ズレブレ観音

5/14(日)

母の日に、カミさんはちゃんとプレゼントを用意していたから、私も何か持ってかなきゃと思って、ベタだけどその辺に売ってた赤いカーネーションの鉢植えを買ってみた。そんなの次の日になれば安くなるのに、って母はよく言うから、そんなこと言われたら買えないでしょ。だから初めてだったと思う。で、実家に持ってったら思いの外よろこんだ。やっぱりこういうのはベタでいいんですね。ちょうど家族全員揃ったので、焼肉屋に初めて連れていかれた。なっちゃんも初めて。海老で鯛を釣る結果。

久しぶりのエミちゃんと、持ってきてくれたニューアルバム(のマスター音源)の他いろいろ録音を聞きながら音の話。不快に感じていたものが心地よく感じられるようになったり、気になっていたズレが気にならなくなっていったり、それは我々の耳が退化しているのかもしれないけど、しかし同時にそれは、我々の生きられる領域を探している、ということなんだと思う。

不快だったはずのものを快とし、ズレやブレに美を見出すようなことは、今まで生きられなかった環境の中でも生きようとする動物の順化あるいは進化のようなものかもしれない。そこには突然変異のようなサウンドが必要なのだろう。あ、これはエミちゃんのニューアルバムの話ではございません。念のため。

アルバムの音はむしろキレイすぎるぐらい。よく聞く言い方で、「デジタル・レコーディングの音がキレイすぎる」なんていう場合、そのキレイさに対する「汚さ」とはどういうものを言い、どのような汚さを求めているのだろうか。ある種の濁り、歪み、高音の劣化、音の被りや位相のズレ、などなど。いわゆる実験室の無菌がキレイだとするなら、我々はやはりそこでは生きられない。汚染にまみれていようと生の空気が吸いたい。

音は空気を通して伝わる。空気に乗った音を、音の乗った空気の音を聞きたいのだと思う。このお店のように、スピーカーからの距離を置いて聞く場合、たとえばそれが8mだったら8m分の空気の音を聞いていることになる。(ヘッドホンやイヤホンではそういうことにはならない。)

空気の音を聞くとき、実は音を見ているのではないかと思うことがある。お店のライブのP.A.をやるようになって、楽器から発せられる音がどのように広がりはね返っているのか、見えるようになってきた気がする。気のせいかもしれないけど。

音を観る、と書けば観音である。観世音菩薩の観音とは意味合いが違うのだが、あながち見当違いとも言えないかもしれない。音を観ようとすることもまた、私的な宗教心のようなものかもしれない。ズレてますけど。

ズレの一分もないものを目指すとしたら、どこかの国のマスゲームみたいな社会を目指すことになってしまう。極論ですけど。だからミュージシャンに限らず、この時代はズレやブレがテーマだとことさら思いますね。ズレた人生、ブレた人生を送っていきましょうよ。

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by barcanes | 2017-05-15 03:24 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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