猟奇的

7/27(水)

津久井の猟奇殺人事件。数十分の間に何十人もの人間を、たとえ無抵抗にしても、刃物でひとりひとり殺していけるものなのだろうか。深夜にジビエ料理人と、鹿の解体の仕方を図説している服部文祥著「サバイバル登山入門」を前に、そんな話。

そして夜勤のスタッフたちはその間どうしていたのだろうか。この店の深夜スタッフは一人であり、ドアはいつでも開かれている。防犯カメラは事後の検証の役にしか立たないし、警察はいつだって遅れてやってくる。

「19人なんですけど、いいですか?」悪そうには見えない女の人が入ってきた。怖い気がして断った。だが、あとからあとから人ががやってきて、店は知ってる顔やら知らない顔やらでいっぱいになった。めちゃくちゃな注文に仕事がはかどらないまま、カウンターに上るヤツやら騒ぎ立てるヤツやら、そのうち暴れて店を壊し始めた。とにかくカウンターに上ってるヤツを引きずり下ろし、店から追い出したはいいものの、「ヤツはA(同級生)の先輩なんだぜ。あとで何されるか知らねえよ」と見渡すと、さっきいたはずのAもその仲間たちもいなくなっていた。

店には残った見知らぬ女性たちが勝手にカウンターを物色しては酒を飲んでいる。窓際に背をもたれて談笑する女たち。どっかで見たことあんなあ。「あんた、なにやってた人だっけ。」尋問するように聞くと、答える間もなく一発の銃声。女が倒れる。斜向かいのビルの階上を見上げると、さっきの先輩が猟銃を持ってにやけている。その猟奇的な笑い顔。そこで目が覚めた。ぐっしょりと冷や汗をかいていた。

『食べるためとはわかっていても、殺しは気分がいいものではない。「生きるために殺す」にはどうすることもできない矛盾が含まれている。(中略)なにかを食すとは、おそらく最初の生命の発生直後から連綿とくり返されてきた、存在の絶対的な条件であり、本来、説明や認識、ましてや感謝や悔恨などが入り込む余地はない。たぶんその必要性もない。言語や思考というものが発生するはるか以前から、あたりまえのこととしてずっとずっとくり返されてきた根源中の根源のはずだ。なのに人間は思い悩む。生きるために殺すとはどういうことなのか。自分のいのちを優先する傲慢はなぜ許されるのだろう。
山に獲物を求めはじめたばかりのころは、命を奪う興奮と生きるために殺すという矛盾に悩んでいた。その悩みの延長で私は狩猟をはじめた。そしていま、悩むことそのものを疑いはじめている。』服部文祥「ツンドラ・サバイバル」(みすず書房 2015年)冒頭部分より。


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by barcanes | 2016-07-29 06:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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