どうせやっぱり

3/22(水)

「どうせ負けるんでしょ。どうせ打ち取るんなら点を取られる前に打ち取ればいいのに。負ける試合なんか見たくない。どうせ負けなんだから。」負けたっていいけどさ、負ける負ける言うなよ。でも腹が立ったのは野球ではなくて、珍しく早起きしたと思ったら野球を見てる私の方なのだろう。「お父さん、どうせあとで寝るんだよ。遊んでもらえないよ。」子供に言う。悪いのは私のせいでも負けてるせいでもなく、そんな時間に野球をやってるからだ。明け方の、現地時間デーゲームならこんなことにはならなかったのだ。

確かに千賀の2イニング目は嫌な予感がしたが、名手菊リンのエラーも痛かった。こういう試合ではミスをした方が負けるのだ。やっぱり言われたとおり負けた。そして私は子供と公園を走り回った後、夕刻やっぱり眠くなった。妻は実家に帰ったら「ドカベン」を一から読み直すそうである。

夜は最近オルガンづいていて、ジミー・マグリフやグルーヴ・ホームズなどの真っ黒なオルガンFunkを40Hz以下のスーパー・ローを上げ目で聞く。70年前後にはオルガン・ジャズにもファンクの波が押し寄せ、ニュー・ソウル期にはキャロル・キングなどの白人曲が取り上げられることも多い。いい時代である。セールス的な要請であろうが、ジャンルを越えて壁を超えて混じり合う音楽が好みである。

さてオルガンの御大ジミー・スミス師はその頃どうしていたか。Verveに移籍し”The Cat”などのオーケストラ・ポップのヒット作を出した後、65年”Got My Mojo Workin’”で突如ブルーズを唸り始めるのである。そして66年”Hoochie Cooche Man”、67年”Respect”、68年”Stay Loose”と、選曲の無節操ぶりも無邪気な歌もの(唸り含む)アルバムが続く。オレの音楽をジャズと呼ぶな、とマイルスは言ったそうだが、オレの音楽をR&Bと呼べとスミス師が言ったかどうか、ソウルまでひと跨ぎにして72年のどファンク盤”Root Down”へと繋がってゆく。

この時期、40歳前後のスミス師の「どうしちゃったの?」ってくらいのお茶目なおちゃらけっぷりは、同時代のソウル、ファンクの隆興に対する彼なりの全開ソウル・ミュージックだったのだろう。オレの真っ黒ソウルを聞けと。その後この流れは沈静化して(Verveからも離れます)、ジャズ・オルガンの一巨匠としての活躍は続くわけだが、「どうせ」ジャズに戻るんならそんなことしなきゃよかったじゃん、と言うわけにはいかない。なんてったって私はやっぱり、この時期のスミス師が好きなのである。
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by barcanes | 2017-03-27 23:09 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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