夢で逢えたら

6/18(土)

8月に知り合いのバンドの子供向けイベントを企画したいと問い合わせを下さった方が来店。話してみたら、小学校の少し下の後輩とのこと。そのうち小学1年の時の担任の先生の息子が来たりする。私と同じく北海道にルーツがあると言うので、私の名字の由来を説明してみたりした。札幌の月寒地区を開拓した私の先祖の名前がね、仁太郎さんっていうんですよ。

明治4年に盛岡から入植した南部藩士を中心とする44戸のうち、記念碑が建てられた100年後にその子孫が残っているのは数名のみ、ということが「月寒開基百年之碑」に書かれているそうである。子供の頃、この石碑を見に行った記憶がある。自分からすると高祖父ぐらいにあたるのだろうか。ニタドリニタロウですよ。忍耐強く、そしてファンキーだったんじゃないかなあ。ニタニタですからね。そんな初代フロンティアの名前を継いだ子孫はいるのだろうか。私が勝手に二代目仁太郎を名乗ろうかな、と思ったけど、その開拓精神には遠く及びそうもない。

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出たばかりのアナログ盤を持ってきてくれたアニキが来たので、大滝詠一「デビュー・アゲン」を聞く。(あ、この人も岩手の出身か。)「夢で逢えたら」の未発表STRINGSバージョンが収録されている。この曲はシリア・ポールから始まって多くのカバーがありますよね。過日のセレモニーのときにこの曲のイージーリスニングなメロディーが延々と、その曲だけがずーっと流れていた。それはそれでいいのだけど、いろんなカバーを並べるだけでも相当な時間を費やせそうな気がする。まあ耳について離れませんでした。

ということで「夢で逢えたら」つながりでNiagara Fall Starsやサーカスなどを。
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遅くにはあの日ぶりで、泣きに来てくれた女性。職場に会いに来てくれたのに会えなくて、また今度ねってメールをしたっきり。もう会えないねって。それはちょっと、悲しいよね。

そんな悲しみを、受け止められないものは無理だけど、受け入れるのが自分の仕事のひとつであると思っている。一方で、そんな思いをネガティヴなものと解釈して「お前の仕事も大変だな」と同情してくれた人もいた。そんなこと続けてるとお前自身もダメになるぞ、と早く止めることを勧められたこともあった。

でもそれは同情ではなくて、他人事だったのだと今は思える。なぜなら、それは決して楽とは言えないけど大変ではないからだ。友達なら、恋人なら、近親者なら、やってあげられるはずのことが、友達にも恋人にも近親者にもできないことがある。みんなそれぞれに事情があるのだから。

私のような商売者は、友達でも恋人でも近親者でもないのかもしれない。ただの第三者(自分が依頼した人、というのが最近の意味らしい)でしかない。我々の愛する、愛したアーティストだって、亡くなったら悲しむけど一度も話したこともない他人である。アカの他人であろうと悲しむことはできるし、シンパシーすることができる。その悲しみやグチや悩みにシンパシーを感じることができるのなら、それらは特段に大変なことではない。共感を見つけることができないとき、それはメンドクサイということになるのだろう。

人の思いは場所と切り離せないところがある。場所に留まってきた人間には、その思いを受け止める責任が自ずと生じる。それは大変なことではなく、自然なことなのだと思う。


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by barcanes | 2016-06-19 20:55 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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