守る常連客
2013年 09月 29日
新規のお客さんというのは、常連客で固められているような店に入り込みにくさを感じるものであるようだ。実際、個人店のバーなどというものは常連客によって守られているものである。
あるお客さんが体験談を話してくれた。僕がこういう店に初めて通うようになったのはね、伊勢佐木町から少し入ったところでね、ある時テーブル席を怖い人たちが囲んでいたんだよ。僕はまだそのバーに通い始めたばかりの頃で、カウンターにはその店の常連がズラッと並んでね、初めて行ったときに声をかけてくれた常連のおじさんがね「今日は終電は諦めろ。あの人たちが帰るまでカウンターを空けちゃいけないぞ」って言うんだよ。それでようやく怖い人たちが帰ったらさ、なんかみんなでやり遂げたっていう感じで乾杯してさ、そんな一体感がとても良くってね。それからだな、お店に通うっていうことが楽しくなったのは。バーっていうのはさ、学校なんだよ。
私の店にも以前、気のいいブルーズ好きのおじさんがいて、見慣れないお客さんが入ってくると私よりも先に「いらっしゃい」ってカウンターの隣の席に座らせて、接客の苦手な私の代わりにあれこれ世間話や酒の話なんかをしてくれた。そのおじさんは「ゲンちゃんにできるぐらいなんだからオレにもできるだろ」って、ある時会社をぱっと辞めてバーを始めたが、しばらくしてぽっくり逝ってしまった。
仕事帰りに毎日のように寄ってくれていた姉さんがいた。いつも元気で明るい美人だったが気っ風の男勝りなところがあって、私なんかは完全に弟というか妹扱いで男として見てもらえなかった。ある年のゴールデンウィークには靴からマニキュア、鞄まで全身金色で登場して度肝を抜かれた。連休を連日飲み明かし、ラムを何本も空けていったことが懐かしい。一介の酒場の者を結婚式にまで呼んでくれて、うちでやった2次会のパーティーの白いドレスのまま、夜の世界を卒業していった。
僕がこの店を引き継ぐことになる以前からのお客さんの男女が、この店での出会いから十数年の時を経て、交際から結婚に至ることになったと報告に来てくれた。口の悪いこの男性客は「ゲン君は客をエラんでるよね」と、だからダメなんだよと言わんばかりだが、それは「俺はエラばれてる」ということの裏返しを言おうとしているかのようで、どちらにしてもエラぶっているようで気持ちが悪い。俺はあんたをエラんだわけでもないし、お店を択ぶのはお客の方である。
しかし誰彼構わず相手をイラつかせるようなことを言って相手の反応を楽しむような飲み方をする、こんな客を許してきてしまったのは私の責任でもあるので、それはエラんだと言われればエラんだのかもしれない。
良い客も悪い客も、エラんだのかエラばれたのか分からないが、どちらにしてもどこか同列のところがあり、迷惑もわがままも、情も恩義も、感謝や挨拶と同じ、かけるもかけられるもお互い様の同義なのである。
確かに店を始めた最初の数年はだいぶ心配されて、そんな数々の大常連に守られてお店を続けることができたのだと思える。最近は何か特別なイベントか深夜にでもならなければ、常連客で固められるなんてことは滅多にない。守るべき価値がなくなったと言うと卑下になるので、どうせなんとかやれるんだろと安心されるようになったということなのかもしれない。
それでも新規のお客さんが入り込みにくさを感じるのであるならば、それは去る時代の常連客の残り香が、現在のお客さんたちのそれと何重にも積み重なり、どこか守護霊のようにこのお店を守ってくれているからなのだろう。おかげで開店以来とくに変なことは何もないのだが、もう少し、入りやすいように守護をやわらかく解いてもらえないものでしょうか。ねぇ。
あるお客さんが体験談を話してくれた。僕がこういう店に初めて通うようになったのはね、伊勢佐木町から少し入ったところでね、ある時テーブル席を怖い人たちが囲んでいたんだよ。僕はまだそのバーに通い始めたばかりの頃で、カウンターにはその店の常連がズラッと並んでね、初めて行ったときに声をかけてくれた常連のおじさんがね「今日は終電は諦めろ。あの人たちが帰るまでカウンターを空けちゃいけないぞ」って言うんだよ。それでようやく怖い人たちが帰ったらさ、なんかみんなでやり遂げたっていう感じで乾杯してさ、そんな一体感がとても良くってね。それからだな、お店に通うっていうことが楽しくなったのは。バーっていうのはさ、学校なんだよ。
私の店にも以前、気のいいブルーズ好きのおじさんがいて、見慣れないお客さんが入ってくると私よりも先に「いらっしゃい」ってカウンターの隣の席に座らせて、接客の苦手な私の代わりにあれこれ世間話や酒の話なんかをしてくれた。そのおじさんは「ゲンちゃんにできるぐらいなんだからオレにもできるだろ」って、ある時会社をぱっと辞めてバーを始めたが、しばらくしてぽっくり逝ってしまった。
仕事帰りに毎日のように寄ってくれていた姉さんがいた。いつも元気で明るい美人だったが気っ風の男勝りなところがあって、私なんかは完全に弟というか妹扱いで男として見てもらえなかった。ある年のゴールデンウィークには靴からマニキュア、鞄まで全身金色で登場して度肝を抜かれた。連休を連日飲み明かし、ラムを何本も空けていったことが懐かしい。一介の酒場の者を結婚式にまで呼んでくれて、うちでやった2次会のパーティーの白いドレスのまま、夜の世界を卒業していった。
僕がこの店を引き継ぐことになる以前からのお客さんの男女が、この店での出会いから十数年の時を経て、交際から結婚に至ることになったと報告に来てくれた。口の悪いこの男性客は「ゲン君は客をエラんでるよね」と、だからダメなんだよと言わんばかりだが、それは「俺はエラばれてる」ということの裏返しを言おうとしているかのようで、どちらにしてもエラぶっているようで気持ちが悪い。俺はあんたをエラんだわけでもないし、お店を択ぶのはお客の方である。
しかし誰彼構わず相手をイラつかせるようなことを言って相手の反応を楽しむような飲み方をする、こんな客を許してきてしまったのは私の責任でもあるので、それはエラんだと言われればエラんだのかもしれない。
良い客も悪い客も、エラんだのかエラばれたのか分からないが、どちらにしてもどこか同列のところがあり、迷惑もわがままも、情も恩義も、感謝や挨拶と同じ、かけるもかけられるもお互い様の同義なのである。
確かに店を始めた最初の数年はだいぶ心配されて、そんな数々の大常連に守られてお店を続けることができたのだと思える。最近は何か特別なイベントか深夜にでもならなければ、常連客で固められるなんてことは滅多にない。守るべき価値がなくなったと言うと卑下になるので、どうせなんとかやれるんだろと安心されるようになったということなのかもしれない。
それでも新規のお客さんが入り込みにくさを感じるのであるならば、それは去る時代の常連客の残り香が、現在のお客さんたちのそれと何重にも積み重なり、どこか守護霊のようにこのお店を守ってくれているからなのだろう。おかげで開店以来とくに変なことは何もないのだが、もう少し、入りやすいように守護をやわらかく解いてもらえないものでしょうか。ねぇ。
by barcanes
| 2013-09-29 23:16
| 日記
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