山本七平の天秤理論

10/11(火)

体育の日の祝日月曜。10/10が祝日ってなんかスッキリする。家族3人で秩父宮体育館のスポーツ・フェスタに行ったけど出遅れて、スーパーボール掬いやっただけ。奥田公園でちょっと遊んで、道路脇の隙間で鳴いてるコオロギを発見。図書館で予約した本を受け取るついでに、なっちゃんがコオロギの生態の本も読みたがったので借りて帰った。CS第3戦はベイが延長を制してカープの対戦相手が決定。

店は連休最後で当然ヒマで、先日の「ラリ金」に来られなかったアニキが持って来てくれたレコードを聞く。ラリヤン参加のマクラフリン70年”Devotion”、ラリヤン73年”Lawrence of Newark”(ニューアークではなくヌワークね)。
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遅くに寝酒をご所望のお嬢とお金や世の中の話をして、帰ってさっき借りてきた本を読んでみたら、まさにそんな話だったから驚いた。イザヤ・ベンダサン(a.k.a.中村七平)の「日本教について」(昭和47年)は、我々の無意識というか意識下にある「日本人」というものについて、「天秤モデル」を用いていとも簡明に説明していた。天秤の片腕にリアル(実体語)があるとして、他方に分銅(空体語)、支点に人間(日本人)を置く。

例えば週末キリスト信者がいるとする。平日は実生活に寄り、宗教の言葉は少しでよい。日曜には空体語(これの説明は難しいので省略)にグッと近づくのでそちらの分銅を重くしなければバランスが取れない。右に寄れば右の言葉、左に寄れば左の言葉を、それぞれ重く使えばリアルと空虚の間でバランスが取れてしまうのであり、支点としてのその人自身が自在に動けてしまうというのが日本人の特徴である、という。

つまり日本人は、言葉を使った論理的な対話ができない。その代わりに、状況に応じて自分の立場を自在に変えることができてしまう。あっち向けばあっち、こっち向けばこっち、みんながそうならば自分はいつでもその反対、といった具合。つまり右派も左派も同じものだし、むしろ互いにバランスを取り合っている。まさしく、自分もそんなもんなのだと思う。

あと面白いのが、悪いことしたら謝りなさい、って子供に言うじゃないですか。ケンカしても片方が謝れば必ずもう一人も謝ってくれる、って子供の本にも出てくるわけです。要するにそれは、謝ったら許してもらえる、っていう宗教的思想なんですって。テレビの記者会見とかで会社や団体の責任者が頭を下げてフラッシュが焚かれて、責任を取るっていうことは、あとは何かをちょっと自粛するぐらいで、それで済んじゃうらしいですね。こっちが謝ってんだからお前も許せ、っていう構図らしいです。戦争責任だってお上が謝って済んじゃったんでしょう。でも何でも謝って済むわけじゃないですよね。国際的にもそれが通じるかどうか知りません。
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(古本で1円だったので買い直しました。)

この本を知ったのは、石原慎太郎と相模原の殺傷事件についての最近読んだネット記事から。
http://www.magazine9.jp/article/amamiya/30331/

気になって、まずは「文學界」10月号の石原と精神科医の斎藤環との対談を立ち読み。ほとんどカウンセリングのような内容で興味深かった。そして「現代思想2016年10月号 緊急特集 相模原障害者殺傷事件」なんて難しい雑誌を買った。斎藤環や上野千鶴子(このお二人
の文章好きなんです)などの他、各分野の識者がこの事件にまつわる広範な問題背景を提示しておられて、非常に心が痛くなる一冊である。それはこの本が痛い内容であるわけではなくて、この社会が痛いわけであるから。そんな痛さから目を背けて生きている私には、とても最後まで読むことができない。

しかしおそらく、最近の豊洲市場の偽装工事にしてもこの殺傷事件の背景にある障がい者行政にしても、まして下らないオリンピック会場の話にしても、全て同じことなのでしょう。問題を外部に遠ざけて、みんな見てませんよね、見てないから知りません、知らないから責任取れません、責任あるっていうなら謝ります、だから許してね。略して、どうせ許してもらえるんだから見えないところでやって。その方が資金もピンハネしやすいしっていう。

この雑誌で斎藤環が挙げていたのが中村七平の「日本資本主義の精神」(昭和54年)という本でした。斎藤さんが言うならちょっと読んでみよっかなと。江戸時代の思想家ともいえる鈴木正三、石田梅岩という時代の違う二人を挙げて、いかに人々が一生懸命に働くことで社会を成り立たせる、という考えが現代の日本流の資本主義の基盤になったかを述べている。

「人間の内心の秩序と、社会の秩序と、天然自然の秩序は、一致しなければならない。それを完成するには、みなが内心の仏、すなわち自らの内なる宇宙の秩序どおりにならねばならない。(中略)そして、それを行うにあたっての基本的態度は、「正直」であり、各人がその心構えに従って、世俗の業務という仏行にはげめば、そのかくじんの集合である社会もまた仏となり、同時に、それによって造り出したものは社会を益し、巡礼のごとくに働いてそれを流通さすことによって各人を自由にする。そして最終的には、これによって各人の内心の秩序と社会の秩序と宇宙の秩序は一致し、各人は精神的充足を保って、同時に戦国のような混乱がなくなって、社会秩序が確立するのであると。」(鈴木正三)

「学問によって聖賢の言葉と行いを知り、そこにあるべき姿の人間を見いだし、自らがそうなって、人びとの手本になりたいからだ(中略)彼は生涯、博識を誇る人間を嫌い、これを「文字芸者」と呼んでいる。」(石田梅岩)

中村七平は書店主であり、博覧強記型の町人学者のような人である。ユダヤ人(いざや便出さん!)のフリをして書いた本が当時話題となったりしたイカガワシ気なところもあり、著書も多数。「日本教について」にも、お前ユダヤ人じゃねえだろーなどと当時の雑誌上でクドクドしくヤリダマに挙げられた公開質問状がオマケに記載されている。私もイカガワシ気なバー店主として、ちょっと気になる存在である。


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by barcanes | 2016-12-10 14:43 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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