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張り切れそうね/SASAKLA & J.J.F.ライブ

「張り切れそうね、張り切れそうね」という歌詞のリフレインが斬新だなと思って、後で歌詞カードを見たらちょっと違ったんだけれども、山を前にして、おしゃれなトレッキング・シューズを履き、おしゃれなアウトドア・ウェアに身を包んだ若者たちが張り切っている。肝心なのは山をどう登るかとか、登りきれるかということではない。登ろうとするかどうか、そのために張り切れるか、張り切れそうかどうか、ということである。

モチベーションを上げるためには、おしゃれなグッズを買ったりする。おしゃれな感じというのは何かを始めるためには結構大事で、だから格好から入るなんていう人がいる。それは決して悪いことではない。だって頑張れるかどうかには、モチベーションが必要だったりするから。

ハングリーでなければ何も成し遂げることはできない、なんて言うのはなかなか難しい言い方で、飽食の時代には何にもできないということになる。だって、我々は飽食の時代にも何かをしなきゃいけないわけだから。ある部分は満たされているように見えるけど、それ以外は何も満たされていない。そのような若者が何かをしようとするには、まず張り切らなければならないわけだ。その山が張り切れそうな山かどうか、情報は余りあって、それ以上に感じるところがなければ登ろうとは思えない。

そして山を登りきるには、何よりも自分のペースを知っていなければいけない。早く登ることになど、大した価値はない。若いんだからガツガツ登って、くたばったら倒れちまえばいい、なんていうのは随分と甘いアドバイスで、あんた方はそれでも助けてもらえたのかもしれないが、我々の時代は誰かに助けてもらえるかどうかなど、あてにできないのだ。そうやって若い芽を潰し、摘もうという目論見に違いない。

一人前というのは誰にも何にも乗っからず、自分のペースで生きることができるということである。人とのしがらみや、人との比較や相違や争いの、その距離間の中で生きることはメンドクサいけど実はたやすい。なぜなら人との比較や相違や争いの範疇で張り切ればいいのだから。人というのは張り切る対象がいるから張り切れるようなものだ。張り切るために争ってるようなものである。人より良い生活、人より良い幸せ、人より自由で余裕のある、人を幸せにできる人生。幸福や平和は比較でしかない。

戦争のない平和。争いのない生活。比較のない人生。そんなユートピアがこの世の中にあるだろうか。この世界に、この地上に。あった。笹倉慎介という世界に。我々はそんな世界を見つけて驚愕した。あまりにも平和で怖さを感じたぐらいだ。そんな世界を表現し提示できるアーティストに、我々は恐怖さえ感じたのだった。

こんな世界がこの国に、日本という国に存在するのなら、我々はこの国を愛することができるかもしれない。この国と言うのが大袈裟なら、そんな世界が存在し得る、こんな国もマンザラではないのかもしれない、と言い換えてもいいかもしれない。

笹倉慎介は入間の米軍ハウスを改造してスタジオを作り、カフェをやり大工をやり、そして歌を作り歌っているらしい。らしいと言うのは、そんな話を聞く間もなかったからなのだが、それでも自分で全てを作っているという雰囲気を感じることができる。全てを作っているから自分のペースさえ作れているのか、それとももともとマイペースを持っていたから全てを作れているのか、そのあたりはよく分からない。おそらくその両方なのだろう。

若くして自分の世界観を持ち、それを表現し提示できる、その自分のペースぶり。それが音楽に表れている。これから登ろうとする山はどんなものか分からない。登ってみなければ分からない。そして登ってみようと張り切っているけど、力が入りすぎていない。登り方は分かっている。いや分からないかもしれないけど、自分のペースで登ればいいってことは分かっている。誰だって年をとれば、それなりに登り方や登ろうとする山を知ることはできる。しかし、力が抜けつつ張り切るということはそんなに簡単なことではない。

一所懸命やるっていうことが張り切るということとは限らないし、その場限りで頑張っても後が続かない。環境に逼迫され、尻に火をつけられ、ギリギリになって切羽詰まるようなことじゃない。力の抜け具合がハンパないのだ。

「誰も聞いたことのないような音楽を作りたい」と彼は言っていた。確かに70年代初頭の「Hosono House」のような雰囲気や、Heronのようなブリティッシュ・フォークの空気を踏襲していることは分かるが、それでもこの時代に彼がやっていることは、誰にも真似できないようなことかもしれない。それは彼の人となりに接すれば分かることである。たいしたものである。

ライブは笹倉さんのソロで始まり、John John Festivalとの共演でハーフタイム。後半がJohn John Festivalの3人で始まって、再度笹倉さんと一緒に。アンコールはNHKのEテレの番組の、微生物の生き方を歌った「顕微鏡の歌」。

共演の「John John Festival」はCane'sでは昨年4月以来、約一年半ぶり3回目のステージ。久しぶりの彼らも「帰ってきた」感でリラックスして演奏してくれた。以前にも増してパワフルな一体感に興奮して、特にアップテンポのリールなどもう少したくさん聞きたかったぐらいだった。

ギターのアニー君はアコーディオンやマンドリンもこなして、笹倉さんと重なるギター・パートでは、音色の違いをうまく表現していた。彼のアイリッシュ・ギターのカッティングはホント素晴らしい。フィドルのジョンちゃんは弾いてる姿がとても可愛らしくて、しかし旋律はどこか逞しさを感じさせる。トシさんのバウロンという太鼓は不思議な楽器で、マイクを通さずにも低音がしっかり前に出て、可変的な音域も抑揚もとても幅広くて、こうしたアコースティックな音楽には音量的にも敵なしのパーカッションなのではないだろうか。それもトシさんの技量あってのことである。

笹倉さんのギブソン・ギターのタッチも柔らかく繊細で、ノイマンのコンデンサー・マイクを通した声も優しく温もりある独特の世界を作っている。初めてで素人P.A.としてはちょっと難しかったが、次回があればもっとうまくできるはずだ。平日にも関わらず来場くださった方はみなさん満足して帰られた。非常に中身の充実した、お値段以上のコンサートになったと思う。今回見逃された方は、次の機会をぜひ見過ごさぬよう。
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SASAKLA & John John Festivalの共作アルバム「Trek Trek」は発売されたばかり。「The Water Is Wide」などのトラディショナルとオリジナル曲、全6曲入り。ちなみに冒頭の「張り切れそうね」はタイトル曲で「張り切れ、それ」が本当の歌詞でした。
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笹倉さんの新作「Spring Has Come」のアナログ盤をゲット。ミニアルバム「Country Made」のタイトル曲は娘のなっちゃんも鼻歌しちゃうぐらい印象的な曲で、「since 1972」という曲はまさに細野ハウスの世界。現在の笹倉バンドのドラムは林立夫さんだそうです。3コードのシンプルな曲で、耳に残る豊かなメロディーとそぎ落とされた歌詞。素晴らしい。
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by barcanes | 2013-09-04 02:31 | 日記 | Comments(0)