ヨコハマKid高校生編

10/29(土)

1969年、ヨコハマ育ちの15歳の少年は既に10年の耳を持つベテランだった。レコードに魅せられた生粋の音楽好きは、音楽の鳴っている場所を求め、歳が二桁に増える頃には喫茶店通いを始めた。目的はもちろんジュークボックス。音楽パトロールの足先は、次第にゴーゴー喫茶へと進んでゆく。前回はその約10年間、ちょうど1960年代をカバーしたところで終わった。その少年は高校へと進学する。その校庭はヨコハマの街からさらに広がってゆく。

小雨降る肌寒い夜、ソウルとロックの洋楽カバーがほとんどのゴールデン・カップスのアルバム”Vol.2"から始まった。前回かけ損ねたレコードを含めて68年に一歩下がってスタート。時はサンフランシスコのサイケ・ロックからウッドストック、安保闘争からワッツ暴動の時代である。ジミヘンが「ニュー・ロック」と紹介されていた頃に、少年はエルモア・ジェイムズのシングル盤を買うのである。既にストーンズやカップスなど、ロック・バンドが演奏していた黒人音楽に惹かれていた少年は、ロックよりもサザン・ソウルやブルーズに傾倒してゆくのである。

こうなってくると、「黒いジャガーのテーマ(Shaft)」などのステキな邦題のついた国内盤のシングル盤だけというわけにいかず、LPを買うようになる。なので今回は全て当時に入手したものだけではなく、LPで聞いていた曲を後からシングルで買い直した、というレコードも出てくる。それでもやはり、当時の国内盤シングルの魅力的なジャケにはレコード兄貴たちも垂涎の様子。

1ドル360円から切り下げになる頃(71年308円に)、輸入盤屋がヨコハマにできる。国内盤よりいち早く聞けるが、それでもまだ高い時代である。中古屋に輸入盤が出回ることもあまりなかったそうだ。黒人アーティストも毎年のように来日する。アイク&ティナ・ターナー、テンプス、フォー・トップス、そしてJB。高校生になった少年は、日雇いのバイトの帰りにはその稼ぎをレコ屋に落とし、週末は朝から湘南にサーフィン、そのまま夜は新宿に出て踊って朝帰り。レコードはもはや黒一色。ニューソウルとファンキー・ブルーズの72年頃、WARの”Cisco Kid”で第2回は時間となった。少年はまだ10代のまま。

ここで残念なお知らせ。今回のプレイリストは書記担当のJ君が打ち込んでくれていたのだが、私が旧機のポメラの保存をし損ねてしまい、全部消えてしまった。ゴメンJ君!しかし3時間半の約60曲、カウンターを埋めた皆さんの胸と耳にはしっかりと刻まれたと思う。ある少年がリアルタイムの音楽を追い求めていた時代が確かに存在していたことを。そしてその時代に数多ある音楽の中で、ある少年が踏み回っていたその足跡が一本の糸となってそれらの音楽をつないだ、その耳の延長線上に我々がいるということを。

濃密なアラウンド1970年、今回は4年ぐらいしか進まなかったので、また次回もお願いしたいと思います。濃厚な70年代半ばということになりますでしょうか。いやーでも、せっかく打ってくれたプレイリスト消しちゃったのはマズかったなあ。重ねてスミマセン。

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以上、dame3000氏のインスタから無断借用。

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by barcanes | 2016-10-31 00:08 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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