デオダートとフィールドワーク

8/31(水)

お客が途切れた深夜から、RVG(ルディ・ヴァン・ゲルダー)ものでも聞こうと窓を開けたまま大きい音でレコードをかけていたら、近所のお嬢が寝酒をご所望に。台風一禍で涼しい風の入る夜。冷房を入れないで済んだのは随分と久しぶりだ。秋風にジャズが沁みるねえ。リバーサイドのモンク、ジミー・スミスのオルガン、それからCTIのレコードがジャズ以外のコーナーからも出てくる。「DEODATO 2」(73年)のド派手なサウンド。これもまたゲルダー・スタジオでのゲルダー録音だ。

「ツァラトゥストラはかく語りき」の入っているデオダートの前作「Prelude」は誰かに貸したままで見つからなかったが、2007年のトリオでのライブと、本家リヒャルト・ストラウスのオーケストラのレコードで、あの映画「2001年宇宙の旅」の話なんかしてたら、連想ゲームのようにニーチェとゾロアスター教、古代的な宗教や新興宗教、大学の頃の中沢さんや文化人類学、フィールドワークと地曳網、などといい加減な知識の話が進んでいった。20数年前の地引網はまだ前近代的な部分を残していて、わけのわかんない身分のおじさんたちがたくさんいた。録画が手軽じゃなかったけど撮っておけば良かったと返す返すも残念なぐらい面白かった。

今にして思えばどうしたって客観的な他人でしかないのだけど、その頃には客観的な立場の人間と割り切ることができなかったのだ。カメラを向けるような気にはなれなかった。私が地引網に通っていた大学一年の夏には、実はごく軽いフィールドワークの宿題が出ていた。だからいろいろ記録しておけば良かったのだけど、学問のような客観性を必要とするようなものに早々に不適合を感じていたし、そもそも不真面目なので何もしなかったのだ。客観的な報告などできない、共に過ごして年を重ねていくことしかできない、みたいな逃げ口上を書いて一応単位はもらった。その後結局のところ、私はこのお店をフィールドとして選んだということになるわけだ。

どんな記述にも偏向があり、まったく不均衡のない記述などできるわけはなく、むしろいろいろなバイアスや偏向があることを知ることで、それらの偏ったものたちを補正しながら読んでいけば良い。記述を人と置き換えてもかまわない。自分という偏った者を通して偏った人々を見る、ということは関係を持つということである。関係の持ち方は様々である。ただそんなことを知るために、お店をやってきたのかもしれない。やはり客観的ではいられない人たちと、共に過ごして年を重ねていくことなるのである。

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前作と共に73年のアルバム。デオダートは私が20代の頃にもレアグルーヴの一環で流行った気がするけど、持ってたはずのCDがことごとく見つからない。


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by barcanes | 2016-09-04 18:50 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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