歌謡会のもたらしたもの

4/8(土)

22回目の「藤沢歌謡会」は、及川さんの「スタート歌謡」、ダメ男a.k.a.浅見さんの「ブギー歌謡」と「ナイアガラ・シングルVOX」買って出し、そして今回で主宰としては最終回のカズマックスさんの「カウントアップ歌謡」という内容でした。次回から主宰が浅見さんに交代します。前身の「ほほえみ歌謡ナイト」から約7年(第一回目はおそらく2010年7月)。藤沢に歌謡曲DJの火を灯し続けてくれた功績は大きいと思います。

今思えば2009年前後は当店にとって大きな変化が起きた時期でした。(私がフルマラソンと北丹沢の山岳レースで目標を達成した年でもあります。)そのひとつが「たじろっく」メンバーたちが日本語で歌うことの新鮮さを持ち込んでくれたこと。(2009年5月、最初の「たじろっく」には(仮)が付いてました。)
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それは歌を歌っている人たちには当たり前のことだったかもしれないし、彼ら彼女らにとっては自然なことだったかもしれない。だけど私には、はっぴいえんどとかあの世代の、日本語ロック論争が起きたような時代の、1970年代初頭のような空気を感じたような気がしたのです。

それまでの「バー」というのは洋楽しかかけちゃいけないようなところがあって、日本語の曲をかけると冷める、というか醒めちゃう、ということには、どこか非日常的なものが求められていたのでしょう。今となっては不思議なんですけど、そういう不文律のようなものがあったんですよ。(今でも日本語禁止のバーがあるとか…。)

ところが私は最初から洋酒と日本のお酒を同等に扱っていましたし、それこそ民謡はワールド・ミュージック扱いとしてかけていたかもしれない(エキゾチシズムだったかもしれない)けど、遅い時間とかにこっそりと歌謡曲とか日本語の曲を聞いたりしていたんです。まあちょっとこっそりひっそり感はあったんですよ。

それがあの時期にガラッと変わっていきました。そこにはKZMXさんと「歌謡ナイト」が背中を押してくれたことも大きかったと思うんです。歌謡曲を聞かせる、ということをやり始めると、それだったらオレもできんじゃん、と参戦してくれるようになったDJ諸氏も少なくないと思います。いわゆる「和モノDJ」の、幅も人脈も広がりました。和洋問わずに音楽を聞く、ということにおける「壁」のようなものが低くなり、そして完全に無くなっていきました。

そのことによって、「バー」における非日常感といったものもなくなっていってしまったのかもしれないし、そのせいで「バー」の商売が厳しいものになっていったという面も否定できないかもしれませんが、それもひとえに私自身が求めていたこと。商売には礼節と間合いのようなものが、結びつけるための隔離のような、相反する要素が不可欠なのでしょうが、私はそういうことをぶっちゃけていきたくなってしまったのです。

世界経済を成り立たせてきた格差や壁を、エンターテイメントとしての主客の障壁を、サービスにおける主従の関係性を、自ら壊していったらどうなるのか。客人にとっての非日常性と、店の人間としての日常性とが、折り合う糊シロはどこなのか。そんな試みはうまくいっているとは全く言い難い。しかし同時に、その頃から徐々に日本語で歌うライブが増えていったり、「ミュージック・バー」という要素が増していったことで、この店も細々ながら持ちこたえてこれた。そんな風に振り返ることができるのではないかと思います。

今回も良くも悪くも相変わらずの展開で、何も変わらない。今後も隔月の「歌謡会」は続いていきます。好きなレコードを持ち寄り、好きな音楽を好きなようにかけてもらうことがまず第一。それを面白く聞かせてくれたらさらに良いし、それを楽しみに来てくれるお客さんが少しでもいてくれたらそれで良し。最後は私のリクエストで、ダメ男氏が先日亡くなった加川良さんの「教訓」をかけてくれて、それで全て納まったのでした。
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by barcanes | 2017-04-18 04:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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