平尾

10/24(月)

夕方から「アイリッシュ・セッション」25回目。6時半から日本シリーズ第2戦を見ようかと思ってTVをつけたら平尾と松尾の対談で、新日鉄釜石が日本選手権7連覇を果たした同志社との対決をやっていた。85年1月か。自分は小学校5年生。この試合をテレビの前で見ていた気がする。

木曜日に平尾の訃報があった。なぜか分からないけどその2日前ぐらいに、ドラマ「スクールウォーズ」が夢に出てきて、つい検索してしまった。ウィキペディアによれば、ドラマの本放送は84年10月から翌4月まで。ドリフの後の土曜9時。この時間は小学生にはまだ見せてもらえない時間だった。最終回の2日後に再放送が始まったというから、おそらく私は6年生の夕方に見ていたのだと思う。スクールウォーズごっこが流行って、友だちと公園でラグビーの真似事をしていたら、知らないおじさんに「股の間から腕突っ込むんだ」とか言ってスクラムを組まされたことがある。

中学に入っても秋冬になると毎年のように再放送が始まった気がする。ラグビーは男のスポーツとして、当時はサッカーよりも人気があった。私も中学にラグビー部があったら入っていたと思う。だから平尾や松尾は、プロ野球選手と同じく、呼び付けで呼びたくなる選手だった。

ドラマは伏見工業のリアル・ストーリーを基にしたものだということは当時は知らなかったが(ドラマのオープニングには、高校選手権の実際の映像が使われた)、その中で「平山誠」という役名で出てくるエリート選手のモデルが平尾誠二である。そのドラマがやっている最中にまだ大学生で、同志社を大学3連覇に導き、そしてそれまでのスター選手だった松尾に引導を渡す、なんてことが行われていたのである。平尾はその後ももちろん華々しく活躍した。が、その頃既に凄かったのだ。大学生で既にドラマ化されて、その後の続きをノンフィクションで見せ続けていたわけだから。(まあ大八木もね。)

平尾の死因はどこにも書いてないけど癌らしい。伏見工業の総監督の山口さん(泣き虫先生のモデル)が亡くなるまでは終わらないと思っていたが、その前に途中で打ち切りになってしまったドラマのように、なんだか寂しさの歯切れの悪さが残る訃報だった。

野球は、途中まではアイリッシュ・セッションをBGMに字幕解説で見て、結局第1戦と同じスコアでカープ連勝。解説はカープ→日ハムと渡った金村、それからやっぱり達川が面白い。カープ嬢も週末ご満悦。

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前夜の80’s特集の最後に聞いて、ターンテーブルに乗せたままになっていた、Durutti Column 83年の”Another Setting”は、「アイリッシュ・セッション」主宰の椎野さんから以前にいただいたもの。若い頃に買い集めたレコードを段ボール2箱ぐらいいただいたんです。その中でもこれは特に気に入った一枚です。久しぶりに聞きたいね、とセッション開始前の日曜の夕方にぴったりの気だるさ。ポスト・パンク的なここから、アイリッシュへとつながってゆく主宰の、その道筋が分かるような気がしています。


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by barcanes | 2016-10-26 02:56 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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