それはマズイでしょ封建主義

5/23(火)

午後の民放ワイドショーをウォッチングしていると、問題発言でおなじみの議員が(発言そのものについてではなく)党に迷惑がかかるとして役職を辞任したというニュース。それに対してコメンテーターが「(立体的な議論の契機として)こういう人がいなくなるのも寂しい気がする」と言った。司会者は「それはマズイでしょ」と笑ってまとめる。その言葉が、なんか気持ち悪い。

一次資料を自分たちでは取らずに、二次資料や専門家のコメントを切り取って恣意的に使う。発言に責任のないタレントや芸人に意見を言わせておいて、司会者が軽い検閲をかけておく。そういった徹底して責任を回避するワイドショー的マインド。今さらながらそんなことに気付かされます。

件は厚労省と愛煙家議員との折衝であるいわゆる禁煙法案、発言は自民党内の部会でのやりとり、というどーでもよさそうな話だ。タバコが害悪そのものとなってしまった時代に、悪人たる愛煙家議員がよく頑張ってるとも思えるし、今の自民党内で議論が割れるというのもむしろ健康的かもしれない。(健康うんぬん言うならその前に放射性物質どうすんじゃと言いたいところでもある。)

タバコなんて分かりやすい悪ってことでいいと思う。(マリファナだって悪いものじゃなくなるのは時間の問題です。)そんなこといくら叩いてもしょうがない。問題はもっと分かりにくい悪ということでしょう。解釈適用に恣意性を残すいわゆる「共謀罪」についてもテレビではほとんど上っ面しか扱われていないようだ。SNSなんか見てると、愛煙家と(かわいい)悪人だらけの店をやってる自分なりに考えてみたくもなる。

自分ひとりだけでは生きていけない、という見方からすれば、人はすべからく共謀して生きているわけだから、みな罪人(になる可能性がいつでもある)ということになる。厳密に言って我々人間は悪人としてしか生きられないのだから、いつ咎められてもおかしくない。

しかしワイドショー的な、あらゆる責任を回避するマインドは、自分自身の持つ悪を他の(最終的には病気の)せいにできるので、まさか自分が悪人だとは思えない。そしてそんな民衆に選ばれたからには悪でないと政治も主張する。正悪はいつの時代にも恣意的である。

‪自分と自分のまわりのことしか考えないのは悪人に限ったことではない。施政者も公僕も与党も野党も、我々もみな悪人だと思っていた方がいい。善人面することが結局自分自身を排除することになるからだ。だからダメ男(ダメ女、ダメ人間)の自覚を持つことが大事だと思うんですが、今どきダメ男をやるのも大変ですよね。‬そういうことを「悪人正機」の宗教はどう考えるのだろうか。‬

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あるアニキからいただいた白土三平「カムイ外伝」ビックコミック版全20巻を読破した。カムイは忍者の組織から抜けてしまった「抜忍」である。執拗に追ってくる組織側の「追忍」たちに命を狙われ続ける。彼は誰とも共謀を許されず、個人として生きていくしかないのだが、自然の流動性に心身を寄せ、動物やときおり人間にも心を許しまた助けられる。だが近しく関わった者たちはことごとく命を落とし、カムイだけが生き残ってゆく。死はどこにでも転がっている運でしかなく、何かを守り引き継ぐものを持つ者のために潔く描かれる。

「共謀罪」の時代に、我々はカムイのように生きなければならないのだろうか。それはやはり個人主義的でなおかつ社会の周縁で生きるということかもしれない。我々が抜けてしまい、なおかつ追われているものとは何なのだろう。むしろカムイを追う者の方が常に共謀している。追忍の親玉もついには登場しない。「官邸の最高レベル」の人相も前時代的な封建主義の小悪人面ということだろうか。少なくとも我が国の封建主義的な性質は、昔から基本的に変わっていない、ということを思い知らされる。我々が抜けようとして、なおかつ追われ続けるものとは、そのようなものなのだろうか。


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by barcanes | 2017-05-31 00:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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