フリージャズ

3/29(水)

1月の沢田穣治さん2デイズから、個人的にチャーリー・ヘイデン〜オーネット・コールマンづいていたので、今回の「かわECM」のテーマを「明るいフリージャズ」としてみたのだが、ちょっと難しかった。ECMのヘイデンはむしろフリージャズじゃない方だし、ECMのフリージャズは割とキレイにまとめてくれちゃっている感じだった。ECMを切り口に、我々のフリージャズ観はむしろ路頭に迷った。

「フリー」と「フリージャズ」の違い。やはりジャズをフリーにしてこそフリージャズ。ジャズという枠があるからこそ、ルールがあってフリーになれる。枠があるからこそ壊すことができる。壊し、また一から作り直すようなノイズやフリーはライブだからこそ良いのかもしれない。録音物にしている時点で形になってしまうから。

そんな意味でも田尻のソロピアノが良かった。オーネットとAEC(アート・アンサンブル・オブ・シカゴ)の選曲。後半はドビュッシーとそのカバーやクラシックなどを聞いて、もう一度ピアノを弾いた。君こそが我々のフリージャズだ。

それにECMの録音物自体がラインナップとして基本的にフリージャズだと言えるのではないだろうか。終演後に主宰の川合くんとMMWを聞く。フリージャズの歴史を含めたジャズ全般に対するフリージャズであり、そして聞きやすい。聞きやすさということにはどこか枠組みが感じられる。結局、音楽を聞くということはどこかしらの枠組みを求めている。社会のルールとは違った、その演奏者たちの中にだけあるルールのようなものを聞き取ろうとしているのだ。

自分(たち)のルールを作るのに、破壊をしてもいいしちょっとした改良ぐらいでもいい。破壊し尽くさないとダメかもしれないし、与えられたものそのままでいいという人もいる。最初からルールを決めておかなければうまくいかない人たちもいるだろうし、ルールが自然にできてくるのを待つのもいいかもしれない。ルールなんかに縛られて生きたくない、なんて思っていたとしても、ルールは自分の奥底にまで浸みわたっており、ルールのある自由を求めているのだということが分かってしまう。

ルールがあると必ずそれを壊したくなるヤツがいて、しかし一方でそんなヤツを受け止めてくれる者や場所がある。様々な大小のルールに適応し、あるいは作ってゆく。社会が大きなルールを振りかざしてきたとしても、我々にそのような力があればよい。それがフリージャズだということになるのではないだろうか。

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桜も咲いてる頃だろうと思ったが爛漫とはならず。楽しくなくてもいいけど、陰鬱としたものより明るい方がいいな、と思った「明るいフリージャズ」でした。ネクラなので。


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by barcanes | 2017-04-07 11:15 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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