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オシャレについての考察:「Voices Inside」 

「Can We Change Our Soul?」と題して行われた第65回目の「Voices Inside」。ホストDJ二見潤がオシャレだと思うレコードをかけ、オシャレDJとして知られるゲストのYAZAWAさんがあえてオシャレを捨て、「イナタイ」音にチャレンジするという企画だ。

じゃあ、オシャレとはどんなものを言うのか。何がオシャレなのか。それを知るためにはやはり対極から考えてみるのがよい。

「イナタイ」っていう言葉にピンと来ない方もあるかと思うが、これはおそらく関西発祥の音楽用語で、どうやら「イナカ」からきているらしい。田舎臭く、泥臭い。コテコテ。あるいはあえて訳すなら「low down」ではないかと。LowでDown。つまり重心が低い。あるいは視線が低い。言ってみれば、脚からお尻ですかね。

それに比べてみると、オシャレは腰が高い。軽くて薄っぺら。目線は上から。スノッブで鼻につく。これはオシャレじゃない者のヒガミか。ヒガミ者からすれば「オシャレだね」とは称賛に隠された軽い軽蔑の意味になる。

高音域のオルガンやストリングスが効いていたり、ハーモニーの整ったコーラスなんかが入っているとオシャレだなと感じる。音はハイ上がり。だけどハイはトガりすぎてなくてやや柔らかい。コードで言うなら頭を半音引っこめたメジャー7th。あるいは一見不釣り合いな小物や差し色を乗せたようなテンション・コード。いろいろなものが混じりあって表面的に折衷させたような、いわゆる都会的というヤツだろう。しかし異物を無理クリまとめたような重いテンション・コードには、オシャレとはまた違った都市的な苦悩を感じることもできる。

軽薄さがカッコよくなるのは、大地の引力を切り離して空に浮かぼうとするからなのだろうか。身軽で縛りのないことは自由である。田舎者は都会に憧れ、都会育ちは田舎を夢見る。お互いに無い物ねだりをする。そういう意味では、オシャレもイナタさもあまり変わりはない。人が人と出会って音楽を作る以上、そこには土地から離れた人と人がいるという意味で都会的であり、ポピュラー音楽は全て都会的なのだ。

つまりYAZAWAさんがかければそれは全てオシャレでかっこいい音楽であり、二見潤がかければそれは全てイナタくてかっこいい音楽になるのである。それが今回のシンプルな結論なのでした。二人のスタイルを交換したつもりでも、まったく印象は変わらなかったのでした。

その点、もう一人のゲスト、というかもはや準レギュラーの関根さんのDJは、70年代のソウルをかけようが、いつもの50年代のコーラス・グループを中心とした選曲で、いつでも安心して聞ける、オシャレでイナタイSOULの背骨となっているのでした。

次回は8/17(土)、「JIVE」をテーマにお送りする予定です。ゲストはtetsu(a.k.a.バタンQ)さん、そして関根雅晴さんです。お楽しみに!
by barcanes | 2013-07-20 20:53 | 日記 | Comments(0)