奄美のお土産/若い女性唄者の支配力

4/4(火)

家族旅行で奄美大島に行ってきた。奄美カレーのチヨリさんのところ(キョール)にも行ってきたよ。家族と一緒だから民謡酒場とかには行けなかったんだけど、泊まった宿でかかっていた若い女の子の民謡が気になってね、耳がどうしてもそっちに持っていかれてしまうんだ。いても堪らず宿の人に聞いてみたら「こんなのいくらでもいますよ」と事もなげ。藤田晶ちゃんという子で、公式な音源は出てないらしい。チヨリさんに頼んでみようかな。Youtubeの動画があるから、見てみてよ。最近そればっかり見てる。



私もいっとき奄美の民謡にはまったクチなので、こうして民謡の話ができるのが嬉しい。と言うより、10数年のブランクがあるのでこうして思い出させてくれて嬉しい。おそらく島では伝統や熟練が尊ばれるから、若い人にはその勢いや若々しさ、そして興味を持ってくれてありがとう、これからも続けていってね、という意味あいの奨励賞が与えられるのだろうが、我々部外者にとってはちょっと違う。奄美の民謡でも、若い女性の歌声には特別のものがあると思う。言葉は悪いのかもしれないが処女性のようなもの。そんなことばかり言ってるとロリコンみたいになっちゃうけど。

ちとせちゃんの若い頃の歌声、ちょっと鼻にかかったような、だけどどこか老境の技を良しとしているようなところがあって、三味線も上手だし、若年寄りみたいなところがある。彼女は奄美大島でも南端の生まれ、言わばサザンである。対する晶ちゃん、それからちとせちゃん世代の中村ミズキちゃんなんかは大島北部のノーザン・スタイルだ。声に艶があり勢いがあって、サザンに比べるとすっきりしていて聞きやすい。それらの中でも晶ちゃんは、全く新人類的な声量ある歌声。R&Bとか歌わせても良さそうな声だ。

それにしても奄美の民謡の特徴である裏声。ふっとファルセットに裏返るたびに持っていかれる、その持っていかれる先はどこなのか。これは私にはリバーブ感と似ていると思える。声が途切れた直後に、ふわっと広がる余韻。水滴が水面に落ちた後に弾ける微かなしぶき。何かが駆け抜けた、しばらく後から付いてくる気流の乱れ。人の何かしらの行為が、何の見返りもなく無に帰して行く、しかし自然の作用はその無為なる行為を無視せず、風紋のような足跡を一瞬だけ現出させて、それからゆっくりと去ってゆく。その一瞬のゆっくりさ。

リバーブはいわゆる「こだま」と同じ反響音であるが同時に、その歌声のスケール、つまり声が支配し得る環境のスケールの大きさを表現することにもなるわけだが、裏声は反響音ではないところで、つまり反射する対象物を必要とせずに自分のスケール感を、その支配力を示すことができる。支配下のいない支配。人の宗教心にはそんな支配力が関係していると思えるけど、支配力を誇示するために支配下を必要とするような宗教観は持ち合わせない、そのようなところに我々裏声信者は持っていかれるのである。そして私のリバーブ観もそのようなところにあるのだと思える。良いリバーブが乗った時の幸福感を求めている。

若い女性の処女性と、その支配被支配。人生や伝統がそれを奪い、だけどまた新たなものが生まれてくる。我々の社会がどれだけ奪い醜くなろうとも、そんな世の中を作ってしまった大人たち全員死んでしまえばいいかもしれないけど、それでも新たな子供たちが生まれてくることに賭けるしかない。結局我々は新たな者たちのためにあるのだ。何ものにも支配されず、かつ何者をも支配しない歌声を求めている。でも大人になるっていうことは自分で自分を支配することなんだろう。

関係ないかもしれないけど、聖子ちゃんなどのアイドルぶりっ子唱法における語尾にもちょっと似たところがあるかもしれない。あれに支配されちゃう腐れ男子もいちゃうわけですしね。
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奄美のお土産と、若い歌声にぴったりの焼酎は「龍宮かめ仕込40度」。そして秘蔵のセントラル楽器のカセットテープ。
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by barcanes | 2017-04-14 10:45 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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