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音楽の自由を楽しむ/雨の「窓の領域」

(寄稿)

雨だ。ポスポス大谷のイベント「窓の領域」の日は、以前も雨だった気がする。伊豆大島では今日もたくさん降ってるらしいし、夕方には僕の街でもかなり降っていた。濡れてまで見に行くこともないかもしれない。それでも出かけることにしよう。行かないと何か損をした気になるかもしれないし、実際僕はこのイベントを楽しみにしているのだ。

7時半からのイベントとなっているが焦ることはない。藤沢あたりの客の集まりはいつも悪い。始まるのは8時ぐらいだろう。雨で何かと手間取り、店に着いたのは8時を少し過ぎてしまった。それでもまだライブは始まってなかった。意外にもトニー・ジョー・ホワイトのレコードが流れていた。じめっと濡れた足元からブルーズのフィーリングが、ディープにしかし楽しげに感じられた。

まずはポスポスの弾き語りから。ハムバッカーのピックアップをつけたテイラーのミニギターをフェンダーの真空管アンプで鳴らしていた。不思議なオープン・チューニングの響きが、軽くドライブしたアンプの柔らかいサウンドに乗って、古いカントリー・ブルーズのようなハイ・ゲインの音を出していて、ポスポスの低音の唸り声によく合っていた。
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以前見たときのアコーディオンの弾き語りも良かったが、あのふわっとしたドローンの響きの中に浮かんでいるような感じに比べると、もっと低いところから出てきているような感じだ。声も低音が厚く出ていて、地面のサウンドという気がする。それは彼が山奥に引っ越して、地面をいじくったりしていることにも関係しているのかもしれない。

実際ディランが好きというポスポスだが、「時代は変わる」を彷彿とさせるような三拍子のコード・ストロークの曲もあり、ギター弾き語りのスタイルも板に付いてきたようだ。最後は立ち上がって口琴のソロ。これもとても良かった。
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休憩を挟み、BGMはデレク・ベイリーとシロ・バプティスタのインプロヴィゼーション。このような音楽がしっくりくるイベントが僕にはたまらない。ステージには数多くのパーカッション類や訳の分からないものが並べられ、ギターアンプの上には小ブタが整列している。

3人組のメタファーズは基本的にはサム・ベネットがアンプを通した不思議な弦楽器を弾きながら壊れたブルーズのような歌を歌い、マルコス・フェルナンデスと清水博志がパーカッション。しかし3人とも曲ごとに名前も分からないようないろいろな楽器をとっかえひっかえ、様々に不思議でへんてこな音を出している。決められたアレンジがあるようでもなく即興的に曲が進んでいくが、むしろどこか統制されたようなまとまりがある。
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音楽遍歴の長いサムさんはパーカッショニストであるとともに良いパフォーマーでもあり、客を飽きさせずに聞かせる術を持っている。声量のある歌声で空間を支配しながら、あらゆるものを音楽の道具にすると同時にあらゆる材料を音楽にまとめあげる力量を持っているのだろう。

音楽の楽しみは無限であり、つまり音楽は無限であるということを表現するための無限のアイデアを持ち、そしてそれを集め続け、いつも感じ取っているような人なんだろう。清水さんのフライパンや磁石やスプリング、手箒などを使った様々なアイデアも楽しかった。マルコスさんとのとっかえひっかえの様々なコンビネーションも面白かった。

クラシックを極致とするような「型にはまった」音楽にも表現の深みや演奏の至芸といった素晴らしさがもちろんある。今日のような音楽はその対極かもしれない。しかし例えば型にはまったような楽器や奏法を組み合わせたシンガー・ソング・ライターの音楽には、そのどちらの極にも届かないばかりか、音楽の自由さえ奪われているようなところがあるようにも感じる。そういったものにつまらなさを感じるとしたら、それはこちらまで身動きのとれないような気分になってくるからではないだろうか。つまり、むしろ不自由を表現しているということになる。そしてそれには、それなりに不自由を愛するファンがつくのかもしれない。

しかし音楽は自由であってほしい。そのためには人は自由でなければいけない。しかし逆に言うなら自由を奪われた人間がやる音楽は、良くも悪くも型にはまったものになる。狭められた枠の中にこそ自由があるかもしれないし、身動きのとれない中から自由を見つけていかなければいけない。しかし与えられたような自由にとおりいっぺんの楽しさを感じて満足しているような音楽は、言葉は悪いが大抵がファックなのである。

楽器を持てば誰だって自由になれる。しかしその自由は楽器に与えられた自由なのだ。そこから自分で自由を作り出さなければならない。それができないならアーティストを名乗るべきではない。だから、その辺の自称ミュージシャン諸氏にこそ、このようなオリジナリティーある音楽のパフォーマンスを見ていただきたいと思う。我々が聞きたいのは、オリジナルのサウンドなのだ。

帰る頃には雨は止んでいた。あとで聞けばポスポスはヒドい雨男で、これまで野外イベントを二つ潰したことがあるそうだ。屋外のイベントにはオレを呼ばない方がいいよ、と言っていた。そしてマルコスさんもまた雨男を自称しているそうなので、そりゃあ雨にもなるというものであった。終演後にはトム・ウェイツの3枚組「Orphans」の、これまた美しくも壊れたブルーズが霧雨の雨音のように流れていた。
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アンプに並んでた子ブタは楽器でしたか。
by barcanes | 2013-10-20 03:19 | 日記 | Comments(0)