悪魔 とムード

6/9(木)

夕方、家で娘と妻がデヴィッド・ボウイの映画「ラビリンス」(86年)を観ていた。ボウイはゴブリンの王様、つまり悪魔である。継母の子供の子守をさせられた少女(ジェニファー・コネリー)の心の隙間、「この子をどこかへ連れ去って」という邪悪な叫びに応えるように、魔王が現れて異母弟をさらってしまう。偉いのはその過ちにすぐ気づくところで、少女は弟を取り戻しに行く。その魔王の城へ向かう迷路の入り口で、優柔不断なゴブリンに「なんでも決めつけるのは良くない」とアドバイスを受ける。桃太郎(あるいは鬼太郎)のごとく妖怪仲間を味方につけ、辿り着いた魔王は「お前の望みを全て叶えてやったのに」と言う。しかし少女は「あなたには支配されない」と言い放ち、万事休す。

私のもとにも過日、悪魔が現れた。私は他人の、みなさんのそれぞれの死の捉え方を決めつけてしまったのだろうか。「これでよかったんだ。いい死に方をした。」などと言い放った悪魔の挑発に乗ってしまった。つい心を許して喋ってしまった心の隙間につけ込んで、「お前は何もできていない」と言い捨てる悪魔の呪言に、一瞬でも支配されてしまったのかもしれない。

ある種の人が持つそのような性質は、普段は隠していようとも、人の生死やそれまでのバランスが大きく崩れるようなときに、つい出てきてしまう。意地の悪い人というのは大事な時に本性を現す。他人の大事な時に限って、その弱ってる隙につけ入ってしまう。あれはワザとじゃないんだろう。ついそんな根性が表れてしまうんだ。人の弱ってるときに。そういう精神のことを昔の人は「悪魔」と呼んだのかもしれない。

それも、自分ももちろん、人間の持っているクソな部分に違いない。人は時に天使にも悪魔にもなりうる。そして私の店のような酒場は、いつだってそのような天使も悪魔をも呼び寄せ、迎え入れてしまう。来るもの拒まずなのだから。そのような悪魔をむしろ我々は迎え入れ、許し、かわしつつ、うまく付き合っていかなければならないのだろう。そうさ、仲間たちがいるじゃないか。妖怪みたいな。

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夜には静かな雨が降った。先日、暇なときにでも聞いてよ、とそっと渡されたCD。父を亡くした経験を持つアニキが貸してくれた。マイケル・ジョンソンの3rdとその後に2ndが入っている2in1。なぜか時系列的に逆になってる不思議なCD。

そして同じくミネソタ系のマイケル・モンロー、1980年の”Summer Rain”。まさにこんな夜にぴったりなタイトルだ。湘南サウンドと言っても可笑しくないような爽やかな、あの人が好きだったブレッド&バター系。優しい。細かいシャワーのように。最近、優しさに過敏になってるかもしれない。
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週末土曜日の「藤沢歌謡会」に初登場する斉藤ネヲンサイン君と電話で軽く挨拶。若くして昭和のムード歌謡を専門としているそうだ。私も10年ほど前の「和ジャズ」ブームの前後から、東京キューバン・ボーイズなどのラテン民謡と、いわゆるマーティン・デニーなどのエキゾチック音楽との両面から、プラス、表面的には昭和歌謡のメロディーと、テキサス・ホンカーに下支えされて「ムードもの」に辿り着いていた。けど深掘りはしていなかった。若い人にそのあたりを提示してもらえるのは非常に楽しみだ。

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ということで予習的にムードものを何枚か聞く。「ロブスターズ」というバンド名義もある海老原啓一郎。湿っぽいけれど涼しい雨の夜。ウヰスキー(と書きたくなります)の薄い水割りが飲みたくなる。あの人も銀座一筋30年の営業マンだった。銀座、夜霧、裕次郎。昭和、薄い水割り、雨の夜。ムード・サックスの10インチ。ムードものには裕次郎のカバーはテッパンである。長いカウンターで「SWING」のグラスを傾けるジャケの裕次郎のベスト盤を聞いて、夜は深く、さらに更けてゆく。

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by barcanes | 2016-06-10 16:53 | 日記 | Trackback | Comments(1)
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Commented by barcanes at 2016-06-12 05:58
不快な表現とのご指摘を受けましたので、書き直しました。
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