人気ブログランキング | 話題のタグを見る

強行採決

店がヒマだったので、なんとはなしにネットで国会の生中継を見ていた。深夜にまで参議院が開かれて、強行採決と相成った。今に始まった話ではなく、今さら反対しても遅いっていう話である。この流れは止められない。それでもちゃんと反対行動をしてくれる人たちがいて、原発の反対デモよりもよっぽど心強く思った。

軍事国防上の要請、殊に日米関係として必要なことであり、それにしても内閣支持率が多少下がろうとも、できるうちにやっておこうという尚早/焦燥感があったことは否めない。国民を騙すどころか、首相アベちゃんは騙してることにさえ気づいていない、あるいは根本的に何も分かってないようにも思える。騙すという言葉自体が、政治には存在しないことになっているのだろう。それは信じていただく、信任を得る、安心していただく、前に進んでいく、国と国民のためである、という言葉に替えられていく。

いずれにせよ、厳しい時代になってきたのである。往事の治安維持法から戦争に突入していく、言論が統制され表現が縮こまっていく、そのような危険性はもちろんあるだろう。自分たちで決めた法律が自らの首を絞め、悪気ないはずの決まりが、いつか別の人たちに拡大解釈され悪用されて、その決まりに絡みとられてにっちもさっちもいかなくなる。怖い世の中である。数任せのアホな政治家はともかく、公僕たる官僚のあり方の問題であるようにも思えるし、絡み取られ流されていく我々民衆も怖い。厳しい世の中である。

しかし我々はどこか、厳しい時代を求めたのではないだろうか。安穏と浮かれた時代に育った我々は、何も考えずに争わずに生きていけることが平和であると思ってしまった。そんなオートマティックな世の中が、本当はイヤだったのだ。誰にも傷つけられず、誰も傷つけないでいられるのが平和なら、それはあまりにも不感症の幸福だ。

生きることが厳しいことであるべき世の中に生きたかった。そうでなければ生きることに実感を感じられないじゃないか。何かに任せて、乗っかっておけば安心、それが自由で平和で幸せなことだって、勘違いしたんじゃないだろうか。そのツケが回ってきたってことなんじゃないだろうか。

核家族化が進み個人主義の世の中になるということは、いちいち自分の頭で考え、オートマティックに物事が進むことを拒否し、常に最愛の家族でさえ崩壊に陥るリスクを抱えながら、それでもひとつひとつ悩みながら、自分たちの力で乗り越えていかなければならないということなのだ。それは我々が望んだことなのである。

だから常に保守的で封建的な揺り戻しがあり、国家主義的で内向きな揺れ動きがあり、ジジババに子育てを頼るような大家族的なあり方も見直される。頼れる保育や教育のシステムはもはや存在しない。子供のことは親が見てあげるしかない。終身雇用も年金のシステムも終わった。我々はすべて、自分たちの力でやっていかなくてはならない。でもそれが、きっと当たり前なのだ。

世界は軍事経済と国際緊張によってしか進めなくなっており、仮に戦争や徴兵が強要される世の中になったとしても、我々には「逃げ」というのが残されている。それを卑怯だという正義など放っておけばいい。逃げは立派な選択だし、戦いの手段である。たとえ秘密に脅えるような世の中になったとしても、それをうまくかわしながら言いたいことを言って生きていくしかないのだ。

我々は言わばゲリラであり、そもそもゲリラなのだ。政治も世の中も分かりやすく、その分オートマティックになってゆく。人間は決まり事を守るオートマティックなロボットになってゆく。だからゲリラ人間はいちいちオートマティックに任せず、自分たちのルールを自分たちで決めながら、いちいち考えて生き抜いていかなければならない。それは確かに厳しいことだ。厳しい時代は今に始まったことではないが、それが改めてはっきりと認識された強行採決の日であった。
by barcanes | 2013-12-06 23:36 | 日記 | Comments(0)