RED or BLUE
2015年 11月 10日
鎌倉の危険な女性3人組が来店したので「The Shaggs」のレコードをかける。持っててよかった。深夜閉店まぎわには客人が「ブルー・オーシャン、レッド・オーシャン」の話を言いかけながら帰っていった。いわゆるマーケティング用語だそうだ。
私の店の最初の頃の取り組みは「ブルー」だったのだと思う。しかし私はいつの間にか「レッド」に合わせるようになってしまったのだと思う。
それは「レッド」の世界の住人から言われてしまうような、ちょっとした一言がいつの間にか降り積もって無言の圧力となっていくようなものなのだろう。ちょっと外れた青年がフツーの大人になっていくことを成長と呼ぶような圧力を、罠だと分かっていても自分から罠にハマっていくように、カッコよく言えば挑戦のようなものだと思ってしまうものだ。
突っぱねる反逆の強さを持ち続けていないと、そのような圧力に屈してしまうわけだが、それは気持ちの問題だけでなくマーケティングとして意識しておけばよかったのかもしれない。
突っぱねているように見える人も、突っぱねている専門領域以外はフツーのもので自分を囲って生活しているから、他人にはフツーを要求する。標準を道具として個性を発揮する。標準の世界で勝負しろ、ということになる。世界が見えるようになる、ということは、レッドの中に自分の住み位置を小さく見つけてしまうことなのだろう。
自分が個性的でいるために他人の個性をつぶす、というわけではないのだろうが、人はもともとある標準とその中で生きる自分の標準で、世界を標準化しようとするのだろう。勝ちにこだわる人は自ずと自らを標準化するのだし、そして勝ちに拘らない者までもがレッドの泥沼に棲みかを見つけてしまうのだ。
世界を標準化しようとしなけりゃいいのだ。ライバルなんてどこにもいない。ライバルと思ってくれて邪魔しようとする者があろうが、ほっとけばいいのだ。南のキレイな海に行かなくても、青い海はそこにあるというわけだ。人気のない、人のまばらな空間が。
by barcanes
| 2015-11-10 06:36
| 日記
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