落ちこぼれの精神

7/13(水)

8月にやる予定のイベントの打ち合わせに来てくれた女性。先日来てくれた時には小学校が同じだねと分かったのだが、高校の後輩でもあったと。義姉がやはり同じ高校の出身で、そこは先輩のお店だ、と指摘されたそう。ひとつ下の女バレの子でカワイイ子だったからよく憶えている。子供参加のパーカッションのワークショップ&ライブという企画です。近日告知します。その義姉の後輩の子に会えるのも楽しみ。

その打ち合わせの話をしている話に、いちいち割り込んできては自分の話に脱線させていくのは、昔カワイかった(今も十分キレイだと思います)同輩女性。ちょっと黙っててね。誕生日のプレゼントに、なっちゃんと食べてとお菓子をいただきました。

田中君の「バンコーニ・ディ・ガッティ」ついでの北口ツアーに寄ってくれたという男性、この方も話してみたら同じ高校の先輩だった。9つ上と言えば、バレー部の名物先輩Iさんの名前を出してみた。時折このように偶然にも、上から下まで高校の先輩後輩(それから先生も)が集ってしまうことがある。そしてそれよりも不思議なのは、うちに来てくれる人たちはその高校の各年代の、控えめに言って半分より下、早い話が落ちこぼれ組ばかりということなのだ。私はさらにレベルが違いますけど。それが店主の引力、ということになるのだろう。

「落ちこぼれ」ということについては考察する必要があるかもしれない。どんな集団、どんなグループにも落ちこぼれる者というのはある割合で出てしまうものだろう。能力や生存における競争に勝てなかったり勝つ気がしなかったり、同調性についての違和、前進に対する後ろ向きさ、拾い残されてこぼれ捨てられていくもの、基準値から外れた誤差、一定するものと濫立するもの…。

当店のイベントも一貫性なく濫立しており、私はそんな状況を好ましく面白く思っている。何かのシーンを形成しようとか、みんなをまとめて何かを起こそうとか、そういうことは思っていない。思ってみたこともなくはなかったが、柄じゃないから止めた。つまりリーダー的な資質は持っていないのだ。ただ「落ちこぼれ」的な精神によって、こぼれ落ちているものをかき集めて見えてくるような世界の方が好きなだけなのだと思う。

逆に言えば、こぼれ落ちなかった世界にはあまり興味がなかったのだ。(今は少しは興味あるけど。)しかしこれだけは言えるであろう。世の中のほとんど全てのものはこぼれ落ち、そして忘れられてゆくと。だからそれに抗おうとして、ただそれだけの生存的な欲求によって、人はこぼれ落ちないように頑張っているのだし、そんな頑張りから一息つくところが酒場であるなら、やはりそこは落ちこぼれの博覧会でよいのだ。そこには多様性があって、それらがただそこで出会うだけの縁であり、そしてそこから先はこの店の知る範囲ではないと。人間も音楽も、そして時間も。

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先日ハードオフの「ジャンク売り場」で入手した108円レコード。そう、落ちこぼれはジャンクが好き。「ケンとメリー」で知られるBUZZの、ライブ盤を含めて5枚目のアルバム、78年。ポスターも同封。メンバーの東郷さんは以前Cane'sで歌ってくれたことがある。いいとこの私立中学の同級生に高橋幸宏がいて、彼が作詞した2曲も収録。このアルバムからのシングルカットは、失礼ながらいかにも売れなそうな曲。彼らはその後、松田聖子やユーミンのレコードで、コーラスとしてクレジットされている。


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by barcanes | 2016-07-13 21:37 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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