同調圧力・協調強要

6/29(水)

週末7/2(土)の出演DJ精鋭が打ち合わせ、というか決起飲み会っすねと。そういうの大事よね。どんな曲かけるかイメージできたと。当日は大きめの音量でいこうと打ち合わせる。それから一人バンド活動しているアニキの新曲音源を聞かせてもらったり。相変わらず「カツヲスペシャル」の録音をお聞かせしたり。

同調圧力、あるいは協調の強要といったようなことが最近引っかかっている。なっちゃんの幼稚園もほぼ、協調性の名の下に同調の圧力を加え合っているようなものである。みんなと同じじゃないと仲間はずれ、みたいなことは遅かれ早かれ起こることだろう。それは外からの圧力であるとともに、内からの欲望でもあるのだろう。教育とはそんなものかもしれない。

テレビでよくやってるような、外国人留学生が財布を落としたら全額そのままで戻ってきた、日本サイコーみたいな話、治安の悪い国からしたら驚愕の出来事なのでしょうけど、それを「思いやり」の一言で済ませちゃうのは、助け合いという文化の基礎に相互監視という要素があることをすっ飛ばしちゃってる気がする。

おそらく我が国の政治の仕組みも、そのような同調圧力・協調強要といった我々に深くセットされた精神を利用して行われているので、それは右派だろうが左派だろうが一緒なんですね。つまりそのようなことに違和を感じる人は、党派・派閥制にそぐわない。かといって現状の政党政治では、個人・無所属で戦うには数の力があまりにも足りない。

多数決とは本来、数がものを言うようなことだったのでしょうか。違和を受け入れて大多数が納得するような妥協案を出してゆくにしても、そのプロセスを同調圧力・協調強要によって省いてしまう、つい子供に「早く!」って言ってしまうような、そのような省略が多数決を数の論理としてしまうのだろう。

我々の商売も、大いに同調圧力・協調強要を利用しており、お店にカラーがあるとすればそれであり、イベントの動員力があるとすればそれであり、顧客を管理してるとすればそれであろう。私はその全てを拒否したいが、それでも時には店内の協調性を強要しなきゃならないことがあるし、「忙しい時には簡単なのにしてよ」という圧力を加えちゃってることもあると思う。

同調圧力・協調強要から自由であると、他人に迷惑をかけるのかもしれない。人が好きなように生きればある程度誰かの迷惑になるのは仕方のないこと、という立場で考えれば、衝突を避けて間接的に迷惑を回避しようとする、時には権力を利用して、というのが同調圧力・協調強要である。であるなら、衝突してでも直接やらなきゃいけないのだ。

ということで、投票の時期になると政治のことを考えてみなきゃならないのだけど、そんなことどうせ電通さんとかが仕組んでるんでしょ、ってなるから余計メンドくさい。人に任せちゃうのが政党政治のいいところのはずだったんじゃないの。でもそれがもうダメなんだったら直接民主制、どうせせっかく民主主義やってみたのなら、やはり一度は直接民主制やってみたらどうでしょうかね。ダメかな。我が国にはまだまだ早いのでしょうかね。

週末のDJイベントに呼ばれなかったDJと、いつもそんな話。呼ばれなくてスネてるわけでも怒ってるわけでもないよ。やりたいことを自分でやれるようになるって、素晴らしいことじゃん。みんな好きなことやればいいんだよ。で、朝まで。


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by barcanes | 2016-07-08 21:39 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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