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パブリック・スペース

美味しいものを出す。それが飲食店としての基本である。しかしそんなことは当たり前なのか、それともそういうことはどうでもよくなってしまうのか、お客はそれ以外のものを求めるものである。例えば私は今これを不味いコーヒーを出す安い喫茶店で書いているが、美味しいものよりもそれ以外の価値を得てここに来ている。喫茶店もそうだがバーにもそういう面があり、一言で言えば人それぞれの、その時々の「居心地の良さ」を求めるのだろう。

一人で来づらい、飲みたいものを頼みづらい、との意見を女性客からいただいた。すると横にいたアニキが「ゲンちゃんは威圧的だからね。女性にはキビシいよ」とつぶやく。その向こうにいた飲食業の男は「喜んで帰ってもらわなきゃね」と。でもほっといてくれて本が読めるようなバーもいいよね、とも言う。

客人を迎え入れもてなす店。もてなすやり方にもいろいろある、という言い方もできるだろう。しかし僕はどこか、自分のこの店は自分のものではなく、パブリックな場所(まさにパブ)というような感覚を持っており、それは少々無責任な印象にもつながるのかもしれない。

バーは飲みたいものを飲む場所である。そして基本的にはやりたいことをやりたいようにやっていい場所である。もちろん限度はある。そこにどんな人がいてどんなタイミングなのかによってその限度は変わってくるから、とりあえずおとなしくどこかに席を見つけて座っていただき、まずは何を飲もうかと思案するのが作法ではある。

そこから先は自由と責任がみなさんに託されているので、この店を居心地の好い空間にするのも堅苦しいものにするのも、みなさん次第なのだ。なんて書くとまた非難されそうだが、要するにバーはエンターテイメントなどではないし、受け身なのはお客さんではなくむしろ店の人間の方なのである。

何かを期待してお店の扉を開ける。かわいい女の子でもいたらいいなとか、誰かに会いたいなと思うかもしれない。旨い酒や好い音楽なんて、あまり期待しないかもしれないが、思いがけず何か見つけるかもしれない。楽しいことやメンドクサいことにブチ当たるかもしれない。

私はそれらを何ひとつ明確には打ち出していないかもしれないが、同時にそれら全てのタネを潜ませながら、そのいずれかの芽を誰かが摘み上げることを待ち受けている。その芽が伸びて枝葉が広がればささやかな喜び。花でも咲けば万々歳。だから一番楽しませてもらっているのはこの私で、なぜならこの野山に一番多く通っている客と言えばこの私だからだ。

何かを期待してこの店のドアを開けているのは、実は私だということになる。自分の店にないものがある店は他にいくらでもある。しかし自分が一番楽しみにして行く店は、何かが起こりそうなパブリックな場所なのだ。自分が威圧的だと映るとしたら、それは私がこの店の主のように振る舞っているからかもしれない。

この店は私だけのものではなく、私はむしろ管理人のようなもの。この店の売り上げは管理料金だ。そりゃあ儲かるまい。いつだったかこの店を「部室」に例えた輩がいたが、それならば私は部長なので、たまには仕方なしに威圧的になることもあるかもしれない。
by barcanes | 2013-07-29 20:30 | 日記 | Comments(0)