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7/23 観に行く


ということで、観に行った。ベスト8を決める5回戦。僕はこの日しか観に行けそうにないから、頑張って早起きした。駅からタクシーに乗った。ワンメーター。シートノックの前に間に合った。空は抜けるような快晴。バックネット裏には屋根があり、人工芝がキレイに映える、いい球場だ。大和引地台球場はドカベンの銅像の建つスタジアムに変わっていた。僕はここに来たことがあるはずだけど、思い出せない。

ライト上空に厚木基地の飛行機が飛んでいる。強い風がバックスクリーンの旗の向きをあちこち変えている。フライの処理がこの日の勝敗を決めるかもしれない。その運はどちらに転がるか。

経過は省略して、母校は負けた。土曜日のハマスタを当てにしていたOBOGたちも残念だった。客観的に見て、総合力的に負けだった。しかし、それを跳ね返す勝ち方をしなければならなかったのだ。天候さえ味方に付けなければ。僕はあえなく腕と額と、膝頭を隠すために穿いていった長ズボンの足首を真っ赤に焼いた。

同行の野球部OBの後輩に美味いクラフトビールをもらって飲みながら、気分良く観戦していた。接戦のままもつれ込んだ終盤の時間は加速したと思う。高校野球観戦のときにはビールを飲まない、という飲み人の話が分かるような気もした。青春はそれほど儚く過ぎ去ってゆく。あっという間に大事な瞬間が流れていってしまう。満塁のピンチを切り抜けたか、とホッとした次の瞬間、甘いストレートが真ん中に入り痛打される。レフトの頭上を越えてゆく。その光景を彼らは一生忘れられないだろう。

青春という言葉を簡単に使うことの、僕らはその痛みを再確認しに行くのかもしれない。例えば若手の失恋話を、本気で聞くことなんてできない。本人にしか分からないのだから。僕らが聞くことができるのは、そこから立ち直ろうとするところ。僕らが分かるのは、その帰り途のこと。偶然にも僕らの代のエースと会って、一緒に帰った。炎天の直線道をとぼとぼ歩いて帰る気持ち。僕らは今は無き川崎球場からどうやって帰っただろうか。そして僕自身が負けたときのいくつもの帰り途は、どうだっただろう。惨めだったには違いないけど。

どうやって帰り、どうやって立ち直ったかなんて、思い出せないものだ。ただ終わるのはあっけなく、あっという間だ。共感というものがあるとすればそれはそのようにして生まれ、それは負けようとしては得られない。勝とうとするその意味もなく純粋で恐れのない気持ちと、その儚さ。我々はその痛み、あるいは痛みスレスレの薄氷の思いを味わいに行くのだろう。

大人になるとなかなか終われないし負けを認めるわけにいかないから、鈍感になってしまう。鈍感にならずには生きていけないから。それでも僕らが分かるのは、日々のよくある惨めな気持ち。僕らは日々小さく負け、それでもなんとか勝ち、いや引き分け続けている。
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by barcanes | 2015-07-23 04:46 | 日記 | Comments(0)