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偽善

世の中で苦しんでいる人や困っている人を見て見ぬふりをできない人がいる。反対反対言ってるだけでは世の中はそのまま進んでいってしまうから、世の中に文句があるなら対案を示さなきゃいけない。それで、完全ではないかもしれないアイデアを実行に移す人がいる。代替案に完璧なんてないに決まっているから悩みながらやっているのに、その悩みを偽善と言ってしまう人がいる。

批判されるぐらいなら何も動かない方がマシだとだんまりを決め込む人がいて、あるいは何も動けなかったことに対するうしろめたさや、一度決めたとしても継続する自信がないからやはり動きを止めてしまう覚悟のなさを嘆く人もいる。

自分の基準を相手に押しつけることを偽善だと批判する人には、その人にこそ偽善だと言い返せばいい。なぜなら、その批判者こそ、自分が知らずのうちに気にしてしまっているけど実行もできない善意を、相手に押しつけているからだ。

「偽善者とは、自分に当てはめようとしない基準を他人に押しつける人のこと。」昨年読んだノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」の読後のメモより。

言いたいことは批判をおそれずに言えばいいし、それを偽善だとかいう輩にこそ偽善のタネがあるだろうと思う。奥尻島の震災のとき「俺を偽善者と呼べ!」とわめいていた泉谷しげるのやり方を思い出す。むしろ善意などいつだって偽善でいいんだと思う。ただし、善意を使って人をコントロールしようとするような言説には注意しなければいけない。おそらく、偽善に対する批判というものは、善や善意がどんなものかはどうあれ、それが誰かをコントロールしてしまうことへの警戒心なのではないだろうか。
by barcanes | 2013-03-25 01:32 | 日記 | Comments(0)