うよりあの頃の自分は今の自分と同じで、東北の大震災の時だって何ひとつできなかった自分のままだったのだ。


本の終盤、ようやく到達した奥尻島の日々を終える場面に、泉谷の唯一と言ってもいいぐらいの代表曲「春夏秋冬」の歌詞が突然そこに置かれていた。自分だって何百回も聞いている、本人は何万回も歌っているであろうこの歌の言葉がものすごいリアリティを持って、その文字たちがうごめいているように見えた。詞の言葉が歌もなしに、むしろ歌がないからこそ響いてくるという、めったにないような感覚だった。


それにしてもこの時ネタにしていた、角川春樹のコカイン密輸容疑が8/27というから、ネタの速攻さがスゴイ。この目黒駅前のライブでも、「マリファナを知らない子供たち」「覚醒剤の喫茶店」とフォークの替え歌からはじまり、ポンタが登場して裕次郎の「嵐を呼ぶ男」、オーティス・レディングの「Let Me Come On Home」といずれもクスリネタを取り込んだ歌詞で歌っている。(ポンタとは「火の鳥」「眠れない夜」「翼なき野郎ども」と泉谷の名曲メドレーもやっていて素晴らしい熱演だ。)


それにも増してこの年は特に九州・鹿児島などの台風被害が多く、2年前の雲仙・普賢岳が続いており、そして翌年には阪神がありオウム事件があったのだから、今思えば大変な時代だった。(93年夏は自民党が下野して細川政権が生まれた、一つの時代の切れ目でもあったのだろう。)


私はそんな泉谷の衝撃を受けたにもかかわらず、社会の出来事なんてリアルに感じられるわけもなく、自分の中だけで精一杯だった。何となく今年の夏は、この冷夏の年の夏が思い出させられる。天候も政局も不安定なせいもあるが、鬱々としていたあの頃の、殻を破りきれないような苦々しい自分を思い出させられるようなことが多いからかもしれない。


でもこの時の泉谷は、税金対策まがいの大手献金を一切断り、鹿児島に1000万を贈った長渕を「怪しい!」と笑い、むしろ集まった人たちに小銭を要求している。30分ほどの街頭ライブの後には2、3時間をかけて全ての人と握手をしサインをしキスをして、これは偽善だ売名行為だと、徹底して主観を貫いたのだ。歌を歌って喜ばせ、その対価として募金をもらい、ひとりひとりの素朴な気持ちだけを背負って、それ以上のものは背負えないからと、振り払ったのだと思う。自分のことしか考えられない殻かぶり少年が気持ちを託せたのは、やはり超越的な自己チューとその責任を貫いたオッサンだけだったのだと思う。


そして自分は未だに、そして今後も、何ひとつ人の役に立つことはできないだろうと思う。この店を続けること以外には。そんな泉谷のテープを聞いてたら、突如として女神が現れた。久しぶりにゆっくりと、今住んでいる街の話を聞いたりして過ごした。やはり我々には女神が必要なのだ。



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by barcanes | 2017-08-01 22:54 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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